blog-cafe

マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

歳をとると...

2011-11-28 12:50:00 | Weblog
     

『国立モスクワ合唱団』


 盛岡市民文化ホールで行われた国立モスクワ合唱団のロシア民謡を聴いてきた。
ロシア民謡というと、復興を目指す戦後の若者たちのBGMのような存在の音楽だった。
秘密のベールに包まれていた東側諸国への憧憬のようなものもあったかもしれない。
会場は、私よりちょっと上の年齢の紳士淑女が多かった。
力強く美しい短調の旋律が身体の隅々まで染み渡り、懐古的で感傷的な晩秋の夕べとなった。


                ※  ※  ※



 朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べ、次にすることは化粧と決まっている。
化粧をするとスイッチが入って戦闘モードになる。
だから早めに化粧を済ませ、そして大急ぎで残りの家事にとりかかる。
夫の出勤を素顔で送り出したことは一度もない(ああ、なんと立派な妻であることか)

 しかしこれは長い間に身に付いた習慣というだけで、化粧に特に関心や興味がある訳ではない。
塗ればいいんでしょ、塗れば!」というおざなりの感じでやるので、娘からは
お母さんは化粧をしても何も変わらない!」と言われる。

 化粧をしても変わらない....
究極の誉め言葉だと思って喜んでいたらどうやらそうではないらしい。
だから最近は、せっせと厚めの塗り壁にする。

 ところで最近化粧の最中に
「今朝、顔を洗った? いやまだ洗っていない??」
との相反する疑問が突然湧きおこるようになってきて困っている。
若い時にはありえなかった疑問。ご飯を食べたことを忘れるのも時間の問題だろう。
いくら考えても思い出せない。
だからといってスタートラインに戻って洗顔からやり直すのは面倒...え~いっ、続行!

 寝起きのままの顔に化粧をするという感覚は実に不快なものだ。
たいした問題はない筈なのに、すごく背徳的行為をしているかのような気分に陥る。
しかも化粧品が肌に触れた途端に汚物に化学変化したような感じになり、塗りたくる毎に自分の尊厳が失われていきそうでやり切れない。
こんな化粧顔では一日憂鬱。
それなのに「不快」と「やり直しの手間」を秤にかけて、「不快」の方を選択する自分のおぞましい本性に嫌気がさす。


 さらに......
歳を取ると、夜よく眠れない割には朝が早い。
私も早起きだ。4時半頃にはベッドを抜け出して居間に行く。
外はまだ真っ暗だが、つい習慣で部屋中のカーテンを開けて朝を迎える準備をする。
一人分のコーヒーを入れゆっくり新聞を読む。
昨夜のミステリーの続きを読むこともある。

 あっという間に時間が過ぎる。「いけない!朝ご飯の支度をしなくっちゃ!」
ふと窓外に目をやるといまだ明けぬ闇。暗いまま。
そこで私は窓辺に寄っておもむろにすべてのカーテンを閉め始める。


 さて久々のクイズです。
『問題』 私は先ほど開けたばかりのカーテンをなぜ閉めたのか?
 
(1)早く起きすぎて眠くなり、カーテンを閉めてもう少し寝ようとした。
 
(2)なかなか明けぬ外の風景を見て、もう夜になってしまったと勘違いした。

(3)ミステリーに夢中になりいつの間にか本当に夜になってしまった。








もう一度会いたい

2011-11-10 19:54:35 | ももちゃん
 友人のyumekoさんが、ブログを読んで我が愛犬の死を知り弔花を送ってくださいました。
yumekoさんは東京都大田区の【夢や】という素敵な花屋さんのオーナー夫人です。

 yumekoさんのブログ【夢だより 花だより】で、最近はペットの死を悼み花を贈る人が増えていることを知りましたが、まさかももちゃんが戴けるとは...
思いがけないご厚意に感謝感激です。
舅・姑が眠っている仏壇より華やかになったももちゃんの祭壇↓
なんと言っても持つべきものは友達 いや花屋の友達です。



  



 ももちゃんは、ペットの葬儀屋さんで火葬してもらいました。
ゴミ処理場でも焼いてくれるのですが、ゴミと一緒に焼却されるのは不憫なので、葬儀屋さんにお願いしました(一万七千円也)
この金額には、葬儀屋の社長さんによる簡単なセレモニーが付いています。

 社長さんの下手くそな般若心経とか、あらかじめテープに録音されているペットからの感謝の言葉(お父さん、お母さん、ももは大変幸せでした...みたいな)とかを聞かされます。
私はその作られた嘘くさい世界にちょっとうんざり。
オットーにいたっては笑いを噛み殺すのに苦労していました。
このような神聖(?)な場で真面目になれないことが、我ら夫婦の最大の弱点です。
 
 セレモニーが終了すると、ももちゃんは数珠とお守りを身につけてもらって火葬場に移動しました。 
火葬に要する時間は40分ほどです。
我らはお茶とお菓子が用意されている部屋で待っていました。
その部屋にあった【犬と私の10の約束】を読みながら、私ははたしてよき飼い主であっただろうかと自問自答していました。
よき飼い主ではないとしても、悪しき飼い主ではなかったと思うのですが......

 社長さんが
「癌などの病気がある犬は焼くのに時間がかかりますが、ももちゃんはとても早くきれいに焼けました。」
と言ってくれたので、なんだか誉められたような嬉しい気分になりました。
穏やかな死であったことが幸いです。

 「おい、骨壺を落とすなよ!」
やっぱりね。言わずもがなのことを言うオットー。
言われた通りに細心の注意を払いながら帰宅の途に就きました。


 「私はペットロス症候群にはならない!」
と常々断言しておりましたが、どうやらそれはちょっと違ったかも...

 生前とりためておいた写真を飽かず眺めていたり
特に死の数時間前に撮った動画を繰り返し再生しては、ぐすぐすと鼻をかんでいたり
窓を叩く風の音に、ももちゃんが帰ってきたような気がしたり
どのような方法でもよいから、もう一度だけ会いたいと願ったり

 ああ、もしかしたらこういう症状をペットロス症候群と言うのでしょうか?
たかがペット、されどペット。
それにしても両親との別れの時にも感じなかったこの寂しさはなんでありましょう?










赤い靴

2011-11-05 13:45:00 | おすすめ記事
 童話【赤い靴】は、赤い靴に魅せられた少女が、死ぬまで踊り続けなければならない呪いにかけられるという、アンデルセンによって書かれた作品です。
原作はとても残酷で怖い内容です。

 踊り続け疲れ果てた少女の最終的な選択は、自分の足首を切り落とすことでした。
少女は首切り役人の前に自分の足を差し出します。
切り落とされた足と靴は、ぴょんぴょん跳ねてどこかへ去っていきますが、生まれ変わって真面目に生きようとする少女の前に、なおも時々姿を現し、しつこくつきまといます。
大切な自分の足を犠牲にしても許されることのない少女の罪
この靴の正体は一体何なのでしょう。すごくやり切れない作品です。


 幼い頃に読んだ幼児向けの作品では、改心した少女の祈りが天に届いて靴が脱げるという内容になっていました。
それでも私は子供心に
むやみに我が儘を言って親を困らせたり、ものを欲しがらないようにしよう。
と結構本気で反省したものでした。
死ぬまで踊り続けることがどれほど残酷な罰であるか、想像するだけでも強烈な痛みを伴いました。
赤い靴の教訓は、よい子の読者を震えあがらせるだけの効果があったのです。


 少女期に再度『赤い靴』を読んだ時は、なんと理不尽な作品であるかと思いました。
貧しく不幸な少女が、たまたま目にした赤い靴を自分のものにしたいと願っただけで、なぜそのような重い罰を受けなければならないのか、いくら考えても納得がいきませんでした。
しかも心からの反省や祈りすら通じないのです。
このような出口なしの世界では、何を拠り所に生きていったら良いのでしょう?
でも深く考えることの苦手な私は
罰が当たってもいいさ。欲望には忠実であろう!
という開き直った結論を導き出し、赤い靴の呪いから少し自由になりました。


 最近私が考えていることは...
人間は、いや命あるものは皆生まれた時から赤い靴をはいていて、その力によって生かされているのではないかということです。

 私たちは、ふと立ち止まって自分と自分を取り巻く世界について考えることがあります。
でもよく考える暇もなく、気がついた時にはもう次の一歩を踏み出しています。
迷ったり、逃げだそうとしたり、闘おうとしたり、深く考えようとしたりしなくても前へ前へと進めるのは、赤い靴をはかされているからではないでしょうか。
赤い靴は、目に見えない足枷でもあるけれど、日々のノルマをこなすために必要不可欠なアイテムであるのかもしれません。
このように考えて初めて、子ども時代から囚われていた私の中の赤い靴の呪いは去っていきました。
私もいつの間にか知らないうちに、ずいぶん遠くまで歩かされてきたものです。
歩くことを止めるのは私ではなく赤い靴。まだまだ歩かなければならないのでしょうか?


 最近我が家の老犬ももちゃんも、玄関に落ちたり家具や壁にぶつかって痛い思いをしながらも狂ったように歩き回っておりました。
私にはももちゃんが危険を顧みないのではなく、ももちゃんの赤い靴が好き勝手をしているような感じにしか見えませんでした。
1週間ほど前からはよく転倒するようになりましたが自力では起きあがれません。
立たせてあげると2・3歩歩き、また転びまた立たせ...前進することしか望んではいないようでした。。
しかしももちゃんもついにその赤い靴を脱ぎました。11月3日13時40分永眠

 すっかり力尽き命の灯が消えそうになってからも、左前足を何度も床に叩きつけ立ち上がって歩こうとしていました。
きっと元気に野原を駆け回っている夢を見ながら死んでいったことと思います。
私は何度も「あなたの赤い靴を脱ぎなさい」と言ったのですが、ももちゃんの赤い靴の到達点は、まだまだ遠くを示しているかのようでした。






  ※カテゴリーに『ももちゃん』を追加しました








秘湯巡り

2011-11-01 13:00:00 | Weblog
 明日11月2日は我ら夫婦の結婚記念日です。
去年はうっかり忘れてしまいました。だからといって特に問題はありませんでした。
今年はしっかり思い出しました。だからといって何も特別なことがあるとは思えません。
その日その日を生き抜くのに精一杯で、メモリアルな行事にはあまり関心がないというのが現状の我らです。

 夫婦が共通の話題と趣味を持っているか...これは高齢期にさしかかった夫婦にとって、大変重要な問題であります。
夫婦の楽しい老後は、まさにこの問題の解決にかかっています。
私も、深刻な亭主在宅拒否症候群になる前に、何とか夫と共有できる趣味の時間を持ちたいと密かに模索しておりました。
もちろん麻雀や競馬以外の...

 なかなか見つかりませんでしたが、やっと私の出した答がこれです↓

     
   東北秘湯巡り!  ※秘湯(人にまだあまり知られていない鄙びた温泉)


 夫は温泉が大好きで一人でもよく出かけますが、私は徹底的な出不精体質。
でも温泉巡りではなく秘湯巡りと銘打って、目標達成への難易度とステータスを上げることによって自分自身との折り合いをつけました。
自分で言うのも何ですが、この件に関しては、私の歩み寄りによる功績が大きいです。
でも今では私の方がはまっているかもしれません。
実はあまり記事にはしていませんがもうかなり行っています(10数カ所?)
今のところ、ももちゃんのために夕方までには戻れる東北秘湯巡りしか出来ませんが、そのうち全国の秘湯界にデビューすることになると思う我らです。


 私が考える秘湯の条件は
★未舗装の山道の奥の奥にあってアクセスが極めて困難であること
★人の手があまり加えられていない大自然のロケーションであること
★良質で癒される泉質であること

 携帯電話が圏内だったり、舗装された主要道で行けるような温泉は秘湯とは言えないと思います。


           

               (抱返り渓谷)

 昨日は秋田県仙北市にある【夏瀬温泉】に行ってきました。
テレビで、この温泉は利用客満足度ランキングが上位で、特に女性に大人気であると言っていたのを聞き、我が家からそんなに遠くない距離なので、それではと早速検証にやってきた訳です。(何とフットワークの軽い我ら!)


           


 秋田街道から横道にそれ、美しい抱返り渓谷の景色を見る余裕もなく断崖絶壁の未舗装道路を6キロ走行してやっと山の一軒家『都わすれ』に到着です。
かなり高レベル秘湯感が漂いますが、それに比してお宿のインテリアの方が...




  (女子用トイレ)        (ラウンジ)


 今まで行った秘湯の宿は、いずれも鄙びた古民家ばかりでした。
しかしこちらは、浴室もお部屋もどこもかしこも女性の喜びそうな贅沢でお洒落なインテリアで溢れています。
かなり高級そうなお宿で従業員さんたちのサービスも洗練されています。
おそらくこのミスマッチなレジャー感覚が女性たちを虜にするのだと思われます。
苦労して山奥までやって来た甲斐があったと思わせてくれるのも、良き秘湯の絶対条件です。
nihaoも500円の日帰り入浴料金だけでたっぷり楽しんで参りました。