幕末、ある大名が、一個の白磁を手に取り、
「藩主の子として生まれて五十年、やっと、この良さが分かるようになりました」
朝な夕なに眺め、少年時代に青年期、ものが分かり始めた中年を過ぎ、しみじみとこの深さを楽しむ、その妙味が伝わってきた、
「次の時代は、どうなるのか、この世界が残っているのでしょうか」
上野の森の美術館には、長い列ができていた、
「だめよ わりこんじゃあ」
押すな押すなのにぎわい、大体、いつもこうだ、
「これっ すてきね」
「いくらぐらいかしら」
「ヒャクマン円ぐらいでしょう」
「そんなもんじゃあないはずよ」
「ねっねっ これっ わたしにピッタリじゃあない」
その時、
「ブリブリブリー」
誰かがやっちまった、
「あんたでしょ」
「ふん あなたこそあやしいわ」
「年よりの『へ』は くさいのよ」
こまったもんだ・・・
そうそう、隣りの東博では台湾の故宮博物館の名品を展示しているのだが、七月七日までは、
「ただ今 180分待ちです」
すぐに210分待ちになった、あの一品が人気だったようだ、地方からやって来た団体が押すな押すなの長蛇の列、見ているだけでイヤになった。
学生時代、台北を訪れ、一日中、観た、いくつかが印象に残ったが、そのひとつに小豆色のゆがんだお茶碗がある、
「なんという絶妙な色合いとカタチだろう」
不完全の完全、この辺は漢民族の凄味だ、こういった人々が出てこないとダメ、いつになることやら、ともあれ、それは白磁や青磁よりも上だった、そういったものは、今回、来ていないようだ、本当の名品絶品は来たのだろうか。
それにしても、地方からバスに乗って押し寄せてくる、もっと足の着いた鑑賞態度・鑑賞姿勢が必要なのではあるまいか、いやいや、いつの時代だってホンモノが分かるのは、ほんのひとにぎり、すると、こういったブームをしかけている連中がいるのかもしれない。
だから、こんな光景が、ちょっと違っているように思うのは、私だけではないだろう。