日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続)

2024-04-07 | 日記
私の語る「システム」論から、1960年代から2020年代に至る日本の出来事・流れを鳥瞰的に語るとき(続)ー私は一体どのような社会の実現を目指しているのか9ーそのためには、先ずは私が一体どのような社会の中で生きているのか、それを確認する作業から始めなければならないだろう


*ずっと、私は以前の記事のというか、私のモデルで描く「システム」論で、繰り返し同じことを語っている。それは確かに違いないのだが、よくよく読んでみれば、そこに大きな違いもあることに気がつかれる読者がいるかもしれない。そんな読者に、死ぬ前に是非とも会いたいものである。

(最初に一言)


 「失われた30年」論などクソクラエではあるまいか。どうせ私の語る「システム」論で述べてきたように、「親分ー子分」関係に象徴される差別と排除の関係を前提として弱い者イジメをしながら手にした日本と日本人の豊かさなど、こちらからサヨナラすればそれでいいだけの話ではないのか!


 本当におかしな議論をし続けているのだ、私たちは。これまたトカゲのしっぽ切りの話で、誰かを悪者にして、そいつらの「悪事」の所為にして、私たち自身を無罪放免とするような誠にお恥ずかしい話を、この日本の言論空間で互いに繰り返しているだけにしか私には思えない。もっとも、私自身も、「システム」論云々といいながら、こうした論議に加わるしか仕方がなかったとのだが、そこからあろうことか、ミイラ取りがミイラとなってしまった感は拭えないだろう。


 ここらで、もう一度、初心に戻って論のやり直しというか、考え直してみたい。そうでなければ、とても私が望むような社会の実現など到底かなわなくなるからだ。それにしても、私たちは勝手すぎるのではあるまいか。失われた、失われたと連呼しながら、何が失われたかについては、あまり問い質そうとはしないのだから。それはすぐ上でも指摘した戦後において私たちが再出発して私たちがつくり上げた日本の繁栄とそれに伴い享受された豊かさに他ならない。


 その際、私は読者と共に問いたい。そこでの「私たち」とは日本人だけを意味しているのだろうか。また、「日本の繁栄とそれによって享受された日本の豊かさ」というとき、それは一体どのような国際関係の下で享受されたものなのかという問題について、問い直してみたいのである。すぐにわかるのは、「私たち」の中には、米国と在日米軍基地と米軍関係者が含まれていることだ。すなわち、当時の覇権国家である親分の米国の軍事力とその下で展開されていた米国の世界戦略と国造りならぬ「世界づくり」である。


 少しややこしくなったのだが、「私たち」の中には、当然こうした米国との何がしかの「ぐるみ」があったのは否定できないだろう。日本は米国の属国であるというとき、それは「私たち」の中に米国が含まれていることを語っていることなのだ。さらに、その米国が覇権国として戦後の世界で展開する世界戦略の一環として、日米安全保障関係を締結して相互の安全保障関係を構築してきた当事国の一方を占める日本の戦後の歩みと、戦後の日本の繁栄とそれによって享受された豊かさとが密接な関係にあったことは想像に難くないだろう。


 戦後の日本の「平和」を再考するとき、こうした覇権国である米国の世界戦略の展開とそれを支えた日米安保体制の存在によってその平和は実現可能となったというのも、先の戦後日本の繁栄と豊かさと並んで、これまた想像に難くないのではあるまいか。それゆえ、そうした繁栄と豊かさが1990年代以降から今日にかけて失われたとしたならば、むしろ喜ばしいことであったというべきではなかろうか。なぜなら、親分の米国と子分の日本が一緒になって、朝鮮戦争やベトナム戦争を始めとする数限りのない戦争を介在しながら、獲得してきた繁栄であり豊かさであったからだ。そこに、中東の戦火に今も苦しむパレスチナを始めとする湾岸諸国に暮らす人々の命と暮らしを犠牲としてきた歴史も含まれている。


 私が残念に思うのは、日本の野党勢力の中に、腰の据わった政党が存在していないということなのだ。私はそんな状況を踏まえながら、「令和新撰組」をそれでもマシな政党として持ち上げてきたのだが、このブログ記事でも時々指摘しているように、令和の「失われた30年」論は、あまりにもご都合主義的な表面的な議論であり、彼らは今回記事で述べた私の論を、正面から受け止めることはできないのではあるまいか。


 あまりにもその時々の選挙に勝てばよい、今の現有勢力を保てばいいといった方向へ、彼らが流れていかないことを、私は切に願うのだが。もっとも、このブログ記事は令和だけを批判するつもりはない。だが、その他の野党と名乗る政党は、申し訳ないのだが批判さえするのもはばかれるほどに、話にならないことを申し添えておきたい。




(最後に一言)


 前回記事において、私は「失われた30年」論を再考するためのたたき台として、「拾わされた30年」を対置させたのだが、その意は少し今回記事でお伝えできたかもしれない。私たちは戦後において、覇権国の米国からの有無を言わさぬ〈構造的圧力〉の下に、戦後の繁栄と日本社会の豊かさと平和を拾わされてしまったのだが、その結果として大やけどを負うことになった、と私はみている。


 ところが、そんな惨状を知ってか知らず七日、私たちは相も変わらずに「失われた30年」論を宣い続けている始末だ。もういい加減に、この辺でやめないか、これ以上、私たち自身をバカにする話は。


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