お正月に、NHKが京都奈良の特集をやっていて、京都はハーバート出身のアメリカ人のタレントが担当、こいつが否このひとが、龍安寺の石庭を見てナミダをながしていた、初春最初の茶番劇、この庭にはジョブスやサルトルもやって来ていて、サルトルはズイブンと評価したらしい、それとエリザベス女王、彼女は、
「ワタシには わかりません」
この方が好感がもてる、それを見てなんと感じるかは本人の自由で、それに、その時の感情の波がある、荒海がどうのを押しつけられても困る、この寺は臨済宗だったか、すると、石庭は公案みたいなもんで、そんなのを急に押しつけられても、困ったもんだね。
この時代は抽象化のすすんだ時代で、能やお茶・蓮歌、日本の文化史の極みだ、それを支えたのは明との貿易、ありあまる財力が背景にある、これは、あの平家がしたかったことだろう、もっと評価されてもいい。
ツングースの狩猟民族を連想させる織田信長や貧農出身の豊臣秀吉そして漂泊民の子孫の徳川家康のうかがい知ることのできない世界だろう、ヒデヨシは金ピカのお茶碗で、
「銀碗裏に雪を盛る」
この境地とは無縁、彼にとって雪を盛るのは金の容器、あの三島もそうだろう、そこを、ちょっと抑えて「銀」、「秘すれば花」、さて、見ていないようで見ているのが外国人、伏見の千本鳥居が人気、これは、坂口安吾が評価している、こういったものもしいのもいいね、なにかに気づき始めているのかもしれない、
「世界文明の正統は・・・」
日本の文化の中にそれを発見できるのかもしれない、だから、面白い時代になるかもね。