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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

韓流・華流

2009-02-26 11:00:00 | Weblog
 さて本日はビデオ鑑賞の日にしようと決めたなら、先ずはリモコン......ではなく、はりきって家中を掃除する。
来客の時よりも時間をかけて丁寧にやる。
雑巾がけまでする。花を飾る時もある。

 映画を見るときのこだわり
部屋の中がきれいに片付いていること
夫が横にいないこと
散らかっていたり夫がいると集中出来ないし、映画に敬意を表したい。
映画を見る時間と空間は大切にしたいと思っている。


       

 (ほら、きれいに片付いたでしょ?)

 掃除が習慣になっていないのを暴露するのは恥ずかしいが、掃除って普通は毎日するものなのだろうか?
昔は毎日やっていたけれど、年々間隔が開いていく。
アトピー性皮膚炎の息子が出て行ってからは、清潔をモットーとしなくてもよくなったのでいよいよ掃除が遠のいている。
ああ、これではいけない!
毎日ビデオ鑑賞日にしたり、読書にも敬意を表することにしなくては!

 本日は現代中国映画2本。
再見】と【胡同のひまわり

 邦画やハリウッド映画も面白いが、中国映画の泥臭さ(?....うまく説明できない)もなかなか捨てがたい味がある。
特に文化大革命を背景にした現代映画に興味を惹かれる。

 【再見】は生き別れた四人の孤児たちが20年ぶりに再会する物語。
子役たちの演技がすばらしく、涙を誘う。
【胡同のひまわり】は、自分の叶わなかった願いを息子に託し厳しい躾をする父親と、それに強く反発しながらも父を乗り越えることができない息子の苦悩が描かれている作品。
去年原作を読んで優れた小説だと思ったが、映画の方も原作に負けてはいなかった。

 さて、この2本の映画は私を十分に楽しませてくれたので、暇そうにしている夫にも勧めてみた。
夫は韓流、私は華流。双方譲れない趣味なのだが.......。
自室に籠もって10分、ついに夫がでかい声で叫んだ。

 「おい!な~んも面白くねえ映画だな!!



年寄りの冷や水

2009-02-24 11:00:00 | Weblog
夫の現在の職場での休日は、一日おきであったり、四日間続けて休みであったりととても不規則だ。
この中途半端な勤務状況が労働意欲に水を差すのはあきらかだ。
小学生みたいにカレンダーに○(休日)と×(出勤日)の記号で印をつけているので、夫の気持ちが手に取るようにわかる。

 ○日を待ちわびる夫、×日を待ちわびる妻。
両者の思いが重なることはない。
「明日、有休」 妻の舌打ち 気のせいか (byサラリーマン川柳)

夫が休日をどう過ごすかは、夫の問題で妻の問題ではないと考えることが出来たらどんなに楽だろう。
第二の人生では、金銭管理のビジョンを持つことが大切だが、それ以上に、長い休日をふたりで乗り越えるビジョンが重要になってくる。
仲良き夫婦はそれらしく、悪しき夫婦もそれなりに.......だ。
 
 いっしょにいる時間が多くなると、互いの欠点がより際立ち、より疎ましくなってくるのも大きな特色である。 

 出かけたがり屋の夫のお供をして一年。
外出に伴い外食の機会も当然多くなった。
先日立ち寄ったお蕎麦屋さん、予想外の味に驚き
「とても美味しかったです。ありがとうございました。」
と店主に礼を言ったら
「おい!恥ずかしいからいちいちそんなこと言うな!!」
夫が文句をつけてきた。

 私は時々、この種の評価を口にせずにはいられなくなる。
飲食店ばかりではなく、美術館や博物館では
「大変素晴らしい展示を見せていただき勉強になりました。」
温泉では
「結構なお湯でした、近ければ毎日入りに来るのですが......」
なんて平気で言ってしまうので、シャイな岩手県人の夫は、傍で聞いていてきまりが悪くなるらしい。

 評価が低い時も、もちろん黙ってはいられない。
飲食店では、きちんと支払いを済ませた後に
「老舗の有名店と聞いて来ましたが、ちょっと期待外れでした。」
美術館や博物館では
「照明が暗くて資料が読めなかったですよ。」
などとはっきり言うのでハラハラするらしい。

 お世辞や文句を言いたい訳ではないのだが、ごく自然に言葉が口をついて出てきてしまう。
年を重ねるごとに顕著になっていることも自覚している。
この性癖がエスカレートすると『年寄りの冷や水』になるのかも。
私の素直な言葉の発露が、同行する夫を困らせているとは知らなかった。 

 了解!少しは慎ましくしてやる!
 でも嫌ならひとりで出かけろよ!



ああ、雪国

2009-02-20 20:10:00 | Weblog
 朝起きたら雪。いやな感じの降り方。
積もりそうだなと思う間もなく一面の深雪に。





 さて、ここまでするのは実に大変だった。
雪かきは、降り止んだ後一気にやって一回の作業で済ませる方法と、数時間毎に何回もやって軽作業で済ませる方法との二通りがあるが......
どちらが楽かという話ではない。なぜならどちらも楽ではない。
どちらが好きかという話でもない。なぜならどちらも大嫌い。

 心臓病で雪かき禁止令の出ている夫と腰痛警報中の妻の巨頭会談。

夫「三日もすれば融けるから無理してやることはないと思う。」
妻「昼までに50㎝は積もります。もっと建設的な提案をするように。」
夫「今回私は免除してください」
妻「そ、そうはいきません。これは我が家の一大事です。」
夫「でも、どちらのお宅も奥様がひとりで頑張っていますよ。」
妻「.......ウ、ウチはふたりでやっと半人前です!」
夫「では死んでもよいというならやりましょう。」
妻「その脅し文句は聞き飽きました!」

 午前中の雪はさらさらと軽かった。
シャベルから風花のように儚く舞い落ちて、すくってもすくってもはかどらない。
雪は一向に降り止まないし、夫は時々苦しそうに心臓を押さえながら、私の作業に口だしばかりする。
時々疑問に思うのだが、スキーや釣りが平気な夫への『雪かき禁止令』って、いったい誰が出したのだろう?
本当にそんな禁止令が存在するのだろうか?
もしかしたら「雪かきは男子の仕事だ」と、長年夫だけに押しつけて楽をしてきた私への復讐ではないだろうかと勘ぐっているのだが。

 お向かいに住む奥様も、左隣に住む奥様も、推定年齢80歳なのに雪かきが大変お上手だ。
ふたりとも見ていて気持ちの良くなる仕事ぶりで、敷地のすべてからきれいに雪を排除している。
右隣の奥様もひとりで黙々と奮闘して、乗用車4台分の駐車場を確保している。

 無精な我らは歩く道筋を描いたのみ。
車は雪が融けるまで乗らないことにした。
一番遅く出てきて一番早く引っ込むのが一番若い我らである。






おろおろ歩き......

2009-02-18 11:10:00 | Weblog
我が家は昨年6月地デジの準備を完了したが、せっかくのハイビジョンテレビの利点・効能を享受する機会に恵まれていたとは言えない(操作・理解が困難だったと言った方が早い)
今でもテレビのリモコンを手にすると緊張してふるえる......

 先日弟が遊びにきて我が家のテレビを目にして帰宅した後、さっそく買い換えたという電話があった。
「ハイビジョンの番組を見始めると、今まで、代わり映えしない類型的な番組ばかり供給されていたことがよくわかるね。」
と言っていたが.......私が最近やっとわかったことを、弟はすぐ感じたと言うのだろうか?

 私のお気に入りは、旅・動物・クラシック音楽番組満載のNHKハイビジョンチャンネルだ。
現時点ではどの局も、視聴率戦線に全く頓着しないスタンスで番組を制作している点が好ましいが、2年後に地デジ化された後はどうなるだろう?
なんとなく予想がつくので今のうちにいっぱい楽しんでおこう。
 
 最近はテレビでよく映画を見る。
朝刊がきたら、赤ペンを持ってすべての映画番組をチェックする。
何度も見ている古い映画が多いが、忘れているので充分楽しめる。
数日前に見た名匠ウイリアム・ワイラー監督の『女相続人』は面白かった。
私が生まれた頃の作品なので白黒映画。
内気で器量が悪く良縁に恵まれない娘が、自分を裏切った父親と男に復讐をするという筋書きだが、復讐を誓ってからの娘が毅然として強くなる。
途端に美しく見えてくるから驚きだ。
  
 テレビ映画だけではもの足りず、レンタルビデオショップにも出かけるようになった。
ああ、ところが.....数年前までは、借りたい作品をすぐ見つけることが出来たのに.....今は全然見つけることができず、ただおろおろと店内を歩き回っているだけ。
pancoさんオススメの【パンズ・ラビリンス】を借りようと出かけた時は、ショップについた途端にタイトル名をど忘れしてしまって、泣く泣く家に戻り翌日気合いを入れて出直す羽目となった。

 ビデオショップばかりか、最近はデパートでもスーパーでも欲しいものをすぐ見つけることができなくて苦労する。
書店・CDショップも大の苦手。
行く度に店内の配置が変わっているような気がするのだが......。
探し回っているうちに時間ばかり過ぎていき、そのうち何を探していたのかもあやふやになる。
昔は吸い寄せられるように目的の場所にたどり着くことが可能だったのに、これは一体どうしてなのだろう?

(1)商品が大量に溢れているから?
(2)店舗が巨大化しているから?
(3)店内の配置がよく変わるから?
(4)老眼で商品がよく見えないから?

 えっ? この中には正解がないって? もう一度よく見て!



似て非なるもの

2009-02-16 10:30:00 | グルメ
 2月15日は舅の命日だった。
その前日に、富山に住む夫の妹から名物の『鱒(ます)寿司』が送られてきた。
仏前への供花ではなく、我ら生き仏の方の好物を届けてくれたのはありがたい。
さっそくバレンタイン鱒寿司として美味しく戴いた。

 富山の『ますのすし』は、駅弁の不動の王座の位置を占めて久しい。
白いご飯の上の美しい桜色の鱒、緑色の笹の葉の香りもすがすがしく、デパートやスーパーの駅弁祭りで見かけた時は必ず買ってしまう。
三年前、夫が人事不省で病院に運ばれ生死の境をさ迷っていた時
病院の休憩室で、私と義妹たちの3人で心配と不安のあまり、言葉も見つからず黙々と鱒寿司を食べた一夜があるが.......夫には本当に申し訳ないが、そんな非常事態の時ですら美味しいと思ってしまった。
ああ、ごめんなさい。

 さて、下の写真のどちらが鱒寿司?


  


 答は簡単、言うまでもなく左。右は『ハム寿司』だ。
家庭でもなんとかして鱒寿司が作れないものだろうかと考えていたときに出会った【祖母ログ
ためしに作ってみたところ、味はハムだが結構雰囲気が出ている。
以来時々作っているが、このようなものを「似て非なるもの」と言うのだろう。

 暮らしの中には、似て非なるものがたくさん溢れている。
国産牛と輸入牛、国産鰻と中国産鰻などは見かけの区別は出来ないが、価格の違いが歴然としているので産地偽装に悪用される。
日本のカレーとインドのカレーは大違いだし、ピロシキとカレーパンも似て非なる。

 松田聖子と野田聖子、ずうとるびとビートルズの区別はつくが、金田一京助と金田一耕助、木村拓哉と木村拓也(野球選手)、マネとモネとなると.......どうだろう?

 漢字にも似て非なるものがたくさんあって、うっかり間違うととんでもない事件になるから要注意だ。
ずっと昔に読んだ本(作者・タイトルとも失念)の後書きで、作者が
「個人的な事情のせいで作品の完成が遅れた」と書き記した筈なのに、
「個人的な情事のせいで作品の完成が遅れた」と誤植・出版されて大あわてしたらしいが、これは笑えない.......いや大笑いだ。

 我がブログ仲間の又三郎さんの記事にコメントをしようとした時
「またさぶろう」が変換されなくて不思議に思ったら「またさぼろう」と入力していた。
さて、これは似て非なる言葉のいたずらだろうか?それとも??



流しの下には.........

2009-02-13 11:00:00 | おすすめ記事
         


 『流しのしたの骨』 江國香織 1996年 マガジンハウス

 毎度古い本のレビューばかりで恐縮だが、ブックオフのご都合読者にしてミステリー志向の私は、江國香織の作品に出会うことなど滅多にない。
江國作品としては、これは『冷静と情熱の間』に次ぐ二冊目になる。

 ちょっと風変わりなおかしな家族の物語。
一般的な感覚で捉えると、家族全員がなんらかの病理を抱えた問題人間のような気がする。
長女の離婚、次女の不倫、ニートの三女、長男の中学校停学事件とか、尋常ではない問題が続出するにもかかわらず、家族間のなかでそれが一向に問題として浮上しないところが面白い。
自分と自分の家族を比較して読むと、ついついため息が出る。

 例えば長女の離婚話。我が家の場合なら.......

「ちょっとぉ!離婚されておめおめ実家に帰ってくるなんて何やってんのよ!せっかくいい旦那見つけたのに......あんたみたく料理下手、金遣いは荒い、旦那の世話もせず好き勝手放題していたらいずれこうなるのは当然よ!馬鹿!しっかり反省して早く次の旦那見つけてきなさい!」
と、絶叫と感嘆符だらけのひと騒動になることは間違いない。

 しかし江國作品は.......

「食事はなごやかにすすんだ。そよちゃんには誰もおめでとうとは言わなかったけれど、そよちゃんがそこにいることを、誰もが喜んでいた。家族が再び揃ったことの、単純な喜びと幸福なあたたかさのようなもの。....(略).....父はワインをおいしそうに飲んでいた......」

 鼻息を荒げず、汗もかかず、恨みや怒りの感情とも無縁で、体臭のようなものが全く感じられない家族たちだが、ひとりひとりの存在感は不思議と強烈で印象深い。
熱狂的なファンがたくさんいる江國作品の世界を、ちょっとだけ垣間見せてもらった。

 ところでタイトルの『流しのしたの骨』が気になる。
流しの下には、なにか得体の知れないものが死んでいたり、湿気と悪臭と暗闇を栄養にした怪物が、静かに育ったりしているのではないだろうか?





 写真は、我が家の『流しの下のじゃが芋
忘れていたのか忘れているふりをしていたのか定かではない。
いやなもの、見たくないものはみんな流しの下に押し込めばいいさ。
でも時々取り出して確認しなければならないという教訓。



我ら大家!

2009-02-11 00:15:00 | Weblog
 例えば 【nihaoは大家である!】
と書いたら、この場合の「大家」の読みと意味の正解は?

おおや (貸家・アパートの持ち主)
たいか (すぐれた学識や技術をもっている人)
たいけ (家柄の立派な家、資産家)

 回答はもちろん②か③に集中すると予想されるが???
正解は①。 このような漢字を同形異語と言う。
出店(しゅってん・でみせ)大事(だいじ・おおごと)上手(じょうず・かみて・うわて)などが例として挙げられる。

 と言うことで、ずっと空き家になっていた爺爺・婆婆の家の借り手がようやく決まり、生まれて初めて大家になった我ら。
いきなり別の人種になったようで照れくさい。

 爺爺・婆婆の家は古いがまだまだしっかりしているので、このまま空き家にしておくのは忍びがたかった。
しかし大金をはたいてリフォームまでして貸すとなると大ごとだ。
不動産屋に相談して現状のままで住んでくれる借り手を探していた。
5K・庭つき・バス停3分・乗用車2台駐車可・トイレと風呂は新型だし、ペットは何でもOKよ!の好条件。
家賃は不動産屋に査定してもらったが、敷金だの礼金だのの面倒なものは一切取らないことにした。
その月の家賃さえあればすぐにでも越してこられる。

 「貸し手がレベルを下げたら、借り手もレベルが下がるのよ!」
とは親切な友人の忠告だが.........。
そこは貧乏人に優しい、貧乏人我らの清く正しく美しい性(さが)なのだ。
しかし都会ならばさぞかし借り手が殺到するだろうが、全然需要がないのが田舎。
たまに冷やかしに来る人は、本当に家賃が払えるのかと疑問を抱かせるような人ばかりだった。

 さて我らが店子第一号は、30代の女性とその婚約者。
女性には小学生の子どもが二人いる。
なにか事情がありそうだが、爺爺・婆婆が守り夫や妹たちが育ったあの家で、明るく元気に幸せに暮らして欲しいと切に祈る。
.....ついでにお家賃も滞りなくと祈っておこう。

 しかし現状のままの入居とは言っても3年間無人だった家屋。
水回りや給湯器などの故障を修理したら、費用が結構かかって慌てた。
しまった!礼金取るんだったと........後悔先に立たずって本当ね。


雨ニモマケズ

2009-02-09 12:10:00 | Weblog
 宮沢賢治の雨ニモマケズは、誰でも一度は口ずさんだことがある国民的名詩だ。
難解な作風の賢治の詩の中では、これは平明な表現なので老若男女誰からも広く愛されている。

 2月7日土曜日に、宮沢賢治の生誕地花巻市で【雨ニモマケズ朗読全国大会】が開催された。
この種のイベントにはなぜか燃えるnihao。
「オレ、全然興味ねえ!」
夫からはあっさりと拒否されたのでひとりで出かけた。


        


 今年は第2回目の開催。出場者は42人(42組)
午前中に予選が行われ決勝戦は20組で競われた。
遠来の参加者は大阪から。高齢者、幼児の参加者も大変多い。
最年少は2歳の女児で、よく回るお口で暗誦していたのには驚いた。
会場で少年の頃からよく知っているO君とばったり遭遇した。
彼の愛らしいお子さんたちも参加していて無事予選通過。

 朗読の方法は、原作の雰囲気を壊さない程度のアレンジは許可されているらしい。
ヴァイオリンやマンドリン演奏によるBGMあり、中国語や韓国語、エスペラント語の翻訳による朗読あり、グループによる群読あり、仮装やラップで盛り上げる者ありと多種多様なスタイルがあって楽しさ満点。
40人の参加者がいれば、40編の自分だけの『雨ニモマケズ』の世界がある。
作品に自己投入するあまり、感極まって途中で泣いてしまう人もいた。
『雨ニモマケズ』は実に不思議な力を秘めた作品だ。

        

 優勝は花巻小学校の一年生による群読。
三部構成にアレンジした試みがユニークで力強く、新しい解釈の『雨ニモマケズ』となっていた。
大先輩の賢治さんの詩の世界を一生懸命表現する児童たちの姿は、会場の聴衆の心を揺さぶった。
そしてO君のお子さんたちも、みごと3位獲得。
幼いのに作品の読解、表現、発声がよく出来ていた。よかったね。

 昔は私も、好きな詩を見つけてはよく口ずさんでいた時代があった。
宮沢賢治の【永訣の朝】 与謝野晶子の【君死にたもうことなかれ
谷川俊太郎の【二十億光年の孤独】 北原白秋の【落葉松】.......
朗読による選び抜かれた美しい言葉との共鳴は、心突き動かされたり癒されたり、また自分自身を取り戻す力となったことを思い出した。

 さて、あなたのお好きな詩は?


食の匠

2009-02-06 10:00:00 | グルメ
          



 秋田出身の友人から教わった『鯖の飯寿司(いずし)』に着手した。
飯寿司とはご飯と魚・野菜・麹を混ぜて桶に入れ、重石をのせて漬け込み、乳酸発酵させて作るなれずしの一種。
主に北海道から東北地方で、冬季に作られる郷土料理である。


          


 昔は実家の母が冬になると必ず作っていたが、到底私の口に合うようなお子様料理ではなかった。
しかも飯寿司は、ボツリヌス菌の恐怖が常につきまとう。
ボツリヌス菌は、生物兵器として研究開発が行われていたというくらい毒性が非常に強い。
当時冬場になると、新聞やテレビは中毒患者発生のニュースで賑わった。

 『飯寿司』が完成すると、どこの家庭でも愛犬や愛猫が毒見役となる。
ペットが食べて異常なければ、晴れて人間の食卓に並べられるという算段だ。

 我が家にもメリーと言う名のセッター犬がいたが
「メリーが死ななかったから安全よ。さあたくさん召し上がれ!」
なんと傲慢な家族たち!
哀れメリー、喜んで食べる父や兄たちの気がしれなかった。

 しかし半世紀近い時を経て、奇しくも友人から戴いた『鯖の飯寿司』は、目を瞠るほど美味しいものだった。
しかもこの飯寿司は簡単改良バージョンなので、通常一ヶ月の熟成期間が一週間で終了する。
誰でも失敗なしで作ることができる。


   

 
 減塩で仕上げているのでわさび醤油で戴く。
鯖の脂が乗っていてきわめて美味。
一般家庭では今や絶滅の危機に瀕した伝統的郷土料理。
このような料理を作ると、なんだか自分が『食の匠』になったような誇らしい気分になる。

 さて肝心のボツリヌス菌対策だが
毒見役はももちゃん? それとも奴?
そりゃあ.......ももちゃんの寿命は後わずかかもしれないが、鯖の飯寿司で彼女の一生を終わらせてよいものだろうか?

 それに比べて、幸いにも奴は体内にAEDという自動再生装置を有している。
たとえ死んでも生き返るはずだ。ここは当然.......

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(註)ご心配なく。
このレシピは生魚の代わりにひと塩鯖を使用、さらに一晩酢で締めるという用心深さなのでボツリヌス菌の発生はありえないのです。



今さら『東京タワー』

2009-02-04 11:15:00 | 読書




 通い慣れたブックオフにしばし見切りをつけて新店舗開拓、ブックマーケットに出かけてみた。
桐野夏生の『アイムソーリー、ママ』 宮部みゆき『誰か』
そして今さらながらのリリーフランキー『東京タワー ~オカンとボクと時々オトン~ 』などの12冊を仕入れてきた。

 05年発売『東京タワー』は200万部を超えるベストセラーとなったが、ブックオフ党・105円古書派の私は、発売から4年目にしてやっとの巡り会い。
もしかして読んでいないのは私だけ?
残念ながらTVドラマも映画も見る機会を逸していた。
今さら『東京タワー』のレビューをする気はさらさらないが.......

 ああ、しかし、もし......ドラマや映画だけでこの作品世界を知り得たと納得されている方がいるとしたら、ぜひ小説も読んでほしい。
誰もが親であり、親ではない人もかっては子であったはず。
リリーフランキーさんのすばらしい文章が、愛と追憶と悔恨の心の古里への旅に誘ってくれることだろう。
私も久しぶりにコロリと参ってしまった。
 
 昨年相次いで両親の死を看取った友人が
「親の影響を強く受け、ずっと親の呪縛から逃れることが出来なかった。
両親の死で少しは解放されるかと思ったが、一向に心の空虚を埋めることが出来ない。親の死によって、自分が子であった事実からいつまでも抜け出すことが出来そうにない。」
と、いまだに複雑で深刻な胸中を打ち明けてくれた。

 百組の親子がいれば百種類の親子の歴史と形態が存在する。
こればかりは他人が介入することは不可能な世界だが、緊密な関係であればあるほど幸せも多く不幸もまた多いのではないだろうか。
就職や結婚の人生の岐路においても、一切干渉することのなかった我が両親のことを思い出した。

 友人の話を聞きながら考えた。
最近は、生き方よりも死に方の方が気になって仕方がない私。
 ....死ぬ時は親としてではなく子として死にたい....

 人生の最後の一瞬だけ、子に戻ることができたらどんなにいいだろう。