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心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

死に至る病としての絶望

2018-04-08 22:42:09 | 意識・心理学

キルケゴールの『死に至る病』は絶望を主題としている。

『純と愛』の世捨人さんは絶望から回復したが、それはドラマというフィクションだからであり、現実はそんなに甘くない。

絶望は多くの場合、死に至る。

つまり、自殺である。

自殺から人間を救うのは、信仰、精神医学、哲学、隣人愛などである。

いのちの電話もばかにできない。

人間はなぜ絶望するのだろうか。

それは彼が自己というものをもっており、それに囚われるからである。

自己というより我(が)といったほうがよい。

キルケゴールは、「絶望してなお自分自身であろうとする態度」を絶望の最悪の形態、つまり「救いようのない絶望」であると規定した。

自己を超越者としての神の前で透明にして、すべてを神に委ねよ、というわけである。

しかし、多くの人は神など信じれないであろう。

では、どうすればいいのか。

ただ無為にやりすごすのである。

何も考えず、嵐が過ぎ去るのを待つのである。

君自身にではなく自然に還るのである

自然はすべてを受容する包容力をもってあなたを救うであろう。

我々は自然によって生かされて生きているのだから・・・・

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