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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

形見分け

2012-04-02 15:50:00 | マダムH

         

               [抱き人形]


 Mr.H(マダムHのご主人)とお嬢さんと婿殿の三人が、我が家を訪ねてくれた。
マダムHの思い出話で涙、涙にかき暮れるのではないかと不安だったが、ご家族の皆さんは、マダムHの死を乗り越えて明るい表情を取り戻していた。


 お嬢さんは「今年中に絶対に新しい家族を作る!」と張り切っていたし、
結婚当初研修医だった婿殿は、いろいろ悩み考えた末、近年なり手の少ない産婦人科の医師になることを決断した。
Mr.Hは『男子厨房に入ろう会』や『放送大学』に参加したり、カメラを新たな趣味に加えて忙しそうにしていたし
上海在住の長男さんには、もうすぐ待望の赤ちゃんが生まれる。
すべてマダムHが望んでいたように回っている。
もしここにいたらどんなに喜ぶことだろう。


 お嬢さんからマダムHが製作した抱き人形を頂いた。
形見分けに私にも何かひとつ...できれば彼女の作った人形が欲しいと思っていたのでとても嬉しかった。
全長45センチの存在感のある人形だ。


 生前彼女は、忙しい時間をやり繰りして創作人形教室に通っていた時期があった。
人形教室と彼女の取り合わせが意外だったので驚いたのだが、元来が器用でセンスがよいのであっという間に上達した。
彼女は古布や端布の使い方や小物作りが上手で、いつも楽しそうに工夫していた。
幼い子どもたちをモデルにした彼女の【お迎え】は、ふたりにそっくり!
お母さんの愛情を感じさせるほほ笑ましい作品だ。


 私が頂いた人形は今にも泣き出しそうな憂い顔。
悲しみにじっと耐えているかのようだ。
人形の表情は変化しない。この人形がほほ笑むことは絶対にない。
彼女はどうしてこのような顔の人形を作ったのだろう?


 人形の顔ってながめているうちに不思議と制作者の顔に似てくる。
闘病中、決して泣き言など言わなかったマダムHだが、自身の死をおそらく覚悟していたことだろう。
誰もいない病室で、きっとこの人形のような顔をしていろいろなことを考えていたのではないだろうか。

「心配しないで。だいじょうぶよ。何もかもうまくいっているわよ!」

 思わず人形に向かって声をかけていた。


 私も最近は、知らないうちにこのような顔をしていることがよくある。
怒ったり泣いたり呆然としたり...
薔薇と虹と酒とご馳走だけで出来ている人生などないもの。
でもこれからは私の憂鬱や不愉快を、この人形にぶつけてみよう。
もしかしたら全部吸収してくれるのではないだろうかと、虫のよいことを考えている。
マダムHの形見の人形、特別な力があると信じたい。











三姉妹

2012-01-25 15:05:00 | マダムH
 
    

           ♪スノー・レディ 雪ちゃん♪



 今年の冬は特に寒さが厳しい。
寒さが応えるのは年齢のせいばかりではなく、どうやら26年ぶりの大寒冬になるかもしれないという予報が出た。
一日のうちで暖房を止めている時間は4・5時間だけ。
灯油代のことを考えると頭が痛い。

 長年こたつなしで冬を乗り切ってきたけれど、この冬の寒さにはお手上げだ。
忘れられていた省エネ温風パイプ『コタツホース』が久々の出番を得た。


                    


 太くて長い蛇腹のホースは部屋の美観を損なうことはなはだしいが、背に腹は替えられない。
リビングのテーブルに大きな布をかけて「にわかごたつ」に仕立てたら、足下からぽかぽかの春の陽気が立ち上がる。
気持ちがよくてついまどろみ、一日の大半を無為に過ごす......だからこたつは嫌なんだって!!                  


                    ★ ★ ★



 マダムHが亡くなって半年が過ぎた。
今でもうっかりマダムHの死を忘れていることがあって...
自分の身の回りで面白い事件が持ち上がったりすると
マダムHに教えてあげなくっちゃ!
真っ先に彼女の顔を思い浮かべることがあり、はたと我に返る自分が情けない。

 
 来盛しているマダムHの姉上たちから「一緒にランチでもいかが?」とのお誘いの電話をいただいた。
姉上たちにとってもマダムHの死は早すぎるし辛すぎることである。
しかし自分の知らない妹のことをもっと知りたいと、盛岡に来ると私のことを思い出し誘ってくださる。
私にとってもマダムHにつながる姉上たちとのおしゃべりは嬉しくもあり心和む時間でもある。
忙しい時間を割いてこのような気遣いをしてくださることがありがたい。

 マダムHは三姉妹。三人とも顔も個性も全然似ているところがなく実に面白い。
今回は母親の【テルさん】も一緒に愉快なひとときを過ごした。

 テルさんは数え年で97歳になったそうだ。
何だかテルさんの歳のとり方が早いような気がするのだが...
「もうすぐ百です。」と嬉しそうに何度も仰っていたから、きっと百歳になることが大きな目標なのだろう。

 いまだに手仕事が大好きで、目が疲れたり肩がこることもないというから羨ましい。
週に2回利用しているディサービスで、みんなのお世話をすることが生き甲斐だというスーパーおばあちゃん。
驚くほど元気でしっかりしている。
でも私のことをすっかり忘れていて「どちらさまでしたか?」と言われちょっとショックだった。
「次にお会いした時私はまた忘れています。その時はまた教えてくださいね。」
現実を素直に肯定した自己分析が出来るテルさんは素晴らしい。

 マダムHが健在だったら、いっしょにテルさんからミニチュアの着物の作り方を教わることになっていたのに。
テルさんにはマダムHのぶんまで頑張って長生きしてほしい。










さようなら 風レディ

2011-06-30 11:33:00 | マダムH
 昨年秋より病気療養中だったHUZUさんの容態が急変し、本日未明お亡くなりになりました。

 HUZUさんは私の30年来の友人であり、またよきブログ仲間でもありました。

 50歳過ぎてから何を思ったのか突然バイクの免許を取得しました。
スリムなボディに革ジャンをまとい、ロングヘアーをなびかせてハーレーにまたがってやってくるという、とてもかっこいいおばさんでした。

 語学系の女性でもありました。
しかし一人で入学するのは恥ずかしかったのでしょう。必ず私を誘いました。
私が断ることが出来ない性格であることを見抜いていたのかもしれません。
彼女と一緒に英語教室に3年通い、彼女が止めた中国語教室には、もう10年も通っています。
最近では彼女は、韓国語教室に通っていました。
韓国語スピーチコンテストで入賞したと喜んでいたことがありました。

 常に元気いっぱいで行動的。
ひとつところに留まらぬ風のような女性でした。
だからブログタイトルも【風のハーモニー

 カテゴリーに[マダムH]を追加しました。
記事を読み返してみたら、私はこの年下の友人にいつも大切にされ、しかも導かれていたことに気がつきました。
私以外にも
「彼女亡き後、一体どうしたらよいのだろう?」
と途方に暮れている友人たちがいました。
それほどHUZUさんは頼りになる大きな存在だったのです。

 60歳と2ヶ月の早すぎる死でしたが、ご家族や友人達に見守られ、静かにとわの眠りにつかれました。
安らかなご冥福を心からお祈り申し上げます。






捨てる前のひと工夫

2010-06-24 11:15:00 | マダムH
 WCサッカー、ウィンブルドンテニスのテレビ観戦疲れの方々も多いことだろう。
我がベッドサイド脇のアナログテレビは、朝までずっと電源onになっている。
でもなぜか何ひとつ記憶には残っていない。
明朝の日本VSデンマーク戦はどうしよう?
早寝早起きして見る! おそらくこれが一番よい方法だろう。


          ☆
 

 急に暑くなってきたので夏物衣類を整理した。
くたびれたTシャツがたくさん出てきたので、捨てる前のひと工夫に挑戦!



             


 右の方の幾何学模様のTシャツは、もうすっかり型がくずれてしまった。
たったひと夏の短い命の安物だったが、この柄と色合いが使えそう。
濃い紫色のTシャツと合体させてチュニックにしてみようと考えた。


             



 ほら、あっという間にお洒落なシャツに生まれ変わった!
中高年にとっては、チュニックは体型を隠す絶好のアイテム。
結構満足の出来栄え、後2・3年は着られそうだ。



             


 これは以前通っていたフィットネスクラブ・カーブスのTシャツ。
左胸の白いロゴマークが気になる。
裾をほどき、袖をフレンチスリーブ風にカットしてジグザグミシンをかけてみたら、それだけでもかなりソフトな感じになった。
でもロゴマークを隠すよいアイディアが浮かばない。

 ちょうどそこへH嬢が仕事の合間の一服(さぼり)にやってきた。
センス抜群の彼女の意見を聞いてみることにした。
彼女曰く
ロゴマークだけを隠そうとするからアイディアが平凡になるのよ!
ああ、なるほど!
その一言で彼女が何を言わんとしているか、何をなすべきかが突然ひらめいた。


  
             


 お気に入りの端布を5枚並べてステッチしてみた。
なんてことはないのだが、なかなか画期的なデザインではないだろうか?
私ひとりの古びた頭脳では絶対に思いつかなかった。
...隠そうとするのではなく変えようとする...
なんと含蓄のある言葉。
これこそがリフォームの神髄、いや、この世の真理にも通ずるのでは?


 毎年夏には数枚のTシャツを新調していたが、今年はその必要がなくなった。
なんと楽しいエコ生活
ゲゲゲのnihaoの耐乏生活は続く.......

 


新老人

2010-05-20 11:10:00 | マダムH
 H嬢から盛岡パイロットクラブ主催『日野原重明講演会』のチケットを戴いた。

まず素朴な疑問。パイロットクラブってなんだろう?
H嬢ったら...オートバイの免許だけでは飽きたらず、ついに飛行機の操縦免許まで取得しようとしているのかと驚いたが
実は【パイロットクラブ】とは、自立した女性たちが中心となって組織している世界的なボランティア団体だった。
パイロットには水先案内人という意味があるらしい。


 第二の疑問。【日野原重明さん】って一体どんな人だろう?


                   



 日野原さんは医師で、現在は聖路加国際病院理事長。
臨床医の傍ら執筆や講演活動などで活躍されている日本で一番元気で多忙な98歳
著書は一般向けだけでも200冊を超えていて、日本最高齢のベストセラー作家でもあられる。
たまたまよど号に搭乗していて、ハイジャック事件に遭遇した希有な体験をされている。
また、周囲の反対を押し切って、大災害や戦争などの大量被災者発生時にも機能出来る広大なロビーを備えた聖路加国際病院の新病棟を建設したが、この備えが地下鉄サリン事件の犠牲者を最小限に抑えることに貢献した。
『生活習慣病』とは日野原さんが生み出した言葉であるし、音楽療法の普及にも取り組まれている。

 98歳のご老人の講演会? 凄い!
会場のグランドホテルは、日本の宝・日野原先生をひと目見ようという人々で大混雑。
駐車場が足りなくなって、私は遠くの仮設駐車場からシャトルバスで会場に向かった。
このホテルがこんなに賑わったのを見たのは初めてだ。

 身近に98歳の高齢者の知り合いなどいないから、私もはたしてどんなお話が聞けるのだろうと興味津々。
たいていの高齢者は自分の自慢話とか思い出話しかしないものだが......
でも日野原さんは並の高齢者ではない。
ステージを縦横無尽に動き回り、スクリーンや統計資料を活用し、時々思い出したように分かりやすいジョークを発しながら、『あなたの人生にいのちの輝きを』の演題を、大学の講義のような感じで整然と語ってくださった。
滑舌もしっかりしているし声も若い。表情も豊かだ。70歳くらいにしか見えない。
お話の内容に目新しさは感じなかったが、日野原さんの存在そのものの大きさに圧倒された。


講演会後帰宅し、ももちゃんと散歩。
その途中でご近所の奥様と立ち話をしたのだが......私、またまたビックリ!

 ちょっと恥ずかしそうにしながら、その奥様が仰るのには
私、やっと運転免許を取ったのよ
...え~っ、この奥様70歳を過ぎているのよ!

 70歳と言えばそろそろ免許を返上する年齢だと思うのだが、脳梗塞で半身不随となったご主人のために一念発起したそうだ。
若い頃から運転免許を取りたいと考えていたが、ずっと家族に反対されてきた。
今回は全面的な協力を得ることが出来たらしい。
学科対策の方が大変で、毎夜少しずつコツコツと勉強して一発で合格したと言う。
『新老人運動』を提唱されている日野原さんのお話を聞いたばかりだったので
「子どもたちばかりを当てにすることは出来ないもの」
と語る奥様の、その強さ、賢さ、勇気に驚き、私は言葉もなくポカ~ンと口を開けたままだった。

 
 



綾戸智恵in盛岡

2009-12-20 12:00:00 | マダムH
 思いがけず『CHIE AYADO TOUR 2009ー10』のチケットを戴いた。
母親の介護で活動休止していた綾戸智恵さんの一年数ヶ月ぶりのコンサート・ツアーである。

 18日(金)の午後3時過ぎに、チケットが2枚あるから行かないかと突然H嬢から電話が入った。
このペア・チケット、実は懸賞生活が大好きなK嬢が当てたものなのだが、風邪をひいてしまって体調がすぐれず行けそうにないという。
H嬢も仕事が忙しくて無理だというので、二人を経由して私が幸運を手にした。
正規の価格で買うと一枚7000円するらしい。
開演まで3時間を切っているので私も慌てて支度をした。

 以前から「綾戸智恵のライブに行きたい」とM嬢が言っていたのを思い出し、何度も電話したが一向に通じない。
時間がどんどん迫ってくる......
仕方がない。今回は夫を誘うことにしよう。
しかし奴は綾戸智恵を知っているのだろうか?
「知ってる!知ってる!行く!行く!!」
と凄く嬉しそうな顔をした夫だが、何だか話が噛み合わない。
「携帯電話のCMに出ている可愛い女の子だべ!」
とは......やっぱりねぇ、上戸彩と混同していた。

 当選者に用意されていたのは3階席で、ステージは遙か彼方。
小柄な体で縦横無尽にステージ上を駆け回る綾戸智恵さんの姿は、遠くから眺めるとマリオネットの動きを見ているような感じだったが、パワフルな歌声を楽しむのなら3階席でも充分である。
ジャズ、シャンソン、クリスマスソングなど素敵な選曲ばかり。
今回は従来のエネルギッシュなイメージを一新して、優しく静かにじっくりと聴衆に語りかける演奏だった。

「我が家のクリスマスは26日です。なぜならケーキが安くなるから.....」
「これからは女優業もやっていきたい。『送られ人』とか.....」

 一曲歌い終わる毎に楽しいお喋りが延々と続く。
自らを『歌う漫談家』と言ってはばからぬ綾戸さんの大阪弁トークは、実に軽妙で愉快だ。

 「介護のために歌を放棄するつもりも、歌のために介護を放棄するつもりもない」
ライブ終了後に打ち明けてくれた介護の実体験のお話がとても印象的だった。
介護と演奏活動を両立する難しさを全く感じさせない綾戸智恵さんは、元気いっぱいのおばはんだった。
 




ねぶたの里へ

2009-08-06 11:15:00 | マダムH
 東北地方は夏祭り本番。

 H嬢がやってきて
たちねぶたが凄いらしいわよ!
と気になるひとことを残して帰って行った。
彼女のオススメ情報に外れはない。
さっそくネットで調べて青森・五所川原に『立佞武多(たちねぶた)』見学へ。

 まだ明るいうちに着いたので、先ずは岩木山麓の嶽(だけ)高原のトウモロコシ売り場へ直行した。
お盆過ぎ頃から沿道にずらっと並ぶ嶽キミ売りのテントは、岩木山の夏の風物詩だが、昨日店開きしていたのは数軒だけだった。

               



 トウモロコシは、1本ずつラップにくるんで電子レンジでチンするのが、甘みや旨味を逃さずに一番美味しく食べる方法。
嶽のトウモロコシは大変美味だ。

 五所川原に行く前に、弘前市の郷土文学館に立ち寄った。
弘前は、太宰治、石坂洋次郎をはじめとして、葛西善蔵、高木彬光、佐藤紅緑(佐藤ハチローの父)など、多くの文人を輩出している町だ。
ここで夫が、なんと、なんと!
近代くずし字解読の成果を発揮して、太宰が友人に宛てて書いた手紙の現代語訳のミスを発見。参照→【近代くずし字への誘い
さりげなく学芸員嬢の側に行って注意していたが、はたしてどのように思われただろうか?
指摘されてみれば私でも判るミス。
太宰生誕百年記念に味噌がつくので、これは早く直した方がよいと思う。


 さて暗くなり始めたので五所川原市の『たちねぶた』会場へ。
たちねぶたは、明治中期から大正初期にかけて行われていたものを、平成8年に1枚の写真を元に有志たちが「立佞武多プロジェクト」を立ち上げ、平成10年に市民の祭りとして復元させたという。
青森や弘前のねぶたとの違いは、その圧倒的な高さにある。
7階建てのビルに匹敵する高さ22メートル、総重量16トンのたちねぶたが大勢の若者たちに曳かれていく姿は勇壮で、近年多くの観光客を魅了している。
ヤッテマレ!ヤッテマレ!(やってしまえ!)」のかけ声を一緒になって唱えると、ストレスが発散されて元気いっぱいになってくる。
まさに天空に昇る火柱のごとき真夏の夜のファンタジー。


            

           



 ところで、ねぶたのシーズンの割には高速道路が空いているなあと不思議に思っていたら、その理由が今朝判明して地団駄踏んだ。
ETCの夏休み特別割引(千円)が本日から4日間にわたって開始されるという.......
しまった! これが本当の後の祭り!

アゲ嬢の北上川ボート下り

2009-07-27 09:50:00 | マダムH
 





 昨日、盛岡を代表する夏の風物詩のひとつ『北上川ゴムボート川下り大会』第33回が開催された。
市内を流れる北上川の四十四田ダム~南大橋間の11kmを、タイムレース、団体レース、フリーレース、パフォーマンスの4部門に分けて行なわれる2人1組乗艇のゴムボートレース。
橋の上から見るよりは参加する方が絶対に楽しそうなスポーツだ。
今年の参加ボート数は1128、ギネス記録に認定される見通しとなったという。

 この大会、実はまだ一度も見たことがなかったのだが、先日友人H嬢がやってきてパフォーマンス部門に参加すると言うので、それならばと応援と冷やかしがてら出かけてみることにした。
当日は時折日が差す程度の曇り空、川辺は涼しい風が吹きわたり絶好のボート日和となった。
数日来降り続いた雨で北上川は水位が上がり濁流と化し、ゴムボートのスピードは一段と増していたが........

 
            


 これはまた、どちらのキャバクラ嬢の登場かと思いきや........
なんとH嬢と彼女のバイク仲間による派手なパフォーマンス・アゲ嬢!
一応写真掲載の許可は得たが、ふたりのあまりにも妖艶な姿に嫉妬した私は、思わず顔にエアブラシを施してしまった。
彼女たちは、この悩殺スタイルでみんなの度肝を抜き、心中ひそかにパフォーマンス部門の一等賞を狙い(取り逃したが)、11㎞におよぶ激流を漕いだのだから、いやはや......なんとも元気で勇敢なおばさんたちだ。

 ちなみにYahoo辞書によると『アゲ嬢』とは
[『小悪魔ageha』という雑誌をよく読むことが名前の由来の若い女性。そのほとんどがキャバクラに勤めていて、収入の大半をブランド物とファッションに費やすのが特徴。ヘアスタイルは巻き髪。トップ部分は逆毛にしてアゲアゲの盛り盛り状態にしている。メイクはしっかりと濃いめに行い、特に目に力を入れている派手めの女子]のこと。

 H嬢も早起きして頑張って、トップ部分に逆毛を立てて膨らませ、ハードスプレーでガッチリ固め、長~いつけまつげで変身してゴムボートに乗り込んだのだが.......哀れボートは途中で転覆。
ずぶ濡れになってしまったらしい。
ゴール200メートル手前の川端で見学していた私は、H嬢の方から声をかけられるまで全然気がつかなかった。
この時点では彼女の姿は『アゲ嬢』というよりは『サゲ嬢』になっていた。


          

 
 ボートの流れる速度が速くて、一生懸命追いかけながら撮影したのだが、後ろ姿しか撮れなかった。
闘う女たちの背中には、哀愁と疲労感が滲み出ていると思わないか?





町家の雛遊び

2009-04-13 09:30:00 | マダムH
 城下町の見知らぬ横町はワンダーゾーン。
切り取られた時間と秘めやかに淀んだ空気のなか
置き去りにされた記憶と郷愁が棲みつくと人は言う........
いまだ古い町並みを残す盛岡市鉈屋(なたや)町
旧暦の雛祭りのイベントがあるというので出かけてきた。


     
 

 通りを歩いてすぐ目に入った景色が、平成の水百選に選ばれた湧水『大慈清水』
四つの井戸が並んでいて、一番上の井戸から食料水、米研ぎ、野菜・食器洗い、洗濯の用途で利用する。
藩政時代からの伝統的な水利用を、いまだに地域の人たちが守り継承しているというから驚いた。

 盛岡町家の『旧暦の雛祭り』は、昔ながらの町の良さを知ってもらおうと、市民団体の「盛岡まち並み塾」が開催している。今年で第六回。
会場となる町家では、美しい和服を着た......あっ、いや、和服を着た美しいボランティアのご婦人たちが、親切に案内や説明をしてくれた。


   


 お雛様との出会いには心弾む喜びがあるが、今年は会場の一角に、友人H嬢の母上・テルさんの手仕事のコーナーがあるという楽しみも重なった。
布に囲まれ、針を持っている時が一番幸せというテルさんは、なんと70歳を過ぎてからパッチワークを習い、これらのミニチュアの着物や丹前や布団を作り始めたという。
多くの人々が彼女のコーナーを訪れては、感嘆の声を上げていた。
それもその筈、驚くほど丁寧で精巧な作品ばかり。








 92歳という高齢のご婦人のどこに、このようなエネルギーがあるのだろう?
丈夫で病気ひとつしたことがないし、愚痴や他人の悪口を聞かされたこともないとH嬢は言う。
確かに.......たまにお会いしても、友人の母上というよりは、歳の離れたお友達のような気やすさで心地よい。
テルさんもまた、若い人と話をするのが大好きだと言ってはばからない。
いつまでお喋りしていても話題は尽きず、その盛岡弁には味わいがあるし、気前よく古い端布を回してくれるのもありがたい。
なによりも、余生をまっすぐ見据えて楽しんでいる素敵な人生の先輩だ。

 「私は92でがんす!」 
テルさんは、誰にでも何度でも自分の年齢を自慢する。
92歳まで歩んできた自分の歴史と、まだまだ手仕事を続けたいという意欲を誇りにしているんだな、きっと。
人はある一定の年齢に達すると、年齢が勲章になるらしい。
『あら還』でうろたえている私は見苦しい。

 「どうかお元気でよいお仕事をしてください。」
と祈りつつ帰途についた。



記憶の総天然色

2009-01-26 11:00:00 | マダムH
花巻市にある『るんびにい美術館』は、知的障害者の美術作品を展示する県内初の施設として平成19年にオープンした。
H嬢によると、現在開催中の企画展が面白いと言う。
 『木伏大助 ~記憶の総天然色~ 』
 
木伏さんは1969年生まれの40歳。
1950年から1960年代を中心としたB級映画のポスターを描き続けている画家。
驚くことにそのおびただしい数の作品のすべてが、幼い頃、近所の映画館の前で見かけた看板やポスターを、模写ではなく本人の記憶のみで再現して描かれていることだ。
美術館内は当然ながら撮影禁止。
でも作品を紹介したいという私の気持ちは揺るぎなく、会場に用意されていた美術雑誌からの撮影と、ネット上のよそ様の頁から拝借した写真を使用した。


 





 東映、大映、東宝、日活.....映画産業華やかなりし頃の記憶が甦り、見る者を元気にさせてくれる作品ばかりだが、ご本人はこれらの映画を1本も見たことはないという。
作者の興味・関心は、一途にポスターの造形を再現することに向かった。
木伏大助さんは、その体内のいずこかに高性能のバックアップ機能を備えているとしか言いようがない。
しかもデータは、いつ何時でも自由に取り出して復元できるという。
キャッチコピーや配役・スタッフの氏名、全体のレイアウトや字体、映倫番号にいたるまで正確に記憶しているのだ。
何年経ても決して色褪せることなく失われることもない記憶。
この神秘的な能力とひたむきな表現への姿勢に驚嘆するとともに、作品の持つ楽しさ、力強さ、懐かしさ、温かさに心引かれた。

 ところで知的障害者の美術作品を、ボーダレスアートとかアウトサイダーアートと呼ぶことを今回初めて知った。

 ボーダレスアートとは、障害のある人の表現活動を一般のアーティストの作品と並べて展示することで、「障害者と健常者」「アートと地域社会」など、様々なボーダー(境界)を超えていくという試みで運営されているらしい。
アウトサイダーアートとは、芸術の伝統的な訓練を受けていなくて、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向・モードに一切とらわれることなく自然に表現した作品のことをいうらしい。(by wiki)

私自身はインサイダー主婦からはみ出したくてうずうずしているところがあるので、アウトサイダーという言葉に対する抵抗は全くない。
しかし障害のある人の芸術活動をアウトサイダーと分類するのは、差別的な雰囲気を感じるし......何かちょっと違うのではないだろうかとふと疑問を持ったのだが

 いや木伏大助さん、その表現への切実な思いと強烈なエネルギー。
アートは、独立した作品として存在し評価されるべきだ。
まさに凄絶な魂で内に向かうアウトサイダーアーティストだと思う。