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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

白神ラインを行く

2010-10-26 11:10:00 | Weblog




 猛暑の後よりこの方、暖かく穏やかな晴天が続いている。
冬が来るのを忘れてしまいそうになる心地よい秋日和だ。
とは言え、あと僅かで冬は確実にやって来る。
雪が降る前にどこかに出かけた方がよいのではないか? そうだ!
青森秋田をまたがる世界遺産・白神山地まで、今年最後の日帰り長距離ドライブに行こう!

 ...と思い立って出かけたのが先週の金曜日。
白神山地は、青森県南西部から秋田県北西部にまたがる広大な山地の総称で、このうち原生的なブナ林で占められている区域が1993年12月に世界遺産として登録された。
紅葉にはちょっと早過ぎたのが残念。
 
 途中で○○博物館とか○○資料館とかを発見すると必ず寄って見学する。
もちろん道の駅は...すべて寄り道の駅となる。
計画的な行動が苦手な我らの予定はどんどん狂っていく。
日本海のロケーションを眺める五能線の列車に乗ったり、十二湖に寄るはずの予定が何ひとつ果たされないままいつの間にか午後4時となり、不老不死温泉に着いた。





 
 不老不死温泉は、海辺の露天風呂に入りながら日本海に沈む夕日を見ることができる人気スポットだ。
この温泉を体験した人たちは皆、口を揃えて「一度は行った方がよい」と言うので楽しみにしていたのだが....
ああ、なんと! 日帰り入浴の受付は午後3時半で終了していた。ショック。
温泉側としては、このような形で宿泊客と日帰り客へのサービスの違いを明確にしているのだろう。
仕方ない。諦めるしかない。はたして次の機会はあるだろうか?
写真だけ撮らせてもらった。

 
 不老不死温泉の入浴が不可能になり、急浮上したのが『白神ライン越え』
白神ラインは全長70㌔のうちの40㌔以上が未舗装のダートコース。
道幅は狭いし、タクシー運転手も嫌がるほどの悪路で有名。
当初の計画ではこの道は避けて弘前に出る筈だった。
しかし我らの頭は、不老不死温泉に断られたことで血がのぼっていたか?
世界遺産探訪の記念として無謀な山越えを選択してしまう。

 悪路とはいえ、70㌔なら2時間で走破出来るだろうと思ったがたっぷり3時間はかかった。
道の起伏はジェットコースター並みで胃下垂になりそう。
途中、お猿の親子や得体の知れない小動物と出会ったりするものの、走っても走っても里の灯火は見えない。
そのうち日は落ち夜になった。
空には盆のように丸くて大きなお月様が浮かび、奥深い原生林を不気味に照らす。
走っても走っても進んでいる感じがしない。

 山賊が現れても不思議ではない。
人虎となりさがった男(山月記 by中島敦)に、突然行く手を遮られても驚かないかもしれない。
夜の白神ラインは妄想を駆り立てるミステリーゾーンだった。






ナポリタンうどん

2010-10-19 10:45:00 | グルメ
 マダムHから
「ただ今禁()中&入院中。一日中点滴。
ご飯が食べられるようになったらトマトソースのパスタを持ってきて!」
というメールが届いた。

 何度読んでも意味がよく解らない。
マダムHの場合、「禁()中」の()の中は「酒・煙・色・食」のどれがきても不思議ではない。
しかしつい先日まで元気いっぱいだったのに入院中とは一体どうしたのか?
本当は重症なのに、余計な心配をかけさせないためにわざとこのような書き方をしているのだろうか?

 本人よりもご主人に聞いた方が真実が判明するだろうと考えて電話をした。
聞いたことのない消化器系の病名が告げられたが
ご主人曰く
2週間の適正な治療で治る病気なのでご心配なきよう...
とのことだったので安心した。

 確かに...翌日彼女の病室を覗いてみたら、元気で懸賞品つきのクロスワードパズルに夢中になっていた。 
断食中なので、大好きなトマトソース・パスタの妄想に悩まされているようだった。
実は前回入院した時もトマトソース・パスタをリクエストされて、持って行ったことがあるのだ。 


            


    (これはトマトソース・パスタではありません!)


 夫が時々立ち寄る盛岡市役所の食堂には『ナポリタンうどん(500円)』と言うメニューがあるそうだ。
名前の通りケチャップ味の焼きうどん。
話を聞いているうちに私も食べたくなってあり合わせの材料で作ってみた。その証拠写真が↑。
断食明けのマダムの胃には『ナポリタンうどん』の方が優しいのではないだろうか?
味付けは塩・胡椒とケチャップのみだが、日・伊合作の味に違和感は全くない。
新しい味なのに懐かしい味。
皆さまも、うどんとケチャップの味のハーモニーをどうかお試しあれ!

 

           


 
 そうだ!忘れるところだった! 
マダムHの上海万博土産の中に『カップナポリタン』が紛れ込んでいた。
上海で販売されている日清製粉製のカップ麺だが、彼女はよくよくパスタがお気に入りらしい。

 深い容器の底に、少量の湯または水と麺と具を入れて電子レンジで加熱する。
最後に調味料を混ぜあわせて完成。
カップパスタの初体験......味付けは中華風だったが、麺はコシがあってしっかりしていてパスタの風味を損なってはいない。

 日本のカップ麺の技術はすごいと思ったが、しかしこのインスタント麺をマダムの病室に運ぶのは気の毒だ。
晴れて普通食摂取が許された時には、美味しいトマトソースパスタを持って行ってあげよう。






きのこロードを行く

2010-10-14 11:10:00 | グルメ
        
   

      (チリ製の織物)

 昨日からチリ鉱山落盤事故の作業員救出のニュースで賑わっている。
地底700メートルの闇の中で二ヶ月以上も生き抜いてきた強靱な精神力に心打たれた。

 チリと言えば...40年前に出張した長兄が、トリオ・ロス・パンチョスが着ていたようなポンチョをお土産に買ってきてくれた。
それが私のお気に入りとなり、10年間はポンチョで着て、20年間はブルゾンにリフォームして着て、その後はベストにして大いに利用している。
おそらく最後はバッグになるだろう。
40年経ってもいまだにしっかりしている織物で、刺繍のクロスステッチも丁寧で美しい。
私とチリとの唯一の接点の品であることを思い出した。
チリの人々も、なかなか良い仕事をする。



                     ☆


                                 



 今年は天然のきのこが大豊作。
しかし夏の異常気象で毒きのこの生育に変化が現れ、姿・形がホンモノと見分けがつかなくなっているのもあるそうだ。
自分で間違って採ってきたきのこで食中毒になるのは諦めがつくが、産直や八百屋で買ったきのこで毒当たりはしたくない。
松茸も大量に採れている様子なのだが、はたして我ら庶民の口に入るだろうか?

 舞茸や松茸のニュースが流れるとじっとしてはいられない。
岩手産直きのこ路を巡ることにする。
家を出て、雫石、沢内村(現西和賀町)のきのこロードを走り抜けると、なぜか車は自然に湯田町・湯川温泉の『きのこ祭り』の会場にたどり着く。
これらの地域は日常の生活圏内に山があり、天然のきのこや山菜が豊富に採れる。
岩手の秋のきのこ路は「山の恵みの感謝祭」一色。
『きのこ祭り』は、一階はきのこの販売、二階はイベント会場となっていて、食事をしながら郷土芸能などを見ることが出来る。
「ミスターきのこコンテスト」というイベントがすごく気になったのだが......



       



 金魚すくいならぬ「なめこすくい」 これは難しそうだ。


 今回の私のお目当ては香茸!(馬喰茸とも言う)



           


 
 傘の直径が15センチ以上ある香茸、2本で3400円だった。
今年は香茸も大豊作らしいが、あまり安くはなっていない。
松茸は冷凍保存出来るが味が落ちる。香茸は乾燥させて保存する。
乾燥させた香茸は、味や香りがいっそうよくなり香茸ご飯にすると大変美味である。
我が家の「晴れ食」のためには欠かせない食材だ。
今年も立派な香茸を手に入れることが出来て、山の恵みに感謝!感謝!
とは言え...悲しいかな、乾燥させたら右の写真のように減ってしまった。



 

介護のオアシス

2010-10-07 10:40:00 | Weblog
 私には歳が離れた兄が三人いる。
ものごころついた頃には長兄と次兄はもう家を離れていたが、三兄とは長く一緒に暮らしていたので思い出がたくさんある。
「お前はまだ海を見たことがないから可哀想だ」
と言って、学校の海水浴の行事に幼い私を連れて行ってくれたこともある。
当時はまだそのようなことが許されていた時代だった

 その三兄が退職して2年後、妻が脳梗塞で半身不随となった。
自宅での介護生活は既に10年目を迎えている。
慣れてきたとは言え、炊事・洗濯・掃除・妻の世話と兄の疲労はかなり蓄積している。
介護生活が長くなると訪ねてくる人の数も段々少なくなってくる。
兄たちの暮らしは、夫婦ふたりだけのひっそりとした孤独な闘いの毎日だ。
帰省した折りだけでも力になりたいと思っているので、今回も数日間兄の家に滞在した。

 しかし几帳面な兄の家は、私の家より掃除が行き届いている。
何か美味しいものをご馳走したかったのだが、二人とも大変ストイックな食欲の持ち主なので、残念ながら私の腕を披露するまでには至らなかった。
ただ一日中寄り添って話し相手をしているだけだった。

 それにしても...「妻の介護を第二の人生とする!」と決意した男の覚悟は、なんと揺るぎがないものだろうと私は感心する。
今まで、兄の口から不平不満や弱音や愚痴を一度も聞いたことがない。
大好きなスキーやゴルフやテニスや飲み会などの未練をすっぱりと断ち切り、闘病生活に疲れて我が儘になりがちな妻の要求を適当に処理しながら、ひたすら介護に専念している。

 嫁と姑ではこうはいかない。
夫婦だから出来るのだろうか?
いや、男だから出来るのだろうか?
家族を守らなければならないという気概を持って生まれた男の場合は、介護にも一途な使命感を持つのだろうか?(ウチは無理だな...)
そう言えば、介護の専門家の友人が「夫に介護されている妻の方が、身だしなみなどが美しく清潔である。」と言っていた。

 もちろん煩悩多き人間のやることだから、いくら頑張っても快適で完璧な介護が実施されているとは言い難い部分はたくさんある。
兄と義姉の間には、時として険悪な感情や諦めの感情が流れることもあり、側にいてその空気を感じることは切ないことだった。
数日間だけでも、私の存在が介護のオアシスとなっていたら幸いなのだが......


 ↓は兄の描いた絵を二枚貰ってきたうちの一枚で、約16㎝×23㎝の小品。
雪解けの白樺林の風景で、色彩、構図とも気に入った。






 そして↓は、織物を趣味とする友人士別さんからいただいたお手製のマフラー。
軽くて暖かくて最高の肌触りだ。







 以上の二点を見比べて面白いことに気がついた。
兄の絵の色を分解して糸に着色して織りあげれば、士別さんのマフラーにならないか?
北の大地の人々の愛する風景、色彩の偶然の共通点に驚いて、なんだかとても嬉しくなった。






オペラの秋

2010-10-04 10:45:00 | Weblog

           


 ウィーンの森バーデン劇場のオペラ、プッチーニ作曲『ラ・ボエーム』を観に行ったのが10月1日。



               




 ソプラニスタ岡本知高コンサートに出かけたのが10月3日。
切なく美しいオペラのメロディーが今朝もまだ頭の中に響き渡っている。

 
 『ラ・ボエーム』は珍しく夫と一緒に出かけた。
オレは一度もオペラを観たことがない!
と頑固に言い張る夫だが、以前夫が大病する直前に二人で観に行ったことがある。
実は病気のショックで記憶が喪失している部分があって、話がかみ合わないことが結構ある。

 『ラ・ボエーム』は詩人ロドルフォとお針子ミミの哀しく美しい愛の物語。
19世紀初頭の革命で自由を得たパリの若き芸術家たちの青春群像を描いた名作で、劇中のアリアや二重唱曲が有名な聴き所満載の演目だ。

 でもなぜか...演出のせいなのか...盛り上がりに欠けていてあまり面白くなかった。
当然ながら夫もつまらなさそう。例の如く
オレはもうオペラには行かない!お前ひとりで行ってこい!
絶対にそう言うと思っていたが、この場合は大歓迎だ。
「では謹んで、今後はそのようにさせていただきます!」


 ソプラニスタ岡本知高コンサートは実に素晴らしかった。
話題をさらったTVドラマ「牡丹と薔薇」の主題歌ヘンデル作「涙のアリア」や、東レCM曲のカッチーニ作「アヴェ・マリア」などを耳にし、その奇蹟の歌声を一度はライブで聴いてみたいとずっと思っていた。

 コンサートは矢巾町にある『田園ホール』の開館20周年行事のひとつだったので、チケットは割安の2500円。
『田園ホール』は、ベートーヴェンの交響曲第六番からその名前をつけたのだろうと考えていたが、行ってみたらなんと本当に稲刈りの終わった田園地帯のど真ん中にあった。


 ドラゴンクエストのボスキャラをイメージしたと言う豪華な衣装に身を包んだ岡本さん。
男性でありながら女性ソプラノの音域を持つ歌手ソプラニスタは、世界でたった3人しかいないそうだ。
ちなみに米良良一さんの場合は、もう少し低いメゾソプラノの音域。
裏声ではなく地声なので、岡本さんは話し声もソプラノだ。

 一見すると悪人顔だが、歌い始めると顔中に優しい笑みが広がりとてもお茶目でチャーミング。
心に染みる温かいトークにも人柄の良さが偲ばれる。
クラシックだけではなく、人々の心に届く歌を提供したいと日本の古い愛唱歌などもたくさん歌ってくれた。
得意とする宗教曲はやはり圧巻だ。
その澄み切った敬虔なる歌声に、歌は祈りであると深く感じ入った。

 当日は矢巾町にある中学校や高校の合唱部も参加したので、会場は押しかけた老若男女で立錐の余地もなかったが、おそらく全員が一瞬で岡本知高さんの大ファンになったと断言できる。
聴衆が気持ちよく聴けるような構成と演出を心がけてくれていたような気がする。
特異な存在ではあるが誰からも愛されるアーティストだと思った。

 「しまった!こちらの方に夫と一緒に来るべきだった...
と後悔したが、今さらもう取り返しがつかない。