キルケゴールの『死に至る病』は絶望を主題としている。
『純と愛』の世捨人さんは絶望から回復したが、それはドラマというフィクションだからであり、現実はそんなに甘くない。
絶望は多くの場合、死に至る。
つまり、自殺である。
自殺から人間を救うのは、信仰、精神医学、哲学、隣人愛などである。
いのちの電話もばかにできない。
人間はなぜ絶望するのだろうか。
それは彼が自己というものをもっており、それに囚われるからである。
自己というより我(が)といったほうがよい。
キルケゴールは、「絶望してなお自分自身であろうとする態度」を絶望の最悪の形態、つまり「救いようのない絶望」であると規定した。
自己を超越者としての神の前で透明にして、すべてを神に委ねよ、というわけである。
しかし、多くの人は神など信じれないであろう。
では、どうすればいいのか。
ただ無為にやりすごすのである。
何も考えず、嵐が過ぎ去るのを待つのである。
君自身にではなく自然に還るのである。
自然はすべてを受容する包容力をもってあなたを救うであろう。
我々は自然によって生かされて生きているのだから・・・・