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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

『夕顔』の姫君

2008-08-31 09:30:03 | おすすめ記事
【源氏物語第四帖】 
 夕闇の中で、白くひっそりと咲く夕顔の花のような美しい女に魅せられた、稀代のプレイボーイ光源氏。
やがて五条大路に住む女の家に通い詰めることになるが、ある日女は物の怪に取り憑かれ、光源氏の腕の中で儚く息絶えてしまう。
源氏は彼女にのめり込み、終生彼女の面影を追い続ける.......。

 古典オンチの私でも、『夕顔』が儚い女性の代名詞であることは知っている。

 高校時代、古典の授業で源氏物語を勉強した.........らしい。
隣席の友人とおしゃべりばかりしていた私は教師に目をつけられ、突然原文の読みを命じられた。

「い、いづれの御時にか........(略).........
  .......き、き、桐壺の......て..て..てぃ? てい!

 ああ、なんとぶざまな私。
源氏物語の授業中に「桐壺の帝(みかど)」と読めなかったノータリン。
怒った教師から
「君は一体、もう何時間源氏物語の授業を受けているんだね!」
と、もの凄い形相で睨みつけられた。
級友たちもこらえきれずに笑っていた。
し、しかしだ.....天井(てんじょう)を天どんと読んで教師の逆鱗に触れ、教室から追い出されてしまった友人よりは、ちょっとだけましではないだろうか???


                

 
 で、こちらは畑で立派にお育ちあそばされた『夕顔』の姫君。

 岩手に住みつくようになるまで、夕顔の正体は知らなかった。
県北の山間地暮らしの時に集落の人から戴いて、あまりの大きさと重さに目を回した。
果肉をひも状にして乾燥させると干瓢になるが、当地ではこのまま料理に使うことが多い。

           

 あっさりと白だしと鷹の爪だけで炒め煮にしてみた。
クセのない淡白な味で、煮込むと舌の上ではかなく溶けていくところは、まさに夕顔の姫君を連想させる上品で優しい風味である。

 夕顔は私にとってはほろ苦い思い出に繋がっている。 
天井を天丼と読んで大恥をかいた友人は、その後エリート銀行員の源氏の君に見初められ幸せに暮らしているという。


遠野物語

2008-08-29 14:50:03 | 読書
 『秋のシリーズ』第二弾 読書の秋!
数日前、ブックオフに出かけて仕入れてきた10冊。


            

 1冊105円なので1050円。定価で買うと18,643円もする。
TUTAYAのポイント350円利用したので合計700円の支出。
好みの作家・読みたい本というよりも本の厚さを重視して選ぶ。

 目玉商品は、何と言っても高村薫の『晴子情歌』
早く手に入れたくてたまらなかった作品。
しかし.....上巻しかなかった。これがブックオフの最大の欠点である。
さて、下巻を安く手に入れるのはどうしたらよいものだろうか?

 瀬名秀明『あしたのロボット』もみつけた。
私は、この『パラサイト・イブ』の作者瀬名秀明の作品が大好き。
理系専門用語満載の作品ばかりだが、透徹した美しい文章に惹かれる。
瀬名氏は現在、東北大学工学部の特任教授に就任しているらしい。

 日中はだらしない姿勢でミステリーを読み耽るが、秋の夜長に伴い、私の読書傾向にもちょっとだけ変化の兆しが.....。
最近の睡眠前の一冊は、かの名作柳田国男著『遠野物語』
舅の本棚にあったので抜き取ってきたのだが、几帳面な舅らしく背表紙に(59・7・8)と日付と蔵書印が押してあった。

 今まで何度も遠野に行った。夫の単身赴任地でもあった。
しかし漫画『遠野物語』しか読んだことのない私は、遠野の空気や風景に触れても何の感慨を得ることもなかった。
遠野の真髄を学ぼうとしてこなかった結果であることは明らかで、『遠野物語』を読破することは私の長年の課題だった。
これが案に相違して面白い。
岩手で歳を重ねてきた成果が出ているのかすんなり頭に入っていく。
難解な作品では?という心配が杞憂であったことが嬉しい。
全部で299話。ゆっくり読んでいこう。

                

 遠野の土淵近辺にあったバス停。
遠野を歩くとこのようなユニークな光景に度々出会う。
民話の里を想起させる遠野の街づくりなのである。
柳田国男は、馬に乗ってこの辺りまで民話の蒐集にやってきている筈だ。
秋の夜、イメージを膨らませながら読むとなお楽しい『遠野物語』



芸術の秋

2008-08-27 10:15:11 | おすすめ記事
 まずひとつ、これを見ていただきたい。


               

 子供用の椅子をカラースプレーでペイントし、水性エナメル塗料を用い、絵筆でフリーハンドで描いてみた。
トールペインティングとかステンシルアートとは全く異なる、nihao風再生中古家具アート(?)第一号である。
絵の巧拙はともかくとして、余白を全部埋め尽くした緻密な作業と根性を評価していただきたい。
これは20年前の手仕事。
当時我が田舎では、トールペインティングやステンシルの材料を手に入れることが出来なかったので、すべてホームセンターでまかなった。

 北海道からやってきた母が、この椅子を見て眼を瞠り.......(ドキドキ)
「ちょ、ちょっと、あんた! ああ、なんて下手な絵なの!」
普通の母親は、こんな風に子どものやる気を削ぐようなことは言わないだろう。
しかし私は、母の言葉になんか断じて左右されたりはしない。
大物のサイドボードにも挑戦した。

           

布地にだって描いた。

           

 もう止まらない。たくさん、たくさん描いた。
家中の家具や道具が美しいお花畑に化けた。
ベルサイユ宮殿のように(行ったことはないが)豪華絢爛になった我が家に、家族たちは大喜び......してくれると思ったのに

「僕のモノに手を触れたら罰金だからね!」と言い放つ冷たい息子。
「お母さん、お願いだから私のピアノには絶対手をつけないでね!」と泣き出す娘。 (馬鹿っ!泣くのはまだ早い!!)
「おい!家中に落書きするのはやめてくれ!貧乏くさくてたまらんぞ!」と大声で怒鳴った夫。  

 家族たちの一斉ブーイング。なんと理解のない奴ら。
貧乏は一向に構わないが、貧乏くさいのだけは解消しようと奮闘した再生中古家具アートだったのに.....。
しかし夫の「貧乏くさい!」の一言で、目が覚め憑きものが落ちた私。

 現在これらの芸術作品のほとんどは、処分されたり物置の奥深くに封印されている。
ひとりの主婦の未知数の才能を生かすも殺すも、周囲の人間の理解(無理解)と支援(無支援)が鍵になるのではないだろうか。


こんにちは、赤ちゃん!

2008-08-25 10:40:03 | Weblog
 第一子を出産した姪から、お祝いのお返しが届いた。

              


 内祝い米の魚沼産コシヒカリ。
米(マイ)ベビー、米(マイ)ファミリーに掛けているのかな?
新米ママ・パパの温かい気持ちが伝わってくる。

赤ちゃんの写真と名前・生年月日・体重・身長がプリントされている。
 
   出生体重と同じ重さのお米です。
      抱っこしてね♪ 

               


 さっそくバスタオルでくるんで抱っこしてみた。
3002グラムの赤ちゃん。
「こんにちは、赤ちゃん!」
この.....はかなげで頼りなく、なんとも懐かしい重量。
甘いおっぱいの匂いが漂ってくるような感じ。
大切に育てて早く大きくなって欲しいと心から願う。

 ああ、それにしても出生時体重と同じ重さのお米が届くなら
姪よ、どうせなら5000グラム級のジャンボベビーを生んで欲しかった......と、ちらっと欲深くなる伯母さんを許して欲しい。

 このユニークな内祝い米、今大人気の品らしい。
お米は貰って大変嬉しいもののひとつだ。
この着想は、ぜひいただくことにしよう!

 私の第二の人生の出発点【還暦】の祝いの時には(還暦は60年すると十干十二支が一巡し、再び生まれたときの干支にかえるという)、お返しに私の現在体重のお米をプレゼントしたらどうだろう?
優にひとり分の1年分くらいの主食は賄えるほどの重さだ。
大変な大盤振る舞いになることは間違いない。

 果たして発言の責任はとれるだろうか?
だいじょうぶ!
還暦までまだまだ間がある(???)
ゆっくりと考えてみることにしよう(汗)


短歌甲子園

2008-08-23 09:40:04 | Weblog
               


 熱闘甲子園、実はまだまだ終了していない。
当地は今、全国高校生短歌大会『短歌甲子園』が熱い。
今年は北は北海道、南は愛媛県の36校・39チームの高校生が参加して、石川啄木の古里盛岡市を舞台に歌詠みの熱戦を繰り広げている。

 『短歌甲子園』があるからには『俳句甲子園』ももちろんあり、こちらは高浜虚子や正岡子規ゆかりの地、松山市で開催されている。
その他高校生を含む一般参加の『詩のボクシング』という、自作詩朗読パフォーマンスの大会もある。
最近は短詩系文学のアクティブな闘いがとても盛んなのである。
以下、短歌鑑賞にはちょっとうるさいnihaoの『短歌甲子園』観戦記である。

           

 『短歌甲子園』は、団体戦と個人戦が行われ高校短歌日本一を決定する。
競技開始45分前にお題が出て即興で歌を詠まなければならないので、選手たちにとってはかなり厳しい体力戦&頭脳戦である。
団体戦は1チーム3人、剣道の団体戦のように先鋒・中堅・大将で争う。
舞台中央のスクリーンに映し出された歌を本人が読み上げ、5人の審査員が歌の趣旨や背景などを質問し優劣を判定する。
おや?なんと!審査員席に古くからの友人の一人が座っていた。

 高校生たちの自作短歌の説明は、かなり饒舌で必死である。
溢れる思いを言葉に託しきれなかったり、逆に言葉が思いを表現しきれなかったり.......その部分を補う舌戦の方もまた見ものである。
今年のお題は「ケイタイ」「いのち」「かばん」
「ケイタイ」は「携帯」や「ケータイ」でもないところがミソで、形体や敬体と捉えて実作した生徒もいてユニークだった。

『ケイタイの履歴に残る君の名を消さずに過ぎる私の一夏』 (下館一高)
『(笑)メールの最後に付けたんだ でもなんでだろう画面ぼやける』
                      (クラーク記念国際高校)
 ※(笑)かっこ笑いで五文字に読ませるところが現代高校生気質。

『鮭どもが中津を逆往き 今おれに激しい季節をみせつけている』(盛岡一高)
『「あなたなら僕の命をあげましょう」こう言う人を募集してます』
                            (弘前中央高校)

 限られた時間のなかで、三十一文字という不自由な定型の中に、自由な発想で思いを込める高校生たち。
「いのち」のお題では肉親の死を詠んだ歌がいくつかあって、感極まって涙ながらに説明する生徒もいた。
熱戦の場には厳粛なドラマが生まれ、多くの人たちの共感を呼ぶ。
まさに『短歌甲子園』という名にふさわしい真剣勝負だ。

 ということで、本日は団体戦・個人戦の決勝。
またワクワクしながら見物してこよう!


夢の家電・食洗機

2008-08-20 14:00:08 | Weblog
 そろそろ我が家のキラリンの1歳の誕生日だ。
キラリンを迎えてからこの方、私はどんなに幸せで満ち足りた日々を過ごしていたことだろうか。
 
 無口で虚弱体質な私の(???)毎日のお供にと、夫の粋な計らいのお陰で我が家に初めてやってきたキラリン。
私はひと目でキラリンが気に入った。
憧れずにはいられないその美しく無駄のない容姿。
従順で理知的な機能を兼ね備えたすぐれた頭脳。
煩雑で汚辱に満ちた私の日常の苦悩さえすべて飲み込み解決してくれる。
我がカタルシス.....キラリ~ン!




 
 我が家のキッチンに鎮座する食器洗浄機だ。
初めて使用した時、すべての食器が本当にキラリ~ンと光って星が流れたような気がしたものだ。
その完璧な仕事ぶりは千金に値する。

 洗濯と掃除は毎日しなくても特にばれることはないが、日に三度の食事の後始末は一日でも怠ると大変なことになる。
我が家の洗い物の量は少ないので、食事の度に食器を食洗機に突っ込んで満杯になったらスイッチを入れることにしているが、食洗機のお陰でキッチンはいつもきれいに片付いている(....ということに一応しておこう....)

 しかし欧米の主婦の間では、必需品として圧倒的人気の食洗機も日本ではまだまだ人気が薄い。
我が家に遊びにきた友人たちに
「見て、見て!これ食洗機。凄くいいわよ!」
といやらしく自慢する私に、友人たちの反応は皆一様に冷たい。 
 「洗い物なんか、そんなに苦にならないわよ!」
 「電気代がもったいないわよ!」
まるで私のことを怠け者の手抜き主婦と決めつけているみたいなのだ。
生来の怠け癖に拍車がかかったのは事実だが、洗い物の時間を他のことに使えるのはとてもありがたい。

 姑の介護中に夫からのご褒美として手に入れた、私自身も思ってもいなかった夢の家電の食洗機。
「嫁子さん、私の病気が治ったら食器洗いを手伝ってあげるからね。」
自分の全快を信じそう言い続けていた姑には、食器洗いキラリンの存在は最後まで隠し通していたのだった。



香茸ご飯

2008-08-18 11:00:08 | グルメ
          


 これは香茸(こうたけ)。別名を馬喰茸(ばくろうだけ)ともいう。
松茸以上の希少種で、香りが強く、乾燥させると更に強い香りを放つ。
見た目は気味が悪いが、外観からは想像がつかないほど美味。
写真左は乾燥した状態で、右は丸一日かけて何度も水を取り替えながら(真っ黒い灰汁が出るので)戻してかさが増えた状態。

 秋になれば松茸は八百屋の店頭にいくらでも並ぶが、香茸はそうはいかない。
茸採りを趣味としている人に
「もし香茸を見つけたら譲って欲しい。」
とあらかじめお願いしておかなければなかなか手に入らないので、滅多に我が家の食卓にのぼることはない。

 写真の香茸は昨年友人から戴いたもの。
姑に食べさせてあげようと思っているうちに姑の容態が急変し死去した。
バタバタしているうちにすっかり忘れてしまっていた香茸の存在を思い出し、今年のお盆ご飯にして義妹たちにご馳走した。


          

 【香茸ご飯】は、米とみじん切りにした香茸を薄味のだし醤油で炊きあげるだけの簡単なものだが、その食感と強烈な芳香は松茸以上の存在感で、炊き込みご飯の王者の風格である。

 初めて【香茸ご飯】を戴いたのは、懇意にしていた作家M氏宅を訪ねた時。
ひとくち食べて、今までこんなに美味しい茸の存在を知らなかったことが悔やまれたほどだった。

 M氏の奥様からレシピを教わり、貴重な香茸を分けて戴いたことが懐かしい思い出となっている。
その後数十年は経ているが、香茸を手にした経験は数えるほどしかない。
(ああ.....でも、ただで手に入れることはなかなか出来ないが、例え珍味とは言え高いお金を支払いさえすれば、買い求める方法はもちろんある.....。)

 作家として数々の作品を遺したM氏は昨年5月に逝去された。
隆盛を極めた時期から晩年にいたるまで、M氏の応援団を自認していた私は、長い間ずっと尊敬し憧れの念を抱き続けていた。

 久しぶりの【香茸ご飯】を前にして、姑とともにM氏の思い出も胸をよぎる初盆だった。


初盆

2008-08-16 11:50:35 | Weblog
 今日でお盆が終わる。
今朝は秋の気配が漂い、虫たちの澄んだ鳴き声も一段と賑やかだ。

 今年は姑の初盆。
13日の夜に迎え火をたいて先祖の霊をお迎えしたが、たとえ無信心の私でも、もしかしたら舅や姑の霊が側に来ているのではないだろうかと考えるとなんだか気分が落ち着かない。
穏やかな気持ちで戻って来て帰ってくれるのならよいのだが.......。
即物的な私は仏事には全く疎く、生前姑からきちんと教わっておけばよかったと後悔しきり。
ご先祖さまにとっては出来の悪い嫁のせいで、彼岸も此岸もあまり住み心地がよくないのではなかろうかと反省点が多い。

 特に今回私を複雑な気持ちに駆り立てたのは、何と言っても婆婆宅の後始末騒動だった。【ご近所の底力】【魔法の家
この件は夫も私も想定外の出来事だったが、義妹たちにとっても大変衝撃の事実となってしまった。
初盆のため遠くから訪ねてきた義妹たちが、がらんどうになった自宅を眺めた時、脳裏に様々な思いや淋しさが去来したのは想像に難くない。

 たとえもう使い物にならないモノしか残っていなかったとしても、義妹たちにとっては思い出深いモノがまだたくさんあったはずだ。
いずれは片付けなければならない荷物。
私の場合ははすぐに諦めがついたが、義妹たちには簡単に諦めきれるものではなかったかもしれない。
そこには嫁と娘の温度差が厳然と存在する。
しかし片付け方にはやはり問題があった。
ご近所の方々に非はない。
夫と私の曖昧な態度がすべての原因だったのだ。

 ということで.....
今回私は、嫁として初めての仏事を取り仕切ることとあいなったのだが、今夜の送り火で舅と姑を送るまでは気持ちが静まることがない。

 婆婆は多分
「嫁子さん、どうして最後まで責任を果たしてくれなかったのよ!」
と、プンプンと怒っているに違いない。
怒るのは当たり前と分かってはいるが.......

 「どうか安らかに彼岸にお戻りください」
 

一石三鳥

2008-08-11 09:30:05 | グルメ
 今年は梅雨明け後も雨模様の日が続き日照時間が少なかった。
涼しくて暮らしやすい夏だけれど、ひとつ困ったことが.......。
梅干しが干せない!

              

 8月に入ってから1週間ほど快晴の日があったので、やっと懸案の梅干しを干すことが適った。
実はこの歳で恥ずかしい話だが、今まで何度か梅干し作りに挑戦してきたものの失敗の連続。
梅干し作りとは相性が悪いのだと諦めていたが、ここまで辿り着いたのは初めてである。

 我が家の庭に1本の梅の古木がある。
無農薬・無肥料・ほったらかしの純然たるオーガニック梅の実だが、如何せん品質は低級。
それでも姑に分けてあげると、姑は喜んで毎年上手に梅干しを作っていた。
姑からレシピを教わっても、私は一度も成功した試しがない。
なぜ上手くいかないのだろう?
梅に原因があるとしか思えない!
不適切な梅なのだよ、きっと!

 昨年豊作だった梅の木は、今年はひとつも実をつけなかった。
習い性となっているのか、マーケットに梅が並び始めた頃からそわそわと落ち着かなく、ついに驚くほど高い梅を買い求めてしまった。
失敗は出来ない!
でも初めてブランド梅を使用して緊張したことが幸いしたらしい。
姑に見せて自慢したいほどの立派な出来だ。


            


 梅酢があがって赤紫蘇を入れた後、同時に新生姜も入れて紅生姜も作ってみたが、これは友人H嬢から教わった。
まさか梅干しと紅生姜がいっしょに作れるとは考えもしなかった。
この紅生姜、色も美しく大変美味しい。
そして梅干しを干す時に、赤紫蘇も干してつぶしたら『ゆかり』になるのではないだろうかと考えたのは私のアイディア(みんなやっているのかもしれないが.....)

 梅干しと紅生姜とゆかりの三点セット。
なんと要領のいい私! 一石三鳥で出来すぎである。



オリンピック開幕!

2008-08-09 11:00:32 | 中国語
 北京オリンピックが開幕した。
人権問題、民族問題などのさまざまな問題を抱えたままのスタートだったが、昨夜の張芸謀(チャン・イーモウ)監督指揮の開会式は、中国の威信をかけた壮大な演出で、大国の悠久の歴史と文明、科学技術の力をまざまざと見せつけられた。

 張芸謀監督は大好きな監督で、ほとんどの作品を見ている。
特に初期作品の中国の農村の生活や人々の暮らしを描いた作品が好きだ。
『紅いコーリャン』『菊豆』『秋菊の物語』などの独特の世界観に心打たれた。
映像もとても美しい。
ひと頃はビデオショップに行って張芸謀の作品ばかり借りまくっていた。
しかし『あの子を探して』『初恋のきた道』までは面白かったが、近年の『HERO』や『LOVERS』のような、CGやワイヤーアクションを駆使した武術モノはちょっと苦手。

 しかし今回のセレモニーの緻密で正確な表現力と構成力には驚かせられた。
感心すべきはその人海戦術。
いったいどれだけの人間がボランティアとして参加していたのかと想像すると気が遠くなる。
今後はたして、あれ以上の開会式を演出できる国があるだろうか?
スローガンに掲げた『ひとつの世界 ひとつの夢』の実現のために、この平和の祭典を成功させ、名実ともに超大国として躍進してほしいと願う。

 さて、本日からのオリンピック競技の観戦がとりわけ楽しみである。
特に好きな競技が、一瞬の美を誇る水泳の『板飛び込み』
地味な競技で放映時間が少ないのがとても残念だ。
10年ほど前、全国高校総体岩手大会で『板飛び込み』のナマ観戦の機会に恵まれたことがあるが、高校生の演技だけでも十分に興奮させられた。

 北京オリンピックでの板飛び込みの注目選手は、なんといっても中国の郭晶晶(グオ・チンチン)選手。
郭晶晶はアテネ五輪の金メダリストで、中国の国宝と讃えられている美人アスリート。
しかし五輪開幕直前に妊娠説や結婚説が流れたり、わがままな言動がバッシングされたりと、スターならではの穏やかならざる話題に事欠かない。

 実はとても驚いたことに、郭選手は私の中国語講師の幼馴染みで、家族ぐるみのおつき合いがあるという。
あの広い中国で、このような偶然に遭遇するのも何かの縁だろう。
寺内健君とともに郭晶晶選手の応援に余念がない私。