[寺山食堂]
寺山食堂とは青森県三沢市観光協会が主催する食のイベント名です。
かって三沢市の駅前にあり子どもだった修司がよく通ったのが寺山食堂(伯父が経営)
市内5店舗が参加、修司の逸話や好物と地域の特産物を組み合わせたスペシャルメニューを考案しています。
↑こちらは三沢シティホテル内の松喜食堂のカレーライスです。
寺山修司はコーラといっしょにカレーを食べるのが大好物だったそうです。
香りとコクの深いカレーに冷たいコーラは確かによく合っていました。
お肉が口の中で溶けてしまうほどの柔らかさで、しかもステーキ2枚分はありそうな量、ライスも大盛りでした。
三沢市の食による町おこしにはとても興味深いものがあります。
12月から3月までの期間は、市内30店舗以上の食堂が各店オリジナルのホッキ丼を提供しています。
生あり煮たり揚げたり炒めたのありと実にバリエーション豊富です。
各店舗で競い合っているせいか、どこのホッキ丼も大変美味です。
三沢市は温泉の宝庫でもあり、この近辺にはよく遊びに来るので一昨年は3カ所、昨年は5カ所のホッキ丼を戴きました。
そしてこの度の異才・寺山修司と食をコラボした寺山食堂の再現。
カレーの他にも、競馬に行くときに必ず食べたという「蕎麦とカツ丼セット」とか
海外遠征で劇団員と共にパスタで作って食べたという「天井桟敷ラーメン」とかのメニューがあるそうです。
大食漢として知られる寺山修司。
寺山修司記念館を見学した後は、頭上遥かな米軍戦闘機の轟音を聞きながら基地のある街を散策し寺山食堂を探す・・・
彼の才能と偉業と人となりをより身近なものとして学び感じることができるイベントです。
昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかって
完全な死体となるのである
by寺山修司「懐かしの我が家」
カレーを食べながら、ふとこの詩編を思い出しました。
比喩と言える詩句はないのに、なんと深く研ぎすまされた感性なのかと驚かされます。
生まれながらにしてネフローゼ症候群という持病があり、常に死と隣り合わせで向き合って来た人生。
自らの生を不完全な死体と自覚することで、より強くよりいさぎよく生きていくことができたのでしょう。
大食漢であったこともまた限りない生への渇望と執着であったのかもしれません。
十代で歌壇へのデビューを果たし、その後生き急ぐかのように詩、小説、演劇、映画とマルチな才能を発揮して時代を駆け抜け47歳で壮絶なる生涯を閉じました。
寺山食堂というこの発想の意外性。寺山ビジネスなどと言うなかれ。
食を通して誰もがごく自然に寺山修司を感じとることに大きな意味があると思います。
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無理矢理というか、ついでに『孫にも衣装』の報告も。
今回はともしびちゃん(孫・仮名)の夏のワンピースを4着作りました。
これだけあれば今年の真夏のワードローブは完璧!
こんなにも楽しく夢のある時間を与えてくれるともしびちゃんに感謝です。