普段から人様の為になる善行よりも、ご心配やご迷惑をかけるような愚行はしないようにと心がけて暮らしております。
しかし何が善行で何が愚行であるかを判断するのは大変難しいことです。
(反対語辞典では善行の反対語は悪行ですが、どう考えても悪行とは無縁。ここでは愚行という言葉を使います)
善行は人様のためにするよりは、自分が幸せになるためにすることであるのは確かです。
ちょっと前のことですが、私、何だか一日中気分の良い日がありまして・・・
考えてみましたらその日どうやら、一日三膳、じゃなかった一日三善の徳を積んでいたらしいのです。
【其の壱】
いつも行く近場の温泉の脱衣所でのこと、年配のご婦人が裸のまま有料ロッカーの前で悪戦苦闘中でした。
「どうしました?」と私。
「このロッカー、百円玉を入れなければ鍵がかからないのでしょうか?頑張ればかかるかもしれませんね」と彼女。
今時、そんな無駄な努力をするお馬鹿な人が存在することにビックリしました。
なにやら百円玉を一枚も持っていないと言うので、ちょっと迷った末に恵んであげました。
迷ったのは百円が惜しかったのではなく、私なら固辞するだろうと考えたからです。
私の行為はお節介ではないだろうか、失礼ではないだろうかと心配でしたが案外素直に受け取ってくれました。
「いつか私のこと見かけたら返してくださいね」
「はいはい、ありがとうございます」
と笑い合って別れた時、やっと気分が晴れ晴れとしました。
【其の弐】
温泉からあがるとマッサージチェアーを利用しながらオットーを待ちます。
ところがこの日老眼鏡を忘れ、コインを投入したもののリモコンの文字が全然見えません。
新型機器だから取り扱いも複雑で闇雲にボタンを押す訳にもいかないのです。
困り果てていたところ、隣のチェアーに若いご婦人が座りました。
「すみません。眼鏡を忘れてしまってどのボタンを押したらよいのか全く判りません」
思い切ってお願いしたところ大変親切に対応してくださいました。
「適当でいいですから」と私が言っても、懇切丁寧に説明しながら設定してくださいました。
もしかしたら、迷惑をかけてひと様の親切心を仰ぐのも善行ではないかと思ってちょっと嬉しくなりました。
【其の参】
家に帰ってしばらくしたら、某新聞社記者が震災後の県民の意識調査のために訪ねてきました。
この日は外気温マイナス6度という大変寒い日で、玄関先の冷気も震え上がるほどでした。
「10分くらいかかるけれど是非協力してください」と記者さんに熱心にお願いされ
風邪をひきたくないので「どうぞどうぞ」と暖かい部屋の中に案内しました。
記者さん曰く「あちこちお邪魔しましたが部屋の中にまで入れて頂いたのは初めてです」
とても喜んでくださったので私も嬉しくなりましたが・・・しまった!お茶を差し上げるのを忘れてしまったのが心残りです。
さて上記の三つの事柄のうち、本当に善行と言えるものはどれでしょうか?
もしかしたらとんでもない愚行が含まれてはいないでしょうか?
なんだか自信が持てないのです。
私は前回の記事『遠野町家の雛祭り』の中で、遠野駅前の河童像のことを話題にしました。
お気に入りの河童たちに久しぶりに会えると思って喜んで駅に行ったら、河童たちは皆派手なマフラーをさせられていてすっかり雰囲気が変わっておりました。
あれ以来ずっと、河童像にマフラーをすることは善行であるか愚行であるか考え続けております。
例えばどんなに寒いからと言って、またどんなに恥ずかしいからと言って、ミロのヴィーナス像にショールをかけたりダビデ像にパンツを穿かせる行為は許されません。
それと同じようなことが遠野の河童にも言えるのではないかと思ったり・・・
いや、そこまで深刻に考えることもないだろうと思ったり・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/39/726084c4efed49eefe472bee28e86378.jpg)
(ミロのヴィーナス像) (ダビデ像)
しかし何が善行で何が愚行であるかを判断するのは大変難しいことです。
(反対語辞典では善行の反対語は悪行ですが、どう考えても悪行とは無縁。ここでは愚行という言葉を使います)
善行は人様のためにするよりは、自分が幸せになるためにすることであるのは確かです。
ちょっと前のことですが、私、何だか一日中気分の良い日がありまして・・・
考えてみましたらその日どうやら、一日三膳、じゃなかった一日三善の徳を積んでいたらしいのです。
【其の壱】
いつも行く近場の温泉の脱衣所でのこと、年配のご婦人が裸のまま有料ロッカーの前で悪戦苦闘中でした。
「どうしました?」と私。
「このロッカー、百円玉を入れなければ鍵がかからないのでしょうか?頑張ればかかるかもしれませんね」と彼女。
今時、そんな無駄な努力をするお馬鹿な人が存在することにビックリしました。
なにやら百円玉を一枚も持っていないと言うので、ちょっと迷った末に恵んであげました。
迷ったのは百円が惜しかったのではなく、私なら固辞するだろうと考えたからです。
私の行為はお節介ではないだろうか、失礼ではないだろうかと心配でしたが案外素直に受け取ってくれました。
「いつか私のこと見かけたら返してくださいね」
「はいはい、ありがとうございます」
と笑い合って別れた時、やっと気分が晴れ晴れとしました。
【其の弐】
温泉からあがるとマッサージチェアーを利用しながらオットーを待ちます。
ところがこの日老眼鏡を忘れ、コインを投入したもののリモコンの文字が全然見えません。
新型機器だから取り扱いも複雑で闇雲にボタンを押す訳にもいかないのです。
困り果てていたところ、隣のチェアーに若いご婦人が座りました。
「すみません。眼鏡を忘れてしまってどのボタンを押したらよいのか全く判りません」
思い切ってお願いしたところ大変親切に対応してくださいました。
「適当でいいですから」と私が言っても、懇切丁寧に説明しながら設定してくださいました。
もしかしたら、迷惑をかけてひと様の親切心を仰ぐのも善行ではないかと思ってちょっと嬉しくなりました。
【其の参】
家に帰ってしばらくしたら、某新聞社記者が震災後の県民の意識調査のために訪ねてきました。
この日は外気温マイナス6度という大変寒い日で、玄関先の冷気も震え上がるほどでした。
「10分くらいかかるけれど是非協力してください」と記者さんに熱心にお願いされ
風邪をひきたくないので「どうぞどうぞ」と暖かい部屋の中に案内しました。
記者さん曰く「あちこちお邪魔しましたが部屋の中にまで入れて頂いたのは初めてです」
とても喜んでくださったので私も嬉しくなりましたが・・・しまった!お茶を差し上げるのを忘れてしまったのが心残りです。
さて上記の三つの事柄のうち、本当に善行と言えるものはどれでしょうか?
もしかしたらとんでもない愚行が含まれてはいないでしょうか?
なんだか自信が持てないのです。
私は前回の記事『遠野町家の雛祭り』の中で、遠野駅前の河童像のことを話題にしました。
お気に入りの河童たちに久しぶりに会えると思って喜んで駅に行ったら、河童たちは皆派手なマフラーをさせられていてすっかり雰囲気が変わっておりました。
あれ以来ずっと、河童像にマフラーをすることは善行であるか愚行であるか考え続けております。
例えばどんなに寒いからと言って、またどんなに恥ずかしいからと言って、ミロのヴィーナス像にショールをかけたりダビデ像にパンツを穿かせる行為は許されません。
それと同じようなことが遠野の河童にも言えるのではないかと思ったり・・・
いや、そこまで深刻に考えることもないだろうと思ったり・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/50/49317887198a198b2cfd6e37f764df45.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/39/726084c4efed49eefe472bee28e86378.jpg)
(ミロのヴィーナス像) (ダビデ像)
これは人々にとって河童がすごく身近に感じられるからではないでしょうか。
ミロのヴィーナス像やダビデ像は、庶民的には思えませんものね。
一日に三善を為したnihaoさん。
みなさん、喜んでくれたということで自分の気持ちも和みますね。
「余計なお世話よ!」という目で見られたら、二度と小さな善行もしたくなくなります。
相手が喜んでくれて、自分も良い気持ちになれる。
ですから、その日の行いはどれも善い事であったのは間違いありません。
とくに100円を差し上げるなどは、なかなか凡人にはできないことで尊敬します。
その時は私もnihaoさんを見習って・・・とは思いますが、そんな日が来ないことをどこかで祈ってしまいます。
ところで、
ダビデさんにはやはりトランクスでしょうか?
裸のマハにもぜひビキニを着せてみたいものです。
丁寧に説明するぐらいしかできませんね。
損することなどしません・・・(^^)
河童は、可愛らしさと身近な存在があるので、多少いたずらっぽい事しても怒られないでしょうし、いたわってあげたいとも思うのでしょう。
ヴィーナス像は、あまりじ~っと見つめたり、勿論触ったり厳禁ですから、そそくさに通り抜けてゆくものじゃないかと・・・(笑)
ちょっと南の島で一休み・・・と言いたいところですが、急に体調が悪くなってしまいました。
三日間ごろごろしていれば元に戻るので『ゴロウイルス』と言われています(笑)
(うららさんへ)
>人々にとって河童がすごく身近に感じられるからではないでしょうか
な~るほど。このご意見には瞠目いたしました。
もうずいぶん前から設置されている像だから、市民の情が移ってしまったのかもしれませんね。
私も初めて見たときは邪気を感じましたが、二度目にはユーモアを感じました。
いつも見ている身近な人々にとっては、きっと可愛いお友達のような存在なのでしょうね。
しかしこれは、善行のつもりでやったことが結果的に愚行になってしまった見本だと思っています(自分の住んでいる街ではないから、もうこれ以上文句は言いませんが)
善行と愚行は表裏一体、気をつけなければならないと思っています。
(pancoさんへ)
pancoさんらしいウイットのあるコメントありがとうございました。
>ダビデにはトランクス、裸のマハにはビキニ
結構私、本気で悩んでいたのですが、大笑いしてしまって、もうどうでもよくなりました。
ダビデには「憤怒し」じゃなかった「ふんどし」も似合いそうですね(なんちゅうオヤジギャルだ!)
マハには染みのついたワンショルダーエプロンとか・・・
pancoさん、人間は歳をとるとどうでもよいことに拘ったり怒ったりするものですね。
正気になるためには笑いが必要ということです。
ありがとうございました。
(すずめさんへ)
実は私も、思わず100円を恵んでしまった自分の行いは善行ではないと考えているのです。
あの時、確かに、もう一度着替えて両替に行く方法もあったし、
たとえ鍵をかけなくてもお婆さんの古着など盗まれることはないと思います。
100円あるかないかなんて最初から問題ではなかったのです。
私なら絶対にこの程度のことで施しを受けるのは恥ずかしいです。
自分がいやだと思っていることをなぜ人様にしてしまったのかと反省していました。
私の行いは安易でしたね。
でもまぁ相手がお婆さんだったからいいか。
100円を恵んであげたと表現するとあれ?って感じですが おごってあげたんですね。喉の渇いた旅人に水を一杯差しだしたと…
きっと全裸のおば様も パニックになっていたのでしょうね。
そう言えば 超有名な礼拝堂の天井画は腰布を巻いた神々で埋め尽くされていますが 腰布は後の画家が書き足したもので その画家は ふんどし画家と呼ばれたそうな。
pm2.5やら0.5やら 黄砂やらあれこれ飛んで参ります。お大事になさってくださいね。
ああ、確かに。
恵むというのではなくおごってあげたと考えれば楽になりますね。
恵むは上から目線なので気になっていました。
すっきり解決しました。ありがとうございます(笑)
>ふんどし画家
あはっ、面白いエピソードですね。
余計なことをすると後世まで貶められます。
体調は元にもどりました。ご心配おかけしました。
私は昔からどうも三月が憂鬱な季節で心身不調が続きます。
三月って転勤とか入試とか別れとか、あまり良いイメージがない季節で、なんだか不安になるんです。
三月病って結構いるみたいですよ。
いかがお過ごしでしょうか。。。
元気です。元気!元気!
パソコンの不調でちょっと怠けていたら、怠け心地があまりよすぎて・・・
もうちょっとお待ちくださいね。