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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

被災地を巡って

2011-03-29 13:25:00 | 東日本大震災
            


小本海岸・熊の鼻展望台...すべてを一瞬のうちに飲み尽くし、残滓だけを吐き出し、なおかつ何事もなかったかのような穏やかな海。
ここに暮らす人々の持ちうる有形無形のあらゆるものを根こそぎ奪い破壊した海。
海という漢字をよく見てみよう。母という字があるではないか。
海よ、母なる海よ。あなたはあまりにも無情だ。


 私どものような無関係者が今、興味本位で東日本大地震の被災地に足を踏み入れるのは遠慮しなければならないことだと考えていた。
どんなに真摯な心と態度で彼の地に佇んだとしても、被災者の本当の悲しみに寄り添うことなど出来はしない。
ましてや無神経にカメラを向けることなど......

 しかし被災地山田町出身の、自らも親戚や友人たちを失い途方に暮れている職場のF嬢から

「被災地の実情を見て欲しい。いや、岩手県人として絶対に見るべきです。
あの無惨な光景を目に焼き付けて、そしていつまでも胸に刻み語り継いでください。」

 と言われ真剣に悩んでいた夫。
その夫を見て私の気持ちもやっと決心がついた。
あのむごたらしい光景を正視することなど出来ないと思っていたが、被災地の一番近くに住む者として何かをしなければならないとしたら、それは先ず現実を直視することだった。

 私の考えついた画期的な裏技(不正ではない)でガソリンを満タンにし、一路三陸海岸に向けてひた走った。
行きは岩泉街道を通り、小本海岸、田老町、宮古市、山田町まで行き、帰りは宮古街道を走るコース。
(裏技が気になる人もいるだろうが、それはまたの機会に...というか、自分の頭を使って考えてみよう!)

    
              



 田老(たろう)町壊滅。残っている家は一軒もない。
以前ここから30分奥に入った山あいの地に4年間住んでいた。
初めて赴任先に向かう時、夫に「たろうのそばだ!」と言われ、その地名が気に入り「太郎の蕎麦」かと喜んでいた私。
田老には、私たち親子をよく招待してくださった気のいいK夫妻が住んでいた。
奥様が津波で命をおとされた。合掌。
 
 津波の歴史と戦ってきた田老町は、町を守るため高さ10m、長さ2,433mの「田老万里の長城」と呼ばれる大防潮堤を完成させた。
民家の屋根より高い防潮堤は町民にとって安心して過ごすことのできる施設となっていたのだが、今回の大地震では安心感が仇になった。

 

             

           (宮古市商店街)             (山田町)
 
 我が家の息子は宮古の産院で産声をあげた。
当時私ども親子は、毎週末宮古の商店街で買い物をしたり「ドラえもん」の映画を見たりして楽しく過ごした。
それら馴染みの深い通りが一変して瓦礫の街並みと化していた。
陸上で難破する船を見るのも痛ましい。
山田町も壊滅。津波と火災に見舞われ焦土と化していた。

 小本海岸から山田湾までの被災地を巡ってみて、毎日テレビで見ている被害地の点と線がつながった。
テレビで見ていると青森、岩手、宮城、福島と、それぞれの県の個別の市町村や個別の海岸の出来事のような感じがしてならなかった。
しかしこれらの無惨な光景が、同じように延々と500キロも連なっているという事実。
過去に類例のない大災害、被害の甚大さを痛感する。
 
 築き上げてきたものはいともたやすく失われた。
誰にもどこにも怒りをぶつけることは出来ない。
自然現象の前では人間はどうしようもなく無力な存在だ。

 
 みんなで助け合わないと絶対に元の町には戻らない!元の日本には戻らない!
日本人の力が試されていると思います。
引き続き応援のほどどうかよろしくお願いいたします。




   ※カテゴリーに東日本大震災を追加しました




東日本大震災・その後

2011-03-22 11:20:00 | 東日本大震災
             



 長い冬があけたので、ももちゃんの散歩を再開した。
大地の匂いを思う存分に嗅いで春の喜びを満喫(?)しているかのようだ。

 今回の大震災のような不幸な出来事があった後は、ペットが心の支えになるが......
避難所では、飼い主とともに被災した犬猫が興奮して吠えたり、避難所内で糞をしたりなどのトラブルが発生して苦情が相次ぎ、ペットの行き場に困るケースが急増しているという。
犬猫を好きな人・苦手な人、皆一堂に会して避難しているのだから確かに悩ましい問題ではある。
突然飼い主を失い、瓦礫のなかを彷徨っているペットもたくさんいることだろう。
一体何ごとが起きたのかと...いまだに理解できないであろう犬猫たちよ、哀れ。


 震災から十日が過ぎた。
一日がとても長く感じられる。
なかなか夜にならないし、なかなか朝にもなってくれない。

 毎日何度も揺れている。
いつまた大きい余震がくるかも知れないと思うと外出もできないでいる。
一日中家の中でじっとして、寝るまで大震災関連の報道番組を見ている。
あの津波のシーンだけでも、もう何度見ただろう。
見なきゃいいのに見てしまうからやりきれなさが募るばかり。

 報道番組は日を追うに従って、ドラマチック仕立ての『震災劇場』に変化している。
啓蒙されているなと思いながらも、絶望から一筋の希望を、逆境から光明を見いだす力とはなっている。
でも、あまりやりすぎてはいけないと私は思う。

 中国人の留学生たちは先を争って帰国した。
本国からも両親からも強く帰国を促されたらしい。
ご両親のもとでゆっくりしてきてほしいと思う反面、なんだか日本が見捨てられたようなちょっと寂しい気持ちになる。

 一進一退の福島の原発の復旧もとても気になる。
当ブログ仲間の【すずめさん】は、おそらく第一原発の20㌔以内のところに住んでいたのではないかと推察する。
ご無事でいて欲しいと祈るのみ。
寂しがり屋のすずめさん、ご家族といっしょに避難していればよいけれど....
文字通り【海辺のumiさん】の無事は確認できた。喜ばしい限りだ。

 食料品も灯油も出回ってきたが、ガソリンだけはまだ無理。
姪っ子から貰った古い自転車を、夫が整備して乗れるようにしてくれた。
30数年ぶりに乗って公民館まで行ってきたが、平地なのに上り坂のようにきつくて息切れした。
歩くより運動になるかもしれない。しばらくは自転車でやっていこう。

 まだまだ寒い北国だが、震災後、夫の職場は暖房停止となっている。
背広の上に分厚い防寒着を重ねて仕事をしているらしい。
ならば...ばれないとは言えども私だけ安逸に過ごす訳にはいかない。
日中はストーブを消して湯たんぽで暖をとっている。
震災後は、さすがの私も節電や防災への意識が高まった。
ガスの元栓も閉めるようになったし、各種家電のタイマー予約などもしていない。

 以前はキラリン・フワリン・ルンバが私の心強い【三匹のお供】だった。 
しかして最近は......

 「行くわよ!みのりん、ぽんた、オットット!!
                 (新三匹のお供 by nihao)

 みのりんは自転車、ぽんたは湯たんぽ。 
さてオットットが何だか(誰だか?)はご想像にお任せだ。
奴がお供の一匹になったのは、はたして格上げか格下げか...一体どっちだ?





3・11 東日本大震災

2011-03-16 09:12:00 | 東日本大震災
 東北・関東地方に甚大な被害をもたらした国内史上最大の震災は、死者・行方不明者は数知れず、さらに原発事故までも誘発し、日を追うに従って残酷な全貌が明らかになってくる。
テレビの映像を見る度に目を覆い、悪い夢であって欲しいと願わずにはいられない。


 3月11日午後2時46分
この日、この時の恐怖を忘れることは決してないだろう。
静かに不気味に果てしなく揺れ続けた悪魔のゆりかご。
空も木も家も地面も大きく傾き、立っているのがやっとだった。
いつもならすぐ揺れがおさまるのに、いつまで経ってもおさまらず生きた心地がしなかった。
確実にどこかで、なにか取り返しのつかないことが起きているという予感がした。

 家の中は、棚から本やものが落ちてきたり、こわれた食器が散乱したり大型家具が倒れそうになっていた。
大きな余震が意地悪く繰り返しやって来て、その度に新たな恐怖心でいっぱいになる。
休みで家にいた夫は、職場のことが気がかりと言いすぐ車で出かけてしまい、私ひとりが取り残された。
何をしたらよいのかを考える余裕もなく、私は自分の車に乗り込んでぼんやりとラジオのニュースを聞いていた。

 すると隣家のマダムがやって来て
「あなた、のんびりしている暇などないわよ!
浴槽や鍋に水を汲んで、現金や貴重品や薬や食料品をひとまとめにしておきなさい。
また揺れて家が崩壊して、もう二度と家に戻れなくなることも想定しておきなさい。
暖かい服に着替えること。毛布を用意して車の中に運んでおくこと。
懐中電灯や携帯用コンロとカセットを用意すること。
明るいうちに今夜の晩ご飯を作っておきなさい。
ほらほら、ぼやぼやしていたらすぐ夜になるわよ!」

 マダム隣家のおかげで我に返った私。
確かに......夜はあっという間にやってきた。
長くて寒くて悲しくて心細い、我が人生最悪の夜だった。
携帯に子どもたちや兄弟や友人たちから次々とメールや電話がかかってくる。
みんなの励ましがとても嬉しかった。ありがとう。


 車のエンジンをかけて暖を取り、カーテレビで地震のニュースを見た。
あちこちで信じられないようなことが起きていた。
沿岸地域が巨大津波で壊滅状態!
あの美しい三陸の海辺の景色が、忽然と消えてしまったと言うのか?
こんなに多くのものを失って、人々は悲しみを乗り越えることができるのか?
はたして岩手県に復興する力はあるのか?


 日ごとに過酷な震災の現状が明白になるが、内陸部はライフラインも確保され元の生活に戻りつつある。
しかし物流は滞り、食料品店や燃料店の前には長い行列が出来ている。
買いだめが悪循環の元になるのは分かっている。
なのに行列を見ると加わらずにはいられない自分に自己嫌悪を感じながら並ぶ。


   


 外国人が一様に驚くという日本人のマナーのよさ、みんな静かに行儀良く順番を待っている。
そしてどこの商店でも限りある商品を、普段と同じか普段よりも安く提供しているのにはビックリした。
しかも牛乳とか野菜とか、全員に無料配布の嬉しい被災見舞いまでついてくる。
岩手の商人はなんと素晴らしいのだろうと心を打たれた。
この心優しき県民性があれば何とかなるかもしれないと思った。

 ガソリンが買えないので、今現在盛岡は、通勤や仕事用に自転車ブームとなっている。
みんな、物置から古くなった自転車を引っ張り出し整備して乗り回しているという。
自転車屋さんは大忙しだそうだ。
私も今回、キラリン・フワリン・ルンバのような全自動家電など、無用の長物であることを痛感した。
我が家で大活躍したのは『湯たんぽ』だった。
湯たんぽさえ抱いていれば、ひとときの寒さや心細さが不思議と鳴りを潜めるのだった。

 全自動より全手動! これが有事の際の常識だ。

 

ジャンボおかずパン

2011-03-10 12:55:00 | グルメ
           

                   [おかずパン]


 私の【三匹のお供】のうちの一匹、フワリンで作った『ジャンボおかずパン』(20㎝×8㎝)
フワリンは日本第一号のホームベーカリー。すでに25歳という長老だ。
しかし故障知らずとはいえ若かりし頃と比べたら仕事ぶりは一段と落ちる。

 どこが劣ってきたかと言うと...一番力を必要とする最後の焼き上げのところ。
フワリンが焼き上げるパンは寸足らずの上にちょっと固くて、名前を返上しなくてはならない仕上がりだ。
[練り→寝かし→練り→発酵]の工程には全然問題がない。
故にここまでの段階で生地を取り上げ、後はnihaoの手動に切り替える。
自動だと山形の食パンしか作れないが、途中から手動にすると実に様々なバリエーションを楽しむことが出来るのだ。

 最近は、お米や残りご飯からパンを作る機械が開発され販売され人気を博している。
世界的に穀物相場が高騰して小麦粉の値上がりに歯止めがかからない昨今、お米パンは日本の救世主となるかもしれない。

 私にはフワリンがいるから新規購入の予定はないが、ご飯が炊けるホームベーカリーがあれば話は別だ。
そんな夢のような道具、生きているうちにお目にかかることはないだろうと思っていたら......
日本ではまだ販売されていないが(たぶん一生懸命開発中だと思う)、フランスではご飯どころかヨーグルトやジャムやチーズやケーキまで作れる製品があるそうだ【気がつけばおフランス
あらまぁ、これは優れもの! 日本での誕生を楽しみに待つことにしよう。

 
 さてジャンボおかずパンはnihaoのオリジナルレシピである。
このパンが簡単で凄く美味しいという世間の噂は(?)本当だ!! 
途中までホームベーカリを利用する点が特徴だが、もちろんすべての行程を手動にしても一向に問題はない。




『A』『B』『C』       
『D』

1)ホームベーカリー[発酵までのコース]でパンの生地を作り取り出しておく。
2)おかずパンの具を作って冷ましておく。
 今回の具材は鶏肉、玉ねぎ、コーン、椎茸、人参などを炒めて塩・胡椒。 
 具材は他に小エビ、ベーコン、キャベツ、グリンピース、ハム、ウインナーソーセージなども適しているだろう。   
 想像だが...タイムやローズマリーなどの香草があるとなおよいのではないだろうか?
3)生地を平たくのばし(35×23ぐらい)、その上に具材を敷き詰め最後にチーズの角切を全体にちりばめる(写真A)
 予算の関係でベビーチーズを使用したが、想像だが...ここで各種チーズにこだわって 作ると味のレベルは本格的になるのではないか?
4)端から巻いてのり巻き状にし(写真B)、全体を等分に7個に切り分ける。
5)バターを塗ったケーキ型に(写真C)のように並べ、一時間かけて第二次発酵させる。
6)倍近くに膨れあがった生地の上にマヨネーズでお化粧する(写真D)
 180度のオーブンで30分焼いて仕上げる。
 

            



※このレシピの具材を変えるといろいろな味を楽しむことが出来る。
☆各種ドライフルーツを入れてミックスフルーツパン 
☆各種甘納豆を入れて豆パン 
☆リンゴジャムやリンゴ煮を入れてアップルパン





三匹のお供

2011-03-03 10:35:00 | Weblog
 「行くぞ! アトス、ボルトス、アラミス!!
                (三銃士 byアレクサンドル・デュマ) 
  .....じゃなかった。

 「行くわよ♪ キラリン、フワリン、ルンバ!!
                (三匹のお供 by nihao)


 勇ましく頼もしき我が家臣たち
キラリンは最も信頼出来る我が家の仕事人。
毎日の激務にも小言ひとつ言わず、忠実かつ確かに仕事をこなしてくれる。
キラリン依存症の私にとって彼のいない暮らしを想像することは耐え難い。
 
 フワリンは我が家の長老。25年の長きにわたり務めてくれた。
その内蔵された才能には驚愕すべきものがあるが、そろそろがたが来始めている。
慈しみ敬愛せずにはいられない存在。爺よ、どうか長生きしておくれ。

 ルンバは最近やって来たばかり。
新参者だが、なかなかの知恵者、働き者であることが判明した。
常にきびきびと走り回る元気な姿は、皆の目を釘付けにせずにはいられない。


 以上......
食洗機のキラリン、自動食パン製造機のフワリン、お掃除ロボのルンバの紹介である。
これらの家電三点は、なくても全く困らないものばかり。
しかしあると心と暮らしは豊かになり、主婦の裏の時間がどんどん増えていく。

 いつもの如く前置きが長くなってしまった。
電気店に行ったらルンバのキャンペーンの真っ最中だった。
我慢できずについに買い求めてしまったという話だ。
新しいお供の登場で私の主婦力はますますDOWN UPすることだろう。





     [段差]               [迷路]


 その仕事ぶりは予想以上に立派で、オットーでさえも目を見張った。
数日前にちょっと帰ってきた婿殿も、ルンバに熱い視線をじっと注いでいた。
ルンバには男性陣の心を捉えてはなさない素敵な魅力があるらしい。

 丸い部屋を四角く掃くのではないかという心配も、ボディに付いている小さなブラシで隅々のゴミを掻き出すから大丈夫。
少しぐらいの段差(2~3㎝)なら平気で力強く乗り越えて行く。
迷路のような椅子の脚の間も、仕事をしながら上手にすり抜けていく。
マットや絨毯の上も全然OK。
ベッドやソファの下にも潜入するので大助かりだ。
なんだか家の中が今までよりずっと清潔になった感じがする。

 約90分のランダムな動きによって、部屋の中はほぼ完璧にきれいになる。
時間がかかるのが難点だが、普通は夜間や留守の時間を利用して使用するものだ。
私のように、面白がってルンバと90分間追いかけっこをする必要はない。
電気代はそんなにかからない。
空気の汚れが少ない。
日本語による音声ガイドがついている。
高いおもちゃのようなものかなと半信半疑だったが、なかなかどうして使える家電である。

 娘が三階建ての家に引っ越した。
重たい掃除機を抱えて各階を移動しなければならない。
お掃除が大変になると言っていたので、そこでお祝いに娘宅にもルンバをプレゼントしてあげることにした気前の良い私。
ルンバは、娘の家でも愛される存在になるだろう。