学生諸君は哲学を学ぶのが初めての人が多いと思う。
そこで、先入見を捨てて、哲学というものをこの講義を通して学んでほしい。
テキストには哲学の根本問題とその意味が書いてあるが、意外と思われることも書いてあると思う。
しかし、先入見を捨てて、素直に学ぶ必要がある。
実際にテキストの内容に入るのは次回からだが、それと並行して、自分で読んで、第一回目のレポートに早めに着手したほうがよい。
哲学は英語でphilosophyと言い、これは「知を愛すること」を意味する。
どういう知かというと、この世界の存在の根源に関する知であり、自己の本質に関する知であり、何のために生きるのかについての知であり、無知の知である。
無知の知というのは、自分が根本的なことに関しては何も知らない、ということの自覚であり、哲学の始まりとなる重要な契機である。
自分がもっている日本人特有の哲学のイメージが無知の無自覚に由来ものであることを認め、ゼロから哲学を学び始めなければならない。
そのために書いたテキストである。
ある程度学んだ人ももう一度初心に帰って学び直してほしい。
「科学を生んだ哲学の思考」。
これが重要な事柄である。
哲学は第一義的には人生論や精神論ではなくて、科学の根源に存する存在論であり真知の理論なのである。
生き方と道徳を論じるのは哲学ではなくて倫理学である。
日本人は倫理学を哲学だと思い込んでいるから、この先入見をまず捨てなければならない。
テキストには随所に哲学と科学の関係が出てくる。
去年から新型コロナウイルス感染症蔓延のために、大学ではオンライン授業が主流となっており、この講義もそうである。
一般教養や専門科目でも大人数の講義型の授業はすべてオンラインとなっている。
これには不満もあると思うが、感染症爆発を抑えるためには必要なのである。
学生生活を謳歌したいから大学に入った者が多いと思うが、ここは我慢してほしい。
最近、また不気味な感染拡大の波が押し寄せており、予断を許さない状況となっている。
本当に危機的状況になり、ロックダウンされるかもしれない。
人類はこれまで何度も感染症と闘ってきた。
その中には人類滅亡に追い込むようなものもあったが、何とか切り抜けた。
去年の今頃には、来年、つまり今頃には収束していると思われていたが、むしろ最大の危機が迫っている。
楽観論は捨ててほしい。
哲学は基本的に楽観論を禁ずる。
感染症、死、人生と生命の意味、地球環境の保全の意味、政治の意味、経済と感染症の関係などを自分で考えることが要求される。
それは専攻を超えてなされるべきことである。
そして、それこそ「哲学すること」なのである。
人は生命の危機が迫らないと、有事の時にならないと、哲学に興味をもたない傾向がある。
この際、哲学しようではないか。
ところで、トランスパーソナル・エコロジーという学問がある。
自己超越的・生態学である。
利己主義を超えて環境保全と人類全体の保全と生命の意味と自然の意味を深く考える学問である。
このコロナ禍においてそれは重要な意味をもつ。
人類は自然を支配し、この地球で威張り腐っているが、本当はただの虫けらの一種なのである。
紙の子、紙の似像なのであり、チンパンジーと同根の類人猿から進化した生物にすぎないのである。
自然は人間による地球環境の破壊を食い止めるためにコロナウイルを発出して、増えすぎた人口を間引こうとしているのかもしれない。
過去に起こったペストその他のパンデミックもその例である。
世界の人口は七〇億人を超えて、地球の自然環境を破壊し続けている。
そこで、自己組織性をもつ有機体としての地球自然が人類に警告を発しているのだ。
それを大学生として自覚してほしい。
君たちは専門学校や職業学校の学生ではなくて大学の学生なのだから。
大学とは欧米では職業学校とは区別されて、教養、リベラルアーツ、つまり哲学を、専門を超えて学ぶところと定義されている。
哲学のない政治家、官僚、医者、経営者、軍人ばかりでは、利益と権力ばかり追求して、この世と人類は滅びる。
実用性と金ばかり追求していると、死と貧困の蔓延が待っている。
今回のコロナウイルス蔓延と社会の危機は、それを示しているのだ。
大学とは哲学、というよりも「哲学すること」を学ぶところだ。
専門と哲学の両方を。
自粛しなさいよ。
してほしいにゃ