心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

『創発する意識の自然学』の画像

2012-10-07 11:19:37 | 日記

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『創発する意識の自然学』の目次・簡略版

2012-10-07 11:17:10 | 自著紹介

前に載せた新著の目次の簡略版を書きました。
ちなみに、昨日池袋ジュンク堂に行ったら、まだ入荷していませんでした。
今週の中盤以降に店頭に並ぶと思います。


『創発する意識の自然学』萌書房、2012年10月出版

目次

 序

第Ⅰ部 意識への問いと創発の存在論

第1章 哲学における意識への問い
第2章 意識科学の可能性 
第3章 方法としての創発の存在論
第4章 意識への問いと生命論の関係
第5章 意識の根源としての自然
第6章 自我と宇宙
第7章 創発する意識の自然学の提唱

第Ⅱ部 意識と心身問題

第8章 心身問題は不毛ではない
第9章 心と身体の関係を統制するものとしての生命
第10章 意識と脳の世界内存在
第11章 脳の社会的相互作用と意識の創発

  
第Ⅲ部 意識の発生根拠

第12章 意識の系統発生と個体発生
第13章 意識の自己経験
第14章 生命の自然性と社会性
第15章 自我の創発

第Ⅳ部 時間と空間

第16章 生命と時間
第17章 身体と空間
第18章 意識の創発と時空

第Ⅴ部 人間の本質と意識

第19章 精神と自然
第20章 歴史・文化・風土 ― 人間存在と環境 ―
第21章 意識の創発と創造的人生
第22章 自然の大生命と大いなる我
終章 君自身にではなく自然に還れ

 あとがき

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

善意志のみが無条件に善か?

2012-10-07 10:36:57 | 哲学

カントは「善意志のみが無条件に善である」と言った。
本当にそうであろうか。
「善意志」の「意志」とは本人の意識の問題である。
本人が自分の意志が「善」だと思い込んでだけの場合は、どうであろうか。
てゆうか、そういう場合はけっこうある。

善は社会的人間関係の中で機能する規範的なものであり、個人の内面的良心意識に還元できるものではない。
この点でカントを叩いたのはヘーゲルとディルタイである。

簡単に言うと「私はコレコレのことが善だと思い、それを行おうと意志していますが、あなたはどう思いますか」という確認が最低限必要なのである。
それをしないと、独善主義に陥る。

オウム真理教の連中は自分たちがしていたことは善だと思い込んでいたのである。
そして、自分たちの行為は善意志に由来するものとみなしていた。
しらけ世代の彼らのどこまでが本当にそう考えていたかは疑問が残るが、大枠ではそうであろう。

第二次世界大戦中の日本の軍国主義とその教育はどうであろうか。
この場合、善意志は全悪であった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする