『国立モスクワ合唱団』
盛岡市民文化ホールで行われた国立モスクワ合唱団のロシア民謡を聴いてきた。
ロシア民謡というと、復興を目指す戦後の若者たちのBGMのような存在の音楽だった。
秘密のベールに包まれていた東側諸国への憧憬のようなものもあったかもしれない。
会場は、私よりちょっと上の年齢の紳士淑女が多かった。
力強く美しい短調の旋律が身体の隅々まで染み渡り、懐古的で感傷的な晩秋の夕べとなった。
※ ※ ※
朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べ、次にすることは化粧と決まっている。
化粧をするとスイッチが入って戦闘モードになる。
だから早めに化粧を済ませ、そして大急ぎで残りの家事にとりかかる。
夫の出勤を素顔で送り出したことは一度もない(ああ、なんと立派な妻であることか)
しかしこれは長い間に身に付いた習慣というだけで、化粧に特に関心や興味がある訳ではない。
「塗ればいいんでしょ、塗れば!」というおざなりの感じでやるので、娘からは
「お母さんは化粧をしても何も変わらない!」と言われる。
化粧をしても変わらない....
究極の誉め言葉だと思って喜んでいたらどうやらそうではないらしい。
だから最近は、せっせと厚めの塗り壁にする。
ところで最近化粧の最中に
「今朝、顔を洗った? いやまだ洗っていない??」
との相反する疑問が突然湧きおこるようになってきて困っている。
若い時にはありえなかった疑問。ご飯を食べたことを忘れるのも時間の問題だろう。
いくら考えても思い出せない。
だからといってスタートラインに戻って洗顔からやり直すのは面倒...え~いっ、続行!
寝起きのままの顔に化粧をするという感覚は実に不快なものだ。
たいした問題はない筈なのに、すごく背徳的行為をしているかのような気分に陥る。
しかも化粧品が肌に触れた途端に汚物に化学変化したような感じになり、塗りたくる毎に自分の尊厳が失われていきそうでやり切れない。
こんな化粧顔では一日憂鬱。
それなのに「不快」と「やり直しの手間」を秤にかけて、「不快」の方を選択する自分のおぞましい本性に嫌気がさす。
さらに......
歳を取ると、夜よく眠れない割には朝が早い。
私も早起きだ。4時半頃にはベッドを抜け出して居間に行く。
外はまだ真っ暗だが、つい習慣で部屋中のカーテンを開けて朝を迎える準備をする。
一人分のコーヒーを入れゆっくり新聞を読む。
昨夜のミステリーの続きを読むこともある。
あっという間に時間が過ぎる。「いけない!朝ご飯の支度をしなくっちゃ!」
ふと窓外に目をやるといまだ明けぬ闇。暗いまま。
そこで私は窓辺に寄っておもむろにすべてのカーテンを閉め始める。
さて久々のクイズです。
『問題』 私は先ほど開けたばかりのカーテンをなぜ閉めたのか?
(1)早く起きすぎて眠くなり、カーテンを閉めてもう少し寝ようとした。
(2)なかなか明けぬ外の風景を見て、もう夜になってしまったと勘違いした。
(3)ミステリーに夢中になりいつの間にか本当に夜になってしまった。