やっと咲いた庭の梅。梅が咲くと桜の開花も間近だ。
今年の桜は東日本の人々にとって特別な意味を持つことになるだろう。
いまだ瓦礫の片付かぬ被災地、いや、それでなくても北国の春の景色は汚い。
桜前線よ、縦横無尽に駆けめぐり野と山と里に魔法をかけよ!
北国の憂鬱な大地と空を美しい桜色に染め上げろ!
さて、我が家のももちゃんのお話をひとつ......
人間同様に震災のショックで体調を崩したり心的外傷を受けて苦しんでいるペットたちもいるようだが、ももちゃんは相変わらず元気だ。
娘の愛犬ココアは突然歩けなくなってしまったという。
さすが、成熟している(惚けている?)ももちゃんは、地震などでは揺るがない。
度重なる余震の日々にも手がかからなかったことは大変助かった。
こちらの写真のシーズー犬は、岩手県宮古市田老に住むバブ(12才)
先般の大地震の際、83歳の飼い主さんを津波の被害から守った立派な犬である。
[バブは本当は散歩が嫌い。
でもこの日バブは異常を察し、飼い主さんをぐんぐんと高台へ引っ張っていった。
飼い主さんの歩みが緩むと、振り返って歩みを促すようなしぐさを見せ、追いつくと勢いよく前へ出る。
そんなことを繰り返しながら自宅から約1キロ離れた避難所への急坂を上りきっていたという。
振り返ると、歩いてきた道は津波にのみこまれ、自宅も濁流の中に消えていた。
普段は散歩も嫌がるバブの行動に、飼い主さんは「津波を予知してたのかも」と不思議がっている。]
この記事を読んで、すごくショックを受けた私。
ももちゃんもバブと同じシーズーという犬種である。
(あっ、自分の犬だけをちゃんづけしている訳ではないのよ。正式名が『ももちゃん』だから...)
ただただ元気よく愛嬌をふりまいているだけのシーズーだが、忠犬の素質があったのだろうか?
人命救助も出来るような利発な犬だったのだろうか?
その能力をはなから疑って、きちんと躾をしてこなかったことが悔やまれてならない。
「駆け寄ってくる、寄り添ってくる、しっぽを振る」
ももちゃんが愛玩犬の三原則を行使しなくなってからすでに2年は経っている。
駆け寄ってこず、寄り添ってこず、しっぽを振らず.....愛玩犬というよりは孤高な日本オオカミでも飼っているような気分。
全身が愛と喜びに満ちていた若き日のことは、もう思い出すことも不可能だ。
しかし食事だけはまだ私の力を借りなければやっていけない。
時間になると私の足下にやってきて「ご飯をください!」とワンワン吠える。
最近ももちゃんに大きな変化があった。
僅かながらの視力も消え失せ、光なき暗闇の世界に突入した。
お掃除ロボット・ルンバのようにテーブルや椅子の脚にぶつかっては、ビックリした顔をして方向転換する。
室内をぐるぐる回ったり、長い散歩に出かけることもある。
徘徊? 玄関に落ちていたり風呂場で寝ていることもある。
視力をなくしてからの彼女、お腹が空くと奇妙な行動を取るようになった。
なぜかキッチンの生ゴミの袋の前に立って「ご飯をください!」と吠えるのだ。
最初は生ゴミの匂いが食欲を刺激しているのだと思ったが.....いや、違う!
どうやら生ゴミの袋が私であると完全に思い込んでいるようなのだ。
いくら目が見えないとは言え、許し難い勘違いだ。
生ゴミとマダムnihao、 一体どこに共通点があるっていうのだろう?
少なからず、いやかなり私は落ち込んでいる。 ぷんぷん!!