チャルマーズは「我々は刺激に対して反応するだけのゾンビではない」と主張した。
意識の主観的質を顧慮して「私」つまり「自我」の精神的尊厳を重視する人は、こうした思想に加担しやすい。
そして、唯物論や人間機械論や決定論を極端に毛嫌いする。
彼らは思想的ないし哲学的立場としては精神主義的二元論に分類される。
デカルトの信奉者や宗教好きの人にこのような傾向がよく見られる。
また、科学者の中にもこうした思想を内に秘めている人がいる。
そうした人たちに「スプーン曲げと全財産を放棄することのどっちが難しいと思いますか」と問いかけてみるのも一興である。
スプーン曲げ、あるいは超常現象、あるいはオカルトは精神主義的二元論と親近性がある。
ところが彼らは、貧しい人のために全財産を譲渡するとか正義のために自己を犠牲にするとか自分の命を捨ててでも赤の他人を救うなどということには意外と興味をもたない。
というか、そういう行為を鼻で笑うか、その話題から逃げる。
いったい、人間が、自分がゾンビやロボットであって何が悪いんだ。
もし「隣人愛ロボット」や「社会福祉的ゾンビ」というものがあったとしたら、善なる行為が唯物論と両立することになる。
ということは・・・・・
精神主義的二元論者は、博愛主義や人道主義に興味があるのではなく、自己の尊厳だけに興味があることになる。
自己は単なる物質ではなく、自由と精神的尊厳をもった崇高な存在だと言いたいのである。
しかし、その裏には卑しい快楽主義が控えているだけなのである。
もちろん、還元主義や唯物論や人間機械論は正しくない。
しかし、それと同等に精神主義的二元論も正しくないのである。
そこで、ソクラテスのイロニーばりに、彼らに隣人愛ロボットと社会福祉ゾンビの話をもちかけるのも面白いのである。