ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

特別試聴会後編その1

2014-04-01 23:37:38 | 日記
前回の会報に続き、今回も『ROCKSⅡ』について
甲斐さんと亀和田武さん、押尾コータローさんが
1曲ごとに感想を語られてます♪

その後編の1曲目【ブルーレター】は
以前にも書かせて頂きましたけど

甲斐さんが、1番のサビ前2行の歌詞を書かれるのに
半年もかかった難産だった上に(笑)

亀和田さんがおっしゃるように
『孕ませて』が放送コードに抵触する等と取り沙汰された
『不憫な子』だったようです(笑)

『涙の粒で綴ったような』というフレーズが
この曲の切なさとストーリー性を際立たせているという亀和田さんに

甲斐さんいわく…
切ないとみんなが感じるものの背景には
必ず甘さがあるんですよ

あぁ、なるほど…!と思うそばから甲斐さんが
『3番の最後のところは要らない
海に入っていかなくていい』発言(笑)

男のわがままなセンチメンタリズムの曲の最後に
甲斐さんが『書かずにはいられないんです』と言われてるシーン…

ボクは、その後のPV撮影事故で入院された際の実話を
思い出してしまうんだけど…

傷が少しズレていたら…!?という重傷が治って
いざ歌おうとすると、どうしても深呼吸が出来なかった甲斐さん

このままじゃライブを演るのは絶対ムリだと
夕方の海に一人で入っていかれたという

死ぬかも知れない、でも歌いたかった
体調を言い訳にして、パワーダウンしたステージを見せる…
そんなことだけはしたくなかったそうだ

『脆かった月日と落とせるはずのない罪とお前のために』流した涙とは
全く違う涙を流されたという

2年前の曲を2年前の感じでは歌えないと言われる甲斐さんが

何かを掴んだ気になっている時期だからこそ書けたとおっしゃるこの曲を

バンドという形を取っ払って行き着いたアレンジで歌われる…
って、四の五の言わずともイイモノはイイですよね♪

あっ!でも、愛ろくツアーで
『ウィークエンド・ララバイ』を歌われた時

『あんなに長い歌詞を書いても殺せなかった(笑)』と
話されていたのは、この曲だったんじゃ…?

それはさておき…

後編2曲目の【吟遊詩人の唄】(ONEMAN BAND)は
デビュー前に作られたデモテープのバージョンなんだとか…

(当時はバンドではなく)ソロとして
『こういうふうに歌っていけたらいいな』という
シンプルな思いが歌詞に出ていると甲斐さん

『このお茶はとってもあったかい…』はあの頃しか書けないフレーズだけど
『なんだよ、お茶って』とご自分で思われるそうだ(笑)

でも、亀和田さんが
この曲を歌っておられる甲斐さんの声が若いと言われると

この曲を書かれた時の感覚が甦って
その感覚のまま歌うからじゃないかと答えておられます

押尾さんが『女子受けがいい曲』とおっしゃってましたけど

奥さんによると…

リアルタイムでこの曲を聴いていた女子より
ライブで聴いたことがない男子の方が聴きたがっていたらしい(笑)

度々ご紹介しておりますが…栗本薫さんは

ご自身の長編小説に登場する吟遊詩人にこの曲を歌わせ
彼のテーマソングだと言われるくらいお好きなんだとか♪

亀和田さんとご一緒にライブをご覧になったり
雑誌のインタビューに応えておられたりと
かなりの甲斐フリークでいらっしゃったようで

1979年の甲斐バンドの武道館ライブ
その追加公演告知のチラシに
中島梓名義で書かれた一文が掲載されてました

彼のステージを見、彼のLPをぜんぶ聴いていると

ひとりの男の子がどういう時間を過ごし、どういう日々を送り
そしてまぶしい光の中に歩み入ってきたのか

ということが、ひどくありありと、なまなましく
まるで自分のことみたいに伝わってくる
何となく、個人的に思い入れてしまう部分というのがある

彼の作る曲はある瞬間からふいに
ただの『いい曲』から『すごい、いい曲』だけになるのである

今の【吟遊詩人の唄】をお聴きになったら
栗本さんがどうお感じになるのか?訊いてみたかったです

余談ですが、甲斐さんいわく…

バンドを作ってみたら
やっぱりワンマン・バンドでしたね(笑)

奥さんもずっとそう思っていたらしいんだけど
1986年の解散後、ソロやKAIFIVEを経て

10年目の再結成を見た時
ああ、甲斐バンドの甲斐さんなんだなぁと実感したという(笑)

なんせ解散後初の甲斐さんのソロ・ツアーで
パンフレットの写真が、ぜんぶ甲斐さんだ~♪と
喜んでた人なのでスミマセン!
コメント
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