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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

物忘れ症

2009-09-30 10:40:00 | 家族・友人
 高校時代の友人から電話がかかってきた。
なにやら彼女の話では、一日のうちの半分の時間は探し物に費やしているらしい。
物忘れがあまりに顕著なので、病院で治療を受けた方がよいのではないかと深刻に悩んでいた。
老化を冗談のタネとして他人に気楽に話せるうちはよいが、冗談では済まされなくなってくると怖い。
笑いながら聞いていたが、私もだんだん心配になってきた。

 先日ももちゃんのペット用トイレシート(1380円也)が切れそうになったので、買い物のついでに早めに用意して買い求めておいた。
10日ほど過ぎいざ使おうとしたら、いくら探しても見当たらない。
確かに買った筈なのだが、10日も前のこととなると私の記憶もあやふやだ。
買ったのか? 買わなかったのか? 絶対買った! いや、買わない!
不毛なる自問自答が一晩中続き、我ながら疲れ果てた。
些末な事柄を諦めきれないのも老化現象のひとつだろうか?

 もしかしたら忘れてきたのかもしれないと、翌日開店と同時にマーケットに行って訊ねてみたら、あった!あった!
マーケットの『忘れ物帳』にしっかりと記録されて保管されていた。

 「馬鹿たれ!
と私の物忘れを夫はあざ笑うが、私と比べると確かに奴は物忘れが少ない。
いや!物忘れはしないが、奴は誤認識という重大な問題を抱えている。


         


 過日ふたりで種山高原まで出かけ『風の又三郎』のブロンズ像を見学してきたことがあった。→【海だべかと...
種山高原の山々と風に溶け合い、見とれるほどの美しいブロンズ像だった。
夫婦で同じ方向、同じ風景を眺め、同じ感動を共有しているという充足感にしばし満たされた一日だった。 しかし昨夜......

 「職場の若い子が種山高原に出かけると言っていたから
 あそこには、きれいなピノキオ像があると教えてやったぞ!」

 絶句である。
『銀河鉄道の夜』のカンパネルラと間違えるのならまだ見込みはある。
何故に、どこをどうしたら『又三郎像』が『ピノキオ像』に認識されるのだろう?
これはもう......目が悪いとか頭が悪いとか物忘れが激しいとかの問題を超えている。
奴が種山高原で見たものは、確かにピノキオだったのだ。
では私が見たものは、あれは一体何だったのだろう?

 私の絶望と衝撃はマグニチュード7.5だ。




哀愁のギャンブラー

2009-09-27 12:00:00 | 家族・友人
 昨年ガソリンが高騰して、国民の多くが出控えていた今頃
夫は週に3回は、2時間もかかる秋田の海に釣りに行っていた。
高いガソリン代をかけていつも釣果はゼロだった。

 大病したが最後まで勤め上げ退職した男が、悠久の海を眼前にした埠頭で、日がな一日太公望となって過ごすセカンドライフを心から応援していた私。
しかし今年は、夫は一向に釣りに行こうとはしない。
「秋田にはもう飽きた」

 では夫は何をしているか?
最近は、地域の教育・文化の発展や社会福祉の増進、医療の普及やスポーツの振興、都市計画その他公共施設の整備などを陰から支える立派なボランティア活動に勤しんでいる。
まあ、早い話が競馬のことだわね。

 いつの間にかまた哀愁のギャンブラーに逆戻りしてしまったが、夫唱婦随を旨とする賢夫人である私は、いつも気持ちよく夫を送り出している。
現在夫は土・日勤務が多く、たまにしか競馬場に行けないのも私の気をおおらかにさせている理由のひとつだ。

 私もボランティア活動は嫌いではない。
「一緒に行くべ!」
と時々誘われるが、年金生活に突入して以来このかた、財布の中身が無為に消えてしまうようなことは避けているので消極的になっている。


 昨日、私が真面目に中国語のレッスンを受講している時に、夫から携帯にメールが入った。
今日はついている!もう3万円も儲けているぞ!
あら、珍しいこともあるものだ。
こんなことは3年に1回あるかないかの大事件だ!
黙っていれば私にたかられることもないのに、嬉しくてつい報告してきた馬鹿な奴。
私もこっそり友愛の応援メールで返信した。

 「絶対減らすな! もっともっと増やせ!!

 帰宅した夫は元気がなかった。
「おまえのメールでビビってしまって、その後のびのびと買えなくなった。」

 どうやら私の応援メールを脅迫メールと勘違いしたらしい。



 

黄花コスモスの里

2009-09-25 09:10:00 | Weblog
           


 紫波町彦部の国道456号沿いでは、黄花コスモスが約2キロにわたって満開となっている。
コスモスを自宅の小さな花壇におさめて咲かせてもつまらない。
野において風に揺れながら群れて咲いているのが一番似合う。


             


 この朱赤色のコスモスは『サンセット』という名前で、紫波町日詰出身の橋本昌幸さんが10年間の苦心の末に作り出した品種だ。
1966年にアメリカで開催された新品種コンテストで金賞を受賞したが、当時この橋本さんの偉業は世界の園芸界で話題騒然となったという。
私は25年程前、NHK『趣味の園芸』の冊子で大きく紹介されていたのを読んで知っていたが、案外岩手県の人たちには知られていないようだ。

 この橋本昌幸さんの父・橋本善太さんもまた郷土の偉人。
昭和初期に日本で初めて年間365日卵を産む超多産鶏を産出して世界新記録を作り、日本の食糧事情の向上に貢献した立派な人だ。
当時の岩手県知事・国分謙吉翁が、善太が苦労して作った鶏ということで『ゼンタック』と命名したというが、知事さんのセンスも光る。
親子そろって努力の研究者であるが、こちらもまたあまり知られていないのが残念。

 さらに橋本昌幸さんの叔父にあたるのが橋本八百二画伯。
橋本画伯は、岩手に県立美術館がないのを憂い、私財を投じて橋本美術館を創設した人だが、こちらの画伯は地元では有名人だ。
しかし現在この美術館は、韓流スターペ・ヨンジュンが名誉館長をしている『岩山漆芸美術館』に姿を変えている→【ヨン様の隠れ家

 いささかローカルネタ過ぎるが、華麗なる橋本一族の偉業を、岩手県民は知っていても損はしないと思って記事にした。


 街道沿いの田んぼは収穫間近の黄金色の稲穂がたわわに実り、黄花コスモスの黄色と渾然一体となった田園風景がどこまでも続く。
黄金郷イーハトーブの豊穣の秋は深い。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

 偉くなればなるほど謙虚であれと、小学5年の時の担任の先生が教えてくれた。
あまり何度も言われたのですっかり私の頭に刻印され、この時期田んぼの稲穂を見る度に、この格言といっしょに先生の顔が思い出される。

 ...先生!私は偉くならなかった上に謙虚であることも失しております...





ドライトマト入り食パン

2009-09-19 10:30:00 | おすすめ記事
 いにしえより人々の飽くなき夢として探究されてきた錬金術
鉄や銅・亜鉛から金・銀の貴金属を作ろうとしたのはもとより、不老不死の薬の発明に試行錯誤を重ねた学問だが、成功した例がなかったので今ではニセ科学などと言われている。
しかし本当に荒唐無稽なお話だったのだろうか?

 ドラゴンクエストシリーズⅧに初めて練金釜というアイテムが登場した時は、年甲斐もなくドキドキワクワクしたものだ。
旅の途中で手に入れた道具をこの練金釜に放り込むだけで、ほどなくチンという音色と共に、ランク上の道具や武具にその姿を見事に変える。
もし現実の世界に練金釜があれば

 ガラスの欠片でダイヤモンド、庭の落ち葉で一万円札、ももちゃんの抜け毛でカシミアのセーター、大豆と水で痩せ薬が......ああ!

                 ※

 ナイショの話だが、実は練金釜を持っている。
24・5年前に手に入れた。


          


 小麦粉と水を投入すれば、なんと4時間で食パンに姿を変える。
不調なのか一途なのか、今のところその他のモノには姿を変えないので、またの名を自動食パン製造器(ホームベーカリー)とも言う。
ナショナルが世界に先駆けて作った夢の家電だが、発想も構造も全く練金釜そっくりだ。


              


 キッチンの戸棚を整理していたらドライトマトを見つけた。
賞味期限が三ヶ月過ぎているが特に問題はないだろう(私の友人は賞味期限五ヶ月切れのカニかまを食べたと自慢していた)
久しぶりにドライトマト入り食パンでも作ってみようか。
材料はこれら↑と水とドライイーストをセットするだけだ。


               


 あらっ?本当はこの倍は膨らむのだけれど......
初代ホームベーカリーなので、そろそろお疲れになったかもしれない。
ちっとも美味しそうに見えないのが残念だが、しかし外側はカリカリ、内はふんわりで、仄かなドライトマトの香りが部屋中に漂って食欲を刺激する。

 それにしてもこのホームベーカリーはもう使える代物ではないな。
パン屋も近所に開店したし、新製品を購入するかどうか悩むところだ。
いや、粉を練り混ぜ発酵させた段階で取り上げて自分で成形したら、オリジナルのパンやピッツァや中華まんを作ることはまだまだ可能だ!

 練金釜の効力は失ったが、練粉釜としてはまだまだ価値がありそうだ。





チラシ貰う派?貰わない派?

2009-09-17 10:15:00 | Weblog
 石油給湯器が故障した。石油ストーブも昨年来不調だ。
今年こそ石油ストーブのオーバーホールをしなければ、厳寒の季節を乗り切ることは出来ない。
電話をしたら即刻、なぜか営業の男性と女性のペアがやってきた。

 「奥様、もうこのヒーターは12年も使っていますよ!
案の定新型ストーブの購入を勧めてきたが、壊れてもいないのに買うはずがない。
この際オール電化になさったらいかがでしょうか?
ご親切な提案も即断で拒否。
最後に女性が、まるで関連性のない超高級深海鮫エキスのセールスをとうとうとまくし立て始めた。
オーバーホールを依頼しただけなのに、なぜこのような展開になるのか?

 最近セールスの電話や訪問が多くて、おちおちと昼寝も出来やしない。 
景気低迷のこの時代、営業マンの方々の苦労は察するに余りあるが、こちらも余裕なき家計を守るのに必死で、ついすげない返事をしてしまう。
しかし共にこの厳しい世相を生き抜く者として、傲慢に拒否する私の心だって少なからず痛んではいるのだ。

 街頭でのチラシ配りのアルバイトをした主婦の体験記を読んだ。
受け取ってくれる人がいないからノルマをこなすのは至難の業で、かなり大変な仕事らしい。
しかも監視者の目が光っていて不正は出来ない仕組みになっている。

 この主婦もいくら声を張り上げて頑張っても、一向に減らないチラシを抱えて泣きたくなったそうだ。
すると一人の青年が側にやってきて

「チラシください!100枚ぐらいください。僕もやったことがあるから大変なこと知っているんです。」

 と言って、ひとつかみの束を持って立ち去っていった。
思いがけない青年の優しさに、嬉しくて涙がこみ上げてきたという。

 この青年の友愛的行為は、チラシ本家の会社にとってみれば迷惑至極な話だろうが、読み手にとっては実に心温まる話だ。
おそらくこの青年も、道行く人々の冷淡な仕打ちに幾度も悲しい思いをしたことがあるのだろう。
自らの体験を通して人の痛みを思いやり、このようにさりげなく気遣いのできる青年がまだいることに驚く。 
「一番楽そうに見えて実は一番きつい仕事。人間不信にも陥るし......」
と、チラシ配り体験がある我が娘も言っていた。

 私もつい面倒で貰わないようにしていたが、チラシを配る人の苦労まで考えたことはなかった。
たった一枚のチラシを受け取ったからってどうってことはない。
通りを歩いているうちに、いつの間にか十枚になったからってたいした重さではない。
これからはできるだけ頂くことにしようと思った。




なやむ前のどんぶり君

2009-09-14 13:40:00 | 読書
         



 『なやむ前のどんぶり君』 明川哲也著 
   筑摩プリマー新書 09・9・10発行 880円

 著者の明川哲也さんは、8月31日の記事の中で紹介した【アルルカン洋菓子店】の元ドリアン助川さん。
給料日前の家計のピンチ解消のためのレシピ本ではない。
不幸・不運を乗り切るための人生のレシピ本だ。

 人間は悩み多き生き物だ。
地位、名誉、財産、知性、美貌、健康、友人、恋人等々......これらの所有を求め努力し向上してきたが、そのことでまた大いに苦しめられてもいる。
あらゆる対象と自分の間は「関係」を通じて繋がるものであり、所有によって得られるものではないと明川さんは言う。
この本は、例えば......

[独りぼっちで夜の底に飲み込まれてしまいそうな時は  イカスミ丼]
[見た目や収入など、どれも他人に劣るとみじめな時は  雑魚(ざこ)丼]

 苦しみを転じて幸を得るための生きる秘訣が、人生の達人であるどんぶり君の視点で、シンプルかつダイナミックなどんぶりレシピの紹介とともに述べられている点がとても面白い。
そして文章が素敵&詩的。
 
   


 私も、不運な運命に巻き込まれた時の『冬瓜帆立丼』にトライしてみた。
幸運にも全ての材料が手元にあったので作ってみた不運丼だがなかなか美味だ。
優れたレシピ本としても立派に通用すると思う。
さて私も、雨風を滋養にして育つ冬瓜と潮に叩かれて育つ帆立貝を食べて、いかなる不運に出会ってもチャンスが巡ってくるまで自分の力を貯えることにしよう!




                         


 話が前後したが、9月11日に盛岡市の専立寺本堂↑で『アルルカン洋菓子店』のライブ『宮沢賢治とクロコダイル』が開催されたので、夫とH嬢を誘って出かけてきた。
自作の詩の朗読と歌と愉快なトークを織り込んだ2時間の熱演だった。
お寺という異空間に舞い降りた吟遊詩人たち。
今回は期待通り.......叫ぶ!叫ぶ!切なく甘く狂おしく激しく!
いったいどこに向かうのか?どこまで昇りつめるのか?
その非日常の空間にしばし酔いしれた。




犬派?猫派?

2009-09-11 10:30:00 | 手仕事
 先日、あるお蕎麦屋さんで食事をしていた時、お店の窓辺に民芸風の猫の縫いぐるみが飾ってあった。
手にとってためつすがめつ......どうやら一種類の型紙だけで創作していることが判明したが、猫の特徴がよく表現されている。
携帯で前・後・横の三方向の写真を撮り、私も作ってみようと思った。

 動物の縫いぐるみを作るのは楽しいが、実物をデフォルメして簡略化しているので結構難しい。
目や鼻や口の位置を数ミリずらしただけで全く別の表情になってしまう。
猫よりも犬の方が体毛の質感を表す布選びに苦労する。

 今までたくさん作ったのに、ほとんど他家に養子に出したので残っている作品は僅かになってしまった。


      



 左の黒猫が、母の古着を利用して作った出来たてほやほやの作品。
形もサイズも同じ6枚の布地だけで作るので超簡単スピード仕上げだ。
首にトンボ玉をつけたお澄まし猫となった。
右のデブ猫は、我がblog-cafeの巻頭を飾った大スター梅吉。
可愛いネズミも登場しているのでちょっと覗いてみて→【新春パッチワーク劇場

 

     


 左のふたごちゃんは、誕生そうそう大騒動となったいわくつきワンコだ。
ワンコが完成した翌朝、あたふたと通学の準備をしていた娘が
「私のカシミアの白いマフラーを見かけなかった?」
と半狂乱で大あわて。
「知らない!どこかに落としてきたんじゃない?」
と答えたが......あらっ?もしかしたらとイヤな予感。
昨日居間に落ちていた白い布地、ちょうどよい素材だとワンコにしたが、これ、娘のマフラーだったのか???
哀れ、毎日首に巻いていたお気に入りのマフラーが、一夜にして2匹のワンコに化けてしまって大泣きした娘。
そのせいかどうか、以来我が家族は全員私の手仕事には懐疑的で、当然のことながら称賛の声を期待することもできない。

 猫と犬の縫いぐるみを見比べてみると、やっぱり私は犬派だとわかる。
犬を熟知しているせいか、犬のしぐさや表情がそれなりに表現されているような気がするのだが.......
猫も好きだが馴染みが薄いので、何匹作っても生き生きとした縫いぐるみは作れない。

     さて、あなたは犬派?それとも猫派?





夢の続き

2009-09-09 14:20:39 | Weblog
 韓国の民主化に貢献し、初の南北首脳会談の実現の功績でノーベル平和賞を受賞した金大中元韓国大統領が死去したのは先月の18日だった。
激動の朝鮮半島で、死線を越え死闘を繰り返しながら平和を希求し続けてきた政治家だった。

 実は、まったく個人的なある理由で少なからず衝撃を受けた私。
記事にしようかどうしようかと迷いながら3週間以上経ってしまったが.......
先日、ETV特集『金大中・肉声でたどる激動の生涯』で、東京での拉致事件の真相を見ているうちに、やっぱり記事にしようと決心した。
当主婦ブログで、金大中氏を話題に取り上げることそのものがおこがましいのは承知の上だ。
......で、ここから先はどうか眉に唾をつけて読んでほしい
と、お願いするのもおかしな話だが

               ※

  【1973年8月5日のnihaoの日記から】

 あるパーティに出席した。
知っている人が全然いなくて居心地の悪いパーティだ。
大騒ぎしている集団の中にとても気になる男性を見つけた。
どこかでお顔を拝見したことがあるような?
はて、どなただったかしらと考えたが名前がでてこない。
出席者全員盛装しているなか、その方だけくたびれたYシャツにノーネクタイなのだが、独特のオーラを発散している。
やがてその方の視線が私に注がれ、力強い大きな手で握手を求められた。
金大中です。よろしく。
私はびっくりした......だってだって、なんでなんで
こんなところに金大中さんがいるの?
一体何と挨拶したらよいのか途方に暮れ......そして夢から覚めた。

              ※

 夢のことなんか書いてもどうしようもないことは分かっている。

 金大中氏が政治犯として故国から追われ諸外国間で逃亡生活をしていることは知っていたが、特に関心を持っていたわけではないし、日本に潜伏していたことも知らなかった。
金大中氏が私の夢の中に侵入してきた経路はまったく謎だった。

 ところがこの夢には続きがあり、3日後にテレビから流れてきたニュースは日本中を震え上がらせた(特に私を!)
東京の白昼のホテルの中で、金大中氏が何者かによって拉致されたという、いわゆる→【金大中事件】だ。
日本政府は、日本国内で韓国の大物政治家が拉致されたことにショックを受け、主権を侵害されたことに強い憤りをぶつけたが、韓国政府は一切関与していないと主張して日韓関係が悪化する原因になった。

 悪夢はまさしく夢が覚めてから現実となった。 
私には予知夢の能力がある.......なんてことは言わない。
すごくタイムリーな夢を見て、ただただ驚いただけ。
36年も前に見た夢がいまだに鮮やかに甦るのは記録しておいたからだ。

 当時の韓国軍事政権下の悪夢にも劣らぬ暗黒政治の中で生き抜き、闘ってこられた金大中氏のご冥福をお祈りする。





秋のグルメ・ミズの玉

2009-09-07 10:00:00 | グルメ
 風にそよぐ道ばたのコスモス。ななかまどが赤く色づき始め
草地に一歩足を踏み入れると、虫たちが驚いて一斉に四方に飛び去っていく。
めっきり秋らしくなってきた。
いやだな、もうすぐ冬が来る。

 S嬢から山菜『ミズのこぶ』をいただいた。
ミズという山菜は、春先は根本部分の茎を食べるが、秋口になると葉っぱの先端に小豆大のこぶをつける。
この珍味を愛するのは東北人だけかもしれない。



     


 葉っぱを取って茹でると翡翠の玉が繋がったネックレスのようだ。
『ミズの玉』と呼ぶ地方もあるらしいが、「こぶ」にはあまり良いイメージがないから、私もこれからはそのように呼ぶことにしよう。
『ミズの玉』は、醤油と根生姜の千切りで和えて食べた。
粘りがありながらカリカリとした独特の食感で美味しい。


 我が家の軒下に多量に繁茂している大葉は、なくても特に困らないが、あると料理を彩る食卓の名脇役。
面倒だったが、すり身にしたさんまにお洒落をして大葉の衣装を着せて焼いた。


        


 手を変え目先を変え時間をかけて調理したのに
「オレは、サンマの塩焼きが食べたかった」
ぼそっと呟かれ.......がくっと脱力。


 多量の大葉消費の救済処置、及び長期保存のために塩漬けと醤油漬けを試みた。
どちらも大葉を洗った後、一枚一枚水分を丁寧に拭き取ることが肝心。


             


 醤油漬けは自家製の出汁醤油でつけてみた。
醤油分を軽く絞って海苔のようにご飯をくるんで食べたり、ミニおにぎりにしたり、刻んで使ったりと重宝だ。
冬になると大葉が高くなるので、このように保存しておくとお助け食材になる。

 以前、婿殿(料理担当)に青紫蘇を買ってくるように言われスパーに出かけた娘から
「大葉はあるんだけれど、いくら探しても青紫蘇がみつからないの」
と、困りはてて電話がかかってきたことがあったが.......
20歳になるまでレタスとキャベツの区別がつかなかった娘。
嫁入り修行をさせずに嫁がせてしまったので、婿殿には今なお多大な迷惑をかけていることだろう。






結婚の条件

2009-09-03 10:05:00 | 中国語
 我らが初代中国語講師のY氏から仕事で来盛中という電話をいただき、思いがけず8年ぶりにお会いした。

 現在Y氏は、上海近隣の都市の大学で教鞭を執っている。
現在仲間は6人に減ってしまったが、Y氏から中国語を教わっていた全盛期には30人以上のメンバーがいた。
熱心で優秀な講師だったので、故国での現在の成功はとても嬉しい。
三階建ての家を買いましたよ!大きな犬もいますよ!
......これが現代中国のお決まりのステータスシンボルなのであろう。

 ところで現在の講師のS嬢(上海出身)の話では
中国人女性の結婚の条件は『ローン無しの家』を男性が持っていることだそうで、家を持っていない(買えない)男性は絶対に結婚できないというのだ。
日本のように、結婚してから夫婦でお金を貯めてマイホームをという発想はなく、あくまでも男性本人か男性側の両親が用意しなければならないという。

 都市部富裕層の子女だけの現象かと思って聞いていたら、どうもそうではなさそう。
「賃貸の家は新居にならない」という通念が一般的で、結婚して賃貸住宅を借りることは、家族間においても社会的にも通用しないらしい。
男児が生まれると、両親の経済的負担は当然増える。
住宅の価格が高騰しているので結婚難民が増加しているという話だ。
S嬢にも婚約者がいるが、すでにマイホームは用意されており結婚の許可も下りているとのことだ。
 
 中国の母親は大変だ。
孫が生まれたら孫を預かって、その世話を全部しなければならない。
若夫婦たちはたとえ何年間海外にいても、子育ての心配を一切することなく学業や仕事に専念できる。
母親たちもまた、孫の世話が唯一の生き甲斐であり喜びでもあるそうだ。
カルチュアセンターで、いつまでたっても進歩しない他国の言語を勉強しているふりをする女たちなんて一人もいないことだろう。

 もし私が中国に生まれていたら.......
文化大革命では、運悪く両親が粛正され私も農村に下放され
天安門事件では自由と解放への挫折と無情に涙し
国家の発展のために懸命に働き
化粧もせず旅行にも行かず、息子のマンションを買うためにせっせと貯金し
老いては自分の時間のすべてを孫の世話と教育に費やす
......という図式の人生を送っていたのだろうか?

 「子は子の人生、親は親の人生を生きるべきではないでしょうか?
との疑念をはさんだ私に、S嬢はきっぱりと
中国ではnihaoさんのような考えをする母親はひとりもいません!
と否定されただけではなく、私のような暮らし方(子どもと別居、孫なし)は、中国では不幸な女性の代表格らしい。

 何と言われようと、中国のお母さんでなくてよかったとほっと安堵だ。