甲斐さんに関する『三都』と言えば
博多・東京・ニューヨークでしょうか
ご自身でも、3都市にそれぞれ家を持って
交互に住みたいと話されてましたよね(笑)
博多については、もう幾度となく書かせて頂いてますので
今回は省略…あっ、でも一つだけ(笑)
甲斐さんが東京に出られたのは
もちろん甲斐バンドのデビューがきっかけですが
そうでなくとも『男は家を出ないと…』
という思いをお持ちだったようで
『家から出なきゃ気づかないことがある』とサンストで話されたら
『家出のススメ』みたいに取り上げられたらしい(爆)
甲斐さんご自身は…
1日も早く家族や家から独立したテリトリーが欲しかった
それが育ててくれた家族に対する孝行だと思っていた
家の中にいると、自分の場所が見えない
それは親父が残してくれた場所か
兄貴たちが分けてくれた場所か
お袋が自分の場所を優しく空けてくれてるのかも知れない
家族の中で温かく育まれることの恐さがイヤだった
自分で苦労して作った『これなんだ』という何かを
この手で掴みたかったとおっしゃってます
そして『やるべきことはやった
この街から胸を張って出て行くのだと誓っ』て上京されたものの
『自分の歩んで行こうとする道を
後ろから情愛に引っ張られてしまうのが、すごく怖かった』と甲斐さん
お母様にも恋人だった女性にも
『絶対、手紙と電話はよこすな』と
今よりもずっと遠くて、分厚かった東京の壁と戦われたんですね
『ガラスの動物園』は
『都会との遭遇戦』と評されたアルバムだけど
照和ライブで歌われた曲は
『実は博多に向けて発していた曲』だったという
映画『照和』のオープニングを飾った【新宿】は
当時の甲斐さんが東京の代表と捉えておられた街じゃないかと…
かつての新宿には、佐野元春さんのように
『行けば面白いことがあるんじゃないか』と思える魅力があり
『面白いことを求めて、夜にさまよい歩く者が居られる店があった』と亀和田武さん
格式高い銀座とは違い、新しい時代の文化人たちが
酒場やジャズ喫茶に集まっていたという
井出情児さんも某ジャズ喫茶で
顔見知りになった方に誘われて
状況劇場の写真を撮っておられる内に
唐十郎さんのご自宅に団員として住み込まれたそうだ(笑)
ちなみに、情児さんも松藤さんと同じように
行きつけの喫茶店の階段に座って煙草を吸っていらしたらしい(笑)
それはさておき…
甲斐さんも足しげく通われたというゴールデン街は
『戦後の闇市みたいな退廃と活気
埃と汗が渾然一体となったような飲み屋街』で
『細い路地が交錯したところに
客が10人も入れば満員御礼って店がゴマンとひしめき』
『どこもよく似た薄暗い電燈にカウンターがあり』
『マスコミ、映画、演劇、音楽の関係者や
ワケのわからない連中が徘徊して(笑)
メチャクチャな飲み方をしてた』
『酔っ払って、人をボトルで殴ったり
喧嘩が始まったり、終わったり
また別の喧嘩が始まったりして…』
『店の外に出ると
野良猫が残飯アサッてうろついてるのが見えたりして
そんな時ふっとね、今や廃止された色を売る女がさ
ひょっこり路地から出て来ても
おかしくない雰囲気があったりしたんだよね』
『あそこは、いかがわしいんだけど
人を酔わせる色気っていうのがある小宇宙だったね』
そんな背景もあって【新宿】を作られたんだとか…
『言葉の書き手っていうのは
ひとつの窓に飽きたら、違う窓を探したがるんだよ』と
引っ越しを繰り返されていた甲斐さん
【そばかすの天使】は
甲斐さんが代官山にお住まいだった頃
『新宿2丁目の酒場』へ通っておられた時に誕生したそうだ
奥さんは、関西以外に住んだことはないけれど
甲斐さん縁の街を訪れた際に
風光明媚な観光地とは程遠い(笑)
ガヤガヤと猥雑な活気のある
それこそ、甲斐さんが『世間の縮図のような』とおっしゃった
かつての清川という街は
こんなところだったんだろうなと感じたという
博多・東京・ニューヨークでしょうか
ご自身でも、3都市にそれぞれ家を持って
交互に住みたいと話されてましたよね(笑)
博多については、もう幾度となく書かせて頂いてますので
今回は省略…あっ、でも一つだけ(笑)
甲斐さんが東京に出られたのは
もちろん甲斐バンドのデビューがきっかけですが
そうでなくとも『男は家を出ないと…』
という思いをお持ちだったようで
『家から出なきゃ気づかないことがある』とサンストで話されたら
『家出のススメ』みたいに取り上げられたらしい(爆)
甲斐さんご自身は…
1日も早く家族や家から独立したテリトリーが欲しかった
それが育ててくれた家族に対する孝行だと思っていた
家の中にいると、自分の場所が見えない
それは親父が残してくれた場所か
兄貴たちが分けてくれた場所か
お袋が自分の場所を優しく空けてくれてるのかも知れない
家族の中で温かく育まれることの恐さがイヤだった
自分で苦労して作った『これなんだ』という何かを
この手で掴みたかったとおっしゃってます
そして『やるべきことはやった
この街から胸を張って出て行くのだと誓っ』て上京されたものの
『自分の歩んで行こうとする道を
後ろから情愛に引っ張られてしまうのが、すごく怖かった』と甲斐さん
お母様にも恋人だった女性にも
『絶対、手紙と電話はよこすな』と
今よりもずっと遠くて、分厚かった東京の壁と戦われたんですね
『ガラスの動物園』は
『都会との遭遇戦』と評されたアルバムだけど
照和ライブで歌われた曲は
『実は博多に向けて発していた曲』だったという
映画『照和』のオープニングを飾った【新宿】は
当時の甲斐さんが東京の代表と捉えておられた街じゃないかと…
かつての新宿には、佐野元春さんのように
『行けば面白いことがあるんじゃないか』と思える魅力があり
『面白いことを求めて、夜にさまよい歩く者が居られる店があった』と亀和田武さん
格式高い銀座とは違い、新しい時代の文化人たちが
酒場やジャズ喫茶に集まっていたという
井出情児さんも某ジャズ喫茶で
顔見知りになった方に誘われて
状況劇場の写真を撮っておられる内に
唐十郎さんのご自宅に団員として住み込まれたそうだ(笑)
ちなみに、情児さんも松藤さんと同じように
行きつけの喫茶店の階段に座って煙草を吸っていらしたらしい(笑)
それはさておき…
甲斐さんも足しげく通われたというゴールデン街は
『戦後の闇市みたいな退廃と活気
埃と汗が渾然一体となったような飲み屋街』で
『細い路地が交錯したところに
客が10人も入れば満員御礼って店がゴマンとひしめき』
『どこもよく似た薄暗い電燈にカウンターがあり』
『マスコミ、映画、演劇、音楽の関係者や
ワケのわからない連中が徘徊して(笑)
メチャクチャな飲み方をしてた』
『酔っ払って、人をボトルで殴ったり
喧嘩が始まったり、終わったり
また別の喧嘩が始まったりして…』
『店の外に出ると
野良猫が残飯アサッてうろついてるのが見えたりして
そんな時ふっとね、今や廃止された色を売る女がさ
ひょっこり路地から出て来ても
おかしくない雰囲気があったりしたんだよね』
『あそこは、いかがわしいんだけど
人を酔わせる色気っていうのがある小宇宙だったね』
そんな背景もあって【新宿】を作られたんだとか…
『言葉の書き手っていうのは
ひとつの窓に飽きたら、違う窓を探したがるんだよ』と
引っ越しを繰り返されていた甲斐さん
【そばかすの天使】は
甲斐さんが代官山にお住まいだった頃
『新宿2丁目の酒場』へ通っておられた時に誕生したそうだ
奥さんは、関西以外に住んだことはないけれど
甲斐さん縁の街を訪れた際に
風光明媚な観光地とは程遠い(笑)
ガヤガヤと猥雑な活気のある
それこそ、甲斐さんが『世間の縮図のような』とおっしゃった
かつての清川という街は
こんなところだったんだろうなと感じたという