自己のあり方を徹底的に探求したのが仏教、その意味では、これほど新しいものはない、超近代的、だから、
「仏法ならうとは 己にならうことなり」
世界は自我の鏡に映った影、一瞬一瞬、変化している、あるようでいてなく、ないようでいてある、夢のように・虹のように・火花のように、
「己にならうとは 己を忘ることなり」
この「己を忘れる」とは認知症でもアルツハイマー病でもない、自分という固定観念から自由になる、
「己を忘るとは 萬法に證せらるるなり」
「萬法」は、あるゆる法則、だから、すべての法則によって「正しいあり方として証明される」、あらゆる法則、これは現代の最新物理学の成果に一致するだろうか。
己を忘れることが「正しいあり方」、具体的には、日々、「明るく前向きに努力し向上していくこと」であり、それは、
「仏道は 無上に 人々の請願を 成就させる」
だから、第一線のビジネスマンのあり方に照応するもので、あのアップルのジョブズがぞっこん、彼は、なんと出家を熱望した、この時、日本人の禅僧は、
「ビジネスの世界でも spiritual な仕事はできる」
ジョブズは留まり、iPhoneやiPodの発明になった、その禅僧は、ニッポンの仏教界の現状を察知しての言動だったのかもしれない、とても推薦できる状態ではない。
それにしても、スマホやタブレットのあまりの流行、スマホの奴隷みたいだ、いいことだろうか、それでなくても、人間の営みは、カタストロフィに向かっているように思えるのだが。