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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

メモリアルキルト

2008-09-30 09:00:00 | 手仕事
 数日来の急激な冷え込みで、岩手山山頂もきれいな雪化粧となった。
朝夕はもう暖房なしではいられない。

 昨夜から寝る時にこっそり電気毛布を使用し始めた。
恥ずかしい話だが電気毛布を使わないのは6・7・8の三ヶ月間だけ。
今や自力での発熱は不可能だ。

 さて長い間眺めては、思案に暮れていた姑の形見の着物二枚。
やっとほどいて手持ちの布地と合わせてキャミソール風ベストを作ってみた。


           

 
 本当はスカートとかブラウスを作りたかったのだが、かなり古い着物なので強度が心配になり、3㎝幅のテープにしてパッチワークにした。
裏地と布の補強を兼ねて土台布の上に一枚ずつ縫いつけた。
これでかなり丈夫になったと思う。
ブルー系の布地を使用したが、渋くなるかと思いきやちょっとポップな感じになった。

 これらは実母、姑、友人2名の母上たち、計4名のお婆さまたちの思い出深い愛用品を使わせていただいた。
すり切れたり点々と染みが散らばっていたりで、女たちの暮らしの履歴を感じさせられる。
震災もあったし戦争もあった。
みんな苦労して大正・昭和・平成と激動の人生を生き抜いてきたのだろうな。
 
 スーパードライな私ですら、着物に鋏を入れる時は心が揺れ動く。
着古した普段着であればあるほど、お婆さまたちの悲鳴が聞こえてきそうな気がして申し訳なさでいっぱいになる。 でも.......

  「箪笥の肥やしにするよりは、実用品で再生を!
                          (by nihao)

 メモリアルキルトと称してはみても、もしかしたら昔の女たちの怨念のこもったミステリアスキルト、いやホラーキルトかもしれない.......などと想像するとだんだん恐くなってくる秋の夜長。



サッポロ・ウォーカー

2008-09-27 10:00:42 | Weblog
 先日ブランド総合研究所が発表した地域調査で、札幌市が観光・レジャーの人気の街として3年連続でトップとなった。
2位は函館。小樽も上位に食い込んでいる。

 車を利用しても飛行機にしても通過するだけのことが多い札幌市。
今回の帰省では、サッポロビール発祥の地に建てられた総合商業施設『サッポロ・ファクトリー』の一角にあるホテルに宿泊して市内観光を楽しむことにした。

 
          

 ファクトリー内に『マイセン美術館』があったので覗いてみた。
ひととき身の程知らずの甘美な気分を味わったが....衝撃の事実が私を直撃!
写真右の『ブルーオニオン掛け時計』
あれあれっ? 大昔退職した時に、同僚たちがプレゼントしてくれた時計となんだか似ているぞ。
ここ数年来姿を見かけていないが、もしかしたら処分してしまったかも。
マイセンがどうのこうのというのではなく、元同僚たちの気持ちを無駄にしてしまった自分の非情さに愕然とした.......あっ、いや、本当は、マイセンだったと知ったことが涙が出るほどショックだった。

 
             

 気を取り直して『道立文学館』へ。写真はロビーにある壁画。
北海道出身の文学者やゆかりの深い文学者に関する資料が展示されていて、北海道文学の流れをわかりやすく知ることが出来る。
膨大な資料の数は、さすが多数の文学者を輩出している北海道ならではだ。


                
         
 昼食は、初体験の札幌新名物『スープカレー
前日に弟から食べ方をレクチャーしてもらっておいて本当によかった。
スプーンにのせたライスをスープに浸して食べるのが正式らしい。
ぶっかけカレーにして大恥をかくところだった。


    
 
 『羊ヶ丘展望台』へ
広大な牧草地に放牧される羊の群れと、ポプラ並木の牧歌的な風景が楽しめる景勝地。
クラーク博士の指さす彼方、はたして現代の若者たちは大志を抱くことが出来るだろうか?


               
 
 閉園30分前にすべり込んだ『芸術の森
美術館、工芸館、アトリエ、各種研修施設などの施設がこのひとつの地区に集まっている。
時間がなかったので有島武郎旧邸(↑写真)を見学しただけ。
次回にじっくり見学しようと思いながら札幌を後にした。



『三浦綾子記念文学館』を訪ねて

2008-09-25 09:00:03 | 読書
 

               

 旭川市に平成10年にオープンした『三浦綾子記念文学館』は、今どき珍しい民営の文学館。

 
               

 記念館二階へ上がる踊り場の窓。
氷点』をイメージした雪の結晶のステンドグラスの向こうに、作品の舞台となった見本林が広がる。
『氷点』は朝日新聞社主催の日本初の一千万円懸賞新聞小説だった。
当時は百万円持っていれば百万長者と羨ましがられていたのだから、一千万は度肝を抜く破格の懸賞金額だった。
当時中学生だった私は、毎朝必ず『氷点』を読んでから学校に行った。

 記念館内には、三浦綾子さんの自筆原稿や愛用品、出版された作品等が所狭しと展示されている。
ご夫婦愛用の将棋盤も展示されていたが、羽生善治さんが旭川でビッグタイトルを賭けた対局があった時、当時病気療養中だった三浦さんを訪問したというほほ笑ましいエピソードを思い出した。

 以前読売新聞社の「好きな日本人作家」調査で第7位にランクされていた三浦さん、女流作家では一番人気だった。
単行本83冊、文庫本99冊の全著作が並んでいたが、これらの作品はみな42歳以降の仕事だというからおばさんパワー恐るべし!
17ヶ国語に翻訳され中国、韓国でよく読まれているというのも頷ける。
 
 彼女ほど多くの固定ファンを持つ作家は珍しい。
作品のテーマは(信仰・原罪・よりよく生きること)などの結構重たい内容なのだが、平易な文章でぐいぐいと読者を引っ張っていく卓越したストーリーテラーとしての才能は見事だと思う。
北の大地、旭川発信『三浦綾子記念文学館』はオススメだ。

 そういえば『氷点』受賞後すぐの三浦綾子さんの講演会に、母と二人で出かけたことがある。
三浦さんが作品の内容をふまえた上で
母の愛というのは、時としてとても残酷なものなのです。
とても含蓄のある話をされ、私は得心して横目で母の顔を盗み見た。

 帰途、母が私に向かってこう言った。
「あのね、三浦さんは自分の子どもがいないからあんなことが言えるのよ。
母の愛が残酷な訳がないでしょっ!」

 40年以上前の大変強気な母の発言を突然思い出した。


旭山動物園

2008-09-23 11:00:02 | Weblog
 旭川市にある旭山動物園の入場者数は上野動物園を超えて、今日本で一番人気のある動物園だ。
いつも大混雑しているので、地元の子どもたちがゆっくり見学できないという苦情が多く寄せられているらしい。

 この動物園、動物の種類が多い訳でも珍獣がいる訳でもないし、とりたてて敷地が広い訳でもない。
一望で全体を見渡すことが出来るコンパクトな動物園だ。

 旭山動物園が注目を集めるようになったのは、動物の姿を柵や檻の正面から見せる従来の『形態展示』を、動物本来の自然の動きが見られる『行動展示』の方法に変えてからである。

 夫は入場してすぐ
「おい、盛岡市の動物園の方がすごくないか?!」
と身贔屓を披露したが、それが大間違いであることはすぐ認識させられることになる。
動物たちの生態がすぐ近くからあらゆる方向で観察出来る行動展示は、新鮮な驚きと感動の連続ばかりだった。
 
 携帯で動物写真を撮るのは無理があるが、枯れ木も山の賑わいで.....。
 

           


 ペンギンの泳いでいる姿を下から撮った。まるで空を飛んでいるよう。
ペンギン館の水中トンネルは360度の視界可能でとてもユニークだ。



           

 チンパンジーの家族のくつろぎタイム。
手に取るような距離から観察することが出来て面白い。



     

 餌を求めてプールに飛び込む北極熊、地上17メートルの高さのオランウータンの綱渡り、6月にオープンしたばかりのオオカミの森。
写真では迫力が全然伝わらない。もどかしいばかり。

 
 今回私が一番楽しみにしていたのはオオカミの森。
ここはかつて北海道に生息し、今は絶滅したエゾオオカミが住む森をイメージして作ったという施設。
オオカミのすぐ側まで近寄ることが出来る。
頑として人を受けつけないオオカミは、ペンギンやアザラシのような愛らしい生態を一切見せてはくれず知らんぷり。
人間とは一線を画す孤高の魂を感じて、ちょっと胸にじんときた。

 今一番元気のある北限の動物園 『旭山動物園

 皆さま、もしお出かけの節には、動物園見学後、美瑛や富良野に直行することなく、旭川に宿泊してゆっくり遊んでお金をたくさん落としていって欲しい......と景気の冷え込む街に住む友人たちが言っていた。



大腸癌狂想曲

2008-09-21 11:10:03 | 家族・友人
 昨日早朝、無事北海道より帰宅した。
天候に恵まれ、広大な大地を吹き抜ける爽やかな風が心地よい旅だった。
夫は全行程を一人で運転したにもかかわらず疲労を全く感じさせず、今朝は元気よく仕事に出かけた。
 
 しかし実は出発前の数日間、夫の身体に異変が生じ慌てさせられた。
出血を伴う激しい下痢、シーツを広範囲に真っ赤に染めた下血。
メタボ記念日を忘れて美食したバチが当たったのかと反省したが......。
うろたえているところに『大腸癌の疑いあり』との、春の健康診断の結果が届いた。
びっくりしてすぐ病院に行き、翌々日の検査の予約を入れてきた。

 実は『大腸癌疑惑』のほとんどは癌ではないことが多いと聞いてはいたが、私たちには、職場の健診で大腸癌が発見され一年で亡くなった友人がいる。
夫は完全に癌患者モードに入ってしまって
ああ!俺は末期大腸癌だ!!
と頭を抱えてすっかり意気消沈、眠れぬ二日間を過ごした。

 私も、急性心筋梗塞で九死に一生を得た夫が、ここであっけなく癌で死んでいくのかと哀れで哀れでならなかった。
....ああ!やっぱり私は、若くして(?)未亡人になる運命だったのね....

 結果が出てから心配すればいいものを.......
北海道行きを早くも諦めた私たちは、旅装の準備は中止して入院の準備をし始めたが、検査の結果は『出血性大腸炎』だった。
服薬だけで完治する病気だった。

 癌疑惑が晴れた私たちはもうルンルン。
特に私の頭の中は、旭山動物園や久々の旧友たちとの出会いのことでいっぱいで、法事のために帰省するという目的を見失ってしまった。
出がけに夫から
「おい!香典袋や喪服は用意したか?」
と確認され......あら、いやだ!全く忘れていた。

 夫は左胸部にAED(埋込み型除細動器)を入れているので障害者手帳を交付されている。
郷里に着いて家族たちと顔を合わせたとたん、夫の体形が話題になった。
病後かなり痩せたのだが、また少しずつ形状記憶体形になりつつある。

 心配した兄嫁からのきつい一言。
「障害者でメタボは詐欺よ! 気をつけてくださいね!」
夫はまたまた元気がなくなってしまった。 



忘却とは.....

2008-09-10 11:00:06 | 家族・友人
 9月6日の朝のことである。
「今日が俺の三回忌だったかもしれなかったなあ.......」
としみじみと呟いて仕事に出かけた夫。

 しまった! すっかり忘れていた。
最近の元気な様子からは全く想像もできないことだが、二年前のこの日、夫は急性心筋梗塞で心停止して、いったんはあの世に片足をかけたのだった。

 医師からもほぼ絶望的と言われ、家族や親戚たちは喪服を準備して、遠くから慌てて駆けつけてきた。
しかし10日間の昏睡状態から目覚めた夫はみごとに我々の予想を裏切った。

奇跡の再来だ!

 病院中に驚愕と歓喜の声が走ったのはもちろんである。
その後、手術や検査中に3度も心停止したが無事乗り越えて現在に至っている。
奇跡というよりは、夫の強運と高度先進医療のおかげであろう。
当時私は姑の介護の真っ最中だったが、夫の三ヶ月の入院も重なってかなり心労が絶えない日々だったのである

 ところで夫の言葉で記念日を思い出した私は、その夜夫の帰宅を待って外出し、豪勢な食事を囲むことになったが、お腹いっぱいになってから......はたと思い出した。

 私たちは終生9月6日の悲劇を忘れないために、この日をメタボリック記念日と名付けていた。
そして徹底的な抗メタボリックメニューの食卓で、家族の健康を考える日にしようと誓っていた筈だったのに........。

     トンカツや 天ぷら 焼き肉食いたいが 
        9月6日はメタボ記念日      (by nihao)

 メタボリック症候群も気がかりだが健忘症の方も心配である。


 
 【お知らせ】
法事で実家に帰るため、しばらく記事の更新を休みます。
北海道では、今回はなんとしても旭山動物園に行ってきます!
ではまた後日。



隣の隣のマーケット

2008-09-08 09:45:07 | Weblog
 何ひとつ自慢するものなどない住環境の我が家だが、あえてひとつ探すなら
それは........隣の大型マーケット!

 2年前隣接する広い農地が造成され、みるみるうちにマーケットが出来た時、私は自分たち家族の幸運を噛みしめた。
歩いてたったの70歩。
もう買い物のことで煩わしい思いをすることはない。
突然の来客にも困らない。

 それまでは冷蔵庫の中を調べ、ざっと2.3日分の献立をたて、必要な食品をメモして、ちょっと遠くのマーケットに車で買い物に行っていた。
現在は隣のマーケットが我が家の台所であり冷蔵庫みたいなもの。
計画性のない行き当たりばったりの食生活になってはしまったが、便利なことはこの上もない。
たとえ大勢の紳士淑女をご招待してパーティをすることになっても、200人くらいなら駐車場にすら困ることはない(?)


                


 写真は真冬のマーケットへのけもの道、ちょっと厳しい雪中行軍だ。

 と、ところが今年の春、この敷地に突如新築住宅が建設され『隣のマーケット』は『隣の隣のマーケット』に成り下がってしまった。
いや、たとえ『隣の隣のマーケット』にはなっても、マーケットへの距離は変わらない。

 私は遠慮しながら、こちらのお宅の敷地ぎりぎりのところを歩いて買い物に行っていた。
しかしまるで私への嫌がらせかのように(そんなことはない?)、先週末から外構エクステリア工事が始まって、マーケットへの近道は完全に封鎖されてしまった。
正規のルートで行くとなると300歩の道のりだ。
なんとも遠くなってしまった『隣の隣のマーケット』

 『てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡って行った』 安西冬衛

 季節外れの蝶が弱々しくマーケットの方へ飛んでいくのを見つけて、このシュールな絵画のような詩を思い出した。
韃靼海峡はタタール海峡のことで、日本風に言えば間宮海峡のことである。

 私はもう二度と国境を越えることはできない。



毛虫皮膚炎

2008-09-06 11:00:05 | Weblog
 これは我が家の裏庭の一画。





 まことに野趣溢れるハーブ園!.....ならば、どんなにいいだろう。
実は繁るにまかせた雑草畑。

 『雑草という名の植物はない』とは昭和天皇の名言だ。
なるほど正式の名があるというのに、いつもひとくくりにされて疎まれる植物には哀れを覚えないでもない。
そう言えば私も、久しく名前で呼ばれたことなどない。
           『おばさんという名の女はいない』 (by nihao)
               
 しかし今さら雑草の名前を知ったところで、これ以上大きく育てる訳にはもういかない。
突っ掛けで歩くのも大変になってきたので草取りが急務となった。

 何が苦手と言ったって、草取りほど苦手なものはない私。
特に数年前、草取りをしていて『毛虫皮膚炎』に罹って以来、ますます草取りが嫌いになった。

 毒蛾の毛虫一匹には、目に見えない50万本から600万本の毒針があって、危険を感じると空中へ大量に発射して身を守る。
それに触れると皮膚に強いかゆみを伴う派手な皮膚炎になるのだ。
その痒みたるものは筆舌に尽くしがたい。
売薬を使って一人でこっそり治療出来るような種類の皮膚炎ではない。
私の場合は超混雑している皮膚科に通い、1週間も注射の治療を受けてやっと痒みがおさまった。

 今年盛岡市では蛾の大発生という珍事が起きたので、ますます草取りが恐くなって庭は荒れ放題となってしまった。
なんとかしなければ!
いや『毛虫皮膚炎』の発症が終息するまで待つべきだろう。

 ......と、私は今年もすべてを毛虫のせいにして草取りを怠ける。 



べこ負けた!

2008-09-04 10:30:05 | Weblog
 夏にメロンを戴いた友人には、当地の『アーリースチューベン』という品種の葡萄を送ることにしている。
メロンに葡萄では割が合わなくて気の毒だけれど、果物のなかで葡萄が一番好物だと言うから.......。


                            


 アーリー(early)と言うからにはもちろん超早熟種。
山葡萄との交配種で糖度が高く種なしなので食べやすい。
例年、アーリースチューベン作りで有名なYさんという生産農家を指定して届けることにしている。
Yさんの葡萄は大人気で、産直でもすぐ売り切れてしまう。

 「いやぁ、今年の葡萄はべこ負けた~!
とは友人からの第一声メール。

 えっ? 「べこ負けた!」の意味が全然わからない。
こんな北海道弁は聞いたことがない。
なにか不都合でもあったのかと心配になり聞いてみたところ......

 「べこ」は東北弁で牛のこと。
旨かった→馬勝った→つまりべこ(牛)が負けた。
要するに「べこ負けた!」は「旨かった!」という駄洒落だった。
 
 「べこ」が東北弁なので、東北地方の人間は皆この駄洒落を使っていると友人は思ったらしいが、私は一度も耳にしたことがない。
広大な原野を、牛馬を使って開墾した北海道にこそふさわしい言葉ではないかと考えてみたがどうだろう?

 もうすでに聞き飽きてしまった「まいう~」より、ずっとインパクトがある決めゼリフ。
さっそく我が家の食卓から流行させていこう。
「べこ負けた!」 「べこ負けた!」

 旨くなくても 「べこ負けた!」



同名異人

2008-09-02 10:00:13 | Weblog
 昨日の朝、自室でテレビのニュースを見ていた夫が
「おい!おまえの姪っ子と同姓同名の主婦が自宅で殺されているぞ!」

 夫に詳細を確かめたところ、一番肝心の事件発生都道府県名は聞きそびれていたが、なんと年齢が姪とぴったり合致する。
姪の名前はちょっと珍しい。
年齢も同じとなるとにわかに心配になってきた。

 真夏の向日葵のように元気で明るい姪に、変死とか事件は全く似合わないが、今の世の中何が起こるか分からない。 
直接兄の自宅に電話して確認すれば済む話だが、間違いであれば失礼千万だし、事実であれば今頃大騒ぎ、慰めの言葉もないし........。

 そこで弟に電話して相談した。
「もしもし、あのね ..........(省略)...........
 でも、旦那の話では名前の漢字がちょっと違っていたんだけれど。」
「いや!マスコミはしょっちゅう漢字を間違えるんだ!」とは弟の弁。

 二人で手分けして調査することにした。
弟は仕事もそっちのけで新聞社に問い合わせたりと暗躍したらしいが、なかなか事実が判明しない。
4時間後、私が、テレビ局の本日のニュースから検索して同名異人であることをやっと確認した。
私と弟は胸をなで下ろした。
しかしこの件の経緯は、兄の家族には秘密にしておこう。

 20年も前の話だがテレビの深夜放送を見ていたとき、ある大手出版社の月刊誌の編集長が登場して、なにやら軽薄なコメントを連発していた。
どこかで見たことがあるような懐かしい顔だなあと思っていたら、テロップによく知っているK君の名前が流れて仰天した。
体育の時間以外は、ほとんど目立たなくおとなしかったK君が、こんなに出世してマスコミの寵児となっているなんて
「ありえない!」 

 K君の名前もまたちょっと変わった名前。漢字も同じ。顔もそっくり!
昔のアルバムを引っ張り出してきて夫にも確認してもらったところ
「うん、これは絶対本人だ!」

 数日後、私はK君の実家に電話をかけた。
かなりミーハー的行為だとの自覚はあったが、K君の身に起きた奇跡の出現を彼の家族とともに喜び合ってもよいのではないだろうか?
しかし......ああ!やっぱり同名異人だった。
「よく間違えられるのよ!」と大笑いのK君のお母さん。

 後日K君から簡単な葉書が届いた。
 「誤解してくれてありがとう。」