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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

義捐金か義援金か?

2011-05-30 14:04:00 | 東日本大震災
         



 月に2度ほど盛岡市中央公民館に出かける用事がある。
公民館の入り口付近で、最近よく見かける光景がこれ↑
これらは被災地の子供たちへ絵本を届けようという「3・11 絵本プロジェクトいわて」の運動に全国から寄せられた絵本や児童図書である。

活動を呼びかけたのは『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』の著者の末盛千枝子さん。
「絵本を集め、避難所の子供たちに読み聞かせたい」とホームページで訴えたところ、大変大きい反響があった。

 ボランティアさんのほとんどは若いお母さんたちだ。 
被災者の手元に届かぬと問題になっている義捐金とは違い、これら全国から集まった支援図書は、整然と管理され整理され仕分けされ各地区に送られているので(nihaoが保証する)、絵本を寄付された方々安心されたし。


 ところで辞書で「ギエンキン」と言う言葉を引くと、「義捐金」「義援金」のふたつの漢字が出てくる。
正しくは「義捐金」で「義援金」の方は代用表記だ(捐と言う漢字は当用漢字にない)
ちなみに本家中国では、災害の救済のために金品を差し出す行為は、やはり「捐」の字を使い「捐献」「募捐」などと言う。

 私の世代では「義捐金」が正しく「義援金」は間違いと教わってきた。
「決してギソンキンと読んではいけませんよ!恥ずかしいですよ!」
と、しつこく大人たちから注意を受けたものだ。
この漢字の読み書きはレベルが高いので、知っていると自慢できる漢字のひとつだった。
しかし日常的によく使う言葉ではないので、知らなくても別に損はしなかったと思う。

 しかし東日本大震災で連日目にし耳にする言葉ギエンキン、新聞・テレビ各社はどこも例外なく「義援金」の漢字表記を用いている。
阪神・淡路大震災の時はまだどちらも使われていたような記憶があるが、今回は「義援金」一辺倒であることが大きな特徴だ。
正調「義捐金」は一体どこへ行ってしまったのだろう?

 確かに「義捐金」は難しすぎる。
はたして何割の日本人が「義捐金」の意味を知り且つギエンキンと読むことが出来るだろう?
そこでマスコミは考えた。
被災者救済キャンペーンの意図をよりよく伝え、善意の金品をより多く集めるために「義捐金」の漢字表記をやめて「義援金」に統一して用いることにしたのだ。
これは国語審議会の決定ではなく、マスコミが便宜上統一したというのが真相のようだ。
なぜ音にこだわったのかなという疑問が残る。
「支援金」とか「救援金」とかの言葉で統一してもよかったのではないだろうか?

 私としては、マスコミの倫理などを教科書にはしたくないという気持ちがある。
今後も出来るだけ「義捐金」の方を使っていこうと考えている。


 ところで今回の震災では、私も義捐金...いや、お見舞い金を頂いた。
その篤志家というのが、なんと息子のアパートの大家さん!
何ひとつ被害があった訳ではないので恐縮したが、すでに息子が受け取ってしまった後だったのでありがたく頂戴することにした。

 それにしても大家さんには入居時に一度挨拶しただけで、盆暮れの付け届けなどもしたことがない。
いろいろと迷惑をかけていることも予想される。
息子に「きちんと家賃を払っているか?」と訊ねたら
「時々遅れることがある」なんて言っていたし......

 日本全国に大家さんは数々あれど、こんな出来の悪い店子の、しかも実家にまでお見舞いをくださる親切な大家さんって他に例があるだろうか?
同業者として→【夫の苦悩】自分たちのことを大いに反省されられた出来事だった。






頑張れ、フジ子!

2011-05-11 12:36:00 | 東日本大震災
     
           



 桜が咲くと風景が一気に色づき気分爽快になる。
NHKの朝ドラ『どんど晴れ』で一躍有名になった小岩井農場の一本桜(5月10日撮影)
後ろに雄大な岩手山を従えた光景は、県外の観光客からも大変な人気である。
ふる里は負けない! 今年の一本桜は岩手の復興の象徴だ。

 しばらくブログの更新が滞っていた。
震災からこのかた、どうしようもない無力感に襲われて.....と言いたいところだが、この言い訳は嘘!
本当は歳のせい。やる気と集中力がさっぱり出てこない。
ネットの世界への関心もかなり薄らいできている。
昔からのブログ仲間たちも伝染したように沈黙しているが、皆さん一体どうしているのだろう?
nihaoはまたぼちぼち始めることにする。


 今日で震災から二ヶ月経過した。
復興への歩みが続く一方、なお多くの人々が不自由な避難所生活を強いられている。

 「今一番、何が欲しいですか?」
テレビで被災者へのインタビューを見ていたら、多くの人が口を揃えて「車が欲しい」と言っていた。

 水や食料の運搬だけではなく、通勤や通学や病院等の送り迎え、買い物など、交通の手段のない沿岸部では、車は絶対に欠かすことの出来ない道具だ。
阪神・淡路の都市型の大震災と東日本大震災とでは、人々の暮らしにおける自家用車の重要性は比べるべくもない。
私たち岩手人の暮らしは、車がないと何ひとつ始まらないし何ひとつ終わることはない。
車庫証明のいらない軽自動車に人気が集中しているが、なかなか手に入らない上にさらに価格をつり上げていると聞くと腹が立つ。

 この二ヶ月間、なにか役に立てることはないだろうかと自分なりに考えてきたが、やっと答が見つかった。
私は思い切って【愛車フジ子】を被災地に寄付することにした。

 フジ子は平成7年式の三菱ミニカ。
かなり古い車だが、4WDだし、まだ6万キロしか走っていない。
大切に乗ってきたので外観も内装も美しいし、CDプレーヤーだって健在だ。
しかも今年の3月に車検を受けたばかり。

 実は今回の車検に関してはかなり迷った。
我が家にはもう一台夫の車がある。
年金暮らしの台所事情では、当然フジ子を廃車にして一本化するべきである。
しかしまだまだ立派に動く愛車を見ていると、切なくて手放すことが出来なかった。
そして車検後に大震災発生。
被災者の切実な声を聞いた私は「フジ子の出番がついにやってきた!」と思った。
フジ子は私と共にいるよりは、被災者と共にいる方がよい。
必要な時、必要な場所に、一番必要な支援が出来るのならなんと嬉しいことだろう。
私は迷わず手放すことに決めた。
 
 フジ子の行き先は、ボランティアで被災地に入っている人を介して探してもらった。
あまり詳しいことは聞かなかったが、200人以上の人が身を寄せている避難所に貰われていくらしい。
そこは一台も車がなく大変不便な毎日で、車を確保することは住民たちの悲願だったらしい。
みんなで仲良く交替で使いたいとのことだった。

 フジ子には老骨に鞭打って、今しばらく頑張って欲しいと思う。
復興を誓って生き抜く人たちの一助となって欲しいと心から願う。