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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

赤ちゃん取り違え事件

2013-11-28 21:52:00 | 読書
 
                 


 最近のお昼寝読書は角田光代の『ひそやかな花園
就寝前読書も同じく角田光代の『八日目の蝉
11月は角田光代月間でした。
角田光代さん、「恋愛してへこむので強くなりたい」という理由で、輪島功一さんのボクシングジムに通っているそうですが、体育会系を感じさせない緻密な作風の作家です。

 それぞれの時間や場所で複数の異なる本を読むことを並行読書と言うそうです。
バッグの中には病院などの待ち時間用文庫本も入っているので、私は常時3冊の並行読みをしています。
時々筋書きや登場人物などが混線することがありますが、いつでもどんな時でも読書を楽しむことが出来ます。
並行読書は、忙しい現代人の読書生活のための裏技のひとつと言えるでしょう。

 『ひそやかな花園』は、自分の出生が精子バンクであったという衝撃の事実を知った7人の男女の心の軌跡と苦悩を描いた作品です。読み始めたら止まらない魔力のある物語です。
八日目の蝉』は、前半は誘拐犯の女と誘拐された少女の逃亡劇で後半はその後の二人の運命を描いた作品です。映画化された名作です。
どちらの作品も出生・親子・家族の意味を根源から問いかけている力作でした。
凡庸ではないというか、ちょっとゆがんだ家族の関係を描いた作品というのはテーマが重すぎて、読んでいてもやりきれなくなってくるのですが・・・

 追い打ちをかけるかのように本日のワイドショーを賑わしていたのが
60年目に発覚した赤ちゃん取り違え事件
13分差で産声をあげたふたりの赤ちゃんの人生が入れ替わったという衝撃的な事件です。
本来と異なる人生を余儀なくされたとして産院側に賠償を求めた訴訟では3800万円の賠償命令は出たものの、実の両親はすでに他界していました。
渦中の男性は「生まれた日に時間を戻してほしい。両親に会いたかった」と複雑な胸のうちをあかしていました。
決して交わることのなかったふたつの家族ですが、それぞれが違和感を感じて暮らしていた様子とか、兄弟たちが真実に至る道筋は、まさに「血は水よりも濃い」を証明するもので、奇跡としか言いようのないものだと感心いたしました。
 
 是枝裕和監督の赤ちゃん取り違え事件を扱った『そして父になる』がカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞して話題になったのも最近のことでした。
さしずめこちらは『そして兄になる?』

 生後6年で真実を知ることと60年経ってから知ることのどちらが果たして幸せなのでしょうか?
または6年で真実を知らされることと60年で知らされることのどちらが不幸せなのでしょうか?
家族の絆とは血縁を優先すべきものなのでしょうか?
それとも共に築き上げた時間を優先すべきものなのでしょうか?

 この種の悲劇は自分の身に置き換えて考えるのが一番分りやすいのですが、本気になって考えれば考えるほど分らなくなります。
子どもの頃、親に叱られた後は必ず「いつか優しくてお金持ちの本当のお父さん、お母さんが私を迎えにきてくれるの」みたいな仮想遊びをやりましたが、これだってまごうことなき現実の家族の存在という強力な後ろ盾があってこその遊びでありました。
しかし小説よりも奇なる事実に身を置く当事者にしてみたらどんなに辛いことか計り知れません。
この事件の解明がすべての兄弟たちにとって最善のことであったかどうかは不明です。
もし本当に喜ばしいことであったら、もう一方の取り違えられた被害者も同席して感謝の言葉を口にする筈でしょうから。

 それにしてもこの60歳の男性の落ち着いた会見を聞いている限りでは、自分の数奇な運命を受け入れて自己解決されていける方のような印象を受けました。
60年目に知った真実を、不幸せではなく幸せな出来事であると受け止めていただければと思います。
失われた時間を取り戻すことは出来ませんが、せめて残された時間が有意義なものとなりますようにと祈るばかりであります。











長いタイトル

2013-11-12 21:26:00 | 読書
          

 忘れた頃にやってくるもの。それは天災ばかりではありません。
図書館に予約していた村上春樹の最新作『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年
待ち本も忘れた頃にやってきます。四ヶ月待たされましたが早い方だと思います。
本に賞味期限はないとは言え、ニュースにもなった話題作なので今さらのブックレビューはちょっと恥ずかしい。

 村上作品は、平易な名文で入り口(とっかかり)は簡単ですが、読み進むにつれ難度が増し出口を見失うことがよくあります。
しかしこの作品は、迷うことなく最後までたどり着ける作品でした。
現実世界に焦点を置いた自己の喪失から再生に至る物語です。

 ご承知のようにタイトルが長い。
その昔「主なる登場人物」のページから、その作品のあらすじを推理するゲームが流行りました。
いえ、流行ったと言ったってnihaoのひとり遊び。私ひとりがハマっていただけのことですが。
しかしこの作品なら、タイトルからあらすじを推理することができそうです。
問題は「色彩を持たない」の解釈だけです。

 ・・・ある日突然、自分という存在の輝きを見失った(色彩を持たない)田崎つくるが、1年かけて自分探しの旅(巡礼の年)に出る物語・・・こんな感じ?

 私の予想はさほどずれてはいませんでしたが「色彩を持たない」の本当の意味を知ってギャフン。
正解は・・・田崎つくるを取り巻く友人たちが、松、海、根、埜、田のように皆色彩を持っている名前なのに、彼の名前だけが色彩を持っていないということです。
そのことにどれほど重要な意味が隠されているのか、私の頭では最後まで理解することは出来ませんでした。

 改めて簡単にあらすじを述べると
・・・かって親友であった色彩を持つ名前の友人たちから、一方的に友情関係を絶たれた田崎つくるが、その本当の理由を知るために友人たちのもとを尋ねる物語・・・です。

 巡礼とは、自らの「色」を取り戻すための田崎つくるの旅(闘い)のことなのでしょう。
いろいろな読み方が出来る作品ですが、悩み多き若い読者にはセラピー効果があると思います。
私は村上作品の、言葉が紡ぐ音楽と非日常的なメタファーの世界を楽しむために読みます。


 ところで歌野晶午さんも『ジェシカが駆け抜けた七年間について』や『葉桜の季節に君を想うということ』など、タイトルの長い作品が多い作家です。
これらは長いけれども予測のつかない謎に満ちていて、しかもそこはかとなく美しい日本語の余韻を感じさせます。
歌野晶午さんはnihaoの中ではタイトル名人です。もちろん作品もタイトル以上に面白い。

 世界で一番長いタイトルとして有名な小説は、イギリスの作家デフォーの『ロビンソン・クルーソー』です。
正式なタイトルは
自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述

 タイトルが作品のダイジェストを兼ねているので、読まなくても読んだような気分にさせてくれます。

 そう言えば最近AKB48のなが~い新曲のタイトルが話題になりました。
鈴懸(すずかけ)の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの

 ここまでくると奇をてらっているのか話題作りかのどちらかなのでしょう。
この何か意味ありそうで全くないラノベ風のもったいぶったタイトル、私はくすぐったいような違和感しか感じません。









舟を編む

2013-04-10 10:30:00 | 読書
          

 2012年の本屋大賞受賞作、三浦しをんさんの『舟を編む
ひとことで言えば、国語辞書を作る人々の愛と苦悩と友情の物語。
作者の三浦しをんさんは、このような遠大で難解なテーマを、誰にでも理解出来る平易な文章で軽くさらっと書き上げます。
そのライトノベルテーストの作風が物足りないと言う読者もいますが、私は、それこそが三浦しをんさん独特の個性と才能と魅力ではないかと思います。
確実に日本の読書人口の裾野を拡大することに貢献している作家のひとりでありましょう。
しかもこの作品以外にも、林業に目覚める青年[神去なあなあ日常]とか、便利屋で楽しく働く青年[まほろ駅前多田便利軒]とか、地味な職業で頑張る若者たちにスポットライトを当てている作品が多いので、文部科学省は彼女の著作を進路指導の参考書に指定するとよろしいのではないかと思います(なんっちゃって)

 この本を読むと、学生時代に愛用した国語辞典の埃をはらってきれいにして
ありがとうございました。その節は大変お世話になりました。」
と頭を下げたくなるような敬虔な気持ちになることは間違いありません。

 昨年大きな話題になった作品なので、今ここで取り上げるのはちょっと時期を逸しているようで気おくれがします。
でも映画[舟を編む]の方ならまだ封切りされていないので(4月13日から)レビューをすれば最新の話題の提供になります。

 実は不思議なことに、岩手めんこいテレビから私の手元に[舟を編む・試写会招待状]が届いたのです。 
阿呆な私は、招待状の出所について深く考えることが出来ないほど、この思いがけないプレゼントに舞い上がりました。
図書館の予約待ちの順番がやっと来て作品を読み終わったばかりの新鮮な気分のところに、さらに映画まで観ることが出来るなんて、しかも無料で・・・めんこいテレビよ、ありがとう!

 ところがそれもつかの間の幸せ。
さっそく友人[M嬢]がやってきて
nihaoさんの名前で私が申し込んだ試写会のハガキ、当選していたのなら返して頂きたいんだけれど。」

 彼女ったら、自分の名前だけでは心配で私の名前まで使ったと言うのです。
どちらも当選したら問題はなかったのですが、あいにく1枚しか当たらなかったのです。
考えてみたら、めんこいテレビが私に招待状をくれる理由なんかある訳はないのでした。
往復ハガキ代2枚分もM嬢の負担だし、築き上げてきた友情にひびが入るのもなんだから

 「私の幸運パワーがお役にたててよかったわ。どうぞお一人で楽しんできていらして。」

 にっこり微笑みながらM嬢に招待状は返したけれど、本当は全然納得がいかなかったのよ、私。
だって、今回はたかだか映画のチケットだったから平気でいられたものの、もし、すごく高額の商品や賞金だったら、一体どうなる?

 例えば ビール1年分とか、ひとめぼれ一俵とか、○○デパート商品券10万円、前沢牛10キロ、岩泉産松茸100本とか。
い、いや、仲良く分けられる商品ならまだよいけれど、高級ジュエリーとかハンドバッグとか旅行券とかだったら・・・
ああ、絶対に平静ではいられないわ。
私の名前を使ってM嬢だけが得するなんてことが許されるでしょうか?
いえ、苦労人の彼女のささやかな幸せを陰ながら支援することが真の友情というものでありましょうか?

 本当のところ、他人の名前で応募して当選したら、その権利は誰のものなのかしら?
ハガキを出した人? 当選した名前の人? 
そもそも他人の名前で応募して当選したものは有効なのかしら?
いろいろ考えているうちに我らの友情の舟は難破しそうになったけれど・・・

 今回は残念ながら映画[舟を編む]のレビューは中止となりました。
はなはだ申し訳ございません。








風が強く吹いている

2013-01-29 15:32:05 | 読書
          

 昨年図書館から借りて読んだ本は125冊でした。
前年と比べたら少し数が減ったので目標達成です。
少しずつ読書の時間を減らして、その他のことも頑張らなければならないと一応は考えている訳であります。
ちなみにブログの更新数は、2010年(81回)2011年(40回)2012年(27回)と...あ~っ、こちらも頑張らなければなりません。

 好みの本の傾向は決まっていますが、出来るだけたくさんの作家と出会いたい。
好みの作家さんに出会う喜びは、おそらく恋のときめきに似ていると思います。
去年の私の恋人は断然→【深谷忠記さん
ベテランの本格的社会派ミステリー作家で、平成の松本清張といった重厚な作風です。


 さて今年は、今話題の三浦しをんさんの本をまとめて読んでみようかなと考えていた矢先に、ブログ仲間【うららさん】の『風が強く吹いている』の記事を読みました。
これは読書家のうららさんの去年の一押し作品で、箱根駅伝を題材とした物語です。

 箱根駅伝といえば、私のテレビ生活の中でも一番楽しみにしている番組です。
過去にこのような記事【駅伝選手】も書いています。


 『風が強く吹いている』は、元高校駅伝のエリートランナーであった走(カケル)と、足の故障を抱えながらも箱根路を走る夢を抱き続けている灰二(ハイジ)が、同じアパート(竹青荘)に暮らす陸上素人集団の学生たちを率いて箱根駅伝出場を目指す内容の青春ファンタジー小説です。
あらすじだけを見ればなんとも無謀な物語で、このようなことが現実に起こりうる筈はないのですが、読み進むうちに登場人物たちの描く夢が読み手にも伝わってきます。

 作品は512頁の大作。
構成は大きく駅伝以前の日々と駅伝当日のふたつに分かれます。
前半部分は、ハイジにうまく操られながらも徐々に走ることと本気で向かい合うようになるメンバーたちの心の変化が描かれています。
後半部分は、メンバーひとりひとりの走る姿に各自の生き様を重ね、それぞれの持つ箱根駅伝の意味を浮き彫りにしています。
前半ではよく分からなかったメンバーたちの個性が明確になる部分です。
三浦しをんさんの書き込みすぎない明快な文章が魅力的。ユーモアもあります。

 すべての走者がそれぞれの特別のドラマを胸に秘めてひた走る箱根駅伝。
襷に託す思いもずっしりと重い。
考えてみたら箱根駅伝こそがドラマの宝庫なのに、今までこのように真っ向からランナーたちを題材にした物語はあまりなかったのではないかと思います。
それはおそらくリアル箱根駅伝の方が、予想を遙かに超えたドラマが展開するからではないかとnihaoは思うのですが...。
箱根駅伝に関しては、物語が現実を越えることはないのではないでしょうか。
しかしこのような難しい題材を上質の青春小説に仕立てた三浦しをんさんの才能に敬意を表します。
この物語は読むと誰もが元気になりますが、特に強く生きていくための方法を模索している若い人たちにぜひ読んでいただきたいです。

 私も引き続き三浦しをんさんの本を探して読みます。
昨年の本屋大賞の『舟を編む』は9番で予約待ちです。


 うららさんから「nihaoさん、読了後の感想、聞かせて下さると嬉しいです。」とのコメントを頂きました。
これもうららさんから受け継いだ襷(たすき)リレーのようなものです。
みんなで読後感の襷リレーが出来たら面白いですね。
さてこの襷、次は誰に渡そうかな?











図書館のはしご

2012-10-17 12:25:00 | 読書
 秘湯・名湯巡りに飽きがきた訳ではないが、最近の密かな楽しみは...
近隣市町村の図書館巡り!
地味な趣味だと笑われそうだが、実は図書館にはそれぞれの歴史や地域性や主張があってなかなか面白い。
逆に言えば、それら(歴史や地域性や主張)を含めて、独自の個性を訴えてこない図書館はつまらない。
秘湯巡りにはオットーという連れがいるが、図書館巡りは私だけの単独行動。
ひとりでのんびりとアフター図書館(産直とか食事とか温泉とか...)も楽しめる。

 さて現在まで、ミシュラン図書館調査員nihaoがお忍びで行ったところは
盛岡市立図書館、都南図書館、渋民図書館、紫波町立図書館、滝沢村湖山図書館、八幡平市立図書館、雫石町立図書館。


 私がいつも利用している盛岡市立図書館は蔵書数も多く、春は桜、冬は白鳥が飛来する美しい高松の池の傍らにひっそりと佇んでいる。
季節を感じながらの池の周囲の散策が、アフター図書館の醍醐味である。

 この図書館の最大の欠点は階段が多いのにエレベーターがないことだ。
駐車場から図書館カウンターまでの53段は、高齢者や身障者には利用しにくい。
以前どこかの見知らぬオヤジ男性が、階段を一気に駆け上がってきて息切れした模様。
そしてなぜか私の隣に来て、真っ赤な顔をして「ハッ、ハッ、ハッ!」と激しく呼吸を整えた。
私は痴漢に追い込まれたようなヘンな気分に陥って実に困ってしまった。
誰かが心臓発作で倒れる前にエレベーターを設置してほしいものだ。

 ちなみに我が家から二番目に近い距離にある岩手県立図書館は新しくて蔵書数も県内一だが、まだ一度も行ったことがない。
理由は簡単。だって駐車場が有料だもの。

 渋民図書館は石川啄木の出身地なので、啄木関連の図書が充実している。
雄大な岩手山を背にしたロケーションが絵はがきのように美しい。
こちらのアフター図書館は、向かいにあるイ-オンの中のレストランでのランチ。





 293カロリー(だったかな?)のダイエットランチが嬉しい。


 紫波町立図書館は8月末にオープンしたばかり。紫波中央駅前の複合施設オガールプラザの中にある。
施設の中にはアメリカ・シアトル生まれの本格的カフェや産直が入っていて、アフター図書館の環境も大満足。





 図書館はゆったりとした空間に洒落たインテリアや観葉植物などが配置され、とても気持ちがよい。
書籍も建物の中のどこもかしこも新しくぴかぴかだ。
キッズのコーナーも同じフロアにあって、親子連れで来ても親は安心して自分の本選びが出来る。
図書館にとって、大人と子どもの空間を区分しないことは画期的な試みだ。
子どもたちはむしろ、自然にマナーなどを会得していくのではないかと思う。

 二階の休憩所ではかすかな音量でBGMが流れ、本を読みながら飲食が出来る。
ここでは従来の図書館の常識が覆り、音楽と飲食が解禁されている。凄い!

 紫波町には今まで本格的な図書館がなかったという。
町民待望のこの図書館は、随所にいろいろなアイディアが盛り込まれ新しい図書館のあるべき理想の姿を模索している。
こんなに贅沢で居心地の良い思いをした図書館は初めてだ。


 ところがところが...手厳しいミシュラン図書館調査員のnihao、文芸書コーナーあ行作家の本棚で重大なミスを発見。
一瞬迷ったけれど教えてあげた方が親切なのだと思い、意を決して忠告した。

作家コーナーの作家さんの名前が間違っていますよ。『歌野晶子』さんではなく『歌野晶午』さんに直してください


歌野晶午さんは今をときめく人気作家。その上女性ではなく男性なのである。
これは致命的なミスで、ミステリーファンにとっては絶対に見過ごすことはできない。
図書館側にはおそらく感謝されたことと思うのだが...(?)







 

もし私が図書館長だったら

2010-08-29 11:25:00 | 読書
 





 私が利用している図書館では、貸し出した図書を印字してくれるようになった。
この紙片を日付順にノートに貼り、簡単な感想などをメモしておけば自分用の読書ノートが作成できる。
読書ノートまでは作らないにしても読んだ本のタイトルなどが一目瞭然なので、忘れっぽい私にとっては大変便利だ。
著者名の印字がされていない点が少々不満だが。

 最近はブックレビューを怠っているが、実はたくさん読んでいる。 
5月27日から8月23日までの約3ヶ月間で計50冊借りているから、2日で1冊以上のペースで読んでいることになる。
6日間で5冊読んだ週もあって自分でも驚く。

 猛暑の夏を家でじっと読書しながら乗り切っていたんだなと思うと...
誰のためにもならない非生産的な時間を過ごしていたものだと恥ずかしくなる。
しかもほとんどがミステリーかホラー小説だから、おどろおどろしい澱(おり)のようなものが溜まる一方だ。
しかし全く無意味だった訳ではなく、【桜庭一樹】さんや【柳広司】さんという個性溢れる新進作家との出会いは衝撃的な読書体験だった。

 
 さて、私が読み終わった最新の作品は↓





  『霧の塔の殺人』 大村友喜美 角川書店 H21・9・30  (写真下段)

 
 大村友喜美さんは第27回横溝正史ミステリ大賞受賞作家。
お見かけしたことはないが実はご近所に住んでいらっしゃるので、私は熱烈な応援団のひとりだと自認している →【辛口ですが
受賞作と受賞後第一作は書店で買い求めたが、既に第三作が刊行されていたことは知らなかった。
一年に一作のペースで、丁寧に練り上げた作品を世に出されていることは嬉しい。

 『霧の塔の殺人』は、前二作とは趣を変え社会派風ミステリーとなっていた。
緻密な描写と伏線の多さが際だつ作風で、さらに日本社会が抱える今日的問題や東北の寒村の厳しい現実を浮かび上がらせている。
今回は全く異なった二つの事件が交錯しているが、映画やTVドラマにしたら面白くなりそうな作品だと思った。
大村作品は最後まで読まないと真犯人が判らないようになっているが、実は最初の犯人登場からなんとなくピンとくるものがあった。
この予兆を感じさせる雰囲気作りが映像的であると感ずる次第だ。
大村作品のシリーズには、藤田警部補と一方井記者という名探偵役が登場する。
ぜひ彼らが日本ミステリー界で確固たる市民権を得て、金田一耕助や十津川警部のような人気者になってほしいと願う。


 ところで、もし私が図書館長だったら......
(1)図書館に大村友喜美コーナーを作る。
 なぜなら、この横溝正史賞受賞作家のことを地元民は知らなすぎるから。

(2)大村作品を地元民への課題図書に指定し、作者を招いて一大読書会を催す。

(3)同じくご当地作家の【高橋克彦さん】と大村友喜美さんのお二人を招き『ミステリーの夕べ』を催し、ミステリー誕生までの秘話などを話していただく。
参加者全員でミステリークイズ大会を行う。

 だって今年は『国民読書年』!!
図書館には、なにかワクワクすることを考えて欲しいものだ。




お嬢様の恋

2010-04-15 11:30:00 | 読書

         



 宮城県大和町宮床にある【原阿佐緒記念館
原阿佐緒(はらあさお)は明治21年生まれのアララギ派の女流歌人。
この記念館は彼女の生家だそうだが、鄙には珍しい白壁の美しい洋館である。

 記念館の中には、阿佐緒の作品や手紙類、生前使用した日用品などが多数展示されているが、何と言ってもここで一番興味深い資料は彼女の年譜である。
なぜならこの原阿佐緒という女性、たぐいまれな美貌と才能ゆえに「恋多き女」とも「魔性の女」とも言われ、波乱万丈のスキャンダラスな人生を生き抜いてきた。
その数奇な運命をたどるだけでもさまざまな思いが湧いてきて、年譜の前から足が離れられなくなる。



                


 
 素封家の娘に生まれ両親の寵愛を一身に受け、俗世間の汚れを何一つ知らずに愛らしく育った深窓の令嬢。
この好奇心旺盛な美少女は、上京し日本女子美術大学で日本画を学ぶ。
画家志望の青年と恋愛関係を育んでいたが、同校の妻子ある英語教師にレイプされ妊娠、自殺をはかるも助かりその後長男を出産、やがてアララギ派の歌人として名を博すようになる。

 [黒髪もこの両乳もうつし身の人にはもはや触れざるならん]

 もう絶対に私の身体は誰にも自由にはさせない、男はもうこりごりよ!
と固く誓ったのにも拘わらず、洋画家の青年の求愛を受けて結婚、次男を出産。
年譜でこの阿佐緒の次男・原保美氏の名前を見つけて驚いたが、NHKドラマ『事件記者』で渋い役を好演していた俳優だ。

 妻を束縛しようとする夫との失意の結婚生活の中、阿佐緒は、アインシュタインの相対性理論を日本に紹介したことで有名な物理学者・石原純と出会う。
阿佐緒に熱烈に恋をした石原純は、大学の職も妻子も捨てて彼女と一緒になるが、これが当時一大スキャンダルとして報道され世間を騒がす大事件となった。
しかしこの関係も長続きせず、やがて石原は阿佐緒を捨てて他の女性に走る。
このスキャンダルによって阿佐緒はアララギ派から破門される。

 その後阿佐緒は、モボ・モガバーのマダムをしたり、彼女の名声や醜聞を利用しようとする者たちに担ぎ出されて、女優や流行歌手に転身するも成功しなかった。
40代半ばからは、自分を取り巻くすべての喧噪から逃れ故郷で静かに余生を過ごしたという。

[捨てられて山にかくれて歌よみて泣きて子とのみ生くるわれはも]
[二人居て恋のなげきを見るよりも安く寂しくひとりあるべき]
[うしなひしもののことさら美しく見え来たる日は寂しかりけり]

 原阿佐緒の来歴には、おそらく誤解や歪曲された部分が相当あるだろうとは思うが
現代の異色のマルチタレントも顔負けの激しい人生を送ってきたことは間違いない。
男社会に翻弄された美しいあだ花のような印象を与えるが、実際のところはわからない。
それは彼女自身が望んで得た人生でもあるかもしれない。
もし林真理子さんあたりが彼女の伝記を小説化すれば、おそらくベストセラーとなり、再び現代に原阿佐緒がよみがえることになるだろう。

 最後に私が思わず笑ってしまった歌を一首ご紹介。

 [吾がために死なむと言いし男らのみなながらへぬおもしろきかな]

 (君のためなら死ねると熱く囁いた男たちよ!
なによ!みんな、いまだにのうのうと長生きしているじゃないの!
そんな男のたわごとを信じた私が馬鹿だった。いえ、私も信じたふりをしていただけ。
まことに恋というゲームは面白いものですね。  by nihao)






すっごく村上!

2010-04-05 10:40:00 | 読書

           
        


           『1Q84』 村上春樹 新潮社 2009年5月刊
     
 
 ちょっと旬を外しているが......
徹底的に秘密主義を貫いた売り出し方が話題となり、発売前からベストセラーになるという不思議な現象を巻き起こした作品であることは記憶に新しい。
すでに1年近く経っているが、いまだに図書館では長い予約待ち。
まだまだ先にならないと読むことは出来ないと【うららさん】も言っていたが...

 別に慌てることもないとゆっくり構えていたら、幼馴染みのF嬢が宅急便で送ってくれた。
何やら去年彼女が入院した時に知人から頂いたお見舞い品だったのだが
全然面白くなかった。nihaoちゃんに上げるわ!
220万部も売れた作品だが、誰からもおしなべて愛されるという作風ではない。
売れた数ほど読まれた訳ではないのかもしれない。
村上ワールドを受け入れることが出来なかったF嬢のおかげで、思いがけず『1Q84』を手に入れた僥倖に感謝。

 さてこの作品は、初恋・不倫・新興宗教・DV・虐待・殺人など、多様な伏線が張られていて実に忙しい。
SF風でもあり社会派風でもありミステリー風でもあり悲恋風でもある。
平易な文章なのだが丁寧で奥行きが深く、くすっと笑ってしまうユーモアもあり
その文体だけでも私の村上趣味を大いに満足させてくれる。
性描写も多いが清潔な色気とヘルスコンシャスな村上ワールド。
はたしてどのような世界に誘ってくれるのかという期待感溢れるストーリー展開だった。
なんと4月16日に早くも続編のbook3が発売されるという。
私の予想では、死んだはずの女主人公は実は生きているのではないかと思うのだが外れているか?
いや、これはおおかたの読者も同じ予想をしているだろう。
少々迷ったが早く続きを読みたいので自腹を切って予約してきた。 


 ところで中国人留学生から聞いた話だが...
中国の若者たちの間では村上春樹は大人気だそうで『非常村上』という言葉が流行していると言う。
「非常」は英語ではveryの意味、日本語にすると「とっても村上的」「すっごく村上」という意味になる。
日本でも熱烈な村上ファンを『ハルキスト』などと呼んでいるが
中国では『非常村上』はどのような時にどのような使い方をするのだろう?

 ふとした日常のワンダーゾーンに足を踏み入れた時?...いや、それもそうだが
新鮮な野菜を買い求め、最適なドレッシングについて思いを巡らせる時とか
まめに洗濯したパジャマやシーツや枕カバーを取り替える時とか
清潔な空気が流れる美しい部屋の中で、猫を抱きながら音楽を聴いている時とかなど
ふと「非常村上」と呟いてみたりするのではないだろうか?
あの大きな大陸の若者たちが村上作品からカルチャーショックを受け、外部からの異物を遮断し、自分だけの小宇宙を築き上げようとするライフスタイルに共感を持ったということに、私はとても興味をひかれた。

 それにしても内向的でアレルギー体質の人たちには、なんと快適なライフスタイルだろう。
汚部屋でコンビニ弁当ばかり食べている若者は、決してすっごく村上!にはなり得ないのだ。


 


究極の選択

2009-11-27 11:30:00 | 読書
 
           


 しばらく図書館が休館するというので、久しぶりにブックオフに出かけて本を調達してきた。
書架の前に立つと、本を選ぶと言うよりは本に選ばれている(本が少ないから)感じがするのが何とも嬉しい。
本たちが皆、私との出会いをひっそりと待っていてくれたような気がするのは考えすぎだろうか?
ホラーの名作、小野不由美『屍鬼』は上巻しかなかった。

 『プラチナ・ビーズ』(五條瑛 集英社 1999年)は、日本、アメリカ、北朝鮮の諜報戦争を軸にしたスパイ小説。
物語としても楽しめるが、人種問題や食糧問題や外交問題などを通して、リアルな国家の問題を浮き彫りにした内容の作品。
しかし実はこの本の展開とは全く無関係の、ある一節に大いに悩んでしまった。

 それは......「不幸せな賢者」と「幸せな愚者」、どちらになりたいかという究極の選択を問うた箇所。
ちょっと哲学的な比較で難解だから、今風に「不幸せな天才」と「幸せな馬鹿」と直してみる。
どちらを選択するかで個々人の価値観や人間性が判断できそうな気がする。
もちろん正解はない。

 そこで私もいろいろな例題を考えてみた。
言葉の解釈は各人の持つイメージで違ってくるだろうが、最低と最高を連想して直感で答えてみよう。
たとえお遊びとは言え、だんだん苦しくなってくることを保証する。

「不幸せな天才」と「幸せな馬鹿」
「不幸せな金持ち」と「幸せな貧乏」
「不幸せな美女(美男)」と「幸せな醜女(醜男)」
「不幸せな二十歳」と「幸せな百歳」
「不幸せな百獣の王」と「幸せな羽虫」
 
 と......ここまでの、私とたまたま側にいた娘の選択はすべて「幸せな○○」の方を選択した。
どうやら人間(...って私と娘だけだが)は、幸せを追求する生き物らしいとわかったが、ついでに夫の答も聞いてみたら、奴は迷わず全て「不幸せな○○」の方を選択した(なんと恐れを知らない奴だ!)
たった三人分の回答だけで分析するのは早計だが、夫が幸せを捨てる覚悟があると知ったことは今後大いに参考になりそうだ。

 では以下↓はどうだろう?とても辛い選択だ。

「不幸せな生者」と「幸せな死者」
「不幸せな健康的精神」と「幸せな不健康的精神」
「不幸せな五体満足」と「幸せな五体不満足」
「不幸せな介護者」と「幸せな被介護者」

 ああ、私は不幸せでも一向に構わない! 
自分の作った例題を考えているうちに泣きそうになった。





夜の図書館

2009-11-17 08:30:00 | 読書
 晩ご飯を食べた後テレビの前で寛いでいたら、はたと思い出した。
「しまった!図書館の本を返すのを忘れていた!」
しかも返却日を既に五日間も過ぎている。

 この手のうっかりミスはよくあること、普通の人なら全然気にしないだろう。
しかし律儀なnihaoは、一度気になるといてもたってもいられない。
そうだ!図書館の入り口に返却ボックスがあったはず。
休館日や閉館後はそれを利用するとよいと聞いたことがある。
慌てて返しに行ったからって誰からも偉いと誉められる訳ではないが、私は借りていた五冊の本と運転免許証入り財布をバッグに詰め込み、急いで夜の図書館に向かった。

                  ※

 図書館前に設置されている木製の返却ボックスは、なんだか闇を呑み込む大きなゴミ箱のような感じがした。
私はバッグから手探りで本を取り出し、一冊ずつ数えながら投げ入れていった。
一冊...二冊...三冊...四冊...五冊...六冊...
あ、あれっ? いつの間にか本が一冊増えている。
家を出る時、タイトルを確認しながらバッグに入れた
確かに本は五冊だった......なんでいきなり六冊になった?
もしかしたら、こ、これが例の図書館ホラーと言うやつか?
最近「便所の花子さん」が図書館に引っ越してきたとの噂話が流行している。
私は恐る恐るバッグの底をのぞき込んだ。

   「ぎゃあ~~!!!

ない!ない!ない!  プラダの財布が入ってない!
やだ~っ!! 間違って財布も返却ボックスに入れてしまったよ!
財布の中には、今朝銀行からおろしたばかりの今月の生活費50万円が手つかずで入っている。
ああ、私の大型プラダ50万入りの財布は、哀れ、単行本と一緒に深いブラックホールの中に消えていった。

 図書館の職員はもう誰も残っていない。
どこに電話したらよいかも分からない。携帯電話も不携帯。
ボックスの入り口に腕を差し入れてみたが、ただいたずらに闇をかき回すだけ。
為す術がまったくみつからない。
さてどうしたらいい? あなたならどうする?

               ※

 ところで賢明なnihaoが、いくらなんでもこのようなドジを踏む筈がない!

 上記の文章は、ひとり夜の図書館の返却ボックスの前に佇み、ふと心によぎった「nihaoならさもありなん」という妄想をシミュレーションしただけのことだ。
あらかじめ最悪の事態を想定したおかげで、私は、このような馬鹿げたミスを回避することが出来た。ホントによかった。
図書館利用諸氏にとって、なにかの参考になれば幸いである。
『図書館の花子さん』『大型プラダ50万入りの財布』は真っ赤な嘘だ。