クリステルは絶望しているわけではない。
福島第一原発による被害を憂いているのである。
我々は地元に打撃を受けないと他人事のように考えてしまう。
しかし、福島の人たちは東京圏の電力の浪費の犠牲になったのである。
それに罪の意識を感じない楽天家は、キルケゴールの言葉で言えば「絶望していないことによって、より深い救いようのない絶望に陥っている」のである。
この逆説の意味が分かるであろうか。
絶望の反対は悩みのない快活な気分ではなく、誠実な隣人愛と自然への帰依の感情なのである。
キリスト者にとっては信仰であろうが、私にとっては自然への帰依の感情である。