blog-cafe

マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

一日三善

2014-03-12 16:45:00 | Weblog
普段から人様の為になる善行よりも、ご心配やご迷惑をかけるような愚行はしないようにと心がけて暮らしております。
しかし何が善行で何が愚行であるかを判断するのは大変難しいことです。
 (反対語辞典では善行の反対語は悪行ですが、どう考えても悪行とは無縁。ここでは愚行という言葉を使います)

善行は人様のためにするよりは、自分が幸せになるためにすることであるのは確かです。
ちょっと前のことですが、私、何だか一日中気分の良い日がありまして・・・
考えてみましたらその日どうやら、一日三膳、じゃなかった一日三善の徳を積んでいたらしいのです。


 【其の壱
いつも行く近場の温泉の脱衣所でのこと、年配のご婦人が裸のまま有料ロッカーの前で悪戦苦闘中でした。
 「どうしました?」と私。
 「このロッカー、百円玉を入れなければ鍵がかからないのでしょうか?頑張ればかかるかもしれませんね」と彼女。
今時、そんな無駄な努力をするお馬鹿な人が存在することにビックリしました。
なにやら百円玉を一枚も持っていないと言うので、ちょっと迷った末に恵んであげました。
迷ったのは百円が惜しかったのではなく、私なら固辞するだろうと考えたからです。
私の行為はお節介ではないだろうか、失礼ではないだろうかと心配でしたが案外素直に受け取ってくれました。 
 「いつか私のこと見かけたら返してくださいね
 「はいはい、ありがとうございます
と笑い合って別れた時、やっと気分が晴れ晴れとしました。


 【其の弐
温泉からあがるとマッサージチェアーを利用しながらオットーを待ちます。
ところがこの日老眼鏡を忘れ、コインを投入したもののリモコンの文字が全然見えません。
新型機器だから取り扱いも複雑で闇雲にボタンを押す訳にもいかないのです。
困り果てていたところ、隣のチェアーに若いご婦人が座りました。
 「すみません。眼鏡を忘れてしまってどのボタンを押したらよいのか全く判りません
思い切ってお願いしたところ大変親切に対応してくださいました。
適当でいいですから」と私が言っても、懇切丁寧に説明しながら設定してくださいました。
もしかしたら、迷惑をかけてひと様の親切心を仰ぐのも善行ではないかと思ってちょっと嬉しくなりました。


 【其の参
家に帰ってしばらくしたら、某新聞社記者が震災後の県民の意識調査のために訪ねてきました。
この日は外気温マイナス6度という大変寒い日で、玄関先の冷気も震え上がるほどでした。
10分くらいかかるけれど是非協力してください」と記者さんに熱心にお願いされ
風邪をひきたくないので「どうぞどうぞ」と暖かい部屋の中に案内しました。
記者さん曰く「あちこちお邪魔しましたが部屋の中にまで入れて頂いたのは初めてです
とても喜んでくださったので私も嬉しくなりましたが・・・しまった!お茶を差し上げるのを忘れてしまったのが心残りです。


さて上記の三つの事柄のうち、本当に善行と言えるものはどれでしょうか?
もしかしたらとんでもない愚行が含まれてはいないでしょうか?
なんだか自信が持てないのです。

私は前回の記事『遠野町家の雛祭り』の中で、遠野駅前の河童像のことを話題にしました。
お気に入りの河童たちに久しぶりに会えると思って喜んで駅に行ったら、河童たちは皆派手なマフラーをさせられていてすっかり雰囲気が変わっておりました。
あれ以来ずっと、河童像にマフラーをすることは善行であるか愚行であるか考え続けております。

例えばどんなに寒いからと言って、またどんなに恥ずかしいからと言って、ミロのヴィーナス像にショールをかけたりダビデ像にパンツを穿かせる行為は許されません。
それと同じようなことが遠野の河童にも言えるのではないかと思ったり・・・
いや、そこまで深刻に考えることもないだろうと思ったり・・・


               

          (ミロのヴィーナス像)         (ダビデ像)









コメント (9)

遠野町家の雛祭り

2014-03-03 09:00:00 | Weblog
        
       

 民話の里・遠野市で開催されている町家のお雛様にでかけてきました。

 これは江戸時代中期のお人形。
お内裏さまの位置が逆なのは京風の影響を受けているからです。
お雛様は女の子の固有の持ち物ではなく、代々受け継がれて来た家の財産だそうです。
一切の管理を任される女たちにとっても、それは大変誇らしい仕事であったろうと思います。
またしばし、嫁、姑の深刻な確執の種となるほどの重要な仕事でもあったようです。
以上のことは、お雛様にも負けないほどの美しい語り手である商家の奥様からお聞きしました。

 古さを全く感じさせないみやびな姿は、長い歴史の中で大切に保存されてきたからです。
幾多の政変も飢饉も戦争も震災も、一族の幸も不幸もすべて承知のお人形たち。
どんなことがあっても永遠に変わらぬ雛の微笑みをじっと見ていると、私はちょっと・・・

 ごめんなさい。ああ、なんだかそこはかとなく怖くなってしまいました。
お雛様って時々、薄笑いを浮かべながらまっすぐにこちらを凝視してくることがあるのです。
いえ、そんなことを考えるのは、よこしまで穏やかならざる私の心持ちのせいに他ならないのですが。
そういえば今年もまた埃をかぶった段ボールの中で横たわっている我が家のお雛様。
来年こそは日の目を見せてあげることにいたします。
 


          



 遠野市には至るところに河童伝説が息づいています。
誰もが見たことも捕まえたこともないけれど、どこかにいそうな気がする未確認動物・河童。

 驚いたことに遠野駅前の河童たちは皆、色違いの温かそうな毛糸のマフラーをかけてもらっていました。
県内でも有数の厳寒地である遠野市。
毎年冬になるとマフラーをするそうですが
 「河童がどうか風邪などひきませんように
きっとどこかの親切な方が用意してくださったのでしょう。
私の写真では不鮮明なのでこちらを参考にしてください→マフラーを巻いた遠野駅前の河童



 ここの河童は、遠野市内によくあるいたずら好きの愛らしいマスコットキャラクターの雰囲気はありません。
スリムだけれど力強く、どちらかというと不可思議な力を持つ物の怪とか妖怪のような非日常的存在のイメージの河童です。
初めて遠野駅に降り立った旅人はみな、この異様な河童群像に驚嘆の声をあげるのではないかと思います。
それぞれが抱いていた河童のイメージを大きく変える力があり、民話という摩訶不思議な世界に踏み込む期待が膨らみます。
風刺が効いた立派な芸術作品で、私も個人的に大好きです。


              


 マフラーをしていない時はこんな感じ。
言わなくてもよい(言わない方がよい?)見解かもしれませんが、ここの河童たちに色鮮やかな化繊のマフラーは・・・
ごめんなさい。全然似合わないような感じがしました。

 私の意見は遠野市の心優しいどなたかを傷つけることになるかもしれません。
もしかしたらなんらかの理由や事情があるのかもしれません。

 でももし私がこのカッパ群像の制作者であったなら
そのようなご親切はどうかお構いなく!
と固辞すると思います。

 傘地蔵のお話には感動した私ですが、襟巻き河童のお話にはちょっと違和感が・・・ 
マフラーが目立ちすぎて作品の世界観をだいなしにしてはいないでしょうか?
それにたぶん河童という種族は遠野の寒さなんか屁の河童さ!と言っていると思います。



 



コメント (10)