The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

上野の森のエジプトの女王 秋

2014-07-28 04:16:39 | 世界経済
                   
 幕末、ある大名が、一個の白磁を手に取り、
 「藩主の子として生まれて五十年、やっと、この良さが分かるようになりました」

 朝な夕なに眺め、少年時代に青年期、ものが分かり始めた中年を過ぎ、しみじみとこの深さを楽しむ、その妙味が伝わってきた、
 「次の時代は、どうなるのか、この世界が残っているのでしょうか」

 上野の森の美術館には、長い列ができていた、
 「だめよ わりこんじゃあ」
 押すな押すなのにぎわい、大体、いつもこうだ、
 「これっ すてきね」
 「いくらぐらいかしら」
 「ヒャクマン円ぐらいでしょう」
 「そんなもんじゃあないはずよ」
 「ねっねっ これっ わたしにピッタリじゃあない」

 その時、
 「ブリブリブリー」
 誰かがやっちまった、
 「あんたでしょ」
 「ふん あなたこそあやしいわ」
 「年よりの『へ』は くさいのよ」
 こまったもんだ・・・

 そうそう、隣りの東博では台湾の故宮博物館の名品を展示しているのだが、七月七日までは、
 「ただ今 180分待ちです」
 すぐに210分待ちになった、あの一品が人気だったようだ、地方からやって来た団体が押すな押すなの長蛇の列、見ているだけでイヤになった。

 学生時代、台北を訪れ、一日中、観た、いくつかが印象に残ったが、そのひとつに小豆色のゆがんだお茶碗がある、
 「なんという絶妙な色合いとカタチだろう」
 不完全の完全、この辺は漢民族の凄味だ、こういった人々が出てこないとダメ、いつになることやら、ともあれ、それは白磁や青磁よりも上だった、そういったものは、今回、来ていないようだ、本当の名品絶品は来たのだろうか。

 それにしても、地方からバスに乗って押し寄せてくる、もっと足の着いた鑑賞態度・鑑賞姿勢が必要なのではあるまいか、いやいや、いつの時代だってホンモノが分かるのは、ほんのひとにぎり、すると、こういったブームをしかけている連中がいるのかもしれない。

 だから、こんな光景が、ちょっと違っているように思うのは、私だけではないだろう。


 

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