昨日4月29日は『昭和の日』でした。
『天皇誕生日』から『みどりの日』となり、やっと昨年『昭和の日』と制定されたばかりの一番新しい国民の祝日です。
そこで思い切って(?)『昭和の日』的な話題をひとつ。
本棚を整理していたら、茶色く変色した古い雑誌を見つけました。
この雑誌は1960年(昭和35年)の中央公論12月号です。定価は150円。
1960年は、社会党浅沼委員長刺殺事件や、安保闘争初の犠牲者・東大生樺美智子さんが亡くなられた年です。
そして私は、まだまだこの世に生を受けていなかっ........あっ、いたか!
一度読んだ本は惜しげもなくどんどん処分してしまう私ですが、この雑誌だけはなぜか大切に保存していました。
それは.......この雑誌には、国中に一大センセーショナルを巻き起こし、二度と日の目を見ることなく封印された深沢七郎氏の『風流夢譚』という小説が掲載されていたからです。
学生時代に父の本棚で発見し何気なく手にとって読んだところ、腰が抜けるほど読後の衝撃がすさまじく、これは何としても手に入れたいと、かなり強引にねだって自分のものにしたという経緯があります。
いつの日か定価の何百倍の高値になるかも.....という浅ましい根性でした。
深沢七郎氏は、今村昇平監督、緒方拳・坂本スミ子さんが好演してカンヌ映画祭で好評を博した『楢山節考』の原作者です。
飄々とした人柄で土着的な作風の作家でした。
さて『風流夢譚』は、書き手の夢の中で革命が起きて民衆の暴動に巻き込まれた天皇一家が処刑されるという内容の短編で、文体は実にあっけらかんとしているものの大変ショッキングな小説です。
この作品を文学的、時代的、政治的な立場で解釈することは可能ですが、国民的心情として捉えたなら複雑な澱のようなものが残ります。
雑誌が発売されると同時に、皇室への不敬だ、いや言論・表現の自由だとかで、右から左から各方面からと大きな反響が巻き起こりました。
右翼の少年が中央公論社社長宅に押し入り、お手伝いさんが殺されるという事件(嶋中事件)も起きました。
中央公論12月号は回収され、以後『風流夢譚』は幻の小説となりいまだに復刊されていないので、今となっては未回収分のこの雑誌からしか読むことが出来ません。
半世紀ほど過ぎた現在、この雑誌を手元に置いている人間は、はたしてどのくらいいるでしょうか?
戦後文学史の大事件の証拠となる希少本として大事にしてきましたが、しかし......今回ネットで検索してみたら、なんと!封印されているはずの『風流夢譚』が全文流出されておりました。
深沢七郎さんは、自分の書いた作品で死者まで出したことを反省し、絶対に復刊を許可しなかったと言いますから、あの世できっと嘆かれていることでしょう。
私ももちろん嘆いております。
雑誌の埃をきれいにはらって久しぶりに目を通してみました。
小さくまんまるい煙草の灰の焦げ跡をふたつ発見。
いつもくわえ煙草で本を読んでいた父の姿が浮かんできた昭和の日でした。
『天皇誕生日』から『みどりの日』となり、やっと昨年『昭和の日』と制定されたばかりの一番新しい国民の祝日です。
そこで思い切って(?)『昭和の日』的な話題をひとつ。
本棚を整理していたら、茶色く変色した古い雑誌を見つけました。
この雑誌は1960年(昭和35年)の中央公論12月号です。定価は150円。
1960年は、社会党浅沼委員長刺殺事件や、安保闘争初の犠牲者・東大生樺美智子さんが亡くなられた年です。
そして私は、まだまだこの世に生を受けていなかっ........あっ、いたか!
一度読んだ本は惜しげもなくどんどん処分してしまう私ですが、この雑誌だけはなぜか大切に保存していました。
それは.......この雑誌には、国中に一大センセーショナルを巻き起こし、二度と日の目を見ることなく封印された深沢七郎氏の『風流夢譚』という小説が掲載されていたからです。
学生時代に父の本棚で発見し何気なく手にとって読んだところ、腰が抜けるほど読後の衝撃がすさまじく、これは何としても手に入れたいと、かなり強引にねだって自分のものにしたという経緯があります。
いつの日か定価の何百倍の高値になるかも.....という浅ましい根性でした。
深沢七郎氏は、今村昇平監督、緒方拳・坂本スミ子さんが好演してカンヌ映画祭で好評を博した『楢山節考』の原作者です。
飄々とした人柄で土着的な作風の作家でした。
さて『風流夢譚』は、書き手の夢の中で革命が起きて民衆の暴動に巻き込まれた天皇一家が処刑されるという内容の短編で、文体は実にあっけらかんとしているものの大変ショッキングな小説です。
この作品を文学的、時代的、政治的な立場で解釈することは可能ですが、国民的心情として捉えたなら複雑な澱のようなものが残ります。
雑誌が発売されると同時に、皇室への不敬だ、いや言論・表現の自由だとかで、右から左から各方面からと大きな反響が巻き起こりました。
右翼の少年が中央公論社社長宅に押し入り、お手伝いさんが殺されるという事件(嶋中事件)も起きました。
中央公論12月号は回収され、以後『風流夢譚』は幻の小説となりいまだに復刊されていないので、今となっては未回収分のこの雑誌からしか読むことが出来ません。
半世紀ほど過ぎた現在、この雑誌を手元に置いている人間は、はたしてどのくらいいるでしょうか?
戦後文学史の大事件の証拠となる希少本として大事にしてきましたが、しかし......今回ネットで検索してみたら、なんと!封印されているはずの『風流夢譚』が全文流出されておりました。
深沢七郎さんは、自分の書いた作品で死者まで出したことを反省し、絶対に復刊を許可しなかったと言いますから、あの世できっと嘆かれていることでしょう。
私ももちろん嘆いております。
雑誌の埃をきれいにはらって久しぶりに目を通してみました。
小さくまんまるい煙草の灰の焦げ跡をふたつ発見。
いつもくわえ煙草で本を読んでいた父の姿が浮かんできた昭和の日でした。