blog-cafe

マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

最後の孝行

2008-01-31 12:00:02 | ももちゃん
                 

 初めまして。ももちゃんです。
桃の節句の頃に我が家にやって来たのが名前の由来です。

 子犬のようにあどけない顔をしていますが、もう14歳のお婆ちゃんです。
寝てばかりいて、食事以外のことには興味を示しません。
完璧だったトイレの躾は、もう完全に忘却の彼方で、食事中の私たちの足下で粗相をすることも度々です。
散歩するのも億劫がるので、無理矢理引きずって連れ出します。
目は白内障で白濁し、毛は全く艶を失い、そこはかとなく臭く、「おすわり」も「待て」も忘れました。
姑亡き後、ももちゃんの介護をしなければならないことは早晩覚悟の上でした。

 1週間ほど前から、ももちゃんの体調がすこぶる悪くなりました。
嘔吐や下痢を繰り返し、一日中元気がありません。
ちょっと留守をして帰ると、足を踏み入れるのが恐ろしいほどリビングは汚物まみれです。
あまりに哀れ。涙を堪えながら念入りに掃除する毎日でした。


               
 
 熱風吹き抜けるストーブの前で、じっとして動かないももちゃん。
   ......もしかしたら死ぬかもしれないね.......
私と夫は顔を見合わせ、複雑な視線を交わしました。

 「婆婆が死んだときは泣かなかったけれど、ももちゃんの時は大泣きするかもしれない。どうしよう!」
と私。
「うん、わかる。オレもそうなるかもしれない........。」
と夫。
人はなぜ、あんなに世話になった親の死よりも、ペットの死の方が悲しいのでしょうか?

 ももちゃんの下痢は続き、目を離すことが出来ませんでした。
そこで私は一念発起。もう絶対無理だと思われるトイレの躾に、再度チャレンジすることを決意しました。
大きく広げた新聞紙の上にペットシートを敷き、ぶるぶる震えて弱っているももちゃんを誘導し
「ここがあなたのトイレです」
何度も何度も語りかけました。
「首尾よくいけばごほうびをあげます」

奇跡が起こり、ももちゃんが昔の記憶を取り戻しました。
奇跡は、もう三日間も続いています。
よたよたとよろめきながらも、一日中何度も寝床とトイレを往復します。
もしかしたら最後の飼い主孝行のつもりか?
その健気で律儀な飼い犬の姿は、思わず涙を誘います。
このまま成功すれば、雨降りや雪降りの日に無理して散歩に行く必要がなくなり、ももちゃんと私たちの負担も減ります。

 そして......昨日から、ももちゃんは元気回復し始めました。
食事の時間にはワンワン吠えて、旺盛な食欲を誇示します。
夫が帰宅した時、勢いよくしっぽを振りながら迎えにいったので、家中に安心の笑顔が戻りました。

 桃の節句が間近です。
今年こそ我が家の癒しの女神のために、久しくしまい込んでいたお雛様を飾って、盛大にひな祭りをしなければならないと思っています。


メモリアルキルト

2008-01-29 10:45:00 | 手仕事
                

 母の形見の着物で作った『メモリアルキルト』です。
母の死後、荷物を整理していたら大量の着物が出てきました。
義姉たちと義妹が1枚ずつ持ち帰り、残りは全部私がもらいました。
しかし私は、着物を着用する趣味はありません。
これから先も絶対にないと断言できます。

 そこで......全く惜しげもなく鋏を入れてキルトにしました。
あの世の母が、絶叫して嘆く様子が目に浮かびます。
着物が大好きな姑からも大変叱られました。
しかし箪笥の肥やしにするよりは、『メモリアルキルト』にして母を偲ぶ方が、活きた利用法になるのではないでしょうか。
20枚のパターンの中には、私の小学校の参観日に着てきた着物や、母が自ら染め上げた着物もあり、思い出す度に懐かしくなります。

 
               

 これは浴衣や普段着の着物地を利用して作りました。
カップボードの中でにぎやかに並んだコーヒーカップを眺めていると、お祭りやお正月での家族との思い出がよみがえり、ヒーリング効果絶大です。
もし箪笥の肥やしにしていれば、母の着物は出番を失い、思い出すらもいつか色褪せてしまうのではないでしょうか。

                 

舅のネクタイをほどいて作ったクッションです。
姑が舅の大量のネクタイの始末に困っていたので、茶系と紺系の2個のクッションを作ってプレゼントしました。
長い間愛用してきたのですり切れていますが、姑亡き後、捨てるのは忍びがたく我が家に持ち帰りました。
どのネクタイにも記憶が染みついていて、生真面目な舅の背広姿や、優しい笑顔が浮かんできます。

 故人の愛用してきた品物を身近に置くということは、常に故人の存在を意識させられるということです。
故人との関係が良好であれば至福のひとときにつながりますが、故人との関係が悪ければ絶対御免の行為であり、思い出す度に悔しさで涙を流すことにもなりかねません。
良き関係を築き上げることに努力・我慢してくれた我が舅・姑に、あらためて感謝しなければなりません。

 姑の着物は、義妹たちがたくさん持ち帰ってくれました。
親孝行な彼女たちは、母親を思い出しながら機会あるごとに身につけてくれることでしょう。
私は、姑が一番嫌がる方法を思い出のよすがとすることにいたします。

 さて、どんなメモリアルグッズを作ることにしようかな。





麻雀ノート

2008-01-27 13:40:01 | 家族・友人
 友人M嬢から三日にあげずの「麻雀」コールで、また昨夜も雀荘化した我が家。
麻雀ノートを調べてみたら、ここひと月で3度も開催していました。

 麻雀ノートは、平成10年から記録されています。
各自の毎回の成績はもちろんのこと、年間通しての総合成績や順位、誰が役マンをあがった、誰がチョンボをしたとかの走り書きのメモもあって愉快です。
我ら4人のメンバーの他に、時々単発ゲスト(息子・及びその友人・北海道からやってきた我が弟など)も登場してにぎやかです。
ゲストの中には既に故人となられた方もいて、ノートでお名前を目にする度に早すぎる死が悼まれます。

 さて我が家で麻雀をするとなると、私は大変忙しい。
部屋を掃除して、食事の用意をして、お茶菓子やコーヒーを準備します。
野菜嫌いのK君、肉嫌いのM嬢を念頭に置いて献立をたてるのは苦労です。
しかも4人のコーヒーの嗜好が
   砂糖抜き・ミルク入り
   ミルク抜き・砂糖入り
   ミルク・砂糖少々入り
   ミルク・砂糖たっぷり入り
とまちまちなので、間違えないように気をつけなければなりません。
昨夜はK君、N嬢に公平を期すため、野菜たっぷり肉たっぷりの親子丼を、知らんぷりして差し出しました。

 ぬかりなく卓上に目を配りつつ勝負しながら、ホステス役としての気遣いを怠ることなく、さらに食費・お茶菓子にかかった諸経費奪還のため奮闘しなければなりません。
はっきり言って疲れ気味。
今後彼らが退職したら、同窓会麻雀はもっと熱気を帯びそうです。
どうしよう?彼らの元気にはもうついていけない。

 「ねえ、もう一人メンバーを探してくれない?N君はどう?」
夫が私の意をくんでN君に電話をかけてくれました。
 「悪いなあ、今飲み始めたところだ。また次の機会に誘ってくれ!」
体よく断られてしまいました。

 中国人のメル友に、麻雀の話をしたことがあります。
すると「麻雀とは何ですか?」
慌てて辞書を引いたら、中国語では『麻雀』でなく『麻將』でした。
訂正後の返事は、「ああ、それなら大好きです。」でした。

 中国語講師の留学生に
「あなたが日本にいる間に、中国のお父さんやお母さんを是非日本に招待してあげてください。私たちも協力しますよ。」
と提案したところ、身につまされた答えが返ってきました。
「お父さんとお母さんは毎日麻雀に忙しくて、私がどんなに誘っても、そんな暇はないと言って来てくれません。」

 さすが麻雀大国!中国四千年の歴史を踏襲する逞しいご両親です。



けもの道

2008-01-25 11:00:00 | Weblog
 寒気が少しゆるんで安心していたら、昨日は大雪が降りました。
午前中に1回雪かきをしたものの、雪は間断なく降り続き、夕方にはまた30㎝くらい積もっていました。
心臓疾患のため医師から『雪かき禁止令』が出ている夫も、見るに見かねて少しだけ手伝ってくれました。
今年は、雪かきグッズを豊富に揃えて準備しておいたので、作業がとてもはかどりました。
今日の朝刊の発表では盛岡地方積雪18㎝とありました。
えっ、うっそ~! 私の体感積雪は50㎝だった........。

 いくたびも 雪の深さを 尋ねけり     (子規)
 いざ行かん 雪見に 転ぶところまで    (芭蕉)

しんしんと雪が降る日には、なぜか思い出される俳句です。
中学か高校で習ったのだと思いますが、今でも口をついて出てくるのが不思議です。
子規や芭蕉のように、雪に対して限りない憧憬を抱いて暮らしていけるのなら幸せです。 

 昨年、我が家の敷地の隣にスーパーマーケットが建ちました。
私的な見解ですが、理想のマイホームの条件は3Sでした。
(1) 日当たりsunsunであること
(2) 子どもの通学のためにschoolが側にあること
(3) 近くにsupermarketがあること

 ここに住み着いて20年、『まさかの隣のマーケット』の出現ですべての条件がクリアされました。
空き地を横切って行けば70歩、正規のルートを回れば300歩。
空き地を横切るのは自明の理です。
午前中に買い物に行こうとしたら、雪が深くて諦めました。
夕方になってやっと、人ひとり歩けるだけの道が出来ました。
勇気あるご近所のどなたかが、先陣を切ってくださったのです。
 
                
               

 通称『黄昏タウンのけもの道』です。
冬は雪深く、夏は雑草が生い茂り、雨降ればぐちゃぐちゃの泥の河。
隣のマーケットに行くためには、一年の大半を通じて長靴が必要です。
しかし最近、この空き地に住宅がどんどん建築中で、『隣のマーケット』でなくなるのも時間の問題となりました。
けもの道もいずれ閉鎖されてしまうことでしょう。
目と鼻の先のマーケットなのに、遠回りして行かなければならなくなると思うと、日々悔しさが募ります。

 300歩、う~ん遠いなあ。遠いと思いませんか?



帽子の欠点

2008-01-23 12:40:02 | 手仕事
                


 羊毛フェルトで作った帽子とマフラーです。
ふわふわの羊毛を、お湯と洗剤で摩擦してフェルト化させて仕上げます。
とは言っても、これではなかなか理解し難い。
作った本人ですら、魔法の世界に踏み込んでしまったかのようでした。 
 
分かりやすく言えば......純毛のセーターを何度も洗濯すれば、最初のふんわりとした風合いはだんだん失せて板状に固くなります。
この圧搾された状態がフェルト化です。
この帽子は、お湯と洗剤で固くなる羊毛の性質を利用して作ったものです。
 
 数年前友人に、たった1日でフェルトの帽子が作れる講習会があるから行ってみようと誘われました。
コースターや壁掛け制作ならともかく、なんと、いきなり帽子?!
半信半疑で出かけたところ、本当に一丁前の帽子が出来上がり、余った時間でお揃いのマフラーまで仕上げました。
初めての体験だったのでコツをのみこむまでは大変でしたが、わくわどきどきしているうちに、みるみる形になっていきました。
継続して講習会に参加して、もっと技術を学んでみようかなと悩んだのですが、あまり趣味の域を広げすぎてもいけないと自制して断念しました。
もし続けていたら、今頃は、たくさんの作品に囲まれて幸せ気分だったかもしれないと.........ちょっと、いや、かなり残念です。
 
 冬期限定の帽子なのに、押し入れの奥にしまい込んだまま忘れていて、今年はまだ一度も使用していません。
昨日主婦ブログを探索していたら、可愛い羊毛フェルト作品が掲載されているブログに出会い、突然この帽子のことを思い出し引っ張り出してきました。

 1年ぶりにかぶってみると、軽くて暖かくて心地よい。
防寒目的だけではなく、お洒落のお助けグッズにもなる帽子。
でも脱いだ時、ヘアースタイルが乱れるという欠点があるのが残念です。
すでに弾力を失って修復力のない私の髪には、帽子は便利な味方でもあり手強い敵でもあり、着脱にはとても神経を使わなければなりません。

 有史以来、人々の生活に密着してきたはずの帽子なのに、なぜ人類は、その構造上の重大な欠陥を克服することが出来なかったのでしょう?
ファッション界は、体形や体質の問題すらとっくにカバーして、日々めざましい進歩を遂げているのに、私たちの帽子生活には目新しい変革はみられません。
個々人の髪型や髪質を考慮した帽子があってもいいのになあ。

 帽子デザイナーさんたち、もうちょっと頑張ってください!

知恵熱

2008-01-21 15:30:03 | 家族・友人
                              

 娘の経営するヴォーカルスクール主催のイヴェントが、代々木のライブハウスで行われ、息子もドラマーとして出演するというので、いてもたってもいられないという母心で出かけてきました。
夫は、老犬ももちゃんとお留守番です。
写真は、息子のバンドチーム『知恵熱』の演奏を写したものですが、あらっ?息子はどこにいるのだろう?
画面の右後方で、ストトン・ストトンと祭り囃子の太鼓のような(まだ初心者ですから)遠慮がちな音でドラムを叩いているはずです。
もし息子の姿を認識できる方がいたとしたら、その方は相当な透視能力を持った超能力者です。
私? 私は.........も、もちろん見えます!

 最近新幹線のチケットやホテルを、ネットで予約することが出来るようになりました。
進化する私の行動を、夫が嫉妬と羨望の眼で眺めながら、なにかと口を挟んできます。
「おい、ホテルは浅草にしろ!ついでに浅草見物でもしてこい。」
夫は自分のやりたいことを押しつけようとする癖があります。
はなはだ迷惑なのですが、今回は留守番をさせるという申しわけなさも手伝って逆らいませんでした
でも地下鉄銀座線や都営浅草線に乗ったことはありません。
ホテルから目的地に出るのには、いくつか乗り換えをしなければなりません。
....だいじょうぶかなあ....

 出発点の盛岡駅からもうしくじって、新幹線チケットとともにネット決済票まで投入して改札口が通せんぼになり、駅員さんに笑われました。
東京では、やはりJR線と地下鉄の乗り換えが大変でした。
階段を、上ったり下りたり上ったり下りたり上ったり下りたり........。
超ハードな駅の構造にはホント参ってしまう。
年寄りは絶対に暮らせないなと考えていたら、そのお年寄り達にどんどん先を越されていきました。

 代々木駅東口で、姪っ子と待ち合わせをしていたのですが、時間が過ぎてもなかなかやってこない彼女。
寒くて鼻水が出て風邪をひきそうになってボーッとしていたら
「おばさん!」
声をかけられても、しばらくの間姪っ子の顔を識別できませんでした。
20代の女の子は、ちょっと見ない間にどんどんきれいに変身します。
難しい学問ばかりしている姪っ子が、お洒落になったのは嬉しいことです。
この日彼女が遅れた理由は、洋服選びに手間取ったかららしい。

翌日は、横浜で旧友と会いました。
身長170㎝・体重50㎏のスーパーモデル級の彼女は、その体形にそぐわぬ健啖家で、一緒にいた6時間の間に中華料理とタイ料理の2軒のレストランをはしごしました。
「いくら食べても全然太らないのよねえ、私。」
よく飲んでよく食べる彼女が羨ましい。
しかし彼女の最大の短所が『方向音痴』であることを失念していました。
横須賀線のホームで
「この電車に乗れば、絶対東京駅に着くからね。」
と言って私を安心させ、扉が閉まるまで手を振り見送ってくれました。
しかし電車は湘南新宿ライン。一向に東京駅に着く気配はありません。
娘に電話して指示を仰ぎ、慌てて大崎から山手線に乗り換えてなんとか最終新幹線に間に合いました。

今朝は寝坊してしまい、やっと起きたら、すでに夫は食事もしないで仕事に出かけた後でした。
東京の冷気と喧噪の中で、どうやら私も『知恵熱』にかかったようです。


故郷からのおくりもの

2008-01-18 10:45:45 | Weblog
 長野県在住の人形作家、高橋まゆみさんの創作人形展『故郷からのおくりもの』を見てきました。
写真撮影は禁止されていたので、以下高橋さんの公式ホームページのアドレスを記載いたします。http://www.1-light.com/dollart.htm
 
高橋さんの創作人形のテーマは、人間の原風景である故郷の発見です。
茅葺き屋根の古民家、田舎の駅、四季の農村などを背景として、そこで暮らしながら働く人々の姿や表情が、実にいきいきと表現されています。
私も、子ども時代の記憶が鮮やかによみがえってきました。
しかし高橋さんの作品の優れているところは、単なる思い出や郷愁の演出だけにとどまらず、人と人との出会いや別れ、戦争の爪痕、悲しみや怒りの物語まで表現して、見る者の原体験を喚起させるところです。
作者の世界観が存在する人形展は初めて。
そして涙腺が刺激された人形展も初めてでした。

 高橋さんはご自身のブログまゆみの気まぐれ日記の中で、「岩手県人が一番熱い」と書かれています。
全国で人形展を展開されているそうですが、巡回回数と来場者数の多さでは岩手が一番盛況だそうです。この日も大変な人手でした。
壮年男性の数の多さに驚きました。確かに高橋さんの人形は、女性よりもむしろ男性を泣かせてしまうかもしれません。
主婦・農家の嫁・そして人形作家としてもご多忙な高橋さんですが、ブログも精力的に更新されています。
全国のファンからのコメントにも、丁寧で心温かいお返事を書かれておられます。

精緻な技巧のほどこされた人形たちと出会って、私がため息をつきながら考えたことは

 ......ああ、私が人生で一番やりたかった仕事は、本当は人形作りだったの かもしれない。今から始めても遅くないだろうか?......

 自分の気持ちと向き合いながら、一体一体愛情と思い入れを込めて人形を創作する行為は、どんなに心うきうきと楽しいことでしょう。 
 
 しかし私は、詩を読めば詩人、小説を読めばすぐ作家になりたがるし、家のリフォームをした時は左官屋さん、入院した時は看護婦さん、真央ちゃんやキム・ヨナの演技を見ればスケート選手、競馬場にあれば花形ジョッキー、お葬式の時はお坊さん、ボーナスの時期だけサラリーマンと、手の届かない職業への夢想にふける性癖が習慣化されています。
その場限りのたわいないものですが、専業主婦を長くやりすぎた不満が募っているのかもしれません。

 ということで......高橋さんのお仕事におおいに刺激を受けた私は、自作の創作人形の写真をUPしようかと思ったのですが、さすがに本日だけはそのような厚顔無恥なことは出来ません。
我が『哀愁のどん兵衛』の登場は、まだまだ先になりそうです。


ヘンシ~ン!

2008-01-16 10:00:29 | 手仕事
               

 さて、これは何でしょう。
我が家の老犬ももちゃんの背中?
それとも迷子の子ダヌキが、化けそこなったぶんぶく茶釜?

 いいえ、これはシャプカというロシアの毛皮の帽子です。
このあまりにも有名な民族衣装も、厳寒の地ロシアでは、最近は人気薄だと聞いています。
何の毛皮かは分かりませんが、毛並みも毛艶も大変きれい。
ロシアを旅行した知人からのお土産ですが、このままかぶるには勇気がいります。
なんとか生かして使う方法はないだろうか?
つぶしてみたり、ひっくり返したり、じっとにらみ続けて考えること30分。
ついにgood・ideaが浮かびました。


               

 変身しました。バッグです。
横につぶして市販の持ち手をつけただけなので、制作時間は10分です。
けっこう可愛らしくおしゃれな仕上がりで、我が手作り史の中でも、独創性と意外性と安直性にかけて、この作品の右に出るものはありません。

 さっそくこのバッグを持ってお出かけしました。
行き先は、あえてカバン屋さんに直行です。
店内に並んでいる、どのファーバッグよりもいい感じ。
.....勝った!..... じわじわと満足感が滲み出てきます。
それもその筈。広大なロシアの野山を駆け回っていたホンモノの獣の毛皮であることは確かですから、強烈な存在感がただよいます。

 店員さんが、私の隣にスーッと寄ってきたのでどきどきしました。
「奥様、ステキなバッグをお持ちですね。とてもいい毛皮ですね。」
と声をかけてきたのでビックリ!
プロの方からも誉めていただいたので、これで自信を持って愛用できます。
「これは何の毛皮でしょうか?」と尋ねたところ
「それは当然ミンクですよ!」
う~ん、この店員さんは勉強不足かもしれません。
思わず種明かしをしたくなりましたが我慢、我慢。

 真冬限定のバッグなので、この時期せっせと使わなければなりません。
でも実はこのバッグ、ぶ厚い上に容量が少なく、モノが入らないのが欠点です。
頂きものの(韓国製なんちゃってプラダ)のお財布を無理矢理押し込んだら、後はキーホルダーぐらいしか入りません。
よってハンカチ・チリ紙・老眼鏡すら持つことあたわず、携帯電話は不携帯となり、不便この上ないのです。
でも寒い時には、帽子に戻ることもできるのですが.......。

 私の手作り史に完璧という文字は、残念ながら常にありません。




離婚します!?

2008-01-13 16:00:02 | 中国語
 今年初めての中国語レッスンに出かけてきました。
「習い始めて、まだ3年目の初心者なんですよ。」
と言い続けて5年経ちましたが、実は8年目に突入です。
なぜ3年という嘘をつくかというと、8年も学習しているのに全く成果をあげていない現実を、自分で認識したくないからです。
何でもついおおげさに吹聴しては自慢する性格の私ですが、こと中国語に関しては謙虚にならざるを得ません。

 中国語学習会は、月2回、1回3時間のレッスンです。
もう同じテキストを3巡しましたが、どのページを開いても記憶になく、いつも新鮮でドキドキします。
50代2名、70代4名のメンバーで、全体の平均年齢を下げることに大きく貢献しているのだけが私の取り柄です。

 講師は、美人でグラマーな中国人女子留学生。
親からの仕送りは全くなく、アルバイトをしながら学費や生活費を稼いでいると言いますから感心です。
でも働きすぎて寝坊して、度々レッスンに遅刻します。授業中にあくびをしたり、こっそりと携帯メールを送受信したりしています。
8年間で4人の中国人講師との出会いがありましたが、留学生の様相の変化が、否が応でも目につきます。

 授業の形態はフリートークが中心です。
昨日のトークのテーマは『もし宝くじで1億円当たったらどうする?』でした。
「旦那と世界一周旅行に行きたいわ!」
「プール付きの家を購入したい!」
お姉様たちも顔を輝かせて、中国語の翻訳に頑張っていました。

 私はフリートークの時には、笑い話をするように努めます。
自分の中国語が正しく伝わったかどうかを瞬時に判断するのには、笑い話が最適だからです。
話したいことを話すのではなく、話せる言葉だけを選んで話し、スタンダード中国語に近づくことを目指します。

 「私、旦那に5千万円プレゼントして離婚するわ!そしてひとりで自由に暮らすの!」

 講師がすぐに大笑いしました。....ホッ、通じた。よかったな....
ところが、メンバーたちが大騒ぎ。
「ちょっと、どうしてそんなバカなことをするのよ!」
「夫がいるから言えること!寡婦の私の身にもなってよ!」
「いやいや、彼女は疲れているのよ。去年いろいろあったんだもの!」
「共感しちゃう。私だって離婚したい......。」
なんだか雲行きが怪しくなって、すべての会話が、日本語だけのマジトークになってしまいました。

お姉様たちにジョークは通じなかったみたい。
おふざけもほどほどにしなければいけませんね。
あらっ?でも私の発言は、本当にジョークだったのかしら?


お茶の間美術館

2008-01-10 16:02:39 | Weblog
 我が家には、家族の描いた絵がたくさんあります。
居間や廊下にも飾りきらないので、埃をかぶって眠りについている作品もたくさんあります。
『文は人なり』と言いますが、絵もまた人なりではないでしょうか。
今は亡き舅や母の描いた絵を見ていると、まだ彼らの温かい息づかいが感じさせられて、懐かしい想いに捕らわれます。
私の母は絵をくれる時、必ず
「あなたの家の中で、一番いい場所に飾ってちょうだいね。」
と我が儘を言って、私を大変悩ませました。
どんな絵にも、作者の強烈な視線が内在しているものです。
もしかしたら母は、我が家の一番いい場所から、私の生活を見守っていたいと考えていたのかもしれません。



    

 私の三兄の油絵です 。
三兄は美術を専攻して美術の教師になりました。現在は宮沢賢治の童話をモチーフとした創作活動を続けています。
芸術的な素養の全くない家系の中で、兄だけは異質の花を咲かせました。
ピアノやヴァイオリンの演奏も上手で、私は子供心にも、兄の才能が不思議でたまりませんでした。


           
    

舅も趣味で描いた水彩画をたくさん残しました。ほとんどの題材が、四季を通じた『岩手山』です。
新作を仕上げると、必ず私に感想を求めてきて、何を言っても「うんうん」と嬉しそうに聞いてくれました。
舅の絵を眺めていると、その無為自然の生き様が彷彿と思い出されます。



                 

 私の母の油絵です。
母はなにを血迷ったのか、70歳近くになって突然油絵教室に通い始めました。
上達する前に亡くなってしまって無念ですが、私はこの花の絵が大好きです。
青い色の背景から浮かび上がる白い花びらをじっと見ていると、幽玄の世界に入り混んでしまうような神秘的な感じがしてきます。
もっと長生きして描き続けていれば、名作を生み出したかもしれません。



                 

 じゃ~ん! なにを隠そう、nihaoの鉛筆画です。
中学卒業以来美術とは全く無縁でしたが、数年前、1年間だけデッサン教室に通った経験があります。
毎回どきどきしながら参加していましたが、どうやら私は、対象をより大きく表現したがる癖がありました。
ピーマンならカボチャ、ティースプーンならスコップほどに巨大化してしてしまうので、いつも用紙が足りなくなってしまうのです。
このスニーカーも、限られた用紙の中におさめるのにとても苦労して、何度も描き直ししましたが、大きく描いた割には質感も量感も表現されておりません。
デッサン教室は、姑の病気で中断してしまいました。
描く魅力に取り憑かれる前に止めてしまったので、再開の意思はありません。
でも.......「上手だね!」とおだててくれる人がいるならば、木に登る豚になるかもしれません。