北国の人、あるいは北方民族の人々は、年齢を数えるのに何歳であるかということではなく、何回冬を越したかということを尺度とする。
換言すれば、何回新年(元旦)を迎えたかではなく、何度春を迎えたかを尺度とするのである。
そして、完全に冬の終わりを告げるのは、桜の開花である。
もちろん、立春、梅の開花、春一番といった区切りもあるが、何と言っても桜の開花である。
爛漫と咲き乱れる桜は美しい。
それは、自然の美と生命の躍動の融合であり、我々の意識を潤す。
しかし、「春は春とて春鬱者」という人もいる。
3月は自殺者が最も多い月であり、精神科の新患数も最多となる。
鬱状態の人にとって、桜の美とそれに酔いしれる陽気な人たちの宴会は、かえって気分を重くする。
梶井基次郎の作品に「桜の樹の下には」というものがある。
それは、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という有名な文章から始まる。
2011年の大震災の後で被災地に咲いた桜、津波に耐えて残った一本の桜の下には、文字通り屍体が埋まっている。
しかし、梶井はそうした単なる事実を述べたのではなく、「美」というものの裏表と深さを象徴的に表現しようとしたのである。
桜の美には裏表がある。
それに気づいた者だけが自然の大生命の奥深い美を感得できるのである。
これは珍しい「白い桜」である。
そして、この画像は光の当たった桜の部分と日陰になった部分がコントラストをなしている。
人生も同じなのである。