ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

週刊現代

2014-04-29 10:48:08 | メディア
ディープ・ピープルの皆さん(笑)による『熱討スタジアム』拝読しました♪

新聞の見出し広告には
『甲斐よしひろが【安奈】を語る』と出ていたけど

4ページに渡る記事の半分以上は甲斐バンドについてでしたね(笑)

財津和夫さんが『甲斐をとらないとダメだ』と
事務所におっしゃっていたという話が出てましたが

財津さんに【吟遊詩人の唄】のデモテープを渡され
『これがわからんようじゃ、チューリップのマネージャーは務まらんよ』と
言われたのが、アノ西田四郎さん(笑)

西田さんがいらっしゃらなければ
『甲斐バンド』も『九州最後のスーパースター』も生まれなかったんですよね(笑)

『裏ビートルズ派』の甲斐さん(爆)が考えておられたというバンド名だったら…
と想像するとちょっと楽しい気もしますが(爆)
『ぺパーランド』が歌う【漂泊者】なんて考えにくいなぁ(爆)

当時の音楽業界に波紋を呼んだキャッチコピー(笑)は
岸川さんに怒られたと西田さんがおっしゃってたけど
甲斐さんもだったんですね(爆)

奥さんは、船越英一郎さんが『ブレイクする前からのファン』とか
『俺の甲斐バンド』と話されてることに大笑いしながら

一方で、甲斐バンドが『テレビに出ないことに救われた』発言に
独占欲が強い方なのかも?と少し引き気味…(苦笑)

奥さんによると…甲斐さんは
【HERO】の前と後でファンが2種類に分かれてるって言う人がいるけど
どちらも同じなのにね(笑)とおっしゃってたらしい(爆)

勿論、船越さんには『ありがとう(笑)』と言われただけでしたけど…(笑)

もうお一人のディープ・ピープル、中西健夫さんは
甲斐さんのライブを手掛けておられる『ディスク・ガレージ』の社長でいらっしゃいますが

船越さんとは反対に
名前を聞くのもイヤなくらい、甲斐バンドが大キライだったそうだ(汗)

中西さんが『ハッピーフォーク・コンテスト』の関西決勝に出場された時
ゲストに招かれていた甲斐バンドの楽屋のドアを開けてしまい
甲斐さんに怒鳴られたことがあったという

中西さん個人は優秀ボーカル賞を獲得なさったものの
バンドは3位で、全国大会には進めず…

その後、ディスク・ガレージに入られて2年目に
大キライな甲斐バンドを担当することで
夢が断ち切れない屈折した気持ちに区切りをつけようと思われたそうだ

甲斐さんが『迷惑をかけたな』と言われ
中西さんが『本当に(笑)』と答えておられましたが(爆)

甲斐さんの思いつき(笑)の数々を実現されてきたのは中西さんですよね(笑)

マスコミが取り上げてくれないから
誰もやったことがないことをやってきたという甲斐さん

花園やZONE、新国技館でのライブはその通りなんだけど

それとは別に、記事にも出ていた品川ブリンスでのオールスタンディングライブとか
ビニールシートや仮設トイレ・自販機の設置等
当時の日本になかったものを採り入れたことも
もっと評価されていいんじゃないかと…(笑)

もちろん、アイデアは甲斐さんでも
走り回ったのは中西さん始め周りの皆さんでしょうけど…(笑)

余談ですが…
オリジナルメンバーが語る甲斐バンド秘話で…
長岡さんが【HERO】誕生の地を栃木とおっしゃってるのは
やはりプロレスの巡業並みにライブをこなしておられたからなのかな?(笑)
コメント
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