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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

イメージトレーニング

2013-04-29 10:20:00 | Weblog
 知人に宅急便を送るため近所のコンビニに行こうとした時、本日がゴミの日であることを思い出した私。
ではついでに生ゴミも出してしまいましょう。
そこで右手に宅急便の紙袋、左手に生ゴミの袋を持ち、先ずゴミ置き場に寄り生ゴミを捨てました。
そしてコンビニに着いた時、手にしっかり握っていたのは・・・あらっ?なぜか捨てたはずの生ゴミの袋。宅急便の袋はいずこ?

 と書くと、いかにもnihaoのやりそうな失敗談ですが、実はこれはゴミ・ステーションにおいて浮かんだ私の妄想。 
だいじょうぶ! この先行イメージのおかげで失敗を事前に回避いたしました。 めでたしめでたし。
しかしコンビニで料金を支払おうとしたら、お財布を持って行くのを忘れていました。やれやれ。

 最近私が抱えているもやもやとしたもの・・・朝起きて家事をしようと台所に立つと

  電子レンジや炊飯器の使い方が全く分からない。
  鍋やまな板や包丁の置いてある場所がどうしても思い出せない。
  一体何をしようとしているのか? 今何をしなければならないのか?

 ある日突然自分を見失うこんな日が近いうちにやってくるのではないかという不安です。
いえ、すでに私はDVDレコーダーと電話機FAXの使用法がよく分からないし、電話番号や郵便番号も時々忘れるので、もうXデイは忍び寄っているのかもしれません。

 人間というのはなかなか傲慢な動物で、ほとんどの人は自分だけは災難や不運に遭遇しない、遭遇してもなんとか助かるだろうと思い込んでいるそうです。
悲しいかな、私はそのようなイメージを持つことが全く出来ません。
すべての災難や不運は自分をめがけて降りかかるから、誰よりも早く無駄死にすると思います。
私は絶対に、ジャックやローズ(byタイタニック)のようにはなりえない。
いともたやすく海の藻屑、地上の瓦礫、空中の塵芥となる存在であると知っております。
だから脳神経細胞の変性(認知症)も、誰よりも先にやってくるのではないかと心配なのです。
そこで何かする時は、記事の最初に書いたような負のイメージトレーニングが必要となってくる訳です。
結構助けられております。


 さて、4月の中旬にオットーの運転で4泊しながら、福島、栃木、神奈川、茨城など回ってきたのですが、忘れないうちに記事にしなければと思いながら遅くなってしまいました。
案の定それらの日々の出来事や感動がどんどん遠くに逃げて行きます。
ただ、私同様田舎者だとばかり思っていたオットーが、あの首都高速を右に左にスイスイと迷うことなく運転して、無事横浜のともしびちゃんの家に着いた時はちょっと見直しました。

 旅の記録

          

 写真左から(三春の桜、ともしびちゃん、箱根のホテルの夕食、箱根登山鉄道、ひたちなか海浜公園、草野心平記念館)

[一日目]盛岡→福島・三春滝桜(なんて美しい里山!)→栃木・那須高原→那須高原温泉郷泊(東郷青児の絵がたくさんあるホテル)

[二日目]那須高原(買い物&散歩)→横浜(娘・息子たちと食事会)泊

[三日目]横浜→箱根(天下の嶮を実感。ガラスの森美術館見学)→箱根温泉郷泊(スイーツの美味しいホテル。ともしびちゃんも一緒)

[四日目]箱根(登山鉄道に乗る。強羅公園見学)→茨城・水戸泊

[五日目]水戸→笠間市・笠間焼→ひたちなか市海浜公園(ネモフィラのブルーの世界)→福島・いわき市・草野心平記念館(ビジュアル系文学館)→盛岡到着



 旅の収穫


            


 笠間焼陶芸作家・【小島英一さん】の『ひよこシリーズ』です。
このふくよかで愛らしいひよこの絵が大好きです。
このひよこちゃんたち、時々とんでもないおいたをいたします。
内緒の話ですが、逃げていなくなっていることがあるんですよ(な~んちゃって)










ドカンと一発

2013-04-15 21:00:00 | Weblog
               

               『ドカンと一発 かまどけし

 岩手県和賀郡西和賀町・沢内の幹線道路で見かけました。
この道にはたくさんの交通標語が掲げられていて、それらはちょっと珍しいほどの光景です。
歩行者も車の数も少ない田舎道なのでついついスピードを出してしまいますが、道路脇すぐのところに人家が密集している上に、高齢者をたくさん見かけるので気をつけて運転しなければならない道路です。

 この先に岩手・秋田の温泉郷が点在しているのでよく通る道路なのですが、この標語の存在には初めて気がつきました。
しかしいくら考えても私には意味が分からない。
「ドカンと一発」の主語は何? 花火? 爆弾? 
「かまどけし」って何だろう? 
意味不明ではあるけれど、しかしとてもインパクトのある12文字です。
しばらく一人で謎に挑戦していましたがやっぱり無理。オットーの助言を仰ぎました。
皆様はお分かりになりますか? ちょっと考えてみてください。 
正解は記事の最後に。

 あちこち運転していると、なかなか含蓄のある面白い交通標語に出会うことがあります。
そこでちょっと提案いたしたい。
和賀町沢内は[交通標語の町]として、全国から大々的に交通標語を募集して交通標語大会を毎年開催し、優秀作品を道路脇に掲げて、交通安全推進の町として名を広めていくのはどうでしょうか?
俳句の町があるのだから標語の町があっても面白い。
斬新でセンス良く、人々の印象に強く残る交通標語が生まれたら、国民全体の交通安全の意識高揚に貢献すること間違いありません(なんちゃって)


 (A)[枯れ枝に からすのとまりけり 秋の暮れ] (by 松尾芭蕉)

 (B)[この土手に のぼるべからず 警視庁]   (by 警視庁)

 昔々、日本文学の先生が、文学と非文学の違いを上記のふたつの詞を使って説明してくださいました。
「どちらも同じ定型十七文字の詞であるが、(B)はただ単に禁止事項を述べているだけで作者の心情は窺えない。
(A)には奥深い味わいと情緒がある。ここに描かれた風景は枯れているが美しい。
要するに(A)のような深い余情と心情を描くものが文学で(B)のように事実を言葉で羅列したものは文学ではない。」と

 あまりにもわかりやすいたとえではありますが、文学の一面しか捉えていないのではないかと、今となっては思います。
しかし当時の私はかなり真剣に悩みました。
なぜならば私は(A)の俳句の良さが全く理解出来なかったからです。
むしろ警視庁の標語の方が「土手の向こうには一体何があるの?」
ワクワクドキドキ。あれこれと妖しく危険な世界を想像させるのには十分でした。

 私の感性は非文学的なのだろうか?
いや成熟した大人になれば理解出来るようになるかもしれないと思い直したものの・・・
何のことはない。やっぱり今でも私は[この土手にのぼるべからず警視庁]の方が好き! 
全く成長しておりません。



※「ドカンと一発 かまどけし」
「ドカンと一発」は交通事故のこと。
「かまどけし」は、かまどをかえす→かまどをけぇす→かまどけしの東北弁活用。
「交通事故をおこすと補償やらなにやら大変で、かまどをかえしますよ(破産しますよ)。気をつけなさい。」の意味です。
これは出色の標語ですね。







舟を編む

2013-04-10 10:30:00 | 読書
          

 2012年の本屋大賞受賞作、三浦しをんさんの『舟を編む
ひとことで言えば、国語辞書を作る人々の愛と苦悩と友情の物語。
作者の三浦しをんさんは、このような遠大で難解なテーマを、誰にでも理解出来る平易な文章で軽くさらっと書き上げます。
そのライトノベルテーストの作風が物足りないと言う読者もいますが、私は、それこそが三浦しをんさん独特の個性と才能と魅力ではないかと思います。
確実に日本の読書人口の裾野を拡大することに貢献している作家のひとりでありましょう。
しかもこの作品以外にも、林業に目覚める青年[神去なあなあ日常]とか、便利屋で楽しく働く青年[まほろ駅前多田便利軒]とか、地味な職業で頑張る若者たちにスポットライトを当てている作品が多いので、文部科学省は彼女の著作を進路指導の参考書に指定するとよろしいのではないかと思います(なんっちゃって)

 この本を読むと、学生時代に愛用した国語辞典の埃をはらってきれいにして
ありがとうございました。その節は大変お世話になりました。」
と頭を下げたくなるような敬虔な気持ちになることは間違いありません。

 昨年大きな話題になった作品なので、今ここで取り上げるのはちょっと時期を逸しているようで気おくれがします。
でも映画[舟を編む]の方ならまだ封切りされていないので(4月13日から)レビューをすれば最新の話題の提供になります。

 実は不思議なことに、岩手めんこいテレビから私の手元に[舟を編む・試写会招待状]が届いたのです。 
阿呆な私は、招待状の出所について深く考えることが出来ないほど、この思いがけないプレゼントに舞い上がりました。
図書館の予約待ちの順番がやっと来て作品を読み終わったばかりの新鮮な気分のところに、さらに映画まで観ることが出来るなんて、しかも無料で・・・めんこいテレビよ、ありがとう!

 ところがそれもつかの間の幸せ。
さっそく友人[M嬢]がやってきて
nihaoさんの名前で私が申し込んだ試写会のハガキ、当選していたのなら返して頂きたいんだけれど。」

 彼女ったら、自分の名前だけでは心配で私の名前まで使ったと言うのです。
どちらも当選したら問題はなかったのですが、あいにく1枚しか当たらなかったのです。
考えてみたら、めんこいテレビが私に招待状をくれる理由なんかある訳はないのでした。
往復ハガキ代2枚分もM嬢の負担だし、築き上げてきた友情にひびが入るのもなんだから

 「私の幸運パワーがお役にたててよかったわ。どうぞお一人で楽しんできていらして。」

 にっこり微笑みながらM嬢に招待状は返したけれど、本当は全然納得がいかなかったのよ、私。
だって、今回はたかだか映画のチケットだったから平気でいられたものの、もし、すごく高額の商品や賞金だったら、一体どうなる?

 例えば ビール1年分とか、ひとめぼれ一俵とか、○○デパート商品券10万円、前沢牛10キロ、岩泉産松茸100本とか。
い、いや、仲良く分けられる商品ならまだよいけれど、高級ジュエリーとかハンドバッグとか旅行券とかだったら・・・
ああ、絶対に平静ではいられないわ。
私の名前を使ってM嬢だけが得するなんてことが許されるでしょうか?
いえ、苦労人の彼女のささやかな幸せを陰ながら支援することが真の友情というものでありましょうか?

 本当のところ、他人の名前で応募して当選したら、その権利は誰のものなのかしら?
ハガキを出した人? 当選した名前の人? 
そもそも他人の名前で応募して当選したものは有効なのかしら?
いろいろ考えているうちに我らの友情の舟は難破しそうになったけれど・・・

 今回は残念ながら映画[舟を編む]のレビューは中止となりました。
はなはだ申し訳ございません。