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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

幻の小説

2008-04-30 10:15:02 | おすすめ記事
 昨日4月29日は『昭和の日』でした。
『天皇誕生日』から『みどりの日』となり、やっと昨年『昭和の日』と制定されたばかりの一番新しい国民の祝日です。
そこで思い切って(?)『昭和の日』的な話題をひとつ。

              

 本棚を整理していたら、茶色く変色した古い雑誌を見つけました。 
この雑誌は1960年(昭和35年)の中央公論12月号です。定価は150円。
1960年は、社会党浅沼委員長刺殺事件や、安保闘争初の犠牲者・東大生樺美智子さんが亡くなられた年です。
そして私は、まだまだこの世に生を受けていなかっ........あっ、いたか!
  
 一度読んだ本は惜しげもなくどんどん処分してしまう私ですが、この雑誌だけはなぜか大切に保存していました。
それは.......この雑誌には、国中に一大センセーショナルを巻き起こし、二度と日の目を見ることなく封印された深沢七郎氏の『風流夢譚』という小説が掲載されていたからです。
学生時代に父の本棚で発見し何気なく手にとって読んだところ、腰が抜けるほど読後の衝撃がすさまじく、これは何としても手に入れたいと、かなり強引にねだって自分のものにしたという経緯があります。
いつの日か定価の何百倍の高値になるかも.....という浅ましい根性でした。
  
 深沢七郎氏は、今村昇平監督、緒方拳・坂本スミ子さんが好演してカンヌ映画祭で好評を博した『楢山節考』の原作者です。
飄々とした人柄で土着的な作風の作家でした。

 さて『風流夢譚』は、書き手の夢の中で革命が起きて民衆の暴動に巻き込まれた天皇一家が処刑されるという内容の短編で、文体は実にあっけらかんとしているものの大変ショッキングな小説です。
この作品を文学的、時代的、政治的な立場で解釈することは可能ですが、国民的心情として捉えたなら複雑な澱のようなものが残ります。
雑誌が発売されると同時に、皇室への不敬だ、いや言論・表現の自由だとかで、右から左から各方面からと大きな反響が巻き起こりました。
右翼の少年が中央公論社社長宅に押し入り、お手伝いさんが殺されるという事件(嶋中事件)も起きました。

 中央公論12月号は回収され、以後『風流夢譚』は幻の小説となりいまだに復刊されていないので、今となっては未回収分のこの雑誌からしか読むことが出来ません。
半世紀ほど過ぎた現在、この雑誌を手元に置いている人間は、はたしてどのくらいいるでしょうか?
戦後文学史の大事件の証拠となる希少本として大事にしてきましたが、しかし......今回ネットで検索してみたら、なんと!封印されているはずの『風流夢譚』が全文流出されておりました。
深沢七郎さんは、自分の書いた作品で死者まで出したことを反省し、絶対に復刊を許可しなかったと言いますから、あの世できっと嘆かれていることでしょう。
私ももちろん嘆いております。

 雑誌の埃をきれいにはらって久しぶりに目を通してみました。
小さくまんまるい煙草の灰の焦げ跡をふたつ発見。
いつもくわえ煙草で本を読んでいた父の姿が浮かんできた昭和の日でした。



キルトの思い出

2008-04-28 09:00:01 | 手仕事
               

 普段使いの小型の手提げバッグです。
布製のバッグは、軽くてとても便利なのでよく利用します。
子どもの通学用のズック入れのような形ですが、中央にファスナーがついているのがミソ。
使い勝手がよかったのでサイズを変えて2個作りました。

 どちらかというと、深い渋めの色合いの作品が好きです。
今まで100個以上(いや、200個以上?)のバッグを製作してきましたが、イメージ通りに完成したことは一度もありません。
いつか自分に100点満点をあげたい!.....と思いながら作っています。

 キルト経験が長くなりキルト展などを見て歩くようになると、好きなキルト作家が増えてきます。
作品を見ただけで作家の名前を言い当てることが出来るようになります。
キルトの本を買う時に作家の名前で買うようになるのは、好きな推理小説を買い求める時と同じです。

 以前横浜在住の娘が、千葉県市川市の病院に入院したことがありました。
市川市は、私にとっても4年間住んでいたことのある懐かしい地です。
市川駅前のビジネスホテルに宿泊しながら、毎日娘の病院に通いましたが、なんと偶然にもホテルの向かいに、当代一の人気キルト作家の斉藤瑶子さんのショップがありました。

 気丈な娘は、べったりとした親の世話などを好むタイプではありません。
「お母さん、もう帰っていいよ!」
と言われたらすぐ素直に病院を後にして、京成電鉄に乗って思い出の場所を訪ね歩いたり、斉藤瑶子さんのお店に出向く毎日でした。
今でこそどこでも簡単に手に入る斉藤さんのオリジナルプリントですが、当時はキルターたちの垂涎の的。
この機会を逸してはいけないとたくさん買い込みました。

 その時に買った生地を、このふたつのバッグに使用しているかどうかはちょっと定かではありません。
でも憧れの作家のデザインの生地に、初めて鋏を入れた時の心浮き立つ気持ちは、今でもしっかりと甦ってきます。




一本桜

2008-04-25 11:30:04 | Weblog
               

 NHKの朝の連続ドラマ『どんど晴れ』で一躍有名になった小岩井農場の一本桜です。ああ、それにしてもお粗末な写真......。
ちょっと曇っていたので、恥ずかしがり屋の相棒の姿が隠れてしまいましたが、本来なら後方に雄大な岩手山を従えています。
こちらをご参考にしてください。【一本桜

 昨年はドラマで話題になったのでたくさんの観光客が訪れましたが、うそという野鳥の食害を被ってあまり花が咲きませんでした。
今年はみごとに咲き誇りました。
しかし小岩井農場の私有地なので立ち入り禁止です。
一般客は、柵の内側から200メートル前方の桜を見物するしかないのですが、大きな背景の中のたった1本の桜の木は、華やかというよりは孤高の雰囲気を醸し出しています。
ある人は寂しいと感じたり、またある人は力強いと感じたり.......一本桜は、おそらく見る人の心を投影する桜ではないかと思います。

 『どんど晴れ』で評判になって以来、今まで無かった駐車場が突然出現し、桜の季節以外でも観光バスがやってくるという一大観光スポットになりました。
この近辺には小岩井農場はもとより、温泉地・美味しいアイスクリームショップ・本格石窯ピザ屋・巨大ガーデニングショップ・本格ロシアンレストランなどが点在しています。
そこで私は、必然的にこの辺りによく出没することになるのですが、いつ来ても一本桜の前に観光客が途絶えている日はありません。
今朝は混雑を避けようと午前8時に到着しましたが、既に駐車場は満杯で、北海道からの修学旅行生の乗った観光バスもやってきていました。

 ドラマ『どんど晴れ』で好演した俳優の東幹久さんが、赤字経営で行き詰まっている岩手競馬のためにCM契約料0円で出演を快諾、岩手競馬の売り上げアップに貢献してくださることになりました。
私は隠れ競馬ファンです。
岩手競馬の未来も、どんど晴れ(めでたし、めでたし!)となって欲しいものです。



北上川舟下り

2008-04-23 11:29:58 | Weblog
           

 数日来の春の陽気で、当地の桜は一気に満開。
「日本のさくら名所100選」に選ばれている北上市展勝地公園にお花見に出かけました。
ここはソメイヨシノやベニヤマザクラなど約1万本の桜が咲き誇っています。
特に北上川沿い約2kmにわたる桜並木が美しく、頭上を覆い尽くす桜のトンネルが圧巻でした。

 はらはらと桜吹雪が舞い散る中を、遊覧船に乗って川下りをしました。
両岸から架けられた3百本の鯉のぼりが、風を孕んで元気に泳いでいました。
川岸の柳の木も新芽が顔を出し始め、そよそよと風に揺れています。

   やはらかに柳あをめる
   北上(きたかみ)の岸辺目に見ゆ
   泣けとごとくに         (石川啄木)

 中学校の国語の時間に初めて啄木の短歌と出会いました。
当時の私の鑑賞眼では
「ふ~ん、啄木って柳を見ても泣きたくなるほど感傷的な青年だったのね。」
との感想しか持てませんでした。
しかし啄木の生地に住み着き、文学や人となりをいくらかなりとも知り得た現在。
生活に困窮し借金を重ね、親戚や知人たちからも愛想を尽かされ
『石を持て追わるるごとくふるさとをいでし悲しみ忘ることなし 』
二度とこの地に戻ることのなかった啄木の出郷の心境が、やっと理解出来るようになりました。

 石川啄木は26歳で夭折しました。
我が家に長男が誕生した時、孫のことになると馬鹿っぷりを発揮した婆婆から
「嫁子さん、この子の美しくて利発な顔立ちは石川啄木にそっくりです!
早死にされては大変だから、気をつけて大切に育ててくださいよ」
との厳重注意を受けました。
とりたてて美しくも利発でもなく育った長男は、今秋晴れて啄木の年齢を追い越します。 .....ああ、よかったね!.....

 当地のI銀行には『宮沢賢治』『石川啄木』という二つの新型定期預金があるそうです。
ローカル色に溢れたネーミングがとてもユニークで面白い。
賢治先生の定期預金は確実に増えていきそうな気がします。
しかし石川啄木の方はどうでしょうか?
なんだか気がつけば無くなっているような........??




【近代くずし字】への誘い

2008-04-21 08:22:02 | Weblog
 私と夫は闇のビジネスの請負人だ。
今回のミッションは、この城下町のどこかに眠っている南部藩埋蔵金の行方を捜し当てること。
手がかりはたった1枚の古文書で、そこに書かれている内容を正確に把握し、埋蔵金に関わる暗号文を解毒...じゃあなかった解読しなくてはならない。
今回の主たる仕事人は夫で、私は優秀な助手として無給で任務についている。
しかしこれは重要機密案件なので、残念ながらこれ以上詳細を述べることは出来ないし、質問も受けつけない。
以下の文書をよく見ていただきたい。

                

 「これが古文書か?」と疑いを抱いた人もいるだろう。
 「私だって読める!」と思った人もいるだろう。
そうか、ばれたか.......。
厳密に言えば古文書とは、江戸時代以前の文書である。
これは明治・大正・昭和の初めの『近代くずし字』というものらしい。
私たちの祖父母の世代は、皆このような手紙をやりとりしていた筈だ。
しかし、これを完璧に読める奴が本当にいるか?
夫も私も読めないぞ!

 ということで、ただ今nihao家は『近代くずし字』にはまっています。
ある日夫が持ってきた1枚の古書を二人で読み下しているうちに、日本語なのに読めないというイライラ感の後に、やがて目が慣れ読める字が増え、パズルの謎を解いていくような面白さを発見したのです。

 しかし旧漢字・旧仮名遣い・漢文調ありの達筆なので正確に読むことは至難の業、書き手の個性や書き癖にも大いに悩まされてしまいます。
文章の前後関係から推測していくことも重要で、読み手の想像力や知性が問題解明の糸口になったり、より混迷を深めたりと全く予測がつきません。
私と夫の基礎学力は、二人でやっと半人前です。

 ある青年詩人の愛のエッセイを読んでいた時......
私は「大版のノートブック」というくずし字を「大股のノートブック」と読んでしまい、夫に馬鹿にされました。ちなみに大版という漢字は原文のままです。
夫の年齢は私よりもいくらか明治・大正に近いのに、口ほどたいしたことはありません。
ひらがなの「そ」のくずし字を、いつまでたっても「いろ」と読みます。
「ミレーの●△■◎」に悩んでいましたが、ミレーとくれば次に続くのは「風景」に決まっているではありませんか!
「おまえ(あんた)は、なんて馬鹿なんだ!」
と、本気で言い争いをしながらの『近代くずし字』の謎解明に、nihao家の春の夜は更けていきます。

                       

 最後に簡単な宿題を出してみましょう。
これは何と読むでしょう?.....私は読めませんでしたが.....


ばっけ定食

2008-04-18 11:35:02 | グルメ
 生前、婆婆がよく言っていました。
「嫁子さん、年金は偶数月に出ますからね。お忘れなく!」
 
 今月は4月です。偶数月です。
ついに人生初の記念すべき年金をいただける日がやってきたと、私はいそいそと銀行に向かいました。
私はもとより夫本人ですら、自分の年金額を知りません。
恐ろしいいような嬉しいような複雑な気持ちで記帳ボタンを押しました。
ところが.......なんと、年金は支給されていませんでした。
なにか我が家にだけ、とんでもないミスが発生したのか?

 慌てて先輩退職者の友人に尋ねたところ、退職初の年金は6月まで支給されないとのことでした。
え~っ、そんなこと聞いていなかった!
今から2ヶ月半も無収入なの?
だいたい......退職前の数ヶ月間、夫は何度も各機関の開催する『退職セミナー』に参加して勉強してきたのにも関わらず、どこからも一番肝心のこと(我が家にとっては)を教えてもらってこなかったのです。

 さて、あてにしていた生活費のめどが立たなくなりました。
この財政危機をどのように乗り越えていこうかと思案していたら、まさに以心伝心のごとく、M嬢が両手に大きなビニール袋ふたつ抱えてやってきました。
袋の中身はもちろんばっけ(蕗のとう)です!
ひと袋は若いばっけ。もうひと袋は花が開いて茎の伸びたばっけです。
本当は別のものの方がありがたかったのですが、仕方ない。
しばらくはサバイバル料理で我慢するか。
前々回に書いた記事【ばっけ研究会】の趣旨が、まさかこんなに早く実現されることになるとは、なんと皮肉なことでしょう。


               


 『ばっけ定食』です。
ばっけのみそ汁、ばっけ味噌、ばっけの天ぷら、ばっけのピリ辛炒め。
都会の高級料亭で『古里定食』としてオーダーしたら、結構な料金をふんだくられるかもしれませんが、食費は豆腐半丁分しかかかっていません。
なにか....動物性蛋白質が不足しているような気がします。
ヤマメかイワナの塩焼きでも添えたら完璧メニューなので、夫にはさっそく川釣りに出かけてもらうことにいたしましょう。

 それにしてもこのメニュー、お金がかからないばかりではなく、ダイエット食としても抗メタボリック食としても優れた利点を備えているのではないでしょうか?

 みなさん、もっとばっけを食べましょう!
 そして『ばっけ研究会』に参加しましょう!


Before&After

2008-04-16 11:00:01 | 手仕事
                

 我が家のガーデニングのBefore→Afterです。
愛嬌のある大きなかえる君が鎮座しています。
実家の庭に置いてあったものを、車で帰った時に貰ってきました。
玄関先や庭先にかえるの置物を飾ると、家人が『無事帰る』という縁起のいいおまじないになるそうです。
2年前に夫が九死に一生を得た後、無事我が家に戻ってこられたのは、まさしくこのかえる君のおかげだったのです。
以来『ケロヨン大明神』とあがめられ、参拝客が後を絶ちません(?)

        
              

 ももちゃんのカット&シャンプーのBefore→Afterです。
カットしたももちゃんは、別の犬種になってしまったかのように変貌します。
みんなに「可愛くなったわね!」と誉められます。
私が美容院でカットしてきても、誰からも気づいてもらえません。
それどころか娘からは
「お母さんほど化粧のBefore・Afterが判然としない人はいないわね!
 化粧って、思いっきり化けるためにするものなのよ!」
と言われます。
そ、そんな........頑張ればホントにももちゃんのように変わる?
お化粧のBefore・Afterは、私の永遠の課題です。


                   


 飲んべえのどん兵衛のBefore→Afterです。
どん兵衛は、毎日葉っぱのお金とお通い帳と酒瓶を持って山から下りてきます。
町にお酒を買いに行くのですが、もちろん姿を変えなければなりません。
.....今日はお坊さまに化けてみるか.....
おやおや、どん兵衛がお坊さまに化けたなら、とても滑稽なメタ坊主です。
首尾よく5合のお酒を買って山に戻っていきましたが......
後姿がたそがれています。

どん兵衛は、私のメモリアルキルトのひとつです。
生前実家の母は、旅先で買い求めた狸の置物をとても大切にしていました。
形見分けの時に全く不人気だったので、もらい手が見つかりませんでした。
現在行方しれずですが、きっとどこかで生きているはず。
引き取ってあげればよかったと反省しながら、母の着物地をキルトして作りました。
我が『哀愁のどん兵衛』です。


       

ばっけ研究会

2008-04-14 09:30:02 | 家族・友人
 M嬢から『ばっけ味噌』を頂戴しました。
当地では「蕗のとう」のことを「ばっけ」と言います。
既に里では、蕗のとうは蕗に向かってまっしぐらですが、M嬢の勤務する山のゴルフ場ではまだまだ旬。
仕事の合間に、せっせとばっけ採りをする彼女の姿が目に浮かびます。

 『ばっけ味噌』のレシピはさまざまですが、我が家では、粗みじんにした蕗のとうを油で炒め、砂糖と味噌を適当に入れて練り込むだけという簡単なものです。
ほろ苦さと春の香り満載の保存食で、ご飯にまぶして食べると格別です。

 それにしてもM嬢の『ばっけ味噌』はすごく美味しい。
私のレシピとは何か違う???
彼女が得意気に説明してくれたところによると....蕗のとうは3日間塩水であく抜きをする。花は捨てて(がく)の部分だけ刻んだものを、さらに一昼夜水に浸してあく抜きをしてから使う....という手の込んだものでした。
この方法で作ると、庶民の味の『ばっけ味噌』が、驚愕の料亭の味に変わります。

 実は数年前、私とM嬢は『ばっけ研究会』を結成しました。
山にも里にも群生していくらでも入手出来る、この魅力的なただ食材
もし上手に利用することが出来たなら、日々の食費はかなり浮きます。
それどころか、この先不透明な我が国の食糧事情。
「飢饉がきても食糧難になっても、私たちだけは生き延びようね!」
という身勝手な動機も、会の結成の原動力のひとつでした。

 毎日大量にばっけを集めては、研究に没頭した私たち。
天ぷら、汁物、佃煮はもとより、薹が立ってしまったばっけも採取し、その茎を茹でて、きんぴらや炒め物やピクルスにしました。
美味しいものもありましたが、そうでないものもありました。
しかしばっけは、何一つ捨てるところのない完全食材です!
そして10種類ほどのレシピを完成した私たち。
愛する人たちにも生き延びて欲しいとの願いを込めて、ファックスで兄弟や友人たちに教えてあげたのに........
誰からも、何の反応もありませんでした。

 以来幾度か春は過ぎ、世の中のもっと美味しいものに心奪われてきた私は、食料危機もばっけ研究会のこともすっかり忘れておりました。
「今でも毎日ばっけを食べているわよ!ばっけの茎は最高よ!」
というM嬢の言葉に驚き、彼女の無類の研究心と執着心には脱帽しました。



 写真は『ばっけ味噌パスタ』です。
茹で上がったパスタに、オリーブ油とM嬢特製のばっけ味噌を混ぜ合わせてみました。
お味は?
まあ....お好きなお方もいれば苦手なお方もいらっしゃるでしょう。
でもなにかのご参考になれば幸いです。




春の憂鬱

2008-04-11 11:59:45 | Weblog
四月は残酷極まる月だ   
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起すのだ。(西脇順三郎訳)

 これは、T・Sエリオットの『荒れ地』という長編詩の冒頭部分です。
近年、私は四月になると『春の憂鬱』症に襲われてそこはかとない不安感に陥ります。そしてこの詩を思い出します。
草木が萌え、光と希望に満ちた四月という月がなぜ残酷な月なのか?
我が家の庭の鈍重な地下茎たちも、もぞもぞと動き始めている気配です。

 私だけではなく私の友人たちの何人かも、重症の『春の憂鬱』のまっただ中です。
エリオットなど持ち出して、状況を深淵化しても仕方ありません。
あちこちで眠っていた新しい命の誕生の波動が強すぎて、当方にわずかに残っている精力までも全部吸い上げられて......死に損ないのごとく無気力になってしまうのですが、おそらく単なる更年期鬱でしょう。
この鬱は、遠くの森から郭公がやかましく鳴き出す新緑の頃に治まります。

 さて少しでも春の憂鬱を振り払おうと、M嬢と『千手観音MyDream~中国障害者芸術団』を見てきました。
この舞台は凄い人気で、発売日にM嬢が頑張って並んだにも関わらず、2階左端の最悪の座席しか取れませんでした。

                

 『千手観音』は、聴覚障害を持った10代~30代の男女21名の舞踊によるパフォーマンスです。
音楽がまったく聞こえないにも関わらず、流れる空気や後ろの人に吹きかけられる息の振動を感じながら、一糸乱れぬ体と手の動きで観音様を表現します。
この演技を、斜め方向の座席から眺めてもひとつも面白しさは伝わりませんが、正面の大型映像画面が用意されておりました。
確かに前評判通りの美しくすばらしいパフォーマンスで、『夢を持ち強く生きる』ことへの力強いメッセージを感じました。
その他にも、視覚障害者や身体障害者の方々によるダンス・オペラ・京劇・ピアノ・中国伝統楽器の演奏などがありましたが、いずれも肩の凝らない大衆的なエンターテインメントでした。

 障害者芸術団の日本公演の日程を調べてみたら、37日間の滞在中に、なんと全国で34回もの公演を実施していました。
稼がされすぎで疲れてはいないのだろうかと心配になりました。
そして当市が日本公演の最後の地、皆さんお疲れさまでした!
公演終了後、心優しき我が県民たちは皆立ち上がって盛大な拍手と声援を送り続けました。

 民間外交では友好的になれる日中関係。
 政府間外交でもよろしく!.......とお願いしたい。




がら空きの社会保険庁

2008-04-09 13:01:03 | Weblog
 私宛に『ねんきん特別便』が届きました。
この時期にくる特別便は、記録漏れの可能性が高いと聞いていました。
しかし私の履歴は、卒業後4年間だけ勤務し退職、結婚後はず~っと夫にパラサイトというシンプルなものなので間違いようがありません。
しかも当時、積み立ててきた年金は、退職金に上乗せして相殺されるという制度がありました。
いくら忘れたくても、相殺して戴いてきた記憶は甦ってきます。
特に問題はないので「訂正なし」で返信しようとしたところ、直接社会保険庁に行って自分の記録を確認した方がよいと言われました。

 連日のニュースで、待ち時間数時間という社保庁の混雑ぶりを目にしていたので、覚悟してホラー小説1冊携えて出かけました。
しかし....混雑しているというのは都市部の社保庁のお話でしょうか?
当地の『ねんきん特別便』相談室はがら空きで、首を長くして相談の順番を待っているのは、どうやら社保庁の職員さんの方でした。
ああ、のどかなる田舎暮らし!

 結局私にきた特別便は、私と似たような名前・生年月日の方2名との記録が不明・混同しているための名寄せ作業であったらしい。
今回社保庁に出向いたことによって、私の周辺の、私1名の記録の疑惑は明らかになりました。
「ご協力ありがとうございました。」
と言われましたが、誰のものか分からずに宙に浮いた年金記録5000万件の持ち主捜しなど、社保庁は本当に出来ると思っているのでしょうか?

 
 さて、腹が立つととてもお腹がすきます。
なにか美味しいものが食べたくなって、久しぶりに『ニラ饅頭』を作ってみました。



 中国人留学生から教わった、皮から作る本格点心です。
おもな具材は、大量のニラと豚ミンチとエビだけです。
しかしこの写真は、ニラ饅頭の閉じ口を上にして撮影してしまったので、出来損ないの餃子と誤解されそうです。

 皮を薄く丸く均一に仕上げるのが難しいのですが、慣れれば簡単。
私は右手に麺棒左手に皮を持ち、中国人のようにくるくる回しながら手早く円形にすることが出来ます。
この技術を会得すれば、餃子も春巻きも肉マンも作れるようになります。
中国語の上達より、点心作りの上達の方が圧倒的にめざましい私です。