どこ吹く風

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和倉竈

2007年03月23日 07時57分39秒 | 能登
 わくら温泉へ行くと聞いたとき”わくら”という地名か語句を聞いたことがあるような気がした。さくらー佐倉ー佐倉宗五郎は千葉の方か。和倉は何で聞いたことがあるのだろうか・・・

 佐倉宗五郎は子供の頃見た映画の主人公で、嵐寛十郎が主演していて悪政と戦う庄屋で、一族郎党はりつけ打ち首になった人で本名は木内惣五郎といい今でも祀られている。
さて和倉は・・

 和倉温泉から出発し能登の朝市をメインに金沢終着の観光バスに乗った。道々歴史や産物の紹介があるが、何かの説明の中で”珪藻土”という言葉が出た。そこでふと思い当たったのが”和倉竈”だった。

 子供の頃台所はカマドがあり薪を燃やしていた、その薪はヤンバルから車に満載して売りに来るのを買っていた。オガクズも燃やしていた、オガクズは上手い具合に形作らねば燃えない。母がアン餅とか飴玉作っていたので砂糖を溶かしたり大豆を煮たりするのに火が必要だった。
オガクズを燃やすにはまず棒を中心に立ててその棒に突き当ててもう1本の棒を寝かして置く。それからオガクズを円錐形に積んでいく。積みあがったら2本の棒を引き抜くとトンネルと煙突の出来上がり。トンネルの入口に火をつけると少しずつトンネル内部から燃えていく、燃えたところは落ちるので新しいクズに火が燃え移る、その連続で火が広がり全部がゆっくり燃えていく。この方法と取らねばオガクズを燃料として利用できない。

 その後和倉竈が我が家に来た。薄いピンク色で上のほうに薄板の鉄製バンドが巻かれていた。熱効率が良いので食事用は和倉カマドでするようになったが、シンメーナービ(大きなナベ)は相変わらず前のを使った。
和倉カマドを使いはじめて数年後石油コンロが流行った。カマドより手軽なので石油に移った。あのカマドはどうなったのだろうか。

 和倉は和倉カマドの和倉ですか、とガイドさんに聞いたが怪訝な顔をしていたが、カマドの産地でもあったと思い出した。今ではもうカマドを作っていないだろう。細々と需要はあるのかな。

和倉という地名を聞いても温泉は浮かばずにマイナーなカマドを思い出す人は少ないだろう。敗戦直後のオキナワまでその名を馳せたのだからせめて和倉カマドの名前だけでも伝えたら如何でしょうか。

写真は珍しい海岸道路です。海岸というよりも海辺の砂浜道路です。波打ち際近くの砂浜を10Kmほど走れます。

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