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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

ゲームの達人

2008-06-29 10:00:05 | 中国語
 月に2度、1回3時間の中国語レッスンが最近マンネリ化している。
会員の高齢化も深刻で、おのおの身体の不調を訴えることかまびすしい。
本来なら北京五輪ツアーを兼ねた語学研修旅行の話のひとつも出て当然なのだが、全くそのような雰囲気ではない。
会員数6名なので、ひとりの離脱が会の存続を左右することは自明の理、やめたくてもやめたいとは言い出せない会員もいることだろう。
かく言う私も学習意欲減退気味だ。
意欲と刺激と目標を失った語学学習は地に堕ちる。

 会員のお姉様のひとりから
「最近授業が面白くないから、あなたちょっと何とかしてよ!」
と言われた。

 授業の方法を考えるのは講師の仕事ではないだろうかと思われるかもしれないが、活気ある授業のスタイルを模索する責任を、うら若き留学生講師ひとりに負わせることには無理がある。
現在は3時間の授業のほとんどをフリートークに費やしているが、これが大きな問題点で、いつの間にか日本語だけのおしゃべりになってしまうのだ。
なぜか講師も日本語トークの方がリラックスするらしく、あえて軌道修正しようとはしない。  それじゃダメじゃん!!

 各人が適度な緊張と興味を持って3時間という長丁場を乗り切るのにはゲームしかない!
そこで私が考えたのは
①これは何でしょう?ゲーム 
②私は誰でしょう?ゲーム
他にも数字の苦手な自分たちのために『世界のナベアツ・北京語バージョン』も考えてはいるのだが......。

①は『手机(携帯電話)』や『手紙(トイレットペーパー)』『奥林匹克(オリンピック)』などの単語当てゲーム。
②は『ヨン様』や『ダルビッシュ有』『浅田真央』などの有名人当てゲーム。

 自分の引いた籤に書いてある言葉の内容を正確に解りやすく説明して答えを導いていくゲームだが、しかし大切なルールがあって解答者は答が分かってもすぐ自慢気に答えてはいけない。
「不明白!不明白!(全然わかんな~い!)」と言って説明を長引かせるのがミソで、ゲームの達人になる必要はないのだ。
容赦ない質問も飛び交うので、自分の限界を超えた語学力が必要になってくる結構きついゲームである。
そして外国語で相手に理解してもらう説明をするためには、煎じ詰めれば日本語力が重要であることを痛感する。

 私のお題は『空調(エアコン)』だったが、一生懸命説明したのにもかかわらず理解してもらえなかった。
また自分が作った問題なのに、お姉様たちの問題の答が本当に分からなかった。

 なぜだろう???  そう....発音がひどすぎるのである!



ヒラメかカレイか?

2008-06-26 12:15:11 | グルメ
 秋田港に釣りに出かけた夫から、意気揚々と電話がかかってきた。
「ひらめときすを釣ったぞ!今から帰る。」
大漁の口ぶりだ。

 すごい!ひらめだってさ。
でかした!でかした!今夜はひらめのお刺身だ。
しかしあのような形状の魚、どうやって三枚おろしにするんだろう?
以前一度だけ姑から教わったことがあるのを思い出し、包丁を持ってイメージトレーニングにいそしみながら夫の帰りを待っていた。

               

 大皿に盛ったひらめ.......いや、実は小皿。
写真だけでは到底本来の大きさは分からないだろう。
そこで皿の下にマッチ棒を置いてみた。リアルな描写となった。
夫は、言葉足らず、いやほら吹き、いやとんでもない詐欺師である。
しかもこれはひらめではなくカレイではないだろうか?

 今は亡き舅も釣りが大好きだった。
姑の作った大きなおにぎりをひとつだけ持って渓流に入り、日がな一日釣り糸を垂れていたが大漁の記憶がまったくない。
しかし舅は、毎日釣りが出来る人生を心から楽しみ感謝して生きていた。
最近夫のしぐさや表情が、舅にそっくりになってきた。
おそらく夫も、生涯大漁には無縁の太公望の余生を送ることになるに違いない。

 夫は今回も気のいい【岸壁の男たち】のお世話になってきた。

「ちょっと、助手さんはどうして連れてこなかったのよ?
あんたは助手さんとのペアでやっと半人前なのよ!」

 と言われ続けてくさっていたが、帰り支度を始めたらまたもや......

               

 「ひとりで待っている助手さんが可哀想だから上げるわ!」

 30㎝もあるスズキの幼魚セイゴを4匹も戴いてきた。
写真下は夫の釣り上げたきすとひらめ(いや、カレイ?)
同じ場所、同じ道具を使って釣りをしているのにこの違いは一体どこにあるのだろう?
今はどんな魚を戴いても涙が出るほど嬉しいが、いつまでも情けをかけてもらっているだけでは夫の面目が立たないし心苦しい。
こんな大きな魚を釣り上げる時の感触を、夫にもぜひ味わってもらいたい。
私も助手として本格的な勉強をするべきだろうか?

              

 セイゴは、茄子とトマトを合わせて焼いた『マヨネーズグラタン』と『刺身』になった。
美味であったのは言うまでもない。



出羽の国、陸奥の国

2008-06-24 11:00:06 | Weblog
 さて本日は、陸奥の国・出羽の国紀行の最後を締めくくり、立ち寄ったけれども記事にはしなかった観光スポットの写真を一挙公開です。
ドキドキです。なぜなら......私は写真撮影の技術・センスとも全くなく、映像で何かを伝えようというポリシーも持ち合わせておりません。
単なる携帯記念写真でお茶を濁すことをお許しください。


            

 会津若松東山温泉を早めにチェックアウトして『会津武家屋敷』を見学しました。戊辰戦争で消失した建物や調度品が見事に復元されています。
会津藩家老・西郷頼母とその一族の自刃の悲話が思い出されます。
朝から涙に暮れても困るので、白虎隊で有名な飯森山や鶴が城はパスしました。


                 

 山形県に向かう途中米沢市と喜多方市を通りました。
これは大変!ランチを米沢牛ステーキにしようか、本場喜多方ラーメンにしようか、いやどっちも制覇か?.....とひとりで悩んでいましたが、夫は私の悩みを無視して大急ぎで米沢を通過しました。
写真は旅行雑誌で紹介されていた行列の出来る『あべ食堂』のラーメンです。


          

 酒田観光物産協会の中にある『山居倉庫』と人形館『華の館』です。
山居倉庫は明治26年(1893)、酒田米穀取引所の付属倉庫として建造され、築百年以上経った今も現役の農業倉庫として活躍しています。
この写真は倉庫の裏側ですが、NHKの連続テレビ小説『おしん』のロケ地として活躍した場所だそうです。
『華の館』では、幸運にも大好きな人形作家・辻村寿三郎さんの特別展が開催中でした。

 
 私は、誤字脱字のある文章を発表することは恥ずかしいと思う人間ですが(その割には多い...)、愚にもつかない下手くそな写真を掲載するのは何ら恥ずかしいとは思わない鉄面皮です。
写真は文章の補足説明程度にしか考えていないのですが、ブログ仲間の方々はどなたも皆、写真撮影が大変お上手で驚かされております。

 そのような私が、最後に大きな衝撃を受けた場所が『土門拳記念館』
土門拳氏は、リアリズム写真を確立した世界的に有名な写真界の巨匠です。
記念館には、古寺や菩薩、古里の祭や子どもたちの表情を撮影した写真がたくさん展示されていて、その圧倒的なリアリズムには驚嘆しました。

「写真は実物以上に実物である。写真は肉眼を超える。」
「カメラは道具にすぎず、写真を撮るのは人間であり思想である。」

 生涯厳しく透徹した視線で対象を捉え続けた写真家の偉大な業績を拝見して身体が震えてしまって、もちろん『土門拳記念館』に関わる写真を一枚も撮ることが出来ませんでした。あしからず。



文学館めぐり

2008-06-22 10:00:05 | 読書
 会津若松からの帰途、日本海に面した山形県の湯の浜温泉を目指して移動している途中【浜田広介記念館】がありました。

浜田広介は日本のアンデルセンと呼ばれている童話作家で、生涯に約1000編の作品を世に送り出しています。
代表作は『泣いた赤鬼』『椋鳥の夢』『りゅうの目に涙』などです。
『椋鳥の夢』は、私が小学生の時の教科書に掲載されていたような記憶があります。
私の子どもたちは『泣いた赤鬼』(あらすじはここ)の世代で、確か道徳の教材に使われていたと思います。

 

 『泣いた赤鬼』を子どもたちと一緒に読んだ時は、友情のために自己犠牲を払った青鬼君の愛や優しさに心打たれ 「青鬼君はかわいそう!」
誰かが不幸にならなければ誰かの幸福はありえないのだろうかと涙ぐんでしまいましたが......
今になって思えば、本当に哀れなのは赤鬼君。
ひとり取り残された赤鬼君は、今後一生青鬼君の重すぎる友情を背負って生きていかなければなりません。
一方青鬼君は自己犠牲という善意を誇りに、別の地で生きていくことが可能なのです。
赤鬼君、今でもずっと『泣きっぱなしの赤鬼君』かもしれません。

 
 私たち夫婦は(否、私は!)、名所旧跡を訪ねるよりも地味な記念館や文学館を訪ねることを旅の楽しみとしています。
そこで次に立ち寄ったのが【斎藤茂吉記念館】、夫は車中で昼寝待機です。

               

 斎藤茂吉は、精神科医で近代短歌に業績を残したアララギ派の歌人。
精神科医・エッセイストの斎藤茂太氏は長男。作家北杜夫氏は次男で一族をモデルにした大河小説『楡家の人々』の作者です。
記念館には興味ある貴重な資料がたくさんありましたが、展示の仕方にちょっと不満が残りました。
資料が遠くて読みづらく、無理して読もうとした私は何度もガラスケースに頭をぶつけて痛い思いをしました。

 死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

 高校の教科書に載っていた斎藤茂吉の短歌です。
緊迫した状況と作者の心象がくっきりと浮かぶ印象的な短歌です。

 毎度教科書短歌ばかりを話題にして恐縮です。
短歌の実作経験もなく教科書以外で短歌を読んだ経験もほとんどありません。
他に習ったことはすべて忘れているのに、なぜか今でも口をついて出てくるのが不思議です。

 先日、私の短歌関連の記事を読んだ同級生から
「あの短歌習った記憶がないんだけれど、私たち本当に同級生だった?」
とのメールが届きちょっと不安になりました。

 ......短歌の記憶の方ではなく彼女との記憶の方が......
 


会津路へ

2008-06-19 16:59:58 | Weblog
 14日早朝から16日まで福島、山形、秋田と回ってきました。
約700キロに及ぶ強行軍だったので疲労回復に時間がかかっております。

 途中高速道路上で『岩手・宮城内陸地震』の発生を知りました。
近所の方や友人たちへの電話が繋がらないので状況が掴めず心配でしたが、予定通り夫の退職祝いを企画してくれた子どもたちの待つ会津若松に向かいました。
この大地震で私が一番心配だったのは........

           

 このようにテレビの上の出窓に、陶芸好きだった母の遺作が五個並んでいます。
これらの壺や花瓶が落下してテレビを直撃したらと思うと気が気でなかったのですが、今回は大丈夫でした。
地震多発県でこのような室内装飾をしていては、心配でおちおち旅行にも出かけられないと反省しました。
もし地震発生時に在宅していたら.....壺を守るか?テレビを守るか?
「テレビに決まってるべぇ!」って? ははは.....。

 さて6時半に出発した私たちは、ちょうどお昼頃に会津若松に到着し、宿泊先ホテルに向かう前に近辺を散策しました。
散策場所は、福島県在住のすずめさんのブログを参考にさせていただき大内宿に行きました。



 大内宿は江戸時代の宿場の面影を今もそのままに残していて、茅葺き屋根の古民家が並ぶ風景は日本の原風景を喚起させられます。
街道は下野街道と呼ばれ、会津若松と日光今市を結ぶ重要な道でした。
現在これらの古民家は、お土産屋や食べ物屋になっていて大変人気のある観光スポットだそうです。
とにかくすずめさんの写真【行き先不定】が圧巻です。ぜひ旅の参考にしてください。

 会津の宿は、東山温泉『新滝』でした。

                 

 ここは竹久夢二ゆかりの宿で、館内に夢二の作品の展示室がある点がはなまるです。
ここで夢二は、散歩中に通りすがりの美人を見つけてはスケッチをせがみ、痴漢に間違えられてよく警察官に連行されたそうです。
また文豪横光利一は、父親がこの地で仕事をしていた時、長期逗留していたこの旅館で生誕したそうです。
由緒と風情のある素敵な旅館で、この旅館を選んだ子どもたちのセンスを誉めてあげましょう。

 娘の婿殿の一家と我が家の両家の『父親たちの退職を祝う会』は、思いがけないプレゼント(次世代アルバム・デジタルイメージフレーム)があったり、婿殿の会心の出来の謝辞もあったりで、大変楽しく和やかな時間が過ぎて行きました。

「お父さんたちのお陰でここまで育つことが出来ました!」

まだまだ安心は出来ないけれど、お父さんたちの苦労が報われた一言でした。 

地デジ準備

2008-06-12 10:00:03 | Weblog
 この時期、夫宛の郵便物にはちょっと神経を払う。
退職後の福利厚生に関わる書類が多いから見落とせないのである。
場合によっては、夫に無断で開封しなければならないものもあるので、その見極めは難しい。
まれに現金の払戻証書などがあり、夫が先に開封すると大変なことになる。
夫は私の内助の功も忘れ、すべてを隠蔽して自分の小遣いにしようとする極悪人なのだ。
もしミスを犯せば、私にとっては致命的な損失である。
そして.....すでに私は2度もミスを犯している。

 待ちに待ったブツがやってきた。幸運にも夫は留守。
さっそく開封→確認→箪笥に隠す→知らんぷり。
そう、ブツとは.....少々まとまった金額の商品券である。
これは夫の在職35年間、給料から毎月数百円ずつ天引きされていたものに金利がプラスされて還付された商品券である。
バブルの頃の退職者は、今とは比較にならないほど高額配当だったらしい。
そしてこれからの人たちの分は、金利はほとんど見込めない。

 さて当然ながら夫は、元退職者たちから様々な知恵を授かっていて、今回もあわよくば私に内緒で金券ショップで現金化するつもりだった。
オヤジたちの考えることは皆同じ、負けてはならぬ!

「おい、オレ宛になにか......届かなかったか?」
「ああ.....あれは全部私が使わせて戴きます。」  きっぱり!
 
 嬉しい嬉しい商品券。
人生で私は、こんなにいっぱいの商品券を手にしたことはもちろんない!
車とダイヤの指輪以外なら何でもお望みのモノが手に入る。
一体どうやって使おうか?
  
  バッグ、靴、洋服、アクセサリー、海外旅行
  大型洗濯機、冷蔵庫、マッサージ器、フローリングの張り替え

 夫の釣り道具に化けないうちに全部使い切ってしまわなくっちゃと、必死に悩み抜いて出した私の結論

            

 テレビとDVDレコーダー。
これで地デジ準備完了で、地デジ難民となることは避けられた。
しかし.....BSアンテナも配線も古くなっていて全部交換しなければならなかったので、思わぬ工事費の出費が痛かった。

 3年後の地デジ化は国策であるにも関わらず、そのすべての経費は自己負担しなければならないという。
3年後デジタルテレビを買うだけの余力があるかどうか疑問なので今回慌てて準備したが、ちょっと踊らされてしまったか?
そもそもなぜ『地デジ』にしなければならないのか理解できないし、テレビの画像が美しくなることがそんなに重要なことだとは思えない。

 使えるテレビも使えなくするというこの国をあげた反エコ政策、かなりの混乱が生じるのではないだろうか。


ももちゃん、受難か?

2008-06-09 09:45:05 | ももちゃん
 
      

 左写真は子犬の頃のももちゃん。
右は現在のももちゃんですが、食事以外の時間はほとんど寝ています。
痩せ始めていますが異常な食欲ぶりで、一日に烈しく何度も餌の要求をしてきます。
ももちゃんに劣らずぼけている私も、餌をあげたことを失念してつい騙されてしまうので要注意です。

 ももちゃんの散歩は夫の仕事です。
でも釣りに出かけた夫の帰りが遅いので、久しぶりに私と一緒に散歩しました。
近所の農道を、よぼよぼとぼとぼと歩くももちゃんを引っ張っていると、同じく犬連れの見知らぬ人たちからたくさん声をかけられます。

「やあ、ももちゃんこんにちは!」
「おや?今日はお父さんはどうしたの?」

 あらっ?いつの間にももちゃんはこんなに有名になったのかしら?
いや彼女が有名なのではなく、もしかしたら夫の方が有名になっているのではないだろうか?
ご近所付き合いなど全然してこなかった夫が、いつのまにか『お散歩デビュー』で、立ち話などをしながら仲間作りをしていたのかもしれません。

 さて夫が退職して時間が出来、職場から頂いた旅行券もたまっているのに、老犬ももちゃんを置いては旅行にもいけない現状です。
しかし今週末はどうしても会津若松の温泉に出かけなければなりません。
子どもたちがお父さんの『退職祝いの会』を、双方の中間地点の福島で行うことを計画してくれたのです。
娘婿殿の父上も退職されたので、ふたりの父親の退職祝いを兼ねています。
私たち夫婦は車で出かけて、帰途日本海側の釣り場などを散策しながらもう1泊したいと考えているのですが、ももちゃんが最大のネックです。

 ペットホテルでは、10歳以上の老犬をなかなか預かってはくれません。
M嬢に餌やりと散歩を依頼しようかと思ったのですが、ただ今ゴルフ場は稼ぎ時で大忙しです。
いつもカットをお願いしている犬の美容室に電話してみたらやっとOKが出ました。
ちょっとした環境の変化にもすぐ体調を崩すももちゃんですが、ここはなんとか踏ん張ってもらうしかありません。

 姑を介護していた時は、どんな緊急事態でも介護保険サービスのおかげで困ったことはありませんでした。
今後一体どうしたらいいのだろう?
ペットにも介護保犬サービスがあるといいのになあ.......。



にせ玉置浩二ショー

2008-06-07 11:00:03 | マダムH
 友人H嬢から、N社の『お客様感謝の集い』のパーティ券を頂きました。
本当はH嬢とご主人が参加する予定のパーティだったのですが、H嬢はここのところ公私ともに滅茶苦茶忙しい様子。
彼ら夫婦の代わりに、N社とは全く無縁の私が参加することになりました。

H嬢は出不精の私の為を考えてか、いつも無料のパーティ券や温泉割引宿泊券などのプレゼントで、私を日陰から日向へ引っ張り出そうとしてくれます。
いつか彼女の無償の愛(?)に応えられる日がくればいいのだけれど.....。

 ただでたらふく飲んで食べて一食浮かそうと夫を誘ったのですが、ただ今夫の視線は海まっしぐらで、パーティより釣りの方に心惹かれています。
この日も雨模様の中、既に早朝から逃げるように姿を消しておりました。
そこで急遽、長年勤めていた職場が倒産して呆然としている不幸な友人I嬢を誘って出かけることにしました。

 パーティ会場は市内で一番格式のある老舗のホテル。
「お得意様ではないことがばれたらつまみだされるかしら?」
私たちはちょっとドキドキしましたが、もの凄い人数だったので胸をなで下ろして席に着きました。
さてパーティは飲み物はふんだんに用意されていたものの、食べ物がちょっと少なめでした。
小食な私たち。少量でお上品なホテルのご馳走に、眠っていた食欲(あん?眠らぬ食欲!)が大いに刺激され、実は帰路もう1軒レストランをはしごしたのは内緒です。

パーティではステキなショーも予定されているとの話、ワクワク。
最後のお料理が並び始めたときに、突然あの安全地帯の.......
玉置浩二の歌声が     「きゃあ~!

              

 と思ったら、ナント!
にせ玉置浩二『セニョール玉置』の登場でした。
セニョール玉置さん、東日本では知名度の低い芸人さんだけれど(私が知らないだけ?)、もしかしたら西日本では有名な方なのでしょうか?
顔芸やモノ真似など、なかなか迫力のある愉快なショーでした。
近くまで来て歌ってくれて、私の携帯の前でポーズをとってくれました。

 私もI嬢も夜の外出は久しぶり。
I嬢は会社倒産の憂き目にはあったものの、最後のお子さんの教育が終了したばかりだったのが不幸中の幸いでした。
昔はよく大勢で連れだって遊び歩いたものですが、その頃の仲間たちは皆、体調が悪かったり孫の世話をしたり肉親の介護や死に直面したりと、それぞれがいろいろな問題を抱えてなんとなくご無沙汰しています。
またぼちぼち繰り出して、みんなで難しい年齢から脱出していこうと約束しあって別れました。



心の声

2008-06-04 09:59:59 | Weblog
 桜が散ってからこの方寒い日が続き、暖房が必要な日が何日もありました。
原油価格高騰に伴い、灯油価格もじわじわと値上がりしております。

 我が家は、暖房器具・給湯器具ともに灯油を使用しています。
古い家屋で寒い上にエコ精神に欠如している家族たち。
家が大好きで滅多に外出しない私、一日中ストーブの前で寝ているももちゃん、自室に閉じこもってテレビを見ている家庭内別居の夫。
厳寒期の消費量は驚くばかりの数字で、灯油係数がエンゲル係数を上回っているのは確実です。
二人と一匹だけの暮らしなのに、200㍑入りホームタンク2本に毎週給油してもらっているという灯油を喰らって生きている家族で、燃料店にとっては上得意様ではないだろうかという自負(?)があります。
ああ......それなのに!

 昨日、灯油タンクの目盛りが底をつきそうになっているのに気がつきました。
灯油の配達日は金曜日ですが、それまで間に合うかどうか心配です。

私 「もしもし、灯油の配達お願いします。」
店 「はい、承りました。nihao家の配達は金曜日です。」
私 「もうなくなりそうなのですぐ配達してください。」
店 「それはちょっと無理です。」
私 「あの~、そこをなんとか.......。」
店 「配達区域の都合があるので出来ません。
   でももし金曜日の前にタンクが空になったらお電話ください。
   その時はなんとかいたします。」

   .....あッ、あッ、頭きた!.....

「ちょっと、ちょっと、なにお役所みたいな理屈ほざいているのよ!
配達区域?ただ市内をグルグル回っているだけでしょ!
冬期ならいざ知らず今は夏、配達予定日なんて原則はいくらでも何とかなるはず、非常事態だから電話しているのに、空になってから電話寄こせですって?空になったら困るから電話しているのよ!
ウチが浮気もせずどれだけお宅の売り上げに貢献しているか調べてみてよ!
一度だってトラブルを起こしたこともないし、支払いを渋ったたこともないじゃない!
いいわよ、いいわよ!もうお宅には頼みません!」
と、一方的に思いっきり毒づいて(もちろん心の中だけで)
「はい、分かりました!もう結構です!」
とだけ言ってガチャンと電話を切りました。

 なんという融通がきかない燃料店。
これが20年来の顧客の非常事態に対する態度なの???
本気で店替えをしようと思案していたら、私の心の声が届いたのか、翌朝一番で配達してくれて一応トラブルは回避されました。
 
 ガソリン代の陰に隠れて目立ちませんが、今週末あたりからまた灯油料金は値上がり(99円→115円)するそうです。
みな様、ご準備はお済みですか?



ギャルソン・エプロン

2008-06-02 09:30:00 | 手仕事
               

 エプロンを3枚縫い上げました。
自分のではなく、マネキン(試食販売員)をしている友人K嬢用です。
マネキンさんという仕事は、商品の知識や客あしらい、宣伝・販売促進を高める技術が重要であるのは当然ですが、ユニフォームとしてのエプロンも存在をアピールするための必須アイテムです。
視覚に訴えるエプロンは、客引きのための第一条件といえるでしょう。
 
 K嬢は、このワンショルダーのデザインのエプロンがお気に入りです。
でも市販品は高額なので、K嬢持ち込みの布地で私が製作してあげます。
と、このように書くと.....いかにも洋裁のプロのように聞こえますが、私の洋裁は全くの自己流で簡単なものしか作れません。

 直線縫いだけのエプロンは楽しいイージーソーイング!
余った布地でお揃いの三角巾も作ってあげます。
女性的で洒落たデザインはK嬢にとても似合っていて、ここ10年来彼女は、このエプロン着用でトップ・ザ・マネキンの座を維持し続けているのです。
時々デパートや大手スーパーで働く彼女の姿を見かけることがありますが、そんな時はちょっと誇らしく嬉しくなります。

 
             

 布地が少しずつ余ったので、ついでに自分用のギャルソン・エプロンも作りました。

 ちょっと可愛らしすぎじゃないかって? 「だいじょうぶ!」
面積の少ないエプロンなので派手なくらいでちょうどいいのです。
最近は極端に家事の量が減ってきているので、私のエプロンはこの小さいギャルソンだけで充分用が足りています。
長方形の布(30㎝×90㎝)にポケットと結び紐をつけるだけなので、洋裁をして端布が出ると、布処理を兼ねてエプロンに仕立ておきます。
サイズはお好みですが、私は短い方が好きです。
新聞紙を腰に巻いて適正サイズを決定したら、それが自分の型紙です。

 ギャルソンは、フランス語でカフェやレストランのボーイさんのこと。
だからこのエプロンは元々は男性用なのです。
脳梗塞の妻の介護をしている兄にギャルソンを2枚作って送ってあげましたが、大変便利で恰好がよいと喜んでもらえました。

 奥方のエプロンをして慣れない家事をするよりは、ギャルソンをきりりとしめて働いた方が殿方の株は上がります。
もうすぐ父の日。
父親やご主人にギャルソンを作ってプレゼントして、それとなく家事への協力を仄めかしてみてはいかがでしょうか。