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心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

「説教くさいものの言い方されるとカッとなる」とは?

2013-06-02 09:15:12 | 意識・心理学

大学の同期生で友人だったNK君は気が短く、退屈なことと努力が嫌いな人であった。

NK君はある女性が好きで、私に攻略法を尋ねてきた。

その女性も大学の同期生で、私と三人で話すこともたまにあり、彼女がNK君に対してどういう感情をもっていたかだいたい察しがついていた。

はっきり言って、あまり気がないようであった。

てゆうか、「こいつストーカーか」って顔してた。

そこで私はNK君に「相手の立場に立ってものを考えなきゃ」と電話でアドバイスしたら、彼は逆上して、悪態をついて、ガシャンと電話を切った。

そのあとで彼は謝罪の電話をくれて、「あの時は逆上して暴言を吐いて悪かった。もう友人関係は解消かな。もう一度付き合おうよ」と言ってきた。

まさに「今泣いたカラスがもう笑った」である。

ただし、彼は次のように言っていた。

「説教くさいものの言い方されるとカッとなる!!」

・・・・・・・・・

こういう人を一言で表すと、「自尊心は人の10倍、向上心は人の半分」っていうことになる。


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「偉そうな態度」とは ?

2013-06-02 08:49:54 | 意識・心理学

よく他人に対して「偉そうにするなよ」とか「その偉そうな態度なんとかならないか」と言う人がいる。

実は、私はこの言葉を生まれてから一度も使ったことがない。

今初めて使ったのである。

そもそも私は他人に対して「こいつ偉そうにして気に食わない」という感情をもつことがない。

まぁ、だいたい言いたいことは分かるけど、そんなに気にならないし、そんなの気にする人のケツの穴の小ささのほうが気になる。

別に好き勝手にやらせておけよ。

たいして害はないよ、てゆうか何の害もないよwww

ところで面白い話がある。

ある学生がある教師に対して「あの偉そうな態度何とかならないか」というクレームをつけたんだそうだ。

いったいその教師はどんな言動をしていたんだ、と調べたら、実は授業で有島武郎の人道主義と博愛主義を褒め称えたらしい。

周知のように有島は北海道ニセコに所有していた大農場を無償で小作人に譲渡した。

その先生はその姿勢を称賛し、財産放棄という博愛主義と社会主義と禁欲主義的理想主義を最高の思想と主張したのである。

・・・・・。

まぁ、普通の人の人情からするなら、わざわざ財産放棄してまで人道主義を実践するなよ、迷惑だよ、と思うだろ。

シラケ人間に今時人道主義的道徳なんか意味ないし、敵意の対象でしかないからね。

要するに、その先生の「偉そうな態度」とは実は他人を見下したり侮蔑したものではなく、人道主義的で理想主義的な態度だったのである。

このことから何を看取すべきであろうか。

それは、他人に対して「偉そうに」とか「偉そうな態度するなよ」と言う人は品性が下劣である、ということである。

そういう人が下衆の勘繰りをするのである。

そして「下衆」、つまり「心が卑しい人」ないし「道徳意識が低い人」呼ばわりされると(これは見下しや侮蔑ではなく「諭し」であることに注意!!)、人は逆上するのである。

有島の行為を「よいお道楽」とからかった近松秋江などはその典型であった。


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イライラを抑えるのには読書が有効

2013-05-21 10:44:08 | 意識・心理学

我々は日々苛立ち、イライラ、むかつき、などの負の感情に悩まされている。

それは人によって大小はあるが、普遍的な感情であることには変わりない。

イライラからついキレて暴言を吐いたり、ひどい場合には暴力をふるったりする。

また、イライラをため込んで、うつになったり、アルコールやたばこの量がつい増えてしまう。

いったい、このイライラをどう処理したらよいのだろうか。

心理学的実験・統計によると、イライラは我慢してため込むよりはある程度、怒りとして発散した方がよいらしいが、キレるほどになると、次のイライラを誘発するはめになる。

これはアルコールやたばこに頼っても同様である。

一時的に発散できたと満足できるが、次のイライラに対する耐性が実は弱くなるのである。

そこで、イライラは雪だるま式に大きくなり、キレる頻度やアルコール・たばこの量は増える一方となる。

それでは、どういう方策が望ましいであろうか。

まず、有効なものとして散歩、気の合う人との談話、かわいい動物との触れ合い、サイクリング、旅行、グルメなどが挙げられる。

そして、意外に最も効果があるものとして「読書」が挙げられた。

本を読むとイライラが治まり、気分が安らぐのであり、その効果は前に挙げたものすべてを上回っている。

なお、パソコンとの対話、つまりインターネットは読書よりはるかに効果が低い。

刺激的なものや現在起こっていることが目に入ってくるので、イライラ軽減にはならないのである。

もちろん、本好きな人でないと読書の効果は薄いかもしれない。

というより、キレやすい人って本読まない粗野な人が多いんだよね。

もちろん全部じゃないけど。

あと、難しい本や課題だからいやいや読んでいる本はイライラのもとなのは言うまでもないよね。


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人の不幸を喜ぶことと偽善

2013-04-29 10:24:38 | 意識・心理学

我々には人の不幸を喜ぶという普遍的心理傾向がある。

しかしそれには個人差があり、単なる妬み、羨望の段階から誹謗中傷、迫害といった嫌らしい段階にまで及ぶ。

人の成功や幸福を羨みつつも、現在の自分のささやかな幸福や楽しみで満足できる人は、他人の「不幸」をあからさまに「喜ぶ」ことはない。

せいぜい、「彼に比べたら自分はまだ幸せな方だ」と自分を慰める程度であろう。

それに対して、他人の不幸を積極的に喜ぶ人は、悪人というより偽善者の傾向が強い。

他人の不幸は、やはり積極的に喜ぶべきものではなくて、さりげなく「気の毒に思うべき」ものなのである。

この「さりげなく」という点が重要である。

というのも、押しつけがましい援助や慈善行為は偽善者の専売特許だからである。

私の大学時代の同級生で「人の不幸を喜ぶ」傾向が非常に強い奴がいた。

彼の性格は粘着気質で、些細なことを気にかけ、それをいつまでも根に持つ傾向がものすごく強かった。

彼は実家がキリスト教関係で自らも信者であり、唯物論を極端に嫌っていた。

つまり精神や心は物質とは別次元にある神聖なものと考えていたのである。

その彼が、嫉妬深く、他人の不幸を喜ぶという醜い心の権化だったのである。

どうやら、精神主義的心身二元論は醜い心の産物であるようだ。


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美へと向かう意識の自己組織性

2013-02-03 15:36:16 | 意識・心理学

プルーストは『失われた時を求めて』の中で、偶然出会った物質によって突如蘇る過去の記憶について語っている。

つまり、無意志的記憶の重要性を叙述しているのである。

普通、意識は主体の意志によって発動し対象に向かう「志向的機能」とみなされている。

しかし、プルーストはそうした意識内在主義の主観的構成主義では「失われた時」を取り戻せないと考える。

無意志的記憶が物質に触発されて自己組織化するのである。

ここに記憶と生命と自然の三位一体性が成り立つ。

それと同様に「美」へと向かう意識も無意志的感性によって自己組織化する。

「私」が「美」を主観的に構成しているのではなく、「美の自然」ないし「美自体」が勝手に私の意識の中にやってきて、自己を組織化して、過去の記憶を蘇らせるのである。

美の超主観的本質(つまりイデア)が、を媒介ないし道具としてweb上に情報をまき散らすのである。

それは、具体的にはブログに過去の美人の画像を効果的に貼り付けるという作業として現れる。

 


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偽善者の特徴

2013-01-15 21:27:14 | 意識・心理学

前にネットに面白い記事が載っていた。

それは「あなたの偽善者度テスト」というものであった。

それは20ぐらいの質問に答えるという形のテストであったが、そのなかに極めて興味深いものがあった。

それは、「他人に忠告することが多い。しかも皮肉たっぷりに言う」傾向があるか、というものであった。

もちろん、それにyesであれば偽善者の傾向が強く、noであれば弱いということになる。

私はオタク系なので他人に忠告や批判することがほとんどない。

そんな暇があったら自分の趣味や研究に没頭する方である。

そういえば、大学院時代やたらとそういう傾向をもつ人が数人いた。

彼らは共通して孤独を嫌い、集団行動を偏愛していた。

そして自分たちが倫理的であると思い込んでいた。

しかし、彼らが求めていたのは「快楽の共同体」であって、けっして聖人君子の博愛主義などではなかったのである。

そして、彼らは不真面目さを自慢し、まじめな聖人君子を嘲笑していた。

こうした傾向を、太宰治は自らを人間失格と称することによって、偽善として暴いたのである。

 

 


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意識と睡眠

2012-11-17 09:31:47 | 意識・心理学

睡眠中には意識はどうなっているんだろうか。睡眠中にも脳は自律的計算を遂行しているから、情報処理はなされている。

睡眠中、脳は、パソコンで言えばデフラグのようなことをしており、不必要な記憶ファイルを処理し、精神システムの安定化を遂行しているのである。

夢の内容にそれは表れる。

フロイトは夢を「抑圧された意識の変則的満足」と規定した。

夢の中で、いやな奴を殴っていたり、好きな相手を抱いたりするのは、覚醒時に実現しない欲望や願望の発散、つまりデフラグなのである。

ちなみに睡眠中夢を見ている際にも、「私である」という自覚は保たれており、その意味で自覚的意識は機能しているのである。

なお、睡眠不足や不眠症は意識に悪影響をもたらす。

芥川龍之介の晩年の作品にその苦しみが吐露されている。

 


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注意と短期記憶

2012-10-19 19:50:02 | 意識・心理学

意識の発生には注意と短期記憶が深くかかわっている。
外部の環境世界の対象への関心と周囲の状況への注意に短期記憶が加わると、「意識の流れ」の感覚が発生する。
そして、それを自覚すると、自己意識の感覚が生まれる。

そもそも記憶は心的現象の基幹をなしている。
記憶という機能があるから、自己への反省や意識の流れの感覚が生まれるのである。


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意識と時間

2012-10-16 08:50:45 | 意識・心理学

意識は時間的流れによって構成されている。
それでは意識が「流れる」とはいかなる事態であろうか。
川が流れるようにそれは流れるのだろうか。
流れは普通、不可逆のもとみなされているが、逆流というものもある。
川は水という流動的物質が流れるのである。
それでは意識が流れるという際、何が流れるのであろうか。

それは「時間」であると思う。
意識を構成するのは記憶、思考、表象、知覚内容、感覚質(クオリア)、予期、期待、他者への関心、世界の状態への関心、自己の在り方への関心、自覚、後悔などである。
まだあるが、とりあえずこれだけあげておく。

こうした意識の構成内容は、過去・現在・未来という三つの相をもつ時間を土台ないし骨格として形成される。
そして、その際「現在」という時制が意識の構成内容の発現点となる。
それゆえ、「意識が流れる」ということは、「川が上流から下流へと流れる」ということとは違って、意識構成的主観が現在という構成の原点から過去→現在→未来と流れる時間への関心を自己意識へと反映させている、ということなのである。
自己意識へと差し戻している、と言ってもよい。

そこで問題は「時間が流れる」とはいかなることか、ということになる。
時間は川と同じように流れていると理解できるであろうか。

時間に関しては、古くから始まりと終わりを想定するものと円環的な回帰性を主張する思想の対立があった。
その対立は、不可逆の前進的時間と回帰する可逆的時間の概念的対立と並行する。

熱力学の第二法則によると、自然界の事物は放っておくと時間の進行とともに秩序が崩壊する方向に進み、最後には解体してしまう。
これはエントロピーの増大という事態である。
それに対して、生命あるもの、ないし生命的システムは、このエントロピーの増大に逆らって、秩序を自己組織化し、完成態へと進む、という思想がある。
創発主義的宇宙進化論はその代表である。

意識は生命的現象ないし生命の本質の顕現とみなされる。
「意識が流れる」ということは、時間の矢と生命の矢を統合する観点から理解されなければならない。
つまり、意識の流れは、生命の根源的時間性のもつ自己組織化的前進に根差した生命的現象なのである。
このことが人間の死生観とどう関係するかは、また後で論じよう。
なお、今回は比較的意識内在主義的観点から論じたが、次の機会には「経験の自然性」や「脱自的世界内存在」の観点から論じようと思う。


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内面的な意識の状態は存在しない?

2012-09-30 16:18:42 | 意識・心理学

ギルバート・ライルは『心の概念』の中で実体的な「内的意識状態」は存在しないと明言している。
これは多くの人の直感ないし日常感覚に反する見解である。

我々は日常自分の内的意識が機能し確かに存在していることを直感している。
そして「自分は自分である」という自己同一性の意識を堅持し、自己意識の統一性と継続性を自覚している。
それなのにライルは内的意識の状態の「実体性」を否定する。
これをどう理解したらよいのだろうか。

我々は確かに私秘的な内的表象世界と思考世界と知覚世界と記憶世界があり、それに直接アクセスできるのは自分だけだと理解している。
しかし、我々は四六時中自分を意識し、自己の内的世界にアクセスし続けているであろうか。
我々の日常生活のほとんどは外的対象や環境世界の状態や諸々の情報への関心に費やされ、内的意識への関心は時折生じるだけである。
むしろ意識よりも外的知覚と密着した行動が優先権を持っている。
そして、その行動がとん挫したり静止したとき初めて内省が生じるのである。

問題はここにある。
ライルによると内省は常に「回顧」という形をとる。
我々は激怒したときリアルタイムで自己の意識や感情を反省できるだろうか。
できないのである。

内面的意識は常に生活的行動に遅れてやってくる。
しかし自覚的クオリアが鮮烈なので、その存在性が「実体」にまで高められやすくなる。
デカルトはもろにこの罠にはまってしまったのである。

行動に遅れてやってくる内的意識は実体として存続するものではなく、一時ファイルのようなものである。
現実にあるのは心身的生命体の世界内行動なのであり、それは実在の何に値するシステムなのである。

捉えがたい「私」という観念は幻想である。
「私」とは経験の契機なのである。
意識と経験の関係についてはまた後で論じよう。


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夢と現実

2012-09-16 09:13:30 | 意識・心理学

今、夢を見ていないとどうして言えないのか。
今現実だと思っている、この世界は実は夢を見ている状態かもしれないじゃないか、というわけである。

この問いは極めて楽天的な心情から発せられる、脳天気な疑似問題である。

まず、10年前に交通事故で片足を失った25歳の女性にこの問いを投げかけてみるがよい。
既に彼女は10年間、障害と共存してきたのである。
戦ってきた、と言ってもよい。
また、障碍者年金も受け取っているはずである。

これは決して夢ではない。
片足という障害は、彼女の内面的意識に幽閉された表象内容ではなく、他者との関係性を離れてはありえない社会的公共現象として、確固とした現実性をもっている。
「夢ならいいのに」という願望すらむなしくなるものである。
むしろ、彼女はこの現実を隣人とともに生き、社会に貢献しようとしているはずである。

くだんの問いは、独我論的で道楽的な思考実験という哲学の悪しき側面を代表する疑似問題の典型である。

現実を夢にすり替えても、福島第一原発周辺の土地は元に戻らないし、いじめもなくならないし、借金も消えない。
現実を直視しないと、或る阿呆の一生になる。

夢と現実を混同させない指標は「身体性」である。
私は、自分の足があるかどうか確認するために立ち上がりはしない。
そもそも、「私は身体をもっている」とか「私は身体なしに存在する」と言ったり書いたりする人の口や手は何なのか。
表象内容や思考内容すら、物理的現実性の構造を移入したものであり、身体性の刻印を帯びているではないか。

前に挙げた、スプーン曲げと全財産放棄するのとではどちらが難しいだろうか、という問いを想起してほしい。


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「私」とは学習されるものだ

2012-09-15 23:17:06 | 意識・心理学

痛みは学習されて痛みになる。
「私」も学習されて「私」になる。

私の「私」とあなたの「私」は同じ「私」である。
少しは他人の立場に立って自我について考えたまえ。
唯一無比のこの私を喧伝する輩よ。


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気温が心身に及ぼす影響

2012-09-15 20:04:16 | 意識・心理学

9月も半ばだというのに8月並みに暑い。
今年の暑さは最高気温によるものではなく、雨が極端に少ないので、33度前後の日がずっと続いていることによる。
7月の25日あたりから、ほんの少しの中抜きがあって、ずっとこの調子である。

暑いとものを考える気がしない。
ビールを飲んで、ネットして、寝るだけである。

人類の祖先は南アフリカの熱帯雨林に生まれた。
人類は基本的に暑さに親近的なはずである。
しかし、暑さがこうも続くとうんざりしてくる。

うつになりそうだ。

そもそも、うつは精神的原因だけで発症するものではない。
日々の過重労働によるぐったり疲れこそうつの最大原因となる。
過酷な気候や災害によるストレスもうつを発症させる。

うつは精神的ないし心理的なものというよりは身体的ないし生理的なものであり、そのようなものとして心身的ゆらぎの現象なのである。

そもそも環境世界の物理的状態と身体の生理的状態から分離された精神現象など存在しない。
精神はすべからく身体的で物理的刻印を帯びている。

今日の日本において、うつは国民病となっている。
うつにはうつ状態とはっきりしたうつ病(単極型気分障害)がある。
精神科においてうつ病と診断されなくても、うつ状態に陥っていることはよくある。
それを放っておくと、うつ病になるのである。

また、うつを単に「気分の落ち込み」と捉えてはならない。
たとえば、失恋とかリストラとか業績不振による「落ち込み」のことである。
そうではなく、むしろ「ぐったり疲れ」による無気力状態の方が、うつの本質的病理を表している。
暗い気分というよりは、身体的に無気力で、億劫感が半端でない、あの状態である。

それは一過性に誰もが経験しているが、内因的要素(うつの遺伝子的素質)が加わったうつ状態は容易にうつ病に移行する。

気温のストレスの話からうつの話に飛んでしまった。
とにかく、くそ暑い夏はうざい。
今年は東北地方もずっと暑い状態が続いている。
被災地の人たち、特に仮設住宅に避難している人たちはしんどいだろう。

ちなみに、今回の大震災の後遺症的ストレスは、阪神大震災のそれよりははるかにひどいらしい。
特に、福島で故郷を失い、移住を余儀なくされた人たちにその傾向が顕著である。
彼らにこの残暑はきついだろうなー。


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意識と感覚

2012-08-30 09:04:01 | 意識・心理学

今日も暑い。
暑さの感覚は意識を変容させる。

もともと意識と感覚は密接に関係している。
生物進化における感覚の複雑化とその統合が意識を創発せしめたのである。

暑さの感覚は皮膚から受容される。
その後、末梢神経から中枢神経に伝達され、「暑さの意識」となる。
ここには身体性というものが関わっている。

「暑さの意識」は「暑さの身体感覚の意識」なのである。

感覚は同じものが繰り返されると、記憶に残り、また習慣的身体の機能に刻印され、知覚意識を形成する。
また、異なった感覚の複合や統合は、感覚要素とは別の意識要素を創発せしめる。

人間における自己意識や現象的意識という高度の意識の創発は、生物進化における感覚の複雑化に由来しているのである。


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自我による統一感を伴った心的活動

2012-08-29 15:58:41 | 意識・心理学

ヒュームは自我を知覚の束と定義した。
我々の経験の内容をつぶさに検索すると、見つかるのは個々の知覚内容だけで、それ以外にそれらを統合し統覚している単一の実体的自我は見いだせない。
脳の神経システムをつぶさに調べても結果は同じである。諸々の神経回路とそれらの連結が見いだされるだけで、それらを統制する中央制御室にあたるものは見つからない。

自我はもともと対象化できない先験的主観性から成り立っているので、経験的客観化、対象化の網にはかからないのだ、という考え方がある。
この考えの根本にあるのは、諸々の知覚内容を統覚し、心的活動を統制している「自我」=「私」の直覚である。
それは論証以前の率直な直観から発現してくる。

しかし、あなたは三歳以前や睡眠時、あるいは日常のあわただしい生活の中で、自分の存在など意識していなかったではないか。
立ち止まって考えたからこそ、統覚的自我の存在がクローズアップされただけではないか。

しかし、あなたは自己を意識していないとき、より厳密に言えば、再帰的な現象的意識による自覚作用に捕えられていないとき、生活的経験の下僕だったのである。
しかし、生活的経験は監視者なしにも自動的に職務を遂行できるのである。
それは生命が自己組織性によって形成されていることによる。

自我の統一感、支配感、存在感、自覚作用、統覚作用、これらすべての根底には生命の自己組織化活動が控えているのである。
精神分析学における自我と無意識の関係の考察は、この生命の本質への顧慮が足りなかったのである。


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