blog-cafe

マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

岸壁の男たち

2008-05-30 11:56:25 | グルメ
                

 夫のお供で、秋田マリーナに出かけました。
広々と整備されていて、あちらこちらにたくさんの釣り場があります。
もう4・5回は来ているお気に入りの釣り場ですが、戦果は極小カレイを2匹釣り上げただけです。

 こんな波止場で釣れる訳がないだろう.....と、ハナから諦めきって釣り糸を垂れているニヒル(無知と訳す)な釣り人の私たち。
しかし同じ岸壁に並ぶその他の釣り人たちは、皆大変景気よく大きな魚を釣り上げているから不思議です。

 秋田港に釣りに来始めてから、秋田県人の並外れた人の良さには驚くばかりです。
私たちが初心者であることを見破ると、みなとても気さくに声をかけてくれ、役立つ情報を教えてくれます。
昨日も親切な『岸壁の男たち』との出会いがありました。
海面ではお調子者の大きなボラが、ぴょんぴょんと跳ねながら釣り人たちを挑発していました。

男A 「あんたたちね、ここで釣りをするのにはスタイルが違うのよ!
道具何持ってるの?あら~っ?こんな立派な道具持っているのになんで使わないの?でも足りないものがあるからプレゼントするわ!」

男B 「あんた、糸投げるの超下手ね!よし、オレが教えてやる!」

 男AとBのおかげで、ほどなく夫はスズキの幼魚セイゴを釣り上げることが出来ました。すると......少し離れた場所にいた男が慌てて駆け寄ってきて、頼みもしないのにメゴチバサミで魚の頭を器用に掴み血抜きまでしてくれました(それぐらいオレにも出来るのに...と言いたげな夫の顔)。

男A・B・C「いやあ、たいしたもんだ。凄い!凄い!これは滅多に釣れない高級魚だ!よかった、よかった!」
お世辞であることは見え見えです。なぜここまで引き立ててくれる?

 その後奮闘したものの戦果はなく帰り支度を始めたら、一番遠くにいた釣り人が両手に大きな魚を抱えてやってきて.....

男D 「これ、持ってけ。オレは食わんから!」




 写真は男Dさんから戴いたボラ2匹(大きい方は50㎝)、一番下は夫が釣ったセイゴです。
ボラは、寒ぼらや卵巣の『からすみ』は珍重されていますが、河口で釣れるものはあまり人気はないようです。
でもこんな大きい魚は見たことがなかったので喜んで戴きました。
からし酢味噌で食べると美味しいと言われお刺身にしましたが、どうしてどうしてなかなか美味でした。
セイゴはムニエルにして食べました。

 鰡(ボラ)はねて 海のさびしさ まぎらわす   (林蓬生)
 
 海釣りの魅力が少し分かり始めてきました。
気の良い岸壁の男たちとボラとの再会が楽しみです。



日陰の野菜

2008-05-28 11:00:01 | グルメ
              

 我が家の北側軒下で収穫した蕗です。
友人の家の花壇から数本分けていただき増やしました。
5・6年の間でどんどん増え、【ばっけ研究会】の材料には事欠かなかったのですが、去年、リフォーム業者が作業の都合で勝手に引き抜いてしまったらしく、今年はたったこれだけの量しか採れませんでした。

 細くて短い栄養不良の蕗ですが、今回は茎よりも葉っぱに注目です。
今まで捨てていた葉っぱを、醤油・梅干し・日本酒だけで煮て『蕗の葉の佃煮』を作ってみました。
砂糖や味醂を全く加えていないので、麺類の薬味やおにぎり・チャーハンの具にもなり大変重宝しています。

 美味しい?   「う~ん。どうだろう?」

 味覚は人によって様々、自信を持ってオススメすることが出来ないのが残念です。
しかしこれによって我が家の食卓では、蕗はその誕生から成長期・成熟期にかけて、何一つ無駄なく利用出来る完全食材であることを証明しました。
めでたし、めでたし!

 私のばっけ礼賛の記事に騙されて(あっ!いや良い影響を受けて)、九州に住むこまめさんが、家庭菜園で蕗のとう栽培に挑戦してくれています。「いろいろ植えてみよう
南国の暑さに負けず立派に育ってくれることを願うばかりです。

 我が家の北側日陰の軒下では、蕗の他に、大葉、レモンバーム、蝦夷わさび等の手のかからない植物が育っています。
『蝦夷わさび』は、清流の湧水で栽培するような高級本わさびとは違います。
3年前北海道の兄から貰って移植してみたら、今年は6本に増えていました。
ちょっと泥臭いような感じがするわさびですが、亡父の大好物だったので大切に育てています。


                 

 写真は、生前陶芸を趣味としていた母が作った蕗の葉型のお皿です。
形がユニークで色合いもとてもステキです。
地元の陶芸コンクールで大賞を取った作品だと自慢していました。
身びいきになりますが、母の陶芸のセンスはなかなかのものでした。
このお皿を取り出して見るにつけ、蕗好きは母親譲りだったのかと可笑しくなります。


衝動買い

2008-05-26 15:10:03 | Weblog

                

 これは?
化学物質を使わずに、強力なスチームを噴出して床やタイルの汚れを拭き取ると謳われている、環境に優しいお掃除アイテム『シャーク・スチームモップ』です。
繰り返しテレビで見ているうちに欲しくなって、ショップ・ジャパンで衝動買いをしてしまいました。

床は人間の脳から一番遠い所に位置しているので汚れを認識してもらえない
                              (by nihao)

我が家のフローリングも、古い上にももちゃんの爪痕が広がっていて、大昔の小学校の床板のような無惨な様相を呈しています。
いつまでも見えないふりはしていられない。
雑巾がけをしなければならない!でも私は腰痛持ち!
このスチームモップを我が家の救世主にしなければなりません。

 土曜日に届いたので今朝まで3回使用しました。
モップヘッドに専用パッドを取り付けます。
給水タンクに水を入れたら30秒でスチームが発生するので、後は立ったまま家中の雑巾がけが簡単に出来るという仕組みです。
テレビ画面では軽くすいすいと動くモップが、そう簡単には動いてくれません。
肩に相当力が入りました。腰痛の上に五十肩になったらどうしましょう?
スチームはすぐに蒸発するので、床が水浸しになることはありません。
高温のスチームが汚れを落としてきれいさっぱりとの謳い文句です。

 水拭きしてぴかぴかになった床は素足にとても気持ちがいい!
窓から日が差すと、レースのカーテンの模様までが床に映し出されました。
床がきれいになるとその他の汚れが気になってくるという相乗効果も伴って、久しぶりに楽しみながらお掃除をしました。

 しかし今朝は電源を入れても通電ランプが点灯しませんでした。???
ああ、たった2回の使用だけでもう壊れてしまった!!
こんなちゃちなモノに1万4千円も支払って!
通販で衝動買いしてしまった私がバカだった!
「いや~ん!保証書、保証書はどこ?」
とひとりで大騒ぎしていたら夫がやってきて

「おい、おまえはなんて粗忽モノなんだ。
さっきからおまえが見ているのは本体の裏側だ。
表側をよく見てみろ!ランプはちゃんと点いているぞ!」



スキップ

2008-05-23 11:40:03 | 読書
 高村薫さんの骨太、重厚な作風の読み物(照柿、レディ・ジョーカー、マークスの山など)が大好きです。
寡作なお方です。ほとんどの作品を読んでいたと思っていましたが、ブックオフでまだ読んでいない作品を見つけました。
あれ?でも......文体も内容もどこか雰囲気が違う......

 作者を確かめたら高村薫さんではなく北村薫さんでした。
最近はこんな間違いをしてはガックリと肩を落とすこと度々ですが、気を取り直して北村薫さんの『スキップ』完読しました。

 『スキップ』は、17歳の高2のワタシが時間のねじれの中で25年間早送りされて、いきなり42歳になったワタシにたどり着くお話です。
中身はそのままで入れ物だけ変わってしまった17歳のワタシには、夫も娘も見知らぬ他人。両親も既に他界していました。
カルチュアーショックもさることながら、高校教師の職についていたワタシは、実際は高2でありながら高3の生徒たちの担任です。
不条理な時のいたずらに翻弄されるワタシ。
17歳の時間に帰りたいと切望しながらも、やがてすべてを受け入れて懸命に努力して生きていくという筋立てとなっています。(★★★☆☆)

 元の時代に戻れるのかと思いきや、戻れないところがこの作品の持つリアリズムです。
このような読み物を読むとつい想像が逞しくなってしまいます。
もしある日突然、私の人生が25年早送りされたら........
生きているのか?死んでいるのか?
ぼけているのか?いないのか?
子どもたちに大切にされているのか?いないのか?

 ああ、この想像はかなり辛い!既に涙が出そうです。


 【早送り】→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→【25年後】

 まず生きていることに感謝感激!
 自分の居場所を確認します。病院?介護施設?それとも我が家?
 見知らぬ青年を見つけました。「あんた誰?.....孫?」
 見知らぬおばさんを見つけました。「息子の嫁?初めまして」
 鏡を持ってきてもらいます。「ぎゃ~!
 そして夫を捜します。「お~い、お父さん!どこにいるの?」

 娘とおぼしきおばさんが、あきれた顔で申すには
「も~う、何度言ったら分かるのよ!お父さんは去年死にました!」
 

ご先祖リサーチ

2008-05-21 10:10:01 | Weblog
 爺爺家の本家筋に当たる夫の従姉妹から
「百年前の古い手紙がたくさん出てきた。処分したいけれど読めないから困っている。手伝ってくれないだろうか?」という電話がありました。

                 

 従姉妹は、私たち夫婦が『近代くずし字』にはまっていることなど全く知らないのに、なんとタイムリーな依頼をしてきたことでしょう。
大きな紙袋いっぱいに詰まったご先祖さまの手紙と対面して、夫は感無量の様子でした。
しかし肝心の手紙類はほとんど見あたらず、出てくるのは借用証書ばかり。
しかも返金できなかったらしく、裁判所からの呼び出し状も何通かありました。
商いをしていたというご先祖様、いつもお金に困窮していたようです。

 借用証書と同じくらい数多く残っていた書類が生命保険証書です。
帝国生命・愛国生命・太平生命・日本生命・東京火災保険等、数社にわたって掛け金を支払っております。
一番古い証書で明治30年の日付ですから、日本の生保事業の本格的開始と時を違えずに加入していたのには驚きました。
当時の保険事業の制度は、まだまだ未成熟で問題点が多かったと思われます。
保証制度を理解し加入することは容易なことではなかったと推察しますが、ご先祖さま、大層保険好きだった様子です。

 不思議なのは『子育資金』『赤児守育』という証書があったことなのですが、一体これは何?今でいう学資保険のようなものでしょうか?
明治38年・盛岡電気株式会社発行の『電灯点火規定』という珍しい書類もみつけました。電気の効用、普及、使用に関する注意などの手引き書です。
ご先祖様、ずいぶん早い時期から電気の恩恵に与っていた模様です。

 『絵経』という面白いものも見つけました。
絵経は、江戸時代に字の読めない庶民の為に絵や記号で表した経文です。
農具・動物・昆虫・自然・日常生活の中でよく目にするものを絵にして、そのイメージを音にして表したものらしいです。

                 

 写真は『般若心経』です。
一行目一番上から....眼(まなこ)の→次はちょっと不明、籠(かご)のか?→般若→妊婦ではらみ→田んぼの→木の芯でしん→鏡に濁点がついてぎょう
盛岡てがみ館発行の【南部絵経~絵解きと生まれた謎に迫る】の資料を参考にしながら絵解きをしていくと、摩訶般若波羅密多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)となります。
なぞなぞのような面白さ!当時の生活の様子も窺えますね。

 ご先祖さまの秘密と生活の一端に触れた大変意義深い体験でした。




エコひいきバッグ

2008-05-19 09:30:01 | 手仕事
 今、エコバッグ運動が熱い。
エコバッグ運動とは、1年間に世界中で、5000億枚とも1兆枚とも消費され環境破壊の要因のひとつになっていると言われているレジ袋を使用せずに、マイバッグでお買い物をしようという運動です。
しかしまだ運動が定着しているとは言えません。
そこでアニヤ・ハインドマーチが、ショッピングの際にレジ袋代わりに使え、かつデザイン製の高いエコバッグを発表したところ、世界各国で大反響を巻き起こし大変な人気になっています。
エコバッグもついにブランド化!
販売日には長蛇の列で警察が出動する騒ぎとなったり、定価の何倍もの値段で取引されたりしているそうです。『I'm not A Plastic Bag

 私は、一ヶ月の水道使用量14万円の請求書が送り届けられるほどのうっかり主婦【大失態】なので、エコ生活に関して偉そうに語る資格はありません。
でも2年前に自宅の隣にスーパーマーケットが出来たのをきっかけに、レジ袋を貰って買い物をすることはやめました。
レジ袋を使わないと、毎回ポイントが2点加算されるのもお得ですが
「いつもご協力ありがとうございま~す!」
というレジ係のお礼の言葉が、とても良いことを実践しているような誇らしく嬉しい気分にさせてくれます。

 そこで私も、エコバッグ人気過熱現象におおいに刺激され、nihaoブランド(?)を立ち上げようと決意しました。
現在使用しているバッグは、スーパー開店時に無料で配布された品で使い勝手があまりよくありません。
たかがエコバッグとはいえ、各家庭の買い物の内容の傾向でバッグのベストサイズやベストデザインが決まります。
私の場合は......バッグの口が大きい・底のマチ部分が広い・肩から下げられる持ち手の長さ......に特にこだわって作りました。
生地屋さんに出かけて素敵な生地を買ってこようと思ったのですが、それではエコ精神に反します。
古い端布を探してみたところ、ちょうどお誂え向きのビニール製の端布が1枚だけ残っていました。

                


 サイズは縦35㎝×横45㎝、マチ17㎝、持ち手55㎝です。
左のバッグは、猫柄模様なので親猫のマスコット人形をアクセントにしてみましたが.....なんかヘン?
蛇足に走り全体の雰囲気をぶち壊すのがnihaoブランドの特徴です。
右は薄手のデニム地で作りました。一応ミシンパッチワークです。
M嬢が欲しいと言ったので即刻嫁入りです。



三大麺を召し上がれ!

2008-05-16 11:00:03 | グルメ
                  

                    


 『盛岡三大麺』とは、わんこそば、盛岡冷麺、じゃじゃ麺のことです。
ひとつの市に三種類の名物麺が存在し競い合うというのは、かなり特異な麺文化ですが、全国的にどの程度認知されているかは不明です。

 お花見からGWにかけては、どのお店も大変な盛況ぶりでした。
最近は修学旅行生の集団で賑わっています。
写真は行列の出来る有名店の三大麺!.....ではなく、nihao家のランチで再現したものです。このように家庭でも簡単に作れます。
特徴や詳細に関しては【盛岡三大麺】を参考にしてください。

 『わんこそば』は、スピードと量を競いあうフードファイトバトルのようなものです。
上品な薄味のお蕎麦は、30杯ぐらいまではとても美味しく頂けますが、その後はひたすら自己の胃袋の限界との闘いになります。
成人男性なら100杯以上、女性でも60杯以上を目標に頑張りましょう。
たくさん食べるコツは......麺つゆを飲まない・薬味を食べない・ゆっくり食べない・噛まない......の殺伐とした四ない主義を貫くことです。
『わんこそば』体験は一生の語り草となるはず、是非一度お試しいただきたいと思います。

 『盛岡冷麺』は、本場北朝鮮冷麺より絶対美味!(知らないけれど..)
当地の有名店P舎は、駐車場に入りきらない車が道路にまで数珠繋ぎ状態ですが、おおよそどこの専門店も美味しいので心配しないで空いているお店に入ってください。
『盛岡冷麺』の独特で刺激的な食感とお味は、もしかしたらたった一度の体験だけでは、その真髄を会得することは不可能かもしれません。
どうか2度は足を運んでください。きっと冷麺の奴隷になります。
激辛でいただくことをオススメします。

 県外に引っ越された方が、一番懐かしく思い出す味が、実は『じゃじゃ麺』だそうです。
『じゃじゃ麺』は知らず知らず食べているうちに、麻薬のような習慣性が出てくるらしく、現在我が夫の昼食もほとんど毎日これです。
ワンコインで食べられるお手軽さが嬉しい庶民の味です。
美味しく戴くためには正調『じゃじゃ麺』ルールがあります。
でも初心者のテーブルにはお店の人が駆け寄ってきて、懇切丁寧に説明してくれるのでご安心ください。

 さてみな様は、どの麺に最も興味をひかれたことでしょうか?
「名物に旨いものなし」とはよく言われますが、はてさて?
日本一人柄の良い県民性を誇る地にお出かけくださり、どうか『盛岡三大麺』ツアーをご堪能いただければ幸いです。




子連れ釣り人

2008-05-14 11:55:01 | Weblog

                 

 昨日夫が釣ってきた魚です。生きが悪そうなのは塩をふったからです。
たぶんイワナ?24㎝ありました。
1匹しか釣ってこなかったのでムニエルにして半分ずつ食べました。

 当地は内陸部に位置するので、太平洋側・日本海側のどちらの海に行くとしても2時間以上かかります。
そこで簡単に釣りを楽しむのなら近くの渓流釣りがベストです。
10分も車を走らせればいくらでもきれいな川があります。
爺爺が残した渓流釣りの道具が久しぶりに日の目を浴びました。
夫は鑑札(川釣りの許可証)を買い、近辺の渓流を探索していましたが、まさか幻の魚と言われているイワナを釣ってくるとは思ってもいませんでした。

 山の暮らしをしていた頃は【地上の楽園】私も釣りをしたことがあります。
住宅の玄関を出て20歩も歩けば、小さな橋の下に小川が流れていて、目を凝らすと川底に魚が3・4匹いつもじっとしていました。
ある日、酪農家の畑の堆肥の中から元気よく肥えたミミズを掘り出して、それを釣り針に引っかけてポチャンと川に落としてみました。
すぐに釣り竿が折れるかと思うほどの衝撃!
私の生まれて初めての釣りの成果は、糸を垂らして5秒で釣り上げた30㎝のイワナです。なんと簡単で楽しいイワナ釣り!

 それからはもう病み付きになって、川の上流から下流までをさすらう子連れ釣り人となりました(当時長女は3歳)。
上流にはイワナ、下流にはヤマメが棲息しています。
ひとつのポイントで2・3匹は釣れるので、数カ所移動するだけで晩のおかずには充分でした。

 一度下流で、ヤマメが数十匹もうようよと群れをなして棲んでいる大きな淵を発見したことがあります。
まさに釣り堀状態の夢のような光景です。
「今夜は娘の大好きなヤマメの唐揚げに決定!」
果敢に挑戦したものの、不思議と一匹も釣り上げることは出来ませんでした。
晩秋には、銀色の鱗を光らせた大きな鮭たちが、体中をくねらせて一生懸命浅い川面を上っていく場面に出会い、生命の神秘に心を打たれたこともありました。

 山の生活から離れた後は、一度も釣りをしたことはありません。
あのような恵まれた釣り場など、どこを探してもある訳がないのです。
もしかしたら私が作り上げた幻だったのかもしれないと、日々現実味が薄くなる思い出です。



夫婦茶碗

2008-05-12 10:30:01 | Weblog


一昨日夫が頂いた小久慈焼きの夫婦湯呑み茶碗です。

小久慈焼きは、地元の粘土だけを使いひとつひとつロクロで手作りで仕上げるという、昔ながらの技法を守り続けている焼き物です。
当地では有名な焼き物ですが、自分で買い求める機会はありませんでした。
素朴な色合いと形がとても気に入り、さっそく熱いお茶をいれて飲んでみました。
ほどよい重量感とごつごつした模様が手のひらにうまくおさまりました。
夫婦(めおと)湯呑みというからには大きい方が男性用でしょうか?
重さを比べたら50グラムの差がありました。

 以前、あるフェミニスト(女権拡張論者)のタレント学者が、夫婦茶碗に大小の差があるのは女性差別であると論じました。
フェミニストたちの発言は、多くの男性からそして当の女性たちからも手厳しい反撃をくらうのが常ですが、この時もかなり話題になりました。

 私はフェミニストではありませんが、夫婦茶碗を、色や模様ではなく大きさで区別する文化は感じが悪いなと思っています。
家長制度の封建的ななごりが、現代の食卓にまで持ち込まれているような気がするのは考えすぎとしても、あらかじめ性別によって大小が決定しているのは余計なお世話文化です。

 自分では、夫婦○○と名の付く食器を買ったことはありません。
頂いても使わないし、プレゼントをすることもありませんでした(あらっ?りっぱなフェミニスト?)。
しかしこんなことで突っ張っても、もう誰からも相手にされない年齢です。
しかもこの小久慈焼きの湯呑みは、重量の差に比べたら形の大小の差が絶妙に控えめで、よく配慮して作られていると好感を持ちました。
これを機会にえせフェミニストは返上です。

 それにしても夫婦(めおと)という漢字の読み方は不思議です。
漢字のイメージからしても、夫は(おと)で婦の方が(め)です。
本来なら夫婦の読みは(おとめ)が正しいのではないだろうかと疑問に思い調べてみました。
するとやはり、男(をひと)と妻(め)が逆さに転じた言葉だと知りました。

 男女、父母、兄姉、弟妹......人間関係を表す言葉は、どれも男の方が先頭にきています。
夫婦(めおと)も漢字では夫の方が先なのに、実は読み方は婦の方が先だったという目立たぬ逆転現象.......ちょっとだけ溜飲を下げました。



短歌教室

2008-05-09 13:45:02 | おすすめ記事

                  

 婆婆家の牡丹が満開です。爺爺と婆婆がとても大切にしていた花です。
我が家の庭に移植したいと考えているのですが、大株の牡丹の移植は難しいと聞いているのでなかなか踏み切れません。

 牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ
                               木下利玄
(※牡丹が絢爛かつ静謐に咲き誇っている。なんと圧倒的な存在感だ!)
                               by nihao

 牡丹を見ると必ず思い出す短歌です。
中学の国語の教科書に載っていました。
なぜいつまでも覚えているかというと.....当時、この歌の意味が全く理解出来なかったからです。
牡丹の花と中学生の日常にはなんら接点はなかったので、言葉の意味は解るのに、歌の心が掴めないもどかしさだけが記憶に残り、忘れられない1首となってしまいました。
この歌を鑑賞できるようになるためには、長い時間がかかりました。
  
 自転車のカゴからわんとはみだしてなにか嬉しいセロリの葉っぱ
                               俵 万智
 
 息子が中学生の時、授業参観日に短歌の授業を見学しました。
へえ~、今時の教科書は俵万智さんの短歌を採用しているのか! 
平易な言葉と生活に密着した内容で、木下利玄の短歌の難解さと比べたら隔世の感です。
こんな親しみやすく簡単な歌なら鑑賞に悩む生徒はいないはず........

 しかしなかなか盛り上がらない授業。
先生が手を変え品を変え発問しても、生徒たちは一向に乗ってきません。
予想外の状況に先生も困り果て、お母さんたちも顔を見合わせていらいらしながら参観していました。

 「もしや.....? 皆さん!セロリを見たことがありますか?」
 
 終了時間5分前に、やっと先生は気がつきました。
手を挙げた生徒は.....たった一人。
この歌の鑑賞に必要な最低条件すらクリアしていなかったのです。
今時の子どもたちは、セロリを見たことがないということを認識させられただけの授業参観日でした。
セロリという名の子犬の歌だと勘違いしていた生徒もいました。

 ほとんどの子どもたちにとって、教科書で短歌を学ぶことが、人生で初めての短歌体験です。そして最後の体験でもあります。

         ....日本短詩型文学の未来は暗い....