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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

年末雑感

2010-12-28 12:05:00 | Weblog
         (ワンクリックで拡大)        


 流しの下で三ヶ月間忘れられていたさつまいも。
慌ててスイートポテトに変身させて、我が中国語クラブの忘年会用のおやつとなった。
それにしてもなんだ...日中関係の緊張や悪化に影響されたと弁解するのはおこがましいが、今年ほど中国語学習に身の入らない年はなかった。

 歴史教科書問題や、政治家の靖国参拝問題に関しての反日運動なら致し方ない部分があると思うのだが、先般の尖閣諸島海域での事件で明らかになった中国の覇権主義。
私たち親中派の語学学習者ですら、もううんざりだ。
留学生講師も何だかそわそわと落ち着かない感じでお気の毒。

 以前大きな反日運動が起きた時に講師だった留学生は
「我が同胞による日本人への暴力行為は許し難いことです。本当に申し訳ありません!」
といきなり土下座して謝ってきた。
何ら責任のない留学生たちですら気を遣って暮らしているのだ。
互いに理解し合うことは難しいことだが、大人の外交は出来るはず。
日中関係の修復を期待しつつ、来年はもっと身を入れて勉強することにしようと誓う。




            


 
 今年を表す漢字は『暑』、うだるような猛暑に悲鳴を上げた。

 私の今年を表す漢字は『』、たくさんの嬉しい出会いがあった。

 高校卒業以来(40数年ぶり)初めて、札幌開催の同期会、横浜開催のクラス会に参加して懐かしい友人たちと旧交を温めた。
故郷を出てあちこちに移り住み、いろいろなことを体験し、やっとこの歳になり...
さて、もし人生で何かし残していることがあるとしたら何だろう?
それは昔の仲間たちに会うことだったのかもしれない。
ご無沙汰し過ぎて敷居の高くなった同期会だったが、思い切って出かけてよかった。

 ブログ仲間の【うららさん】とも、オフラインで楽しい交流の場を持つことが出来た。
同期会をきっかけに小学校時代の恩師ともメル友になった。
75歳の恩師のメールは、最初こそたどたどしかったが、日を追うにつれしっかりとした長文メールになってきている。
恩師は文明の利器・携帯電話を持て余し気味だった様子だが、今では私とのメールが楽しみで手放せなくなっているらしい。




          


 今年が国民読書年だったことを知っている人はどれくらいいただろう?
年々増加している国民の読書離れを解消するために、なにか楽しい活動が展開されるのかと期待していたのだが、そんなこともなく終了した。

 国民総読書量(GNR)の底上げに貢献するために、私が今年読んだ本の冊数は143冊
自分でもよく読んだなと驚いている。
内訳の八割はミステリー小説だが、読書カードでタイトルを確認しても内容が一向によみがえってこない。
ミステリーは、時間の中で埋もれて消える消耗の文学か?
いや、ただ徒(いたずら)に時を過ごしていた訳ではない。
ワクワク、ドキドキした感覚は確かに残り、さらなる刺激を求めずにはいられないのだから...   
  (忘れてもよい。読み続けることに意味がある。 by nihao) 


 印象に残った本 ベスト5  
『1Q84 1・2・3巻』  (村上春樹)
『さゆり』     (アーサー・ゴールデン)
『漱石の妻』      (鳥越碧)
『私の男』       (桜庭一樹)
『トーキョー・プリズン』(柳広司)

うかれ電飾ハウス

2010-12-22 12:05:00 | 手仕事



 
 クリスマスの飾り付けをした。
別にクリスマスを楽しみにしている訳でもなんでもなく、年の瀬の雰囲気を出し脳細胞を刺激しなければ、ぼんやりした日常から目覚めることがなかなか出来ないから。
これでやっと私も「もう少し寝たらお正月!」という気分になる。
ああっ! まだ年賀状も大掃除も何にもやっていない!!

 クリスマスグッズを飾ったら「うかれ電飾ハウス」の見学に行きたくなった。
「うかれ電飾ハウス」って、クリスマス用のイルミネーションをど派手に飾り付けたおウチのことらしい。
景気の底冷えが骨身に染みる昨今、電飾ハウスの住人は、身銭を切って大勢の人々を楽しませてくれているというのに、これはまたなんて失礼千万なネーミングであることか。
電気代だけでも10万円を超すらしい。
冷えた夜空に電飾の花々を咲かせ、希望の灯火を点すイルミネーターたち。
趣味とは言え立派なボランティア行為ではないだろうか?
我が身をひとつも痛めずして押し寄せるミーハーこそ「うかれポンチ」だ。

 この時期になると人々の口の端から「あそこのお宅が凄いわよ!」などの耳よりの情報が入ってくる。
テレビで話題になることもある。
しかしお金のかかる趣味のせいか、年々イルミネーターの数は減っている
今回、10年以上前から有名なT邸に出かけてみたが、残念ながら真っ暗だった。
その他数カ所廻ってみたが、どこも信号よりはちょっとマシといった程度。
うかれているお宅など一軒もないような印象を受けた。厳しい世相だ。

 

         

                (nihaoハウスの電飾)

 おやこれは↑、仏壇のろうそくよりはちょっとマシかなといった電飾群。
忘れているのか計算ずくなのか?
隔日点灯もさることながら、電気代を気にしてか点ってもすぐ消える。
清く貧しく正しい住人の暮らしぶりがよく表れている。
エス様は、このような慎ましやかな祈りにこそ確かに答えてくださるのだと思う。
ラーメン...じゃなかったアーメン。



  

  (before)                  (after)
 
 さて気を取り直して...

 12年前に作ったウサギの縫いぐるみ。
埃をかぶり、ドレスもリボンも劣化してみすぼらしくなっていたので、衣装を新調してあげることに。
新年の準備着々と......






プリンセスももの誕生日

2010-12-18 12:03:00 | ももちゃん




 先日16歳の誕生日を迎えたももちゃん。
シーズーの平均寿命は12~14歳だという。
「元気で16回目の誕生日を迎えさせたい」が、今年の私の願いのひとつだった。
今ホッと一息ついているところ。

 ちなみに「自分のペットをちゃんづけで呼ぶのは馬鹿みたい!」とよく非難される。
「ももちゃん(桃張)は、アグネス・チャンやレスリー・チャンと同様にももちゃんまでが本名なのよ!」
...とは以前も書いたことがある苦し紛れの弁解。

 シーズーのような小型犬は、1年目で人間で言う18歳、2年目では24歳に相当し、その後は1年ごとに4歳ずつ歳をとると言われている。
大型犬の場合は、なんと1年で7歳も歳を取るらしい。
となると私の1日はももちゃんにとって4日分!老化の速度も私の4倍だ!!
なにもそんなに生き急ぐことはないのにね...

 犬の年齢を数える計算式は
       24 + ( 犬年齢 - 2 ) × 4
 ももちゃんの場合は、24 + ( 16- 2 ) × 4=80となり、よくここまで病気ひとつせず長生きしたものだと感無量。
そういえばご近所の愛玩犬たち、みんな早死にしてしまった。
ももちゃんの幼馴染みはもう誰もいない。

 近所の動物のお医者さんが
「なんと丈夫な犬.....い、いや、大変上手にお育てになりましたね!」
とお世辞を言ってくれたけれど、私としては、無為自然にまかせていただけ。
犬の都合よりは自分たちの都合を優先してきたし、決して頑張ってきた訳ではない。
ももちゃんに「nihao家の一員となって幸せだった?」と尋ねたことがあるが
幸せでもなかったし不幸せでもなかったワン!」と言っていた(?)
もしかしたらウチの子どもたちもそのように言っているかもしれないな....

 現在は、そこはかとない老臭を身にまといながら一日中惰眠をむさぼっているももちゃんだが、食欲だけは実に旺盛だ。
自分の食事時間になるとのっそりと起きあがり要求の咆哮を開始するのだが、その吠え方が老犬とは思えないほどとても力強い。
餌を与えると若者のようにしっぽを振ってはね回るので、どこにそんな元気が残っているのかと驚く。

 さらに一日3回の我らの食事時間までしっかりと覚えていて、「お恵みください」と言わんばかりに食事の間中ずっと執拗に吠えまくる。
テレビの音は聞こえないし落ち着いて食事も出来やしない。
時々オットーに廊下につまみ出されるが、そんな仕打ちで諦めるももちゃんではない。
こんなにも食欲が健在ということは、まだまだ長生きできるということだろうか?

 「後2・3年は生きるのではないか?」とはオットーの見解。
「まさか!来年はもう駄目でしょ!」とは私の予想。
帰省の度ごとに「ももちゃんの顔を見るのはこれが最後かも」と涙ぐむ娘。
息子ですら電話の最後に「ももは元気?」と必ず尋ねる。

 さてプリンセスももに17回目の誕生日は巡ってくるだろうか?

 



洋館と日溜まりと油絵と

2010-12-13 11:50:00 | Weblog



      
         (旧石井県令邸)


 旧石井県令邸は、現在の岩手県知事にあたる第二代石井省一郎県令の私邸。
盛岡で最も古い本格的な煉瓦造の洋館で明治18~19年に建設された。
洋館の壁を這う蔦の葉は、夏は緑に秋は紅葉にと美しく装い楽しませてくれる。
現在は映画のロケに使われたりギャラリーとして利用されている。

 私のお気に入りブログ【アトリエにいます】の作者・大石早苗さんの個展が旧石井県令邸で開催されているので出かけた。
早苗さんのブログのタイトルは、宮沢賢治の自宅・羅須地人協会の壁の連絡板「下ノ畑ニ居リマス」をもじっている。
アーティストの洗練された感覚が、岩手の風と光と空気を捉える写真満載の素敵なブログだ。
見慣れた岩手の風景も、早苗さんのフィルターを通すと別の景色になるのが不思議。

 静謐でひんやりとした空気が漂う県令邸で早苗さんの絵と対面する。
やわらかく優しい色彩の絵で心が和む。
岩手山、季節の花々、岩手の馬などの身近な素材にあたたかな眼差しを降り注いでいる作品だ。
歴史を物語る重厚な洋館の窓から入り込む冬の日差しが居心地のよい空間を演出している。
石井県令邸の空気感に早苗さんの絵はよく似合う。





 いつもの如く写真センスの全く悪い私。
早苗さんの作品は、こちら→【アトリエにいます】を参照してね。


 その昔、うんと若い頃の話だが
「絵画と音楽と文学、一番自己表現の難しい芸術はどれか?」
などと、論争しても意味のない論争に意味を見いだしていた時代があった。
もちろん正しい答などはない。

 でも、もし私が絵が上手だったら...
誤字脱字を指摘されたり、文法や法則の面倒な文章による自己表現の方法などとらずに、日だまりの中で一日中絵筆を手にして絵を描いていたいものだと夢想する。
自分の思うところを絵で表現するって一体どんな感じなんだろう?
すごく気持ちのよいことだろうと思うのだが実感が湧いてこないのが残念だ。


  早苗さんに、何か気のきいた言葉で感動を伝えたいと思ったのだが...
絵は好きだけれど絵が下手という私は、絵の印象や感想を的確に表現することすらも難しくて出来ない。

 「絵の鑑賞は好きか嫌いかだけで充分だと思います。」
とは早苗さんの言葉。
だったら私...「全部好きです!!」

 
 

 



トルストイの家出

2010-12-08 12:27:00 | Weblog


(レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 1828~1910)

   
 今年はロシアの文豪トルストイ没後100年の年にあたる。
代表作は『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。
誰もが知っている世界一有名な作家だが、さて作品を読むとなるとなかなか大変。
もちろん私も読んだことがない。

 ETV(教育テレビ)特集『トルストイの家出』を見た。
トルストイとその妻ソフィアの日記を、舞踏家の田中泯さん・女優の余貴美子さんの朗読で交互に比較しながら、夫婦の真実及び家出の謎に迫ろうとする興味深い番組だった。

 トルストイは、心の通わぬ妻との生活に辟易し82歳で家出をし、その数日後、田舎の小さな駅舎で肺炎にかかり死に至った。
富裕なロシア貴族として生まれ、当代一の人気作家として人々からあまねく尊敬され、しかもあり余る財産を手にしていたトルストイ。
なぜこのような寂しい晩年を過ごすことになってしまったのだろう?

 トルストイは広大な領地と屋敷を持ち、召し使いたちにかしずかれる生活をしていた。
だが、ロシア国内の抱える問題や状況を見るにつけ、自分自身の贅沢な生活を恥じ、私有財産を持つことに疑問を抱くようになる。
さて、そこでトルストイは考えた!
私の印税や財産、著作権などのすべてをロシアの国民にあげることにしよう!
ソフィアとの間に13人もの子どもをもうけたのだが、我が子の利益よりも民衆の利益を優先しようとしたトルストイ。
領地の地代も拒否していたというから、なんとも寛大な領主さまだ。

 さて、そうなると...もちろん黙ってはいられない妻ソフィア
夫の気高い理想主義など理解できる筈がない。
私だって《戦争と平和》の清書を手伝ったのよ!
あなた!頭おかしくなったんじゃないの?
自分の子どもがどうなってもいいの?
と大反対。
持てるものの全てを貧しい人に与えようとするトルストイ。
家族の権利を守るために必死に闘うソフィア。
夫婦の接点は見いだせず、ふたりの関係に大きな危機が訪れて、絶望したトルストイはついに家出するのだが......

 ところでソフィアは、ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェと並び世界三大悪妻と称されている。
夫の仕事や信念を理解しないというだけで悪妻にされるなんて...これはひどい話だな。
それとも夫が逃亡したくなるほどソフィアは怖い妻だったのだろうか?

 トルストイの私有財産に対する見解は、この時代にしては大変希有で貴重な考え方だと思う。
しかしソフィアの主張もよく分かる。
どちらにも正義はあるのだから、うまく解決できる方法はあったはずだ。
そこで私もソフィアの身になって考えてみた。
老いた夫を家出先で死なせる訳にはいかないもの...

あなたの莫大な財産の半分を家族に!半分を民衆のために使いましょう!
                       (by賢夫人 nihao)

                                


※実はオットーの再就職先の期限がもうすぐ切れる。
奴はもう完全リタイアしたいようだ。
でも私としてはこれ以上家でゴロゴロとされたくはない才能(?)を存分に外で発揮してもらいたい...と思う訳。
そこで口うるさく就活をすすめているんだけれど...あまりしつこく言うと家出されるかしら?




 

最後の一葉

2010-12-03 20:00:00 | おすすめ記事


        
          (最後の一葉)



《マダム・N》ねぇ、O・ヘンリーの『最後の一葉』ってお話、知っている?
《オットー》おお、知ってる。知ってる!
      岩手競馬の最終レース、最後の一葉さんを握りしめて馬券売り場へ...
      おっとっと、その一葉さんではなかったな。 

《マダム・N》馬鹿ね、相変わらず!
     これは昔から不思議と日本人に愛されている物語よね。
       確か...若い画家志望の女性が重い病気にかかって
       窓の外の蔦の葉っぱが全部落ちた時自分の命もおしまいになると...
《オットー》それを知った老画家が、壁に本物そっくりの蔦の葉を描きあげる。
      女性は絶対に落ちない蔦の葉を見て再び元気になったけれど
      無理をした老画家の方が死んでしまうという悲しくも感動的なお話だ。

《マダム・N》小学校の国語の教科書に載っていたわね。
《オットー》道徳の[自己犠牲]の教材として使われているのじゃないか?

《マダム・N》自己犠牲...尊い行為だと思うけれど、あなたには全く無縁な言葉よね。
      もしも、もしもよ、私がこの女性と同じような状況になったとしたら?
《オットー》あはは!
      下手な絵を描いても仕様がないし、糊で貼り付ける訳にもいかないし
      思いっきり木の幹を揺らして早くスッキリとさせてあげるよ!
《マダム・N》こ、この人殺し!


 このような夫婦の会話が本当にあったかどうかは別として...
熟年夫婦の話の最後がブラックユーモアに陥るのは特に珍しいことではありません。


 落ち葉掃きに忙しい今日この頃。
梅の枝に必死にしがみついている最後の葉っぱをぼんやりと眺めていました。
風に揺れて小刻みにふるえているのに落ちそうでなかなか落ちません。
「この諦めの悪い葉っぱの名前はフレディだろうか?」

 私の落葉のイメージは、人生の終末と言うよりも生の循環のイメージの方が強いです。
だから【最後の一葉】よりは【葉っぱのフレディ】のお話の方が好き。
裸になった木の枝先には、春を待つ新芽がこんなにたくさん用意されているのです。
樹木の一生は人の一生よりも遙かに長く凄いけれど...もしかしたら退屈かもしれません。

 最後の一葉が地に落ちたらきっぱりとした冬がやってきます。
でも今年は、なんだか生暖かく気持ちの悪い12月です。
私も、どことなくすっきりとしない日々の中で淀んでいました。

 先月は開店しているのに休業状態だったblog-cafeでした。
体調が悪かった訳でもパソコンの不調でもありません。
強いて言えば老人性鬱病? いや、年寄りの気まぐれか?
自分でも持て余し気味ですがどうにもなりません。
またぼちぼちと始めます。