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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

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役満成就

2009-11-29 10:30:00 | Weblog
 年末ジャンボ宝くじが発売された。
冷静に考えれば当たるはずがないのは分かっている。
しかし買わなければ絶対当たらないのも道理、だから買う!

 宝くじを買うときはいつも縁起をかついで、良い夢を見た日に売り場に出向く。
今年は発売開始日の翌日に「ネズミを捕まえる夢」を見た。
逃げるネズミを追いかけて苦労して捕まえる夢。
ネットの夢判断を検索したら「財政上昇の兆しあり
しかもニュースで、統計的に宝くじが当たる確率の高い名前のイニシャルは、T・Kの男性と報告されていた......奴だ!
 
 これはネズミの夢を見た私が、夫に付き添って宝くじを買いに行けというありがたいお告げに他ならない。
馬券なら積極的に買うくせに、宝くじには消極的になる夫を無理矢理連れ出して買い求めてきた。
帰宅後、うやうやしく仏壇に宝くじを捧げお茶とご飯をお供えして、爺爺様と婆婆様にお願いした。

 「決して贅沢は言いません。
    一億でも三億でもどちらでもよいです。
          なにとぞあなたの嫁に幸運を!」

 ただし......ネズミは窒息死させて捨ててしまった。
それが夢判断ではどう転ぶのかすごく心配だ。

 しかも宝くじを買った日に、毎日欠かさず日課として楽しんでいるパソコンの麻雀ゲームで、私は人生初の実に珍しい役満『地和(チーホー)』を上がった。


          



 嬉しくて思わず証拠写真を撮った。

 『地和』とは、子が牌が配られた時点で聴牌(テンパイ)し、かつ第1ツモで上がる役だが、もちろん私は、リアル・バーチャルいずれの麻雀でもお目にかかったことはない。
これは麻雀の技術とは全く無関係で運頼みだけで上がる役である。

 もしかしたら私の運勢のすべてを使い果たしてしまったのではないだろうか?




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究極の選択

2009-11-27 11:30:00 | 読書
 
           


 しばらく図書館が休館するというので、久しぶりにブックオフに出かけて本を調達してきた。
書架の前に立つと、本を選ぶと言うよりは本に選ばれている(本が少ないから)感じがするのが何とも嬉しい。
本たちが皆、私との出会いをひっそりと待っていてくれたような気がするのは考えすぎだろうか?
ホラーの名作、小野不由美『屍鬼』は上巻しかなかった。

 『プラチナ・ビーズ』(五條瑛 集英社 1999年)は、日本、アメリカ、北朝鮮の諜報戦争を軸にしたスパイ小説。
物語としても楽しめるが、人種問題や食糧問題や外交問題などを通して、リアルな国家の問題を浮き彫りにした内容の作品。
しかし実はこの本の展開とは全く無関係の、ある一節に大いに悩んでしまった。

 それは......「不幸せな賢者」と「幸せな愚者」、どちらになりたいかという究極の選択を問うた箇所。
ちょっと哲学的な比較で難解だから、今風に「不幸せな天才」と「幸せな馬鹿」と直してみる。
どちらを選択するかで個々人の価値観や人間性が判断できそうな気がする。
もちろん正解はない。

 そこで私もいろいろな例題を考えてみた。
言葉の解釈は各人の持つイメージで違ってくるだろうが、最低と最高を連想して直感で答えてみよう。
たとえお遊びとは言え、だんだん苦しくなってくることを保証する。

「不幸せな天才」と「幸せな馬鹿」
「不幸せな金持ち」と「幸せな貧乏」
「不幸せな美女(美男)」と「幸せな醜女(醜男)」
「不幸せな二十歳」と「幸せな百歳」
「不幸せな百獣の王」と「幸せな羽虫」
 
 と......ここまでの、私とたまたま側にいた娘の選択はすべて「幸せな○○」の方を選択した。
どうやら人間(...って私と娘だけだが)は、幸せを追求する生き物らしいとわかったが、ついでに夫の答も聞いてみたら、奴は迷わず全て「不幸せな○○」の方を選択した(なんと恐れを知らない奴だ!)
たった三人分の回答だけで分析するのは早計だが、夫が幸せを捨てる覚悟があると知ったことは今後大いに参考になりそうだ。

 では以下↓はどうだろう?とても辛い選択だ。

「不幸せな生者」と「幸せな死者」
「不幸せな健康的精神」と「幸せな不健康的精神」
「不幸せな五体満足」と「幸せな五体不満足」
「不幸せな介護者」と「幸せな被介護者」

 ああ、私は不幸せでも一向に構わない! 
自分の作った例題を考えているうちに泣きそうになった。




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受信と発信

2009-11-24 10:50:00 | Weblog
 [闇があるから光がある。俺たちが本当にいい生活をしようと思うなら、うんと苦しいことを味わってみなければならない。いつかこの愛で完全にタキちゃんを救ってみせる。魂だけは売るな、それは僕があの晩タキちゃんから預かっていたはずだから......]

 22歳の小林多喜二が、娼家の酌婦田口タキに宛てて書いた恋文である。
まだ若い多喜二にとって、タキを身請けすることは大変な難問であった。
「いつかこの愛でタキちゃんを救ってみせる。」
青年らしい恐れを知らない果敢さと純粋さが満ちあふれている。

 【盛岡てがみ館】の『てがみシアター~手紙の朗読を聴く~』に出かけ、小林多喜二や寺山修司などの六通の手紙(恋文)の朗読を聴いてきた。

 恋文は、書き手が世界でたった一人の読み手に宛てて切なる思いを込めたもので、人目に触れることを一切意識せずに書かれた個人的なものだ。
まさか後の世で研究されたり朗読されて公開されるとは、たとえ作家であっても、恥ずかしくてあの世で照れているのではないか...と考えると愉快になるし、私信であるからこそ、嘘いつわりのない人となりを知る上で貴重な資料になるのだとも言える。

 朗読家は、20代から80代までの幅広い年齢層や性別の音声を使い分け、それぞれの恋文の醸し出す世界を情感たっぷりに読み上げた。
そこで私は、手紙という特殊な作品世界を朗読表現するためにはどのような苦労があるのか興味を抱き、厚かましいのを承知の上で朗読家の女性に訊ねてみた。

Q)手紙の朗読は難しくないですか?
A)文学作品などと比較したら難しいけれど、手紙には個人の熱い想いや温かい心が溢れていて、手にするだけでどのように読んで欲しいかと訴えてきます。
朗読家は受信機。たくさんの思いを受信してよりよく発信したいと思っています。

Q)受信と発信の意味をもう少し具体的に教えてください。
A)受信は作品世界の読解のことで、発信はそれを表現することです。
受信なき発信をしても作品の世界観に到達することは出来ません。

Q)私のような悪声でも朗読家になることはできるでしょうか?
A)美声・悪声の問題ではなく、読解力と表現力を身につければ出来るようになります。あと大事なことは声の調子を維持するために筋力を鍛えなければなりません。

 筋力の鍛錬......この箇所で私の朗読家への夢は儚くついえた。
しかし正しき受信、よりよき発信の心構えは、アートの世界だけではなく、すべての人間社会にとって重要なことであると気がつかされた。

 ちなみにこの朗読家の名前はMajuさん。
あれっ?どこかで聞いたことがある名前だ......




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自己満足

2009-11-20 10:50:00 | 手仕事
 

        


我が家が利用しているペットサロンは送迎つき。
わざわざ出向かなくてもよいので大変重宝しているが、この日のももちゃん、サービス用の黄色いミニワンピースを着せてもらって戻ってきた。

 ペットにいろいろな種類の衣服を着せて楽しんでいる飼い主さんはたくさんいるが、私はももちゃんに洋服を着せることは滅多にない。
唯一厳寒期の散歩用のコートを一着持っているだけだが、着せるとどこか嫌がっているような、そわそわと落ち着かないようなそぶりをする。

 そもそも犬は、自分の生態に一番相応しく一番似合う毛皮を着て生まれてくるのだから、そのままの姿が一番美しく、かつ生きやすいのではないかと思う。
いくら可愛いからと言って、犬を擬人化してファッションショーなどをする行為は、単に飼い主の自己満足でしかないのではないだろうかとずっと疑問に思っていた。

 しかし、ももちゃんも来月15歳の御老体となると......彼女の唯一の財産の毛皮も、ここにきてめっきりと色褪せ艶を失い毛並みは乱れ剥げ落ちて......と無惨な様相を呈してきている。
しかもどんどん痩せて筋肉が落ち骨格が浮き出てくる。
私の体感が適当とする温度で暮らしているももちゃんにとって、冬の寒さはかなり辛いのではないだろうか。
そう言えば、いつもストーブの熱風の前を陣取って寝ている。

 ペットの衣服には、防寒防水防虫・抜け毛対策・汚れ防止などの利点があるというから、そろそろももちゃんにも洋服を着せる必要があるかもしれないと考えていたところに、友人M嬢がやってきて......
 「まあ、ももちゃん。なんてダサい服着せられているの!
       お母さんにもっと素敵な服を作って貰いなさいよ!
と言われた
そこまで言われると作るしかない。


     


 薄手のウールの端布を利用した。
小さいのですぐ完成するかと思ったら結構面倒だった。
このチェック柄は、実は2週間前に縫い上げた私の簡単服とお揃いだ。


           


 ペットとお揃い、これこそ飼い主にとって究極の自己満足だ。
なんとも安易な方針転換でお恥ずかしい。




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夜の図書館

2009-11-17 08:30:00 | 読書
 晩ご飯を食べた後テレビの前で寛いでいたら、はたと思い出した。
「しまった!図書館の本を返すのを忘れていた!」
しかも返却日を既に五日間も過ぎている。

 この手のうっかりミスはよくあること、普通の人なら全然気にしないだろう。
しかし律儀なnihaoは、一度気になるといてもたってもいられない。
そうだ!図書館の入り口に返却ボックスがあったはず。
休館日や閉館後はそれを利用するとよいと聞いたことがある。
慌てて返しに行ったからって誰からも偉いと誉められる訳ではないが、私は借りていた五冊の本と運転免許証入り財布をバッグに詰め込み、急いで夜の図書館に向かった。

                  ※

 図書館前に設置されている木製の返却ボックスは、なんだか闇を呑み込む大きなゴミ箱のような感じがした。
私はバッグから手探りで本を取り出し、一冊ずつ数えながら投げ入れていった。
一冊...二冊...三冊...四冊...五冊...六冊...
あ、あれっ? いつの間にか本が一冊増えている。
家を出る時、タイトルを確認しながらバッグに入れた
確かに本は五冊だった......なんでいきなり六冊になった?
もしかしたら、こ、これが例の図書館ホラーと言うやつか?
最近「便所の花子さん」が図書館に引っ越してきたとの噂話が流行している。
私は恐る恐るバッグの底をのぞき込んだ。

   「ぎゃあ~~!!!

ない!ない!ない!  プラダの財布が入ってない!
やだ~っ!! 間違って財布も返却ボックスに入れてしまったよ!
財布の中には、今朝銀行からおろしたばかりの今月の生活費50万円が手つかずで入っている。
ああ、私の大型プラダ50万入りの財布は、哀れ、単行本と一緒に深いブラックホールの中に消えていった。

 図書館の職員はもう誰も残っていない。
どこに電話したらよいかも分からない。携帯電話も不携帯。
ボックスの入り口に腕を差し入れてみたが、ただいたずらに闇をかき回すだけ。
為す術がまったくみつからない。
さてどうしたらいい? あなたならどうする?

               ※

 ところで賢明なnihaoが、いくらなんでもこのようなドジを踏む筈がない!

 上記の文章は、ひとり夜の図書館の返却ボックスの前に佇み、ふと心によぎった「nihaoならさもありなん」という妄想をシミュレーションしただけのことだ。
あらかじめ最悪の事態を想定したおかげで、私は、このような馬鹿げたミスを回避することが出来た。ホントによかった。
図書館利用諸氏にとって、なにかの参考になれば幸いである。
『図書館の花子さん』『大型プラダ50万入りの財布』は真っ赤な嘘だ。

 

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傷ついた経歴

2009-11-15 10:20:00 | 中国語
 『我的経歴』(私の経歴).....宿題の中国語作文のタイトルだ。

 ろくな経歴のない私にとっては何を書いたらよいか全くわからない。
『私の趣味』とか『私の好きな食べ物』とか、もっと簡単に書ける作文にしてくれればよいのにな。
しかも「箇条書きの履歴書にしてはいけません!」とは厳しい条件だ。
今までの人生で印象深い部分を切り取って書かなければならないと言うから、日本語で書くのだって難儀する。
自慢にもならないが職歴は4年間しかない。
仕方がないからその時の失敗談を書くことにした。

 以前『ラブレター』を書く宿題を出されたことがある。
意外にこの課題はみんな燃えた。
日本語では恥ずかしくて言えないことも外国語では大胆に表現できる。
ラブレターを渡す相手はもちろん愛する旦那......の筈がない!
みんな憧れのスポーツ選手や芸能人に宛てて、せっせと愛の言葉を紡いだ。
私も張りきって書いた。
大好きな『爬巴洛提さまへ』 ←さて、これが誰だか解る人はいるかな?
人名辞典に載っていないので勝手に漢字を当てはめてみた。
決して届くことのないラブレターなので、書いた後ちょっと虚しくなった。

 さて『我的経歴』は、レッスン前日に半日かけてやっと仕上げた。
苦労して書いた作文だから講師による赤ペン指導の結果も楽しみと、レッスンを心待ちしていた私のもとに突然飛び込んできたニュースは......

 講師の身に起こったある突発的な事情、いや、彼女がしでかした不始末!
当然ながらレッスンは、今後すべて打ち切りとなるであろう。
歴代講師のなかでは一番語学教師の才能があると思っていたし、全面的な信頼を寄せていたので悔しく残念でならない。
我ら仲間の間にも大きな衝撃が走った。
誰の胸にもよぎった、ありえないという思いと信じられないという思い。
知り合ってまだ半年だが、彼女から受けた影響はかなり大きかった。

 昨日は講師不在のまま自分たちだけで勉強した。
各自が講師から提出されていた宿題の『我的経歴』を黒板に書いて、みんなで文法のミスを訂正しあったり感想を述べあったりした。
このような自主的な学習方法と意欲を我らに育ててくれたのも、他ならぬ彼女の指導の賜物で、もし彼女が知ったらきっと喜んでくれることだろう。
彼女の不始末は許されないことだが、彼女を失うことはとても悲しく痛い。

 講師は我らに『我的経歴』という課題を出した。
我らの経歴は平凡なものだが汚れてはいない。
しかし講師は、自らの『我的経歴』を傷つけたまま我らの前から去って行った。

私は一言だけ彼女に言いたい。「貧しくとも正しくあるべきだ!」と。

 


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ニシン漬けに挑戦

2009-11-12 10:50:00 | グルメ
          


 盛岡市中央公民館にて、昨夜からライトアップされた夜の紅葉。
春の夜桜には幽玄を、晩秋の夜の紅葉には哀愁を感じる。
公民館入り口では、インド人とおぼしき男性がカレーとナンを販売していた。
風に乗った仄かなカレーの香りと夜の紅葉の取り合わせの妙が楽しい。

               ※

 昨夜から一気に冷え込んでちょっと安心している私は、主婦人生初の『ニシン漬け』に挑戦したから。
ニシン漬けは、鰊を使った北海道を代表する冬の漬け物。
食卓に無造作に置かれた山盛り丼のニシン漬けは、子どもの頃から馴染みの風景だった。
母は私に、亡くなる前年までニシン漬けを送り続けてくれた。

 実は私も夫も、この魚と野菜が渾然となったワイルドな味の漬け物が苦手なのだが、母に気の毒で「もういらない!」と言うことは出来なかった。
私にとって、母が作る料理が何でも美味しい思い出に繋がるということが幻想であることを教えてくれたのが『ニシン漬け』である。
心優しき長兄は
「毎年母さんのニシン漬けを楽しみにしているよ」
と言って母を喜ばせていたらしいが......たぶんお世辞。

 しかし今回の里帰りで、弟嫁が用意してくれた市販品のニシン漬けがマイルドな味で大層美味しく戴けた。
残っている袋をお土産に貰って夫に食べさせてみたところ、瞬く間に食べ尽くし「もっと食いたい!」と言い放った。
そこで料理名人の友人S嬢から自慢のレシピを送ってもらい、この面倒な漬け物に着手した次第だ。


        


 大根を干したり、野菜の下漬けをしたり、身欠き鰊を戻したり、麹漬けの素を作ったりと、この一週間はニシン漬けの準備にかかりっきりだった。
S嬢曰く
「晩秋の北海道の女は忙しい」
と深いため息をつくが、今でも北海道の女たちにとっては、冬支度の風習のひとつとしてニシン漬けが位置づけられているらしい。
当地は北海道より暖かいのでこの先の気温が気になるところだが、はたして私の初挑戦は母の味を超えるであろうか?

 ああ、それにしても......この大根の干し方は、まるで首つりではないか!
大根など干した経験がない私でもイメージだけは持っている。
しかし全然その通りになってくれないので困ってしまった。
この歳になってもこの程度の浅知恵しか身についていないのが情けない。
 



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樋口了一さんの『手紙』に思う

2009-11-09 16:25:00 | Weblog
 姑の命日の二日ほど前に
「今回は体調が悪いのでお参りには行けません。ごめんなさい。」
とN嬢から電話がかかってきた。

 N嬢は亡き姑の友人で、年齢は私とふたつしか違わない。
昔から実母のように姑を慕い何かと気遣いをみせてくれていたが、50代半ばで脳梗塞で半身不随となり、若くして介護生活を余儀なくされた。
現在は在宅でご主人の介護を受けている。

 N嬢がまだ健在だった時は、度々姑を伴なって近隣へのドライブや温泉に誘ってくれ、姑を大変喜ばせてくれていた。
私は感謝の気持ちを抱くとともに、なにやらちょっと言葉には出来ない複雑な思いをしたものだ。
(姑は私がどこにも連れて行かないのをN嬢に訴えているのだろうか?)
(ふたりで私の悪口を言っているのではないだろうか?)
......嫁というものは常に姑に対して、沈着冷静ではいられない理不尽で得体のしれないものを増幅させているものだ。

 そのN嬢、電話口で切々とご主人の介護への不満を述べ、自由にならない身体機能を悲観し絶望し、何度も「早く死にたい」と口走る。
何もかもが思うようにならないこと、快適ではないこと、大事にされていないことを涙ながらに訴えてくるので、私も身につまされてやりきれなくなる。
介護経験がある私には、ご主人の苦労もN嬢の苦悩も手に取るようにわかるのだが、在宅介護が抱える深い闇へのアドバイスなどは絶対に出来ない。
ただ一緒になって泣きながら聞いてあげるだけだ。

 俳優長門裕之さんが、認知症の妻南田洋子さんを献身的な態度で介護したということが話題になっている。
夫婦の情愛を伝えることが趣旨であったにしても、一世を風靡した銀幕の美女の老いて痴呆となった姿を、テレビを通して見せつけられたのは衝撃だった。
N嬢は長門さんの著書を買って読んでみたものの、妻が認知症になっても仕事を辞める必要など全くなかった恵まれた介護環境に
「これはいわゆるお金持ちだけに許されている介護の形だ!」
我が身と比べるとますます辛くなり、到底最後まで読み続けることは出来なかったと言っていた。

 樋口了一さんが歌う【手紙~親愛なる子どもたちへ~】←(歌詞にリンクされます。読んでみてください。)という、今までタブーとされてきた介護の精神の本質を赤裸々に表現している歌も話題になっている。
確かにこの歌詞の言いたいことはよく解るし、このような歌を作った作者の勇気を讃えたいと思う。
しかし子育てと介護の精神を、ギブ&テイクの条件で語ってよいものだろうかという疑問がどうしても私には残るのだ。
私はこの歌のような心情を自分の子どもたちには絶対に言いたくはない(やせ我慢だろうか?)
子の立場にしても、この歌の持つ介護の押し売りのような望みを、親から聞かされたくはないだろう(異論はあろうが)

 「私からの遺書だと思って聞いて欲しい。」
N嬢は、この歌のCDを用意してふたりのお子さんにプレゼントしたと言う。
N嬢の切実な気持ちは解らないではないが、はたしてお子さんたちはどのように感じただろう。
このような手段でしか自分の気持ちを託すことが出来ないのが、ただ悲しい。




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ホワイトアウト

2009-11-06 11:00:00 | Weblog
 北の大地から戻り、疲労回復と称し終日「寝たまま読書」をしているうちに、物語の世界にどっぷりはまって読み耽ってしまったのが皆川博子氏の【死の泉
こういう面白い本に出会うと、やっぱり人には物語が必要だと痛感する。
本日は姑の命日。物語に夢中になってうっかり忘れるところだった。
さてさて、いつまでも現実逃避ばかりもしていられないだろう。

 北の大地へ飛んだのは『兄弟会』のためだった。
年老いてきた兄たちの
「冠婚葬祭だけで会うのではなく、これからは時々集まって互いの健康を確かめ合いながら元気に余生を生き抜いていこう!」
との趣旨によるものだった。
皆そろそろ先も見え始め、思い出作りに勤しむ年齢と相成った訳だ。
兄弟揃って父母の思い出話をする時間は、幼子に戻ったような居心地のよい懐かしい空間だった。

 短い滞在期間だったが、中学・高校時代の友人たちと束の間のお喋りをしたり、入院している友人を見舞ったり、いまだ元気で生き残っている最後の親戚・叔母の家を訪問したりと大忙しだった。

 滞在中は寒波が押し寄せ、初雪があれよあれよという間に大雪になり、寒くて寒くて震え上がった。


      


          



 雪で覆われたスキー場。今年は生活にスキーを取り入れてみようかな。
「♪犬は喜び庭かけ回る♪」と言うが、突然の雪景色に呆然と佇むりんご(弟宅の犬)
私は、帰りの飛行機が飛ばないのではないか、いや電車も動かないのではないかとパニックになってしまったが、この程度の雪では動じない北の大地の人々の暮らしだ。


 ところで北の大地への出発の朝のこと。
花巻空港は1週間無料で駐車出来るので、ポンコツ軽を運転して空港に向かった。
花巻空港に着いた途端  あれっ?空港がなくなっている!!
正確に言うとターミナルも駐車場も全面閉鎖されて人っ子ひとりいない。
悪夢を見ているような風景、一体何が起こったのかとおろおろしたが......
風に吹かれて破れて剥げかかっている「エアポート移転」のビラを見つけ青ざめて卒倒しそうになった。

 4月に新空港が完成して移転したというビッグニュースすら、全く知らなかった間抜けな私だ。




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