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心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

私はなぜ私なのか

2012-08-27 20:38:23 | 意識・心理学

私はなぜ私なのだろうか。
なぜほかの誰がではなくて、この私なのだろうか。
「私であるとはどのようなことなのであろうか」。

このような問いに取りつかれたら、周りの人を見渡してみよう。
みんな、私と同じような、それぞれの「私」をもっているのである。
私は私一人ではない。
私は私独りではない。

私の謎は実は存在しない。

「私」とは脳の自己モニタリング機能として、他者と共同生活をするための「道具」なのである。
しかし、「私」の神秘主義者は、我が強いので、頑として譲らない。
「我が強い」人には真の自己が欠けている。
自然と直結した無意識的自己の機能が弱いのである。


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精神的ストレスと物理的ストレス

2012-08-21 10:30:59 | 意識・心理学

ストレスという言葉を知らない人はいない。
また、この言葉ほど日常よく使われるものはない。
しかし、その意味をよく知っているのか、というと、そうではない。
多くの人はストレスをひたすら心理的なものと思っている。
ある人いわく「ストレスって精神的なものでしょう」。

stressはもともと物理学特に力学の領域で使われていたものである。
それは強い力がかかったときの物体の歪みを意味する。
要するに、圧力に屈した状態である。

この物理学的な意味でのstressを生体の防御反応の理解に応用してできたのが、周知の「ストレス」である。
アメリカの偉大な生理学者で、最初にストレス学説を提唱したハンス・セリエのThe Stress of Life(邦訳『現代社会とストレス』)において、それは体系的に論じられた。
それによると、ストレスはストレス因子とストレス反応の両方を包含した現象であり、単に主観的に感じられるストレス意識、いわゆる「精神的ストレス」のみを意味するものではない。

たとえば、今各地は猛暑に襲われている。そして多くの人がストレスを感じている。
しかし、そのストレスは各個人の意識の内部に幽閉された「内面的精神現象」ではない。
暑さのストレスは、熱気と高湿度をもった外気という「ストレス因子(ストレッサー)」とそれを生体の危機として感じている「各人の脳内のストレス中枢」の協同現象なのである。
つまり、ストレスとは物理的かつ精神的なのである。

ところで、高齢になると気温や暑さに対する感受性が低下し、炎天下で畑作業を続けたり、エアコンをつけないで室内に閉じこもったりする。
その結果、熱中症となり、死んでしまうのである。
死なないまでも、救急車で病院に搬送されるはめになりやすい。

老人にとって夏の猛暑は純粋に物理的ストレスとして身体を襲うものなのである。
その結果、彼らは自然と一体となった、と言えなくもない。

ここから、「ストレスが物理的要素を排した精神的なものだ」という想念は軽薄であることが分かる。
あるいは無知をさらけ出しているのである。

ストレスはあらゆる場面、あらゆる年齢層の人にとって、つねに物心両義的であり、心身両義的なものなのである。


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