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月に2度ほど盛岡市中央公民館に出かける用事がある。
公民館の入り口付近で、最近よく見かける光景がこれ↑
これらは被災地の子供たちへ絵本を届けようという「3・11 絵本プロジェクトいわて」の運動に全国から寄せられた絵本や児童図書である。
活動を呼びかけたのは『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』の著者の末盛千枝子さん。
「絵本を集め、避難所の子供たちに読み聞かせたい」とホームページで訴えたところ、大変大きい反響があった。
ボランティアさんのほとんどは若いお母さんたちだ。
被災者の手元に届かぬと問題になっている義捐金とは違い、これら全国から集まった支援図書は、整然と管理され整理され仕分けされ各地区に送られているので(nihaoが保証する)、絵本を寄付された方々安心されたし。
ところで辞書で「ギエンキン」と言う言葉を引くと、「義捐金」「義援金」のふたつの漢字が出てくる。
正しくは「義捐金」で「義援金」の方は代用表記だ(捐と言う漢字は当用漢字にない)
ちなみに本家中国では、災害の救済のために金品を差し出す行為は、やはり「捐」の字を使い「捐献」「募捐」などと言う。
私の世代では「義捐金」が正しく「義援金」は間違いと教わってきた。
「決してギソンキンと読んではいけませんよ!恥ずかしいですよ!」
と、しつこく大人たちから注意を受けたものだ。
この漢字の読み書きはレベルが高いので、知っていると自慢できる漢字のひとつだった。
しかし日常的によく使う言葉ではないので、知らなくても別に損はしなかったと思う。
しかし東日本大震災で連日目にし耳にする言葉ギエンキン、新聞・テレビ各社はどこも例外なく「義援金」の漢字表記を用いている。
阪神・淡路大震災の時はまだどちらも使われていたような記憶があるが、今回は「義援金」一辺倒であることが大きな特徴だ。
正調「義捐金」は一体どこへ行ってしまったのだろう?
確かに「義捐金」は難しすぎる。
はたして何割の日本人が「義捐金」の意味を知り且つギエンキンと読むことが出来るだろう?
そこでマスコミは考えた。
被災者救済キャンペーンの意図をよりよく伝え、善意の金品をより多く集めるために「義捐金」の漢字表記をやめて「義援金」に統一して用いることにしたのだ。
これは国語審議会の決定ではなく、マスコミが便宜上統一したというのが真相のようだ。
なぜ音にこだわったのかなという疑問が残る。
「支援金」とか「救援金」とかの言葉で統一してもよかったのではないだろうか?
私としては、マスコミの倫理などを教科書にはしたくないという気持ちがある。
今後も出来るだけ「義捐金」の方を使っていこうと考えている。
ところで今回の震災では、私も義捐金...いや、お見舞い金を頂いた。
その篤志家というのが、なんと息子のアパートの大家さん!
何ひとつ被害があった訳ではないので恐縮したが、すでに息子が受け取ってしまった後だったのでありがたく頂戴することにした。
それにしても大家さんには入居時に一度挨拶しただけで、盆暮れの付け届けなどもしたことがない。
いろいろと迷惑をかけていることも予想される。
息子に「きちんと家賃を払っているか?」と訊ねたら
「時々遅れることがある」なんて言っていたし......
日本全国に大家さんは数々あれど、こんな出来の悪い店子の、しかも実家にまでお見舞いをくださる親切な大家さんって他に例があるだろうか?
同業者として→【夫の苦悩】自分たちのことを大いに反省されられた出来事だった。
でも捐を使うべきなのかも知れません。
使うべきところで使わないと「捐」はやがて消えゆくとも思われます。
亡き母もかつては大家でした。
店子はおばあちゃんと孫で、当初孫は小学生。
孫は大学生になり卒業。その間におばあちゃんは亡くなっていましたので本州に就職する事から退去する事になりました。
それまで、再婚した父親が家賃を払ってくれていましたが、退去する前半年は家賃も滞っていました。
孫を気の毒に思った母は督促する事もなかったので、家賃は滞納のままでした。
が、退去を機に家は売却する積もりでしたから、諦めもついたのでしょう。
預金よりも良いと言われて、退職金を充てて大家になったけれど預金の方が良かったかもしれません。
日本語の今後のために、私も使うべきところでは使わなければいけないと思います。
うららさんの母上も親切な大家さんだったのですね。
そのお孫さんは、あまりにも気の毒な境遇です。
いったん感情移入してしまうと、もうお家賃の督促など出来なかったのでしょうね。
昔は、大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然などと言いましたが、それは人情というものが暮らしの底流に存在する時代のお話です。
現在の大家業は一筋縄ではなかなか行きません(^_^)
タイトルだけで判断したときに
義援金は支援するお金で、義捐金は損するのを覚悟で捨て金みたいな意味かなあなんて思ってしまいました。捐と損はよく似てる。右側の足回りがちょこっと違うだけですからね
かつ、「捐」の一文字は何を意味するのかチェックしたのでご報告いたします
[音]エン(呉)(漢)
[訓]すてる
1 すてる「捐館/棄捐」
2 金を出す。寄付する。「義捐金」
えん‐かん【捐官】
中国の制度で、政府に金や米を納めて官職を買ったこと。また、その官職。財政を補うために漢代に始められた。捐納(えんのう)。
えん‐かん【捐館】
《館を捐(す)てて世を去る意》高貴な人の死去をいう語。〈下学集〉
ふむう・・・捨てるは・・・放棄とか処分ではなく、又三郎的には「手放す学」に通じるかも
http://blog.goo.ne.jp/kazecozoo36/e/15710a0689d578e6bc37c34f52d41d72
そうなると、ほとんどの人が読めない「義捐金」という字を使う意味は、はたしてあるのか、ないのか?
>、「捐」の一文字は何を意味するのかチェックした
ありがとうございます。助かります。
たくさんの単語があるんですね。
【捐館】という言葉が美しいと思いました。
留学生に聞いたら、中国では「捐」という字は普通に使われているそうです。
「捐助」は寄付金の意味を表します。
だから「捐助」と「援助」では全然意味が違うし、「義捐」と「義援」は、音は同じでも意味が異なります。
本家中国人が、「義捐金」を「義援金」と代用するのはヘンだと言っていました(^_^)
改め、自分のブログ読んでみると
ちょっとニュアンスが違ってました
ところで気づかなかったけど
義捐金はちゃんと変換されるんですね
しかし又三郎さんの「手放すことの美学」のような心の内奥をみつめた精神的なものではなく、
義捐金とは「見返りを全く考えない捨て金を、困っている人に差し出す」というだけの意味だと思います。
でもどちらも、捨ててこそ得られる貴重なものがありそうですね。
>義捐金はちゃんと変換されるんですね
あはっ、当然ですよ。
こちらの方が正調日本語なんですよ(^_^)
主として法律用語ですが、「出捐(しゅつえん)」という言葉があります。「出捐する」という使い方が多いですが、辞書によれば
◆1.金品を出して人を救うこと。「医薬品を―する」 2. 当事者の一方が自分の意思で、財産上の損失をし、他方に利益を得させること。◆
だそうです。
勿論、「義捐金」のほうが良いに決まっていますが、これについて語ったらキリがないのでやめておきます。
実は「捐」「義捐金」は、私にとっては思い出の漢字、言葉のひとつです。
なぜかというと...生前舅が酔うと、この言葉をよく例にしてうんちくを傾けていたからです。
何十回も同じ話を聞かされたので「ギエンキン」という言葉を耳にすると、自然に舅の顔が浮かんできます。
舅との思い出のためにも、ここはどうしても「義捐金」でなくてはなりません(^_^)
http://blog.goo.ne.jp/kazecozoo36/e/ec378e6519ee2c0589d1dd6d3080f741
厳密に言ったら違うところがあるのかもしれませんが
底辺に流れる心情は同じような感じがします。
阪神・淡路で被災した友人のお嬢さん。
大学1年の時被災したのですが、すべての義捐金が支払われたのは、大学を卒業してからだったそうです。
かなり時間がかかっていますが、何もかも失ったので、義捐金のおかげで大変助かったと言っていました。
善意が早く届くように祈るばかりです。