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我が家のともしびちゃん(孫・仮名)がやってくるのでお雛様を出しました。
ただ古いだけの何の謂われもないお人形です。
このところ埃をかぶっておりましたが、ともしびちゃんのおかげで久しぶりに日の目をみました。
男雛も女雛もお歳を召されたようで、心なしか疲れたような顔をなさっています。
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盛岡市・プラザおでってホールにて、石川啄木没後百年記念事業のひとつである『喜劇・長寿庵啄木』というお芝居を観てきました。
啄木は26歳で夭折しましたが『喜劇・長寿庵啄木』は、劇作家のおきあんごさんが「もし啄木が百歳まで長生きしたならどうなっていただろう?」との想定で描いた奇想天外なお話です。
啄木が長生きしたなら...家族みな健康で仲良く幸せに暮らしていただろうか、小説や短歌が正しく評価されて売れっ子作家になっただろうか、金田一京助から借りたお金は返しただろうか、ふる里岩手に戻ってくることは出来ただろうか...啄木を愛する岩手県民なら誰もが心に懸けていることです。
舞台は瀟洒な洋館の一室。
啄木は押しも押されぬ人気作家として裕福な暮らしをしています。
啄木の詩稿ノートには、ふる里に西洋風の家を持ちたいという願いが記されていたそうです。
見事にその夢が叶いました。
妻節子、長女の京子(劇中では孫)は元気で、節子は海外旅行が生き甲斐です。
金田一京助等から借りた1372円(今の2千万円)も全部きれいに返済しました。
たかり魔で有名だった啄木ですが、克明な借金メモを残していたと言いますから、最初から踏み倒す気で借りていたのではなかったようです。
しかし今は満ち足りた生活の中で、短歌が作れなくて困っています。
お芝居の中では啄木本人は不在です。
妻節子、孫娘の京子、妹の光子、両親、編集者、親交のあった金田一京助、若山牧水や、釧路の芸者小奴など、啄木に関わる多彩な人物たちが次々と登場し、彼らの紡ぐ啄木への愛と思いが、現在の啄木の人物像と苦悩を徐々に浮き彫りにしていきます。
オリジナルの劇中歌(原作石川啄木・作詞坂田裕一)も気に入りました。
役者さんたちの熱演ぶりや物語の展開に大笑いしながらも
「啄木は夢のすべてを手中にして、はたして幸せだったのだろうか?」
「長寿と豊かな暮らしだけが人としての生きる目的なのだろうか?」
と考えさせられる内容でした。
盛岡市は演劇が大変盛んな街で、素人の演劇集団グループがたくさんあります(20くらい)
私にも30年来見続けてきた贔屓の劇団があります。
最近はちょっとご無沙汰していたので、これを機会にまたお芝居を楽しみたいと思います。
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そう言えば10数年前、函館市で観光タクシーに乗ったとき、運転手さんが
「我が函館出身の石川啄木記念館にお連れいたします。」
と言ったので驚いて間違いを指摘したことがありました。
運転手さんの方がもっと驚いて、信じられないというような顔をしていました。
私の北海道の友人にも、啄木が函館出身だと思っていた人が何人かいました。
確かに故郷を追われ新天地を求めて函館にやってきましたが、たった数ヶ月しか滞在しておりません。
岩手県民にとって啄木の出身地を巡る問題は、竹島や尖閣の問題よりも深刻な問題に発展するかもしれません。
小樽や札幌や釧路などあちこちで足跡を残し、北海道民からも親しみを持たれていることは嬉しいのですが、出身地は岩手ですのでどうかお間違いなきように......