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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

表と裏

2009-01-30 18:36:06 | 手仕事
 友人K嬢が職場で使うエプロンを作って欲しいと、二種類の黒っぽい布地を持ってきた。
「おやすいご用よ。」とニコニコして引き受けるのは表の顔の私。
「面倒だなあ。今、ミシンを踏む気分ではないのに...」と呟くのは裏の顔の私。
寒さ厳しいこの頃、子ども部屋兼物置兼ミシン部屋で、熱伝導率の低いミシンと向かい合う作業は避けたいところだが、頼まれたら「イヤ!」とは言えない私。

 八方美人には、八方の表と裏の顔が存在するからややこしい。
自己嫌悪に陥りながらも諦めてエプロン製作に取りかかった。
ところが.......これ↓ 布地の表裏が全然判らない。

  
       


 左は色が少し薄いがつやつやとしてなめらかな肌ざわり。
右は色は濃いがもさもさとした毛並みの中に地模様が隠れている感じ。

 さて布地の表裏って、どのように判断したらよいのだろう?
自分の衣類を作る時は、表裏にこだわらず好きな方を使用する。
パッチワークでは、あえて布裏の効果を狙うこともある。
長年素人洋裁を趣味にしていても、一向に解決されない裏・表問題。
ダーリンミシン】のpancoさんにお伺いを立てる時間もないし、迷った挙げ句どちらも大差はないだろうと、私は写真左側の方を表布と決定した。

 裁断中に気がついたが、私が裏と決めつけた方の布地の端に『Saito Yoko』のロゴを見つけた。
あらっ?これ、当代一の人気キルト作家・斉藤瑶子さんの商品だ!

 間違ったかもしれない......高価な布地ではないだろうか?........K嬢は私のミスに気がつくだろうか?.........
エプロンのデザインがアシンメトリー(非対称)なので、途中から表裏を逆にして辻褄を合わすことはできない。
作業続行。縫製完了。知らんぷりしてK嬢に手渡した。
もちろん仕立て代など戴かない。
私は愛のエプロンしか作らない!

 昨日K嬢が、新たな布地を持ってやって来た。
「この間のエプロン、裏と表を間違ったでしょ!あれも使わせてもらうけれど、私のイメージとは違うからもう一枚作ってね(.....罰としての意味か?)」

 「ごめんなさい。確認しなかった私のミスだったわ。ご迷惑かけたわね。」
と殊勝に謝ってみせるのは私の表の顔。
 「なんじゃい!布代返す!もう絶対お前のエプロンは作ってやらない!」
と密かに毒づくのは私の裏の顔。
  


我らチャパニーズ!

2009-01-28 10:00:00 | 中国語
今年度最初の中国語レッスン。
冬休み中講師の留学生が、北京近郊にある実家に帰省したのでお土産をいっぱい戴いた。
今回は彼女とフィアンセが、互いの実家に結婚相手を紹介するための帰省だった。
 
 彼と彼女は当地の大学で知り合い、努力して優秀な成績を収め、4月からは日本の大手企業での就職が内定している。
3月中には籍を入れ後日改めて中国で挙式するとのことだが、結婚式には我らを全員招待してくれると言う。 本当かなあ?
実は今までの講師たちも、皆そのようなことを言いながら帰国したが未だに音沙汰がない。

 そこで彼女の口約束にプレッシャーをかけるがごとく........
「私は和服で出席するわ!みなさん着付けを手伝ってね!」
「結婚式のスピーチはnihaoさんに任せたわよ!」
「紫禁城と万里の長城には絶対行こうね!」
「北京ダックと火鍋も食べてこようね!」
大はしゃぎでアピールしておいたが、はたして実現するかどうかは疑問だ。

 この講師、実に我らの悩みのタネだった。
レッスンに平気で遅刻する(一時間もだ!)
レッスン中に何度も大あくびをしたり携帯メールをする。
黒板を一切使用せず座ったまま授業するやらで全くやる気が見えず、注意をするとかえって逆ギレされる始末【レッスンバッグ

 でもなぜか憎めない魅力のある彼女。
本国からの仕送りなしで苛酷なアルバイト生活をしながら、人一倍勉強していたことは知っていた。
中国語の上達に躍起になる理由も特に見当たらない我ら.......彼女の成長を見守り期待する余裕と包容力ぐらい持ち合わせていた。

 「みなさんとは5年間の長いおつき合いでした。本当にお世話になりました。残りの二ヶ月間頑張りましょうね。」
この日、珍しく涙を滲ませながら語った彼女。
へ~ぇ、もう5年も経ったのかと胸が熱くなった。
彼女は確実に大人になり、我らは確実に年老いた。

 耳が遠くなり始めた会員たちもいて、カルチュアスクールと言うよりも、要支援要介護のディサービスの様相を呈してきているレッスン風景。
でも日本語しか話せなかった我らを、チャパニーズ(チャイニーズ・ジャパニーズ)にまで引き上げてくれたこの5年間の彼女の功績は大きい。
さてなにか、思い出に残る送別会を計画してあげよう



記憶の総天然色

2009-01-26 11:00:00 | マダムH
花巻市にある『るんびにい美術館』は、知的障害者の美術作品を展示する県内初の施設として平成19年にオープンした。
H嬢によると、現在開催中の企画展が面白いと言う。
 『木伏大助 ~記憶の総天然色~ 』
 
木伏さんは1969年生まれの40歳。
1950年から1960年代を中心としたB級映画のポスターを描き続けている画家。
驚くことにそのおびただしい数の作品のすべてが、幼い頃、近所の映画館の前で見かけた看板やポスターを、模写ではなく本人の記憶のみで再現して描かれていることだ。
美術館内は当然ながら撮影禁止。
でも作品を紹介したいという私の気持ちは揺るぎなく、会場に用意されていた美術雑誌からの撮影と、ネット上のよそ様の頁から拝借した写真を使用した。


 





 東映、大映、東宝、日活.....映画産業華やかなりし頃の記憶が甦り、見る者を元気にさせてくれる作品ばかりだが、ご本人はこれらの映画を1本も見たことはないという。
作者の興味・関心は、一途にポスターの造形を再現することに向かった。
木伏大助さんは、その体内のいずこかに高性能のバックアップ機能を備えているとしか言いようがない。
しかもデータは、いつ何時でも自由に取り出して復元できるという。
キャッチコピーや配役・スタッフの氏名、全体のレイアウトや字体、映倫番号にいたるまで正確に記憶しているのだ。
何年経ても決して色褪せることなく失われることもない記憶。
この神秘的な能力とひたむきな表現への姿勢に驚嘆するとともに、作品の持つ楽しさ、力強さ、懐かしさ、温かさに心引かれた。

 ところで知的障害者の美術作品を、ボーダレスアートとかアウトサイダーアートと呼ぶことを今回初めて知った。

 ボーダレスアートとは、障害のある人の表現活動を一般のアーティストの作品と並べて展示することで、「障害者と健常者」「アートと地域社会」など、様々なボーダー(境界)を超えていくという試みで運営されているらしい。
アウトサイダーアートとは、芸術の伝統的な訓練を受けていなくて、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向・モードに一切とらわれることなく自然に表現した作品のことをいうらしい。(by wiki)

私自身はインサイダー主婦からはみ出したくてうずうずしているところがあるので、アウトサイダーという言葉に対する抵抗は全くない。
しかし障害のある人の芸術活動をアウトサイダーと分類するのは、差別的な雰囲気を感じるし......何かちょっと違うのではないだろうかとふと疑問を持ったのだが

 いや木伏大助さん、その表現への切実な思いと強烈なエネルギー。
アートは、独立した作品として存在し評価されるべきだ。
まさに凄絶な魂で内に向かうアウトサイダーアーティストだと思う。



結婚してはいけない女

2009-01-22 22:15:06 | 読書
 弟が休暇を取ってふらっとやって来て、網張温泉に二泊、我が家に一泊して帰っていった。
熊よけの鈴のついた大きなリュックに愛読書を詰め込み、北海道から列車を3本乗り継ぎ半日かけてののんびり旅行、その若さ(いや若くはないが....)と身軽さを羨ましそうに眺めていた夫。
我らも交替でひとり旅の計画でもたててみようかな。

 弟が車中で読み終わった新書を1冊置いていった。
結婚難民』 佐藤留美著 小学館101新書 08年10月発行 700

 以前から弟は「最近は新書しか読まないんだ。」
と言っていたが、文芸書しか読まない私の教養源はもっぱらワイドショー。
このような現代人の教養を目的として出版されている新書など、手にすることは皆無に等しい。
新書のサイズは持ちやすく活字も大きく読みやすい。
なにか今日的問題の考察の指針になってくれるだろうか?

 さて『結婚難民』は、結婚適齢期男子への応援歌的書物。
現在20代から30代の就職氷河期に社会に出た男性の多くは、自分の将来に希望を持てないのが現状。
非正規雇用、ワーキングプア問題など、結婚は「する」「しない」という意志の選択による事象ではなく「できる」か「できない」かの深刻な経済的問題を抱えている。
著者は、ごく一部の勝ち組を除く恵まれない男性諸氏に、結婚の実現への幾つかの知恵を提示してくれるが.......格差社会がここまで切迫した現状では、個人の意識の変革だけでは無理ではないだろうか?
いや、先ずそこから始めることが重要か?......などと考えさせられた。

 結婚できない男性が増えるということは、取りも直さず結婚できない女性も増えるということ。
このような時代、女性たちは自分を高く売り込む婚活(就活をもじった結婚活動のこと)に血道を上げているらしいが、著者が男性たちに提案する『結婚してはいけない13の女』のタイプが面白い。

ブランド志向の「ルブタン女」 ダイエットが止まらない「絶食女
エコ心酔の「超エコ女」 自分探しに夢中な「スピリチュアル女
年下大好き「クーガー女」 女同士でつるむ「『Lの世界』女
いらいらしやすい「デートDV女」 強い依存症の「リスカ女
ネット三昧の「ギーク女」 変身志向の「週末激変女
実家から離れられない「通い婚女」 完ぺき主義の「プチ整形女
停滞を許さない「スキルアップ女

 壊れかけた女たちが増殖しているという。
交際相手の選択を間違えると幸せな結婚生活は望めないだろう。
でも私には、男社会が作り上げた幻想と規範の中に咲く哀れなあだ花のような気がしないでもない。

実は私も当てはまりそうなタイプがふたつあるが.......内緒だ。


叙勲パーティ

2009-01-19 09:30:00 | Weblog
 最近夫は飲み会が多い。
退職後も一向に減らないのが飲み会で、その内容たるや、ほとんど一流ホテルでの叙勲パーティだ。
高い会費を包んで出かけるのが、こう度々ではたまらない。
奴にとっては今までのおつき合いもあるし、たらふく飲めるわけだからどこへでも喜んで出席するが、他人様の叙勲パーティなど果たして愉快なものだろうか?

 そもそも叙勲ってなに?

 【国家や公共事業に功労のあった人に勲等を授け、勲章を与えること】
22種類あって菊花章、桐花章、旭日章、瑞宝章、宝冠章および文化勲章に大別され、大勲位菊花章というのが日本における最高勲章だそうだ。
あら、「章」の字を「賞」に変えればJRAの重賞レースの名前と同じね。
しかもそれぞれが等級で分類されているのだから、勲章と言ったって松から桐.......じゃなかった、ピンからキリだ。
長年誇りを持って携わってきた仕事に対して、勝手なランク付けで表彰されて嬉しい人なんているのだろうか?

 もちろん真面目にこつこつと努力され、立派な功績を残して叙勲されるお方はたくさんいらっしゃるだろう。
しかし退職した公務員の長や政治家が貰う種類の勲章に、疑問を感じるのは私だけではないだろう。
給料に見合った仕事をしているだけ(そうでない人もいるが)の職種なのに、役職につけば自動的に叙勲されるという制度は、どこか間違っているとしか思えない。
しかも叙勲パーティ実行委員のお歴々は、やがて順番が回ってくるご自分の褒章を念頭において奮闘するしかないという、悪しき習慣を繰り返しているだけだ。

 福沢諭吉翁は
.....車屋は車をひき、豆腐屋は豆腐をこしらえて書生は書を読むというのは人間当たり前の仕事としているのだ。その仕事をしているのを政府が誉めるというなら、まず隣の豆腐屋から誉めてもらわなければならぬ......
と言って叙勲を辞退したという。
この言葉は、実にものごとの本質をついている。
このようなまっとうな感覚の人間が少ないのはなぜだろう?
古くは原敬、森鴎外が叙勲を辞退し、近年では宮沢喜一元首相、大江健三郎の辞退が記憶に新しい。

 さて、昨夜もある叙勲パーティに出かけた夫。
会場のホテルまで送っていった車中でちょっと訊ねてみた。
「ねえ、あんたも勲章欲しいと思う?」
「勲章なんぞいらねえや!」という力強い答えを期待していたのだが

 「心配するな!オレが貰えるはずがない!」
 
    .....あっ、そ、そうなの?......そうでした.......



昭和の学校 ~時空を超えて~

2009-01-17 11:00:00 | Weblog
 年末年始にかけて、ハワイだフィジー諸島だディズニーランドに出かけたと、大いに私を羨ましがらせた便りがたくさん届いた。いいなあ。
でも一番羨ましかったのは......両親が待つ古里で新年を迎えた人たちだ。
これだけはいくらお金を積んでも叶わない願い。いいなあ。

 さて我らもどこかに出かけようと考えた。
安・近・短の旅ではない!
誰もが驚き羨む旅、タイムマシンnihao号に乗って
 時空を超えた昭和への旅へ
 タイムマシンの降り立った場所は【昭和の学校


          

 うっすらと雪化粧した大地に佇む木造校舎。
廊下も窓ガラスもピリピリと真冬の冷気に震え上がっていた。
階段を上がると二階には昭和通りの商店街が.......

 

              

 


 子どもの頃の日常風景が甦る。
毎日10円玉を握りしめて通った駄菓子屋。
本屋、靴屋、レコード屋、薬屋、瀬戸物屋、床屋.......
戦後の日本が豊かになり始め、国中が消費文明に目覚めた頃の商店街が完ぺきに復元されている。
とにかくグッズの多さには目を瞠る。
昭和30年代.......日本が一番元気だった古き良き時代。
父や母、友人たちの顔が目に浮かび、どれをとっても郷愁と温かい記憶に繋がるものばかり。


   


 三種の神器が並んでいる。
我が家にテレビがやってきた日のことを思い出すと今でもワクワクする。
家事や炊事が楽になって、女性の地位と意識は一気に向上した。
現在の私の三種の神器って何だろう?
パソコン・携帯電話・食洗機? 主婦の様相は一変した。
  
 見学後、オーナーの照井校長さんがお茶をご馳走してくださりお話を伺う機会を得た。
廃校となった小学校を丸ごと借り切っているのに、それでもスペースが足りないほどの大量のレトログッズ。
コレクターとしての照井さんの熱意と心意気が伝わってくる。
今後は昭和の音楽をBGMに流したり、カフェコーナーを用意したり、特別展や蚤の市を開催したりとの楽しい企画をたくさん考えていらっしゃるという。
私からの提案......古い映画の上映などもご一考を!

 地域の人々のコミュニティの場として、子どもたちの生きた学習の場として、また訪れる人々のすべてに優しく懐かしい時間を提供してくれる場として、今後のますますの発展を願う。



ゴジラがいっぱい

2009-01-14 11:30:00 | 読書
           


グッド・イン・ベッド
ジェニファー・ウェイナー作  イシイシノブ訳
アーティストハウス発行 角川書店発売 2001年11月 1800円

 愛と体重の命題に悩む女性の物語。饒舌で才気煥発な文章が小気味よい。
世界15ヶ国に翻訳されたヒット作品。
作者の第二作目の【イン・ハー・シューズ】は、キャメロン・ディアス主演で映画化されている。

 この小説、出だしからショッキングな内容で大いに楽しませてくれた。
翻訳文も生き生きとしていて作品の良さを引き出している。
しかし読み終わるまである種の違和感がつきまとった。
その違和感というのが.......ゴジラ! いや誤字等である。

 一冊の本でこんなに多くの誤字・脱字が存在する小説に出会ったのは初めての経験だ。
全574頁の作品だが、夢中で読んでいた200頁までの内容の中で3・4個の誤字を見つけたような気がする。
その後は内容を楽しみながらも、あわせてゴジラを捕獲することに奮闘した。
次々出てくる出てくる.....残り374頁だけで10個のゴジラを発見した。
ゴジラ探しだけを本気にやったら、きっともっと見つけたかもしれない。

 例えば
ふらくはぎ』→ふくらはぎのことだろう
キャシディー』→キャンディーのことだろう
彼を憎しむ』→彼を憎むではなかろうか?こんな言い方をするだろうか?
彼と話しをなくっちゃ』→彼と話をしなくっちゃ?

 私のレーダーは、4・50頁ごとに出現するゴジラを確実に捉えた。
句読点の多さもとても気になった。
『ホテルのロビーにあるトイレは、大概の場合、広く、豪華で、ヘアースプレーや生理用品や、涙を拭ったり、手を拭いたり...........』
 
 この作品は、作者ジェニファー・ウェイナーのデビュー作だ。
まさかこのようにゴジラがいっぱいの形で、日本の読者たちにお目見えさせられたとは思ってもいないだろう。

 これらの多発ミスは、はたして誰の所業で誰の責任なのだろう?
どうして誰にも発見されず訂正もされずに出版されてしまったのだろう?
ふだんの読書では、滅多にゴジラで興奮することなどないので貴重な体験をさせてもらった。



チョンボ!

2009-01-12 11:30:00 | 家族・友人
 

          

 夫の中学時代の同級生M嬢とK君と我ら夫婦の4人
新春麻雀大会』と相成った。
記録魔の私がつけている麻雀ノートを調べたら、昨年は2回しかやっていない。
もちろん2回とも私の優勝である。
ワタクシ、小学校の頃から父と兄を相手に打っていたからとても強い。

 最近は麻雀人口が減っているという印象があるが実はそうでもないらしく、アーケードゲームやオンラインの麻雀ゲームは大変な人気らしい。
しかしゲームで麻雀を楽しんでいる世代は、本格的・実践的麻雀は出来ない。
コンピュータが全部やってくれるから、牌を積んだり得点計算をしたり役の名前などを覚える必要がないし、仲間同士の顔色やその場の微妙な雰囲気を読むという麻雀特有の醍醐味を知る機会がないのだ。

 さて昨年末から我が雀友たちからは
「早く!早くやるべ!」
とせっつかれていたが、雀荘nihao荘のホステスとしてはそう簡単に事は運ばない。
食事や飲み物の準備があるし、掃除をして環境も整えなければならないし、なによりも長時間彼らにつき合うためには体調をベストに持っていかなければならない。
すぐ疲れて眠くなる私に比べて、彼らは信じられないほどタフでたまげる。

 この日は朝8時半から開始したが、いくら年金生活者とはいえこんな時間からチーだのポンだのと浮かれていてよいものだろうか?
しかも私が彼らに抱いていた不安が見事に的中した.........

 開始早々、高らかにリーチ宣言をしたK君。チョンボだ!
その後、M嬢も夫も勘違いはなはだしくチョンボを繰り返す。
チョンボなんて今まで誰もしたことなかったのに、還暦を迎えた途端に悪戦苦闘のシルバー麻雀。
みんな40年以上のキャリアがあるというのにボケがひどい!
上がり方にもとても苦労している。
夫などは、絶対に初心者しかやらないミス(牌が多くなったり少なくなったり)を何度もやって失笑を買い、自分でも首を傾げていた。
ありえないミスの連発で、全員が老化を実感した貴重な一日だった。
「もっと頻繁に集まってやらなければならない!」
とは私以外の全員の見解だが、それは勘弁してほしい。

 私? 私は彼らより若いからまだ大丈夫!
アラカン(Around 還暦のことよ)にしてみれば、1歳2歳の年齢の差は10年・20年の違いに相当するみたい。
もたもたしている彼らを尻目に、次々と華麗な技を繰り出して......
大もうけさせていただいた。


駅伝選手

2009-01-09 10:00:00 | おすすめ記事
 隣家の奥様が
「甥っ子が正月休みで遊びにきているから顔を見に来ない?」
と言ってくれた。
嬉しくて一瞬にして顔がほころんでしまった私。

 以前から私は隣家の甥っ子K君の大ファンだ。
私がK君に夢中なことを知っている隣家の奥様は、K君が休日帰省する度になにかと気遣いしてくれる。
夏には.......玄関のチャイムが鳴って扉を開けたら、両手にいっぱいのトウモロコシを抱えてにっこり笑ったK君が顔を出し......嬉しくて幸せいっぱいになったことがある。

 K君は現在、箱根駅伝常連校の陸上部員。
高校時代から駅伝の花形選手として有名だったが、隣家の甥っ子君であることを知ってからはますます応援に拍車がかかった。
高三の冬には、どこの大学に進学するのだろうかと、自分の子どものことのように気がかりだった。

 はたしてK君は入部1年目の箱根駅伝から、スーパールーキーとの鳴り物入りで登場し大いに私を喜ばせてくれた。
しかし彼は......1年目も、そして雪辱を誓った2年目も納得する結果を残すことが出来なかった。
毎日苛酷な練習をこなし、この日のために努力してきただろうと思うと、テレビの前の私も切なくて涙が滲んだ。

 今年も正選手として出場するだろうかと心配しながら、事前発表されたオーダー表で確認したら補欠選手の欄に彼の名を見つけた。
一縷の望みを抱きながら観戦していたが、往路・復路とも彼の登場は適わなかった。
新人の台頭、才能のせめぎ合い、自己との闘い......激しい競争社会の中で自分のポジションを獲得し続けることは並大抵の苦労ではないだろう。
厳しい日々の連続だったろうと想像すると胸が痛む。
 
 さてK君は、隣家の前の道路で元気にウォーミングアップをしていた。
これから近所を走ってくるという。
プレッシャーをかけるような応援は絶対にするまいと思っていたのに
「来年は頑張ってね!」
と、つい余計なことを口走ってしまって自己嫌悪に陥った。

 彼の着ているウインドブレーカーの背中
     【 TOYO・UNIV 】
今年彼の大学は、凄絶な死闘を繰り返し劇的な総合初優勝を遂げた。
K君は白抜きのロゴを一段と眩しく誇らしく左右に揺らしながら、風のように走り去って行った。


私をスキーに連れてくな!

2009-01-07 11:30:00 | 家族・友人
 「おい!今日網張はシルバーディだ。スキーに行くぞ!」
と朝からはりきっている夫。
「待った......私はシルバーではない!割引はきかない!」
「馬鹿!お前は立派なシルバーだ!」

 「シルバーだ!」「シルバーではない!」
ひとしきり不毛な論争をしなければ次の行動に移れないのが、我らの最大の欠点だが、こと年齢に関してはつい敏感になる私。
「スキー場のシルバー料金は50からだ!」
なあ~んだ、早くそう言ってくれればいいのに......

 北海道育ちの私は小・中・高の12年間、冬の体育は全部スキーだった(授業なので仕方ない)
北海道を出てからも、冬場は新潟・長野のスキー場に通い詰めた(誘われたら断れなくて)
子育て中は、特に熱心にスキー教育をした(子どものために無理をして)

 半世紀にわたるいやいやスキー人生にやっとピリオドを打てると思っていたのに、夫につき合ってまた始めることになるとは......。
しかしキャリアだけは若者に負けてはいない!
読者各位には以下、【上村愛子嬢】の華麗なフォームをnihaoのイメージと重ねて読んでいただければこの上なく幸せである。





 まだ冬休み中だというのにかくも閑散としたスキー場。
ひと昔前ならリフト乗り場もゲレンデも芋の子を洗うような大混雑だったが、最近のスキー離れは、雪国にとっては深刻な問題だ。
スキーウェアの様変わりにも目を瞠る。
昔は派手な原色のスリムウェアが主流だったが、最近は地味でゆったりとしたスノーボーダーファッションが主流。
ゲレンデから華やかさがすっかり消えてしまった。




 左が私のスキーウェア。今時これはないだろうという代物。
今回は右の方の娘のウェアを拝借したが、でかすぎて足下がだぶついて全くサマにならない。
黒い雪だるまが転がっているように見えたのではないだろうか?

 シルバーディは一日券が1700円だが、250円のリフト1回券を3枚ずつ買った。
割引の恩恵を受けることは出来なかったがこれで充分だ。
案の定夫は2本滑走した段階でもう息も絶え絶え。
AEDが作動すると大変なことになるので、最後は休みながらゆっくりと滑って終了。
もう少し滑りたいというところで止めるのが高齢者スキーマニュアルだ。

 今朝も夫はスキーに行きたくて朝からソワソワとしていた。
昨夜からヒラメ貼りで筋肉痛に耐えている私。
「一人で行って!」
と言い放ったら本当に一人で出かけてしまった。
奴はどうしてあんなに元気なのだろう?