blog-cafe

マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

忍び会いinサッポロ

2010-09-30 11:35:00 | Weblog
 前回の『同期会inサッポロ』の記事が、なぜか私の3年間のblog-cafe史上一番のアクセス数だった。
約147万個のgoo-blogランキングでも上位を占めたので、不思議に思っていろいろ考えてみた。
おそらく「堂本光一コンサート」がキーワードとなったのだろう。
昨日のワイドショーでも、堂本光一君主演の『七人の侍』の舞台化が話題になっていたから、とてもホットなキーワードだったのだ。
名前も聞かずに別れた名古屋の堂本光一君追っかけ女性が、私の記事を発見してくれれば嬉しいのだが.......
と書きながら、私の推理を確認するためと二匹目のどじょうを狙うために、何度も堂本光一君の名前を繰り返す姑息なnihao。


 さて同期会の翌日には、当blog-cafeのコメンテーター・うららさんとお会いする機会を得た。。
うららさんが一足先に私とのオフ会を記事にされている。→【初めてのオフ会
とても素敵に紹介してくださっているので恥ずかしい。

 ネットワーク上のオンラインの交流に対して、オフラインでの現実の交流を「オフ会」と言うのだと教えてくれたのがうららさん。
現代の若者たちなら、ネット上で知り合った人と簡単に会う約束をするが、私たち早く生まれすぎた世代はかなり抵抗感がある。

 以前息子から
「ネットで知り合い意気投合して会ってみた8割の女性には髭が生えていた。
だからお母さんは、興味本位でオフ会などは絶対にしないように!」
ときつく注意を受けていた。
夫はもっと余計な心配をして反対することが予想されるので、家族には内緒のオフ会だった。
うららさんも同じ思いだったらしくご主人に内緒で出ていらしたと言うから、「オフ会」ひとつ取り上げても主婦には制約がついて回る。
だから二人とも、オフ会と言うよりは忍び会いにも似た気分。
 
 ホテルのロビーのソファに座り、出入り口を注目しながらうららさんを待った。
私の頭の中では、ブログを通じてうららさんのイメージが完全に出来上がっている。
「文は人なり」の格言が正しければ......
その文体のごとく贅肉のないすっきりとした容姿の楚々とした上品なマダム
うららさんのブログは、文章も論旨の展開も無駄がなく知性的なのだ。

 だから...何人かの女性がホテルに入ってきたが、うららさんが到着したとき、私は迷わず立ち上がり駆け寄って声をかけた。
私の描いたイメージに間違いはなかったが、ただ一つの狂いは年齢。
私より4・5才は若いだろうと考えていたが同年齢だった。
その後私たちがどのような時間を過ごしたかは、再度リンクするが【うららさん】が詳しく書いてくださっている。
とても楽しい時間がゆっくりと過ぎていった。

 旧知の間柄のように話がはずんだが、うららさんの声と話し言葉の美しさに感心した。
私は自分が悪声のせいか、美しい話し声にとても惹かれる。
周囲の知り合いを思い起こしても、うららさんのように優雅で居心地のよい話し方をする人はちょっと見当たらない。
はしゃぎすぎた私の方は、岩手弁と北海道弁のちゃんぽんだったかもしれない。

 うららさんと私のオフ会の感想を「互いを持ち上げた提灯記事だ!」と思われる方もいらっしゃるだろう。
なんて素敵なマダムたちの出会い!」と素直に文章を読み取ってくださる方もいらっしゃるだろう。

 どちらでも結構、真実は、私とうららさんにしかわからない。
だからオフ会は面白い!



 


同期会inサッポロ

2010-09-28 13:10:00 | Weblog




      【北海道庁赤レンガ庁舎】    【大通り公園】



 真夏の本州から、いきなり晩秋の装いを呈した北の大地へ出かけた。
今回の帰省の目的は、40年ぶりの高校の同期会出席、第二回兄弟会出席、うららさんとのオフ会、10年間妻の在宅介護をしている三兄への介護休暇プレゼントと盛りだくさん。

 札幌駅を出て、さて私が予約した時計台側のホテルにはどうやって行くのだろうと考え込んでいたら、たまたま時計台に行くという若い女性に声をかけられ一緒に連れ立った。
この女性、堂本光一君の熱烈なファンで、この日開催されるコンサートのためにわざわざ名古屋からやって来た。
「芸能人の追っかけ」という人種に初めて会ったので、彼女の話はとても面白かった。
私は彼女の目にとても危ういおばさんと映っていたらしく、親切にも私のホテルを探して送り届けてくれた。
一期一会、ともかく彼女との出会いで私の愛知県民への好感度が急上昇した。


 同期会会場は赤レンガ庁舎のすぐ側のホテル。
最初は40年ぶりに会う同期生たちの、そのあまりにも激しい容色の変化に戸惑いを禁じ得なかったが(もちろん私も含めて)、見慣れてしまうとやはり皆、どこかに昔日の懐かしい面影を残していた。

 高校時代の私は、クラスの行事などに積極的に参加することもなく、休み時間も一心不乱に勉強ばかりして(嘘!嘘! 小説を読み耽って)いた地味な生徒だった。
もしかしたら忘れられた存在になっているのではないかと心配していたが、大勢の人たちから「nihaoちゃん!nihaoちゃん!」と声をかけられて嬉しかった。
全然記憶がないのだが、私の家に遊びに来たと言う同級生がたくさんいたのには驚いた。

 バス通学をしていたT君やA君は、待ち時間が長くなると私の家で休んでいたらしい。
当時我が家の茶の間のサイドボードには、コレクションの洋酒の瓶がずらっと並んでいた。
「お父さんにばれないように、ちょっとだけね。」
と言いながらこっそり振る舞い酒をしていたというから、これが本当なら何という不良娘だ!
もちろん私は覚えていない。
我が家で麻雀をしたという友人も現れたが、品行方正をモットーに生きてきた私だから、これらの話は捏造に決まっている。

 幼馴染みのS君からは、小学5年生の頃の衝撃的なエピソードを聞かされた。
当時の担任の小うるさい女性教師が、いつものごとくお説教をし始めた時、どうやら私は「またか...」と言う批判的な態度をとったらしい。
すると教師が、昔の生徒指導でよく使った常套手段で
nihaoちゃん、私の話を聞きたくないなら家に帰りなさい!
と怒ったそうだ。
フン!
すかさず私は捨て台詞を残して、ランドセルを背負って脱兎のごとく教室から走り去ったと......
え~っ、いくらなんでもそれはないだろう?!

 この話を聞いた後、急にそわそわと落ち着かなくなり同期会どころではなくなってしまった。
私はこの女性教師が大好きで、家に泊まりに行ったこともある。
旭川の喫茶店で生まれて初めてチョコレート・パフェをご馳走になって、夢見心地にさせてもらったこともある。
はたしてよい子のnihaoが、そんな反抗的な態度がとれるものだろうか?
本当の話なら、今からでも頭を下げて謝りたい。

 半世紀ぶりに暴かれた罪深き学園生活。
いくら考えても思い出せないので、友人たちによる記憶の改ざんとしか思えない。
しかし気になって気になって......
この日以来ずっとおぼろげな記憶を辿っているのだが、時間が経つにつれ、やったかもしれないという確信のようなものが生まれ始めている。

 




 
 

妻をめとらば

2010-09-16 10:45:00 | おすすめ記事




      『漱石の妻』 鳥越碧 講談社 06年5月


 明治の歌人与謝野鉄幹は、その詩【人を恋うる歌】で
「妻を めとらば 才たけて みめ美わしく情けある」と歌っている。
若い人は意味が解らないかもしれないので簡単に解釈すると......
「嫁にするならば、賢くて見た目が美しくて優しい心根のある女性がよい」と言っているのである。
「みめ美わしく」は簡単に外見から判断できるが「才たけて情けある」かは一緒に暮らしてみないとなかなかわからない。

 女性の側からすると「おふざけじゃないわよ!」と言いたくなる歌詞だが
男性の側からすると、理想の妻像を実に簡潔かつ完璧に言い表している。
夢と理想と情熱に燃えた明治の若者たちは、このような歌を声高らかに歌いながら若いエネルギーを鼓舞していたのだろう。

 ちなみに『人を恋うる歌』は三高(現京都大学)寮歌。
現代の女性たちの結婚の条件も三高(高学歴・高収入・高身長)だ。
男性はロマンを追求し、女性はリアルを追求していることがよくわかる。


 ところが「才なくみめ美わしくなく情けもない悪妻」として、つとに有名だったのが、明治の文豪夏目漱石の妻・鏡子夫人。
近代日本悪妻史というものがあるのなら、おそらく夏目鏡子さんのトップの座は揺るがない。
この作品は多数の資料を参考にしながら、悪妻と言われ続けた鏡子夫人の新婚時代から晩年に至るまでの半生を小説で再現している。

 漱石は周囲の人たちに夫人のことを悪妻と断言して憚らなかったし、作品中でも夫人をモデルにしてその悪妻ぶりを書いている。
しかし漱石は、当時の文士にありがちな恋愛問題などを外で起こした形跡は見られないし、経済的に夫人を困らせていた風でもない。
なによりも七人もの子どもを作っているのだから、夫婦仲が悪かったと傍目が判断するのは早計である。

 悪妻のイメージを広く世に伝えたのは、寺田寅彦、鈴木三重吉、森田草平らの漱石の弟子たちの証言によるところが大きい。

 漱石は弟子たちを可愛がりとても面倒見がよかったそうだ。
弟子たちもまた漱石を敬愛し、その傾倒ぶりは異常とも思える熱烈さで、師の存在をほとんど神格化していた。
そのような弟子たちの目には、夫の仕事を全く理解しない横柄で浪費家の妻は、師の妻として最もふさわしくない女に映っていたのだろう。
面と向かって「漱石先生がお気の毒」と言う弟子もいたと言うから余計なお世話だ。
私も自らを悪妻とへりくだって(?)笑いとばすことは平気だが、赤の他人から言われたら猛然と反撃に転じるだろうな。

 この小説を読んだ限りでは、確かに鏡子夫人の生き方には、目から鼻へ抜ける賢さのようなものは感じられない。
しかしおおらかで気丈で堂々とした明治の女性像が浮かび上がってくる。
何はともあれ七人の子どもを生み育て、弟子たちの世話をして、病気がちで気難しい天才作家に長年仕えた妻を、男性の視点からだけで悪妻と評価するなどけしからん話だ。
「漱石の妻は悪妻」というこれまでの通説を覆した面白い作品だった。
 

 ところで先日、お昼のワイドショー『DON!』を見ていたら「夫と妻の呼称」に関する興味深い事実が判明した。

 『DON!』調査によると、夫の呼び方は「旦那→主人→亭主→夫」の順番で身分が低くなるそうだ。
「旦那」は仏教用語ダーナ(お布施をくれるありがたい人)からきていて、「夫」は単なる男人(おひと)のことで全然敬意が込められていない言葉らしい。

 妻の場合は「細君→奥さん→女房→家内→かみさん→妻→嫁」の順。
「細君」は女性の君主の意味で「嫁」は単なるよそ者の女という意味だそうである。

 さて、知ってしまったからには使い方を考慮しなくてはならない。
では...私は従来通り奴を「夫」と呼び、奴には私を「細君」と呼ばせることにしようか。


 
          ※土曜日からしばらくの間、北の大地に行ってきます!



私ひとりで行ってきた!

2010-09-13 11:28:00 | Weblog
 住田町にある鍾乳洞・滝観洞(ろうかんどう)に行く途中、紫波ふる里センターという産直で『かかしまつり』をやっていた。






      鳩山さん、管さん、蓮舫さん
 
 明日の代表選を控えて舌戦を繰り広げている。
小沢親分の姿が見えなかったが、今回も地元入りしていなかったか?
案山子には「見かけだけで役に立たない人」という意味もあるが、こちらは今にもエネルギッシュに動き回りそうで、特徴をつかんでいて面白い。
出品されている作品は、世相を風刺したものや話題の人物、テレビアニメのキャラクターなどが多い。
今年は遠野物語生誕百年と、NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』のヒットがタイムリーに重なって、鬼太郎かかしなども目を惹いた。


 さて遠野市を通過して住田町・上有住(かみありす)へ

 滝観洞は大理石による鍾乳洞で、現在は全長880メートルの地点まで一般公開されている。
日経新聞ランキングで「お得に楽しめる鍾乳洞」の第一位を獲得したそうだ。

 気の遠くなるほどの長い時間が流れているとはいえ、鍾乳洞としては比較的若い方なので、鍾乳石の発達はあまり見られない。
一番奥の洞窟ドームには天井の裂け目から落ちる『天の岩戸の滝』がある。
低く狭く水で濡れた蛇行した道を苦労して前進しなければこの滝を見ることが出来ないのだ。
入り口で料金千円を払うと、長靴と合羽とヘルメットを貸してくれるのだが、この三点セットがなければ、おそらく無事戻ってくることは保証されないだろう。

      





 頭が岩にぶつかって、ヘルメットがぼこんぼこんと派手な音をたてる。
中腰の姿勢で進まなければならない箇所が多いので腰が痛くなる。
やっと200m到達した地点で、夫が......

 「この先苦労して進んで天の岩戸の滝を見たからと言って、オレの人生に何ほどの意味があるのか?
オレはここで待っている。お前一人で行ってこい!

 あ~あ、また夫の途中放棄が始まった!
この暗く険しく曲がりくねったうら寂しい迷宮で、またまた放り出された可哀想なnihao。
入場者はほとんどいないし、洞窟にはコウモリが棲んでいるらしいし、映画『八つ墓村』のロケ地にもなったほどの薄気味悪いところなのだ。
しかも気乗りのしない私をここまで無理矢理連れてきたのは夫の方なのに......







 ここまできて諦める訳にはいかない。
前にも後ろにも誰もいない。
足を滑らせれば地底深くで永遠の眠りにつくことになるだろう。
残りの行程をドキドキしながらひとりで進み、ついに神秘の天の岩戸の滝に到達。
今回も私のみ、達成感を抱きつつ意気揚々と帰還した。






秋の予感

2010-09-08 11:42:00 | Weblog
 今朝の目覚めは感動的だった。
窓を開けると、部屋いっぱいにひんやりとした風と清冽な空気が飛び込んできた。
気温は17度。爽やかな朝の到来。猛暑が終了した予感。


 今年の夏ほど天気予報の画面に釘付けになった年はない。
『涼風一陣価千金 (by nihao)』などと古い漢詩をもじっていい気分になっていたら、だんだん寒くなってきて窓を閉めた。
朝食後には熱い番茶を入れフーフーしながら飲んだ。


 この猛暑の中、夫は文句も言わずにせっせせっせと稼いでいた。
祝日やお盆休みがない仕事なので、普通のサラリーマンよりずっと過酷だ。
サンデー毎日の暮らしを早くしてみたいだろうが今しばらく頑張って欲しい。
日曜と月曜は久しぶりの連休だったので...



                




 網張スキー場の三基のリフトを乗り継いで、岩手山と屋根続きの犬倉山(標高1,408m)までハイキングをしてきた。
夫の体調を考えて途中で引き返してきたが、次回は頂上まで登ってみたい。




           


     (秋の山の草花)

 山は下界より涼しいだろうと考えていたが大間違い。
より太陽に近い分だけ強烈な日差しだった。
本格的な装備をした数多くの登山者が岩手山(標高2,038m)の方から下山してきたが、ほとんどの方々は私たちよりも年配だった。
一度でも岩手山を制覇すると、仰ぎ見る度に手を合わせて拝みたくなるらしいが、私はまだ未経験なのでその心境には達していない。



            



 ハイキングの翌日は、入場券を2枚戴いていたので『キグレNewサーカス』へ。

 子どもたちの手を引きながら、最後にサーカスを見たのはいつだっただろう?
夏休みが終了したサーカス小屋は2・3割の入りだった。
団員さんたちの熱演を目の当たりにしても、この歳では正直言ってあんまり気分が乗らないが、それでもいつの時代でも夢と郷愁がつきまとうサーカス。

 私が小学生の頃は、町にサーカス小屋がかかると団員の子どもたちが転校してきたものだった。
彼らは皆、色白で美しい顔をしていて、ちょっとおませで都会の雰囲気を身につけていて、一挙手一投足が児童たちの注目の的だった。
そしてやっと仲良くなった頃には、彼らの姿は教室から忽然と消えているのだった。

 悪さをするとよく「サーカス小屋に売り飛ばすぞ!」と脅かされた。
「それも面白い人生かも?」と妄想にふけっていた子ども時代の記憶がよみがえった。



 


アルルカン洋菓子店の熱き夜

2010-09-04 12:45:00 | おすすめ記事
                                    
            




 昨夜は、アルルカン洋菓子店の第三回東北お寺巡りライブだった。
昨年の様子はこちら→【悩む前のどんぶり君
哀調を帯びたMITSU君のギターの調べにのせて、自作の詩を朗読し歌う行動する詩人・明川哲也さんの熱いライブは期待を裏切らない。

 昨年の作品『クロコダイルの恋』は、鳥肌が立つような凄い演奏だった。
切なさと辛さに胸が締め付けられ、私自身までが泥の川に身を潜めて適わぬ恋に身を焦がしている一匹のワニになったような気分がしたものだ。
今年のツアーのテーマは『ファーブル・アルチュールランボー・チャップリン』
さてどのような作品に仕上がるのだろうかと楽しみにしていた。

 明川哲也さんと言えば、ドリアン助川さんの名前で『叫ぶ詩人の会』を結成し、金髪先生として若者たちの人生相談相手としても有名だった。
今回は、少年時代のファーブルやチャップリンやランボーたちが明川さんに悩みを打ち明け、彼らの後世の活躍と成功を知っている明川さんが「心配ないよ!」と、ちゃっかりと回答を寄せるという形のしゃれた構成だった。

 圧巻はアルチュール・ランボー編。
ランボーが16歳の時に書いた長編詩『酔いどれ船』を、明川さん自らが翻訳し10分間かけて朗読を熱演した。
難解な詩なので、我ら凡人には目で読んでも全然理解出来ないと思う。
明川さんからの「難しいので何も考えないで聞いてください」とのアドバイスに思わず苦笑い。
私も理解しようとするのはやめて、言葉に寄る酔いどれ船のイメージだけを楽しむことにした。

 私の中のランボーのイメージは、映画『太陽と月に背いて』のレオナルド・ディカプリオ。
無理矢理誘って一緒に行った夫とM嬢は、演奏寸前までシルヴェスター・スタローン演ずるベトナム帰還兵のことだと思っていたらしいのだが、そんな彼らにしてもランボーが乗り移ったかのような明川さんの迫力に驚かされていた。
この時の感動をうまく言葉にすることが出来ない自分の貧困なる表現力が悲しい。

 それにしても明川哲也さんは言葉の遣い手であり言葉の匠である。
ライブの中でもその才能は遺憾なく発揮され、お馴染みの『人生相談コーナー』においては、選ばれたひとりの聴衆のお悩みを即興で歌にして回答してくれる。
昨夜は「感情の起伏が激しくて困っている」と言う女性の悩みを、あっという間に「心の地図を描いて、いろいろな感情を旅するように自己コントロールしてみよう」という歌になったが、その見事な手法には脱帽する。
温かい思いやりとまなざしに満ちた言葉で捧げられた世界でたった一つの歌だ(...ああ、私の悩みも歌にして貰いたかった...)

 ライブの最後には、数名の聴衆から言葉のお題を集めて、それらを即興で歌にしてくれる。
この比較が適当かどうかは疑問だが......今年大ブレイクした「なぞかけ問答」のねづっちも、言葉をお笑いの道具にする遣い手として面白いと思うが、同じようにオチをつけた言葉遊びでも、人生の機微を即妙に歌い上げる明川さんはもっと凄い。
この日は私も突然「お題提供者」に選ばれ、嬉し恥ずかしのドキドキ体験をした(...ああ、人生相談の方で選ばれたかったなぁ...)

 何が原因なのか?
おそらく宣伝が足りないのだとは思うが聴衆が少ないのがとても残念だった。
アルルカン洋菓子店製作のクッキーまでお土産に頂ける得するライブなので、もし機会があったら現代に舞い降りた吟遊詩人たちに会いに足を運んでみるのはいかが?








加齢なる仲間たちへ

2010-09-02 16:10:00 | Weblog
            





 さて、この帯状に連なってうごめく突起物の集団は何だ?

 じめじめした我が家の流しの下に生えたカビの胞子群のようにも見えるが...
実はマイクロファイバー製の浴室用足ふきマット。
フワフワした感触が素足に心地よい。

 ヘアドライ用にマイクロファイバー・タオルを一枚購入したところ、抜群の吸水力と乾燥力で、その凄い威力に驚いた。
ならば家中のタオル革命を実施しようと、布巾やらバスタオルやらのマイクロファイバー製品を買い求めることにした。
『タオル革命』は、家中をLED電球にする『電球革命』に比べたらお安いものだ。
 

 では、こちらの単独の突起物の正体は???



            





 ああ! 果たしてこんなことがあってよいのだろうか?

マダムNの右上腕部に、2週間ほど前からヘンな吹き出物が出現した。
毎日少しずつ成長して大きくなっている。
雲海に囲まれた岩手山。真っ赤なマグマを内包して噴火寸前ようにも見える。
引っぱったら取れそうだが全然取れず、痛くも痒くもなかったので様子を見ていた。
しかし最近になって、身体を洗う時や何かに触れたりすると痛くなってきた。

 それにしてもこの写真、結構ギョッとするし怖い。
かなり迷った末に思い切って写真を掲載することにしたマダムN。
ひとえに同じ年頃の仲間たちへの警告を込めた親切心のなせる業だ。
実物はこの五分の一程度の大きさであるが......

 「不潔にしているからじゃ!
 「たたりじゃ!!

 ふだんの仕返しのごとく激しくののしるのは、言わずと知れたマダムNの夫。
一体何のたたりだと言うのじゃ?

しかし末期の皮膚癌かもしれないと俄に心配になったマダムN。
近所の診療医【ドクターG(傲慢)】のところへ足を運んだ。
待合室に入った途端に心臓がドキドキして、血圧が一気に高くなったような感じがしたが...

 「華麗(加齢の方だったかも?)による吹き出物です。」

言葉少なに診断され、切った方が良いと勧められた。
イソジンを塗って痛み止めの麻酔を打って、はさみでちょん切るだけ。
我慢すれば自分でも出来たかもしれないな。

 後で調べたところによると
《皮膚や毛穴に残った古い角質が、皮脂や汚れなどと混ざり合い、毛穴が詰まってしまったところへ、さらにアクネ菌などの影響で炎症が起こる》
加齢による新陳代謝の低下が原因らしい。
そう言えば...このような突起物をくっつけているお年寄りをよく見かける。

もしかしたら、この突起物には根があって、切っても切っても生えてくるのではないかと心配になりドクターGに訊ねたら

 「その可能性はあるような?ないような?」

 って、一体どちらなのだろう?
余計なお世話かもしれないが、加齢なる仲間たちよ、お気をつけあそばせ! 



『お知らせ』

明日、アルルカン洋菓子店さんのライブがあります↓
明川哲也さんの紡ぐ言葉が心に深く染みるライブです。
 
道化の旅 ~東北お寺ツアー2010 ~
ファーブルよ。アルチュール・ランボーよ。チャップリンよ。

2010年9/3(金)
場所 『盛岡・専立寺』
岩手県盛岡市名須川町3-17
電話019-622-1066
18時半開場 19時開演
前売予約2000円 当日2500円