心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

哲学A1文章講義(第15回)

2020-06-20 08:57:08 | 哲学

今日は「意識の三階層と脳」について話す。

まず、テキストの第5章第3節を読んでほしい。

 

そこには認知心理学における意識の三階層説が挙げられている。

これは現代の心の哲学や意識哲学に広く受け入れられているものであり、科学と哲学の共有財産となっている。

その三階層とは、我々が普段「意識」と呼んでいるものを厳密に下部層から上部層まで並べたものであり、人間の意識の階層を表している。

その三階層とは、下から

 

1. 覚醒

2. アウェアネス

3. 自己意識

 

である。

 

覚醒とは、睡眠中ではなく目覚めている状態の意識の基本的働き、活動であり、植物以外の生物に広く認められる原始的機能である。

アウェアネスとは、「気づき」であり自分が知覚と感覚の機能を働かせつつ、周囲の世界を認識している状態である。それはまた自己の行動を制御するものでもある。

これはまた「機能的意識」と呼ばれ、自己を十分に意識することなく、行動を出力することに関与し、半ば無意識的な意識機能である。

アウェアネスは意識の中核に当たる機能であり、それは意識と行動の表裏一体性、換言すれば意識と行動をリバーシブルに着こなす生活機能を表している。

次に、自己意識とは、実は我々が普段「意識」と呼んでいるものである。

それは意識の主観性と自我の所有感と連携し、我々人間が「心」とか「意識」と呼ぶものにそのまま置き換えられやすい。

しかし、自己意識=意識という観点は間違いであり、意識は自己意識の基底層としてのアウェアネスと覚醒を必須とする生命機能であることを理解しなければならない。

 

本当に我々は認知科学や心の哲学を深く学ばないと、自己意識をそのまま意識と思い込んでしまう。

これは人間中心主義の主観的心観であり、動物に心を認めない考え方につながる。

その狭い見識はぜひ捨てなければならない。

 

なお、意識の下の二階層は脳の機能と容易に結びつけやすいが、「精神」や「魂」という精神主義的な概念と連携する「自己意識」は、脳から切り離されて理解されがちとなる。

何としても二元論にしがみつきたいのだ。

しかし、自己意識も最終的にはやはり脳の機能と結び付いているものであることが理解されなければならない。

ただし、その際、深い創発主義的心脳関係論の哲学が必要となる。

このことは銘記しておいてほしい。

 

以上のことを顧慮して、第4節「自己意識の現象的質」を読もう。

そこでは生きられる身体の生命感覚と意識の主観性の現象的質感の密着性が指摘されており、それを考慮した上で、

自己意識の現象的質と脳の神経的情報処理の関係を捉えなければならないことが指摘されている。

 

簡単に「心って結局脳なんだろ」とか「精神的現象としての意識とか自我が物質としての脳に還元されるはずがない」という相対立する観点は、

どちらも軽薄なものであり、能産的自然の自己組織性に深く根差す、自己意識と脳の生命的関係性を捉えることが肝要なのである。

 

君たちはこれまで意識と脳、心と脳の関係をあまり深く考えてこなかったであろうが、この機会に深く考える習慣を身に着けてほしい。

そして、脳科学と哲学が協力してこそ、心と脳の関係を深い次元で理解できることに気づいてほしい。

 

僕にも心と意識はあるんだにゃ

 

 

 

 


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