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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

さようなら 風レディ

2011-06-30 11:33:00 | マダムH
 昨年秋より病気療養中だったHUZUさんの容態が急変し、本日未明お亡くなりになりました。

 HUZUさんは私の30年来の友人であり、またよきブログ仲間でもありました。

 50歳過ぎてから何を思ったのか突然バイクの免許を取得しました。
スリムなボディに革ジャンをまとい、ロングヘアーをなびかせてハーレーにまたがってやってくるという、とてもかっこいいおばさんでした。

 語学系の女性でもありました。
しかし一人で入学するのは恥ずかしかったのでしょう。必ず私を誘いました。
私が断ることが出来ない性格であることを見抜いていたのかもしれません。
彼女と一緒に英語教室に3年通い、彼女が止めた中国語教室には、もう10年も通っています。
最近では彼女は、韓国語教室に通っていました。
韓国語スピーチコンテストで入賞したと喜んでいたことがありました。

 常に元気いっぱいで行動的。
ひとつところに留まらぬ風のような女性でした。
だからブログタイトルも【風のハーモニー

 カテゴリーに[マダムH]を追加しました。
記事を読み返してみたら、私はこの年下の友人にいつも大切にされ、しかも導かれていたことに気がつきました。
私以外にも
「彼女亡き後、一体どうしたらよいのだろう?」
と途方に暮れている友人たちがいました。
それほどHUZUさんは頼りになる大きな存在だったのです。

 60歳と2ヶ月の早すぎる死でしたが、ご家族や友人達に見守られ、静かにとわの眠りにつかれました。
安らかなご冥福を心からお祈り申し上げます。






高速道路無料化スタート

2011-06-22 13:23:00 | 東日本大震災
             



 化粧品・健康商品メーカーのファンケルさんから、震災見舞いの商品が届いた。
  ...被災者ではないのだけれど...
ちょっと恐縮してしまうが、洗顔パウダーやマルチビタミンなど、すぐ使えるものばかりで助かる。
お手紙も大変心温まるものだった。
震災見舞いのダイレクトメールは数多く来たが、お見舞い品が送られてきたのは初めて。
自社製品を被災県の顧客に送り届けているファンケル社って凄い!

 製品に信頼が持てる上に価格が良心的なので、10数年前からファンケル社のサプリメントを愛用している。
加齢なるボディの保護のために、最近グルコサミン&コンドロイチン入りのサプリを使い始めたばかり。
ファンケル社が、会社を挙げてこのような被災者応援の取り組みしているのはとても嬉しい。


               


 さて被災県に住む我らに、もうひとつ思いがけないビッグなプレゼント、被災者を対象にした東北地方の高速道路無料化がスタートした。
しかしこちらの件は問題や賛否の議論が何かと絶えない。その理由としては...

☆自治体によっては大した被害がないのに被災証明書を乱発するところがある。
☆これらにかかる費用を被災地の復興の為にこそ使って欲しい。
☆車もなく高速道路のない沿岸の被災者たちが、はたして恩恵を受ける制度なのか?
☆被害の少ない内陸部の人たちだけが恩恵を受けるのはいかがなものだろうか?
☆高速道路や料金所が渋滞・混雑するのではないだろうか?

   ...などなど思いつくことを列挙したがまだあるだろうか?


 実際のところ岩手県内陸部の市町村が証明書を多発し、肝心の沿岸部が「考慮中」と静観している。
真の被災者たちの方が、この制度に関する抵抗感を無言で訴えているかのようだ。

 国土交通相は、被災地復興を考えて制度を導入したのであり、節度ある形で対応せよと、軽い損害でも被災者と認め、証明書を発行する自治体側の動きをけん制しているが、今さらそんなことを言ったって全く無意味。
nihaoも、被災者ではないことに迷いつつも、高速料金無料の魅力の大きさに負けて罹災証明書を受けてきた。

 入り口で、あるテレビ局の職員が、一人の男性にインタビューをしていた。
聞き耳をたてていたら、その質問の内容があまりにきつい。男性もたじたじ。
最初からある意図を持って質問しているのが明らかなのだ。

「あなたはこの証明書をどのようなことに使いますか?」
「この証明書を使って被災地に行き、ボランティア活動をする気持ちはありますか?」
「被害にあった沿岸の人たちはまだ証明書を貰っていないのに、内陸部のあなたが証明書を貰うことに抵抗は感じませんか?」

 
 ああ、一体どうなっているのだ?
最近のマスコミは、自分たちの作った正義感を振りかざしすぎではないだろうか?
世論の動向を調査するようなふりをして、実は世論を、自分たちの意図する方向へ持って行こうとしているだけではないか?

 おそらくこの男性は、自治体が罹災証明書をくれると言うから深く考えないで戴きに来ただけだと思う。
貰えるというものを戴きに来てどこが悪いのだろう。
こんなに一方的な質問、と言うよりは激しい糾弾をされてめげない人間がいるだろうか?

 「このマスゴミめ!」
側で聞いていて私はすごく腹がたって、ついに我慢が出来なくなった。
テレビに顔が出るのは耐えられないが、背に腹は替えられない。
私はつかつかとインタビュアーの女性のところに歩み寄りマイクを取り上げた。

ちょ、ちょっとぉ~!
そこまで仰るなら、絶対にあなたは罹災証明書など戴かないのでしょうね。
どうか今後も規定の料金で高速道路を走行なさってくださいな。大変ご立派です!

 私も自分のことを被災者だと思ったことは一度もありません。
自分のことは、被災者に一番近いところにいる支援者だと位置づけています。
だからいつも自分に出来る範囲での、長期にわたる恒常的な支援活動をしていかなければならないと考えています。
では被災者ではない私が、なぜ証明書を戴きにきたのか?
被災者が疲れや無力感を感じるように、支援者も疲れや無力感を感じます。
被災者が元気になるためには支援者も元気にならなければなりません。

 今回の高速道路無料化制度は、内陸部の支援者たちが日常の暮らしの中で、少しホッとしてゆとりと元気が生まれる制度であると考えたら、あながち悪い制度でもないのではないでしょうか?
私は自分も元気になる権利があるのではないかと思って今日ここへ足を運んだ次第です。」


   (注)この「」部分は全部nihaoの妄想です こんな風に言えたらよいのだけれど...







悲しみこそ永遠の力

2011-06-12 13:05:00 | 東日本大震災
悲みこそ とはのちから』 

 石川啄木の第一号歌碑の建立の際に生涯の友人金田一京助が寄せた言葉。
喜びや辛さは一時的な感情としてやり過ごすことが出来るが、悲しみはなかなか癒えることがない。
これは心の奥底に溢れ続ける「悲しみ」という感情を、新しい未来を呼び寄せる力に変えようとしながら生き抜いてきた啄木への応援メッセージだ。 

金田一京助の言葉は、没後百年を迎えた【2011・啄木祭】のテーマとなった。
このメッセージは、今回の東日本大震災にも大いに通じるものがある。
あまりにも多くのものを喪失した岩手県人の深い嘆きと悲しみ...もし力に変えることが出来たら新生イーハトーブが出現するのではないだろうか?
『悲みこそ とはのちから』 美しくかつ力強いメッセージだと思う。

 『2011・啄木祭』の講演者は、ご自身も新潟県中越地震を体験されている芥川賞作家の新井満氏
新井さんは『千の風になって』の訳詞、作曲でもよく知られている。
悩み多き青春時代に啄木の歌集と出会い、その後現在まで一貫して啄木の歌を人生の教科書としてこられたというお話はとても興味深かった。
死のうと思い詰めた時に啄木の歌で救われたことがあるそうだ。
 
 確かに...
苦境の中で生まれた歌だもの、生き抜くための参考になるものがたくさんあるはずだ。


新しき明日の来るを信ずといふ 
自分の言葉に 
嘘はなけれど (by 啄木)


 あれっ? ちょっと自信のなさそうな歌だが....
新しい明日がやって来るという信念も、時には揺らぐことがあるだろう。
辛すぎることが多すぎて自分を見失うこともあるだろう。
啄木は夢破れ不遇の人生に果てた。
しかし啄木の夢を我らの夢として引き継ぎ、この歌の続きを実現することが岩手人の急務ではないだろうか。
新しい明日は絶対にやって来るはずだ。




         


 大震災から三ヶ月経った6月11日、みちのくの初夏を彩る恒例行事『チャグチャグ馬コ』が、無病息災、五穀豊穣そして復興の祈願などの特別の思いを込めて繰り広げられた。
爽やかな風と美しい新緑の中を、華やかに着飾った九十頭の馬たちがチャグチャグと鈴の音をならして行進した。
沿岸部からも多くの児童が招待された。
岩手に元気と勇気を与えるお祭。
こちらも人々の悲しみを永遠の力に変えることが出来るきっかけとなったことだろう。








おしめ様

2011-06-07 13:20:00 | ももちゃん

 

     [ おしめ様とお呼び!]



 老犬ももちゃん、ついに終日紙おむつのお世話になることにあいなった。
惚け始めてはいたものの、自分のトイレで用を足そうとする習慣だけはまだ辛うじて覚えていたのに.....

 すでに視覚・聴覚・嗅覚の機能のほとんどを失っていると思われる。
しかし老いてもなお、飼い主の決めたルールの中で生きていこうと懸命に努力する姿には心打たれる。
ももちゃんを見ていると、おおげさに聞こえるかもしれないが、犬にも生の尊厳があるような気がしてならない。

 しかしここへ来てトイレの習慣が全く欠落してしまったのにはうろたえた。
テレビを見ている私たちの眼前で、食事中のダイニングテーブルの足もとで、はたまた来客中のリビングのど真ん中でも平気で粗相をするようになった。
しかも犬も歳を取ると頻尿になるというのは本当だ。
古いシーツやタオルを裁断して大量の雑巾を用意したが、いずれ大変なことになるのは目に見えている。
困り果てた私は、近所の動物病院へ『老犬のためのおむつ生活』の相談に出かけた。

 ヒトの赤ちゃんの紙おむつで代用すると安くて便利ですよ。 

 親切なドクターは、ご自分のお子さんの紙おむつを使って丁寧に使い方を指導してくださった。
大きな違いは前後を全く逆にあてがうこと(お腹部分が背中にくる)と、ヒトの赤ちゃんにはない尻尾用の切り込みを入れることだ。
ももちゃんは特に嫌がる風でもなく温和しく試着させてくれた。
ぴったり身体にフィットして絶大なる安心感がある。
私はさっそく紙おむつを求めに量販店に出かけた。

 普段は見過ごしてきたコーナーだが、なんと大量かつ豊富に並んでいる紙おむつ群よ!
最近の紙おむつの三大特色は「もれない」「むれない」「かぶれない 」
さらに模様の色が変化して替え時を教えてくれたり、マジックテープの耐久性も上がっているという。
ももちゃん、あなたは良き時代に生まれてきて幸運だったね。

 そう言えば家々の物干し竿から布おむつが消えて久しいけれど、私の子育て時代は布おむつが一般的だった。
紙おむつは高価な割には粗悪品が多く、賢い母親は紙おむつなどは使わないものだと教えられてきた。
使い捨てという新感覚を受け入れることがことが出来ない最後の世代でもあった。
母から娘に姑から嫁にと、長い女の歴史の中で絆の如く受け継がれてきた布おむつだったが、いつの間にか何の抵抗もなく消えてしまったところをみると、いかに紙おむつの進化が際立っていたかが実証されるというものだ。


 さて、どれを買っても同じなのに、どれを買おうかと大いに迷う現代紙おむつ事情。
真剣な目つきですべての製品を手にとって吟味した。
しかし段々アホらしくなってきた。
傍目には私は、孫のおむつを探している気の良いお婆ちゃんに見えたことだろう。

 はたして我が家においては....
こんなに優れた紙おむつの性能を、ももちゃんだけが独り占めしてよいものだろうか?
大きな声では言えないけれど、やっぱり私、愛犬よりも愛孫用で買ってみたいと密かに思うのであった。