JA佐賀と、来月の2週目に届く新米「七夕コシヒカリ」についての打ち合わせをした。
20年産米を大量に余らしてしまうという危機的事態に追い込まれてしまっている新潟県が、新潟コシヒカリを大手スーパーなどで5kg1980~1780円で販売していることもあるし、消費地の景気が安定していないという現状と、産地から縁故米が大量に届いているという現実があることから、今年の新米については、安い価格に設定しないと販売が伸びない可能性がある。
そのため、栽培方法・生産量・販売時期限定のこだわり米「七夕コシヒカリ」であっても、静かな展開となると予想しているので、今年の契約数量は80俵(30kg×160袋)と、例年よりもかなり少ない量にした。
その上、今までなら、産地の販売量や販売スピードなどが悪い時については、契約数量が終わってからも、産地のことを考えて追加販売をしていたのだが、今年からは、それも一切しない。
冷たいと思うかもしれないが、売れないと考えられるお米を、無理して自分が抱える必要はないし、今の佐賀の考え方の中では、これは当たり前のことなのだ。
自分の場合、産地のお米をどの程度販売するのかについては、「産地の思い」に比例して決まっている。
よって、そのお米の出来がどんなに良くても、自分と販売方法などについての打ち合わせが、密におこなわれていない場合、自分としては「積極的に消費者に薦めることが出来ないお米」となっているため、取り扱っている程度のお米となってしまうのだ。
佐賀の場合、新食糧法の施行とともに、旧JA佐賀経済連と自分とで始まった「佐賀米販売計画」や、テレビや雑誌などで何度も紹介された「あうちヒノヒカリのブランド化計画」などを覚えている人たちはいなくなった。
そのうえ、JA佐賀とJA唐津に2分されてしまったことで、強いブランド米を持っていないJA佐賀は弱くなり、いくつかのブランド米を持っているJA唐津は、東京ルールを無視して、自分勝手なことばかりをしている。
さらに、佐賀県庁も、あまりJA佐賀との連絡を取り合っていないようで、何をしているのか、まったく見えないし解らない。
よって、自分の中で佐賀米は、以前のような「強い佐賀米」では完全に無くなってしまって、ただの田舎の産地となってしまっているのだ。
今回「七夕コシヒカリ」の打ち合わせをしていて、その時にもらった資料には、まさに、今の「ダメ佐賀」を表す言葉が入っていたことで、自分の中での佐賀米は、さらに弱いものとなっていってしまった。
その言葉は、「活き青は5~10%程度入っている方が玄米の光沢が良く、外観品質も良くなります」というもの。
産地からすれば、どこに問題があるのだろうかと悩むかもしれないが、今の東京での販売方法や、他産地のお米を現実をシッカリと把握していれば、この表現では「甘い・弱い」ということくらい解るはずなのだ。
佐賀県は、完全に一度、初心に戻るべきだな。
そして、何のために東京に出てこようとしたのか。
なぜコメ卸ではなく、末端の米屋と手を結んだのか。
何のためにブランド米を作ろうとしたのか。
何を目指し、求めたいたのか。を
もう一度考えてみるべきだろう。
そうすれば、なぜ売れないのか。
なぜ売ってもらえないのかが、ハッキリとするはずだ。
考えるにあたって、ひとつ大切なことを教えておこう。
今、自分が実行している各産地のブランド化計画は、あの佐賀米販売計画が元になっているが、何度も修正され続けていて、あの時の販売計画の原型は、すでに一つも残っていない。
よって、あの時のブランド化計画を改めて実行する程度では、佐賀米は、どの産地にも勝つことは出来ないということ。
今後、自分たちで行動していくのであれば、今自分が実行しているブランド化計画の上を行きなさい。
20年産米を大量に余らしてしまうという危機的事態に追い込まれてしまっている新潟県が、新潟コシヒカリを大手スーパーなどで5kg1980~1780円で販売していることもあるし、消費地の景気が安定していないという現状と、産地から縁故米が大量に届いているという現実があることから、今年の新米については、安い価格に設定しないと販売が伸びない可能性がある。
そのため、栽培方法・生産量・販売時期限定のこだわり米「七夕コシヒカリ」であっても、静かな展開となると予想しているので、今年の契約数量は80俵(30kg×160袋)と、例年よりもかなり少ない量にした。
その上、今までなら、産地の販売量や販売スピードなどが悪い時については、契約数量が終わってからも、産地のことを考えて追加販売をしていたのだが、今年からは、それも一切しない。
冷たいと思うかもしれないが、売れないと考えられるお米を、無理して自分が抱える必要はないし、今の佐賀の考え方の中では、これは当たり前のことなのだ。
自分の場合、産地のお米をどの程度販売するのかについては、「産地の思い」に比例して決まっている。
よって、そのお米の出来がどんなに良くても、自分と販売方法などについての打ち合わせが、密におこなわれていない場合、自分としては「積極的に消費者に薦めることが出来ないお米」となっているため、取り扱っている程度のお米となってしまうのだ。
佐賀の場合、新食糧法の施行とともに、旧JA佐賀経済連と自分とで始まった「佐賀米販売計画」や、テレビや雑誌などで何度も紹介された「あうちヒノヒカリのブランド化計画」などを覚えている人たちはいなくなった。
そのうえ、JA佐賀とJA唐津に2分されてしまったことで、強いブランド米を持っていないJA佐賀は弱くなり、いくつかのブランド米を持っているJA唐津は、東京ルールを無視して、自分勝手なことばかりをしている。
さらに、佐賀県庁も、あまりJA佐賀との連絡を取り合っていないようで、何をしているのか、まったく見えないし解らない。
よって、自分の中で佐賀米は、以前のような「強い佐賀米」では完全に無くなってしまって、ただの田舎の産地となってしまっているのだ。
今回「七夕コシヒカリ」の打ち合わせをしていて、その時にもらった資料には、まさに、今の「ダメ佐賀」を表す言葉が入っていたことで、自分の中での佐賀米は、さらに弱いものとなっていってしまった。
その言葉は、「活き青は5~10%程度入っている方が玄米の光沢が良く、外観品質も良くなります」というもの。
産地からすれば、どこに問題があるのだろうかと悩むかもしれないが、今の東京での販売方法や、他産地のお米を現実をシッカリと把握していれば、この表現では「甘い・弱い」ということくらい解るはずなのだ。
佐賀県は、完全に一度、初心に戻るべきだな。
そして、何のために東京に出てこようとしたのか。
なぜコメ卸ではなく、末端の米屋と手を結んだのか。
何のためにブランド米を作ろうとしたのか。
何を目指し、求めたいたのか。を
もう一度考えてみるべきだろう。
そうすれば、なぜ売れないのか。
なぜ売ってもらえないのかが、ハッキリとするはずだ。
考えるにあたって、ひとつ大切なことを教えておこう。
今、自分が実行している各産地のブランド化計画は、あの佐賀米販売計画が元になっているが、何度も修正され続けていて、あの時の販売計画の原型は、すでに一つも残っていない。
よって、あの時のブランド化計画を改めて実行する程度では、佐賀米は、どの産地にも勝つことは出来ないということ。
今後、自分たちで行動していくのであれば、今自分が実行しているブランド化計画の上を行きなさい。