雑文の旅

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猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第五回 ピンカラ三太

2014-06-03 | 長編小説
 お店の旦那ふうの男が、若い旅支度をした男の胸倉を掴まえて、何やら喚きちらしている。傍で十七・八の娘とお店の使用人と思われる男が二人、懸命に旦那風の男を宥めようとしている。
   「お父っつあん、それは違います」
   「奴は駆け落ち者や、お前を唆(そそのか)して逃げようとしたではないか」
   「徳次郎を見送りに来ただけです、私は旅支度をしていないじゃないですか」
   「わかるものか、何処かに隠してあるのだろう」

 旦那が大声を出すものだから、往来の人たちが立ち止まって見ている。そんなところに、三太が通り合わせた。
   「新さん、何かもめている」
   「役人を呼んで来いと言っていますぜ、大事のようです」
 新さんは、「ちょっと偵察」と言って、三太から離れた。

   「事情はわかりました」
 若い男は徳次郎、娘はお初。旦那は駆け落ちだと言って、二人の弁解を聞こうとしない。だが、若い二人が言っていることは、本当のようだ。

 女はお店(たな)のお嬢さん、男はそのお店の手代だった。徳次郎はお初の習い事の送り迎えをしたり、買い物のお伴をしたりするうちに、お初が好きになり、お初も何時しか優しい徳次郎に惹かれるようになった。やがて恋に陥ったが、徳次郎は身分を弁(わきま)えて、清く慎ましやかにお初を見守るに留めていた。
   「番頭さん、早く役人を呼んできなさい」
   「旦那様、そうなれば徳次郎は死罪です」
   「構うことあるものか、徳次郎はお初と駆け落ちをしようとしたのです、死罪になって当然です」
 徳次郎は、八歳の時から真面目に奉公をして、陰日なたのない働き者だった。番頭とて、それはよく知っている。その徳次郎を無慈悲にも死に追い遣ろうとしている主人だが、何を言っても無駄だと、二人の番頭は諦めて口を慎んだ。
 徳次郎自身は、愛しいお初の居るお店にあっても、遠く離れて生きることになっても、苦しいことに変わりはないと諦め、死罪になることが最良だと思い始めて、その場に崩れて神妙にお縄を待った。
 やがて、役人がやって来て、店主から事情を訊いている。
   「やい徳次郎、立て」
 徳次郎は立ち上がると、一瞬よろけたが両腕を揃えて役人の前に突き出した。
   「お店の娘と、駆け落ちをしようとしたことは、間違いないのか?」
 徳次郎は黙って頷き、お初の顔を見た。無言でお初に今生の別れを告げたのだ。
   「お役人さま、それは違います」
 お初ははっきりと訴えた。
   「確かに徳次郎と私は惚れあっております、でもこの通り、私は旅支度をしておりません、駆け落ちをする気が無いからてす、それは徳次郎とて同じこと、ただ、惚れあっても結ばれない二人が、同じ屋根の下で暮らすことは辛すぎます、徳次郎は独り故郷へ戻り、畑を耕して暮らすと私に言いました」
 店主は、お初の言葉を遮り、徳次郎を睨み付けて言った。   
   「この男は娘を誑(そその)かし、こう言えと教え込んだに違いありません」
 お初は、尚も徳次郎を庇おうとしたが、徳次郎がそれを止めた。
   「お嬢さん、ありがとう御座いました、私はお裁きを受けます」
   「嫌、そんな悲しいことを言わないで」

 その場へ、三太が飛び出した。
   「徳次郎さん、自棄(やけ)になってはいけません」
 それは、三太ではなく、新三郎の言葉だった。
   「こらっ、子供は引っ込んでなさい、番頭さん、生意気なこの子を追い払いなさい」
 番頭の一人が、三太の肩を掴もうとしたとき、番頭は「わっ」と叫んで倒れ、気を失った。もう一人の番頭も、店主に命じられて、三太の頭を撫でようとしたが、やはりぶっ倒れて気を失った。
   「わしは、ただの子供ではない、鬼子母神(きしもじん)の末神、嬪伽羅(ピンカラ)である」
 店主は、「何を馬鹿な…」と笑おうとしたが、気を失った番頭たちを見て言葉を呑み込んだ。話し方も内容も、子供のそれとは違っていた。
   「鬼子母神の末神が、何故このような場所に姿を見せなさる」
   「わしは罪のない人間の命を、無下にするヤツの子供を食うために人道にやってきた」
   「この徳次郎が、罪のない男なのか?」
   「そうだ、私には分かる、徳次郎は駆け落ちなど企んではいない」
 徳次郎は、もう今生でお初と逢うことはない、もし縁があればあの世で逢いましょうとお初に別れを告げている。お初とても、親には逆らえないから、今生は諦め、あの世で逢う約束をした。そんな健気(けなげ)な二人が駆け落ちなどする筈がない。
   「ふん、何が鬼子母神の末神、嬪伽羅だ、嘘をつくなら、もっとましな嘘をつけ」
 店主は、役人に早く徳次郎を連れて行ってくれと頼んだ。
   「そうか、これだけ言っても聞き分けがないなら、店主、お前の娘お初はわしが貰うぞ」
 これは、ハッタリである。
   「それから、そこのお前」
 通りがかりの者のなかに、さっきから他人の不幸を見てゲラゲラ笑っている男を指差した。
   「お前、家に男が一人と、二人の女の子が居よう、その男の子長吉をわしに食われたくなかったら、さっさと通り過ぎろ」
 男は子供の名前まで出されて、血相を変えて立ち去った。
   「お初、こっちへ来なさい、わしは釈尊に罪のない親から子供を奪って食うなと戒められて、最近子供は食っていない、やっとありついたご馳走なのだ」
   「はい、ご存分にお召し上がりくださいまし」
   「お嬢様、それはいけません、嬪伽羅さま、喰うなら私を食ってください」
   「生憎だが、わしは大人の男は食わん、固くて臭いからのう」
 お初と徳次郎は、これが嘘芝居であることを、何故か感じ取っていた。恐らく、新三郎が二人に送った超感覚の所為覚であろう。
   「では、せめて私をお嬢様と共に、あの世にお送りください」
 臭い芝居が続く。
   「いえ、徳次郎は故郷へ戻って、強く生きなさい、私はあの世で待っています」
 普通なら、こんな茶番は、失笑ものだが、こと我が娘の命に関わること、店主には真に迫っているように思える。
   「お父様、今まで十七年間育てて戴き、有難う御座いました、今生のお別れでございます」
 お初がしおらしく三太に付いて去って行く、徳次郎が役人の手の中でもがいた。
   「私も連れて行ってください」
   「アホぬかせ、お前は代官所へ行く身や」
 三太が振り返って、役人に言った。
   「離してやりなさい、離さないと痛い目に遭いますよ」
   「ガタガタぬかすと。お前もお縄にするで」 
 と、役人は虚勢を張りながら、へなへなとその場に膝から崩れた。

   「わかりました、わかりました、嬪伽羅さま、徳次郎は許しますから、お初を返してください」
 三太は、怒った。
   「許すだと? 徳次郎はお前に許されるような悪いことはしていないぞ」
   「すみません、もう駆け落ちをしたとは言いません」
   「言わないから何なのだ、そんなこと位で、今夜のご馳走をふいにはしないぞ」
   「お初と、徳次郎を夫婦にさせます」
   「そうか、それなら仕方がないか、ご馳走はさっきの男の倅、長吉にするか」
   「そうしてください」
   「何、他人の子は食われてもよいのか」
   「あ、間違いました、どうか人間の子供を食うのは、やめてください」
   「よくわかった、それなら固い、臭い、パサパサのお前で我慢する、さあ、こっちへ来るのだ」
   「そんな殺生な、勘弁してくださいよ」
   「勘弁してもよいが、この先、お初と徳次郎の仲を裂いたり、徳次郎を苛めたりすると、お前を食いにくるぞ」
   「わあ、やめてください、そんなことはしません」

 三太が一人で立ち去った後、二人の番頭と役人が起き上がった。そのうち、役人は膝から崩れた折に、石に膝小僧を打ち付け、血を出していた。
   「何があったのやろ」
 三人は気が付いて、きょとんとしていた。
   「お父っつあん、わたしらが夫婦になることを許してくれてありがとう」
   「旦那様、有難う御座います」
   「こうなったら、仕方が無い、あした祝言を挙げよう」

 三太は、いまひとつ、事の成行きがわかっていないが、なんだか面白かったとは感じていた。
   「新さん、おもろかったな」
   「滅茶苦茶だったが、丸く収まりました」
   「わい、これからピンカラ三太でいこうかな?」
   「格好悪いが気に入ったのならどうぞ」

 因みに、嬪伽羅(ピンカラ)は、鬼子母神の五百番目の子供で、末っ子である。


 近江の国、草津の宿場に着いた。三太は漁師の子ではないが、海の近くで育っている。死んだ兄、定吉の背中にくっついて遊んでいるうちに、物心がついたときには、すでに泳げた。草津の温泉で泳いでみたいのだ。

   「新さん、早いけど温泉に入りたいからここで泊まる」
   「宿場ごとに泊まっていますね」
   「江戸まで五十三日かかるのやろ」
   「まあ、いいでしょう」
 宿の中には温泉が無くて、外湯だと言う。夕食まで時間がたっぷりあるので、宿で手拭いを借りて温泉に行くことにした。
   「おっちゃん、風呂賃なんぼや」
   「大人は四十文、子供は二十文です」
   「ほんなら、二十文払います」
   「ぼん、お連れさんは何処です」
   「わい、独りや」
   「お連れさんなしでは、大人と同じ四十文です」
   「なんや、高いなあ、出直してくるわ」
 暫くすると、三太は若い女に手を引かれて、女湯に入ってきた。
   「わい、お姉ちゃんと一緒やから二十文でええのやろ」
   「へえ、よろしおます」
 
 広い温泉で、三太はパチャパチャ泳いで遊んだ。
   「三太さん、泳ぎが上手ですね」
 お姉さんは、にこにこ笑って見ていてくれた。
   「疲れた、お姉ちゃん、膝に据わらせて貰ってもええか?」
   「はい、いいですよ」
 女が両足をくっ付けて屈んでいる膝に、三太は後ろ向きに座った。
   「お姉ちゃん、凭れてもええか?」
   「はい、どうぞ」
 三太は、なにやら背中をモゾモゾ動かしている。
   「どうしたの? 背中が痒ゆいの?」
   「へえ、背中に丸いものがコロコロ当たりますねん」
   「これ、私のお乳です」
   「へえー、何か固くなってきたような…」
   「あんた、本当に子供ですか? 大坂の’ちっこいおっさん’と違いますか?」
   「六歳の子供です」
   「よく分かっていて、やっていますでしょう」
   「いいえ、何も、わい痴漢とちがいますから」
   「分かっているから痴漢なんて言葉がでたのでしょ」
   「えへへ、ばれたか」
 三太、赤い舌をぺろり。
   「お姉さんねえ、男の人に裸をみせてお金を頂戴するお商売をしていますの」
   「ふーん」
   「大人なら二朱戴くところですが、あんたは子供やから子供料金の一朱に負けておきます」

 温泉から帰り道、三太はしょげていた。
   「新さん、二十文ケチって、一朱(二百五十文)とられた」
   「三太さん、いやらし過ぎ」

   第五回 ピンカラ三太  -続く-  (原稿用紙15枚)

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猫爺の連続小説「チビ三太、ふざけ旅」 第四回 三太、母恋し

2014-06-01 | 長編小説
 三太は驚いた。三太を負ぶって番所まで来たオネエが、子供に悪戯をしては殺す、強奪はする、詐欺はする、実は札付きの悪党で、子供を殺された親達が出し合って、銀五十両の賞金が付いていたのだ。
 新三郎に心を制御され無抵抗であったが、凶悪犯のために亀甲に縛り上げ、役人の護衛を付けられて、代官所へ連行されることになった。賞金貰えるから、三太も付いて来いと言う。
   「わい、お金仰山持っとるねん、銀五十両なんて重いから要らん」
   「お前、子供やから五十両の値打ちが分からへんのやろ」
   「それくらい分かるわい」
   「ほんなら、貰っといて家に持って帰ってやれ、お母さん喜ぶで」
   「わいは旅の途中や、重いから要らんと言っているのや」
   「ああ、さよか」
   「ああ、さよかて、おっさんが盗ったらあかんで、子供を殺された親達に、大坂の三太からお線香代やと言うて、返してあげて」
   「誰が盗るかい、それより何で名前売るのや」
   「この先、何処で親達と逢うかわからへん、その時、わいのことを知っていてくれたら、只で泊めてもらえるやないか」
   「欲が無いのか、がめついのか、よく分からんガキやな」
   「只で泊めてもらって、ご馳走よばれて、うちの娘と一緒に風呂へ入ってきなはれ」
   「そんなこと言う親はおらへん」
 役人の突っ込みを無視して、三太の独り芝居が始まる。
   「お姉ちゃんと湯船に浸かって、わい、お姉ちゃんの膝に腰掛けるとな、お姉ちゃんのお乳が、わいの背中に…」
   「バカ、やめとけ、いやらしいガキやなあ」
   「風呂から上ると、三太ちゃん、娘と一緒に寝て頂戴ね」

   「お姉ちゃん、ちょっとだけお乳触ってもええか、おっ母さん思い出しますねん」
   「構へんけど、やんわり触ってや」
   「お姉ちゃん、乳首吸うでもええか?」
   「赤ちゃんやな、ほんならちょっとだけよ」
   「お姉ちゃん、ちょっとだけ噛んでもええか?」
   「そんなことしたら、あかん」
   「そやかて、ちょっとくらい噛まんと美味しいことあらへんで」
   「あんた、うちのお乳、駄菓子屋の棒飴と間違えとるのと違うか?」

   「独りでべらべら喋りやがって、お前は一体何歳やねん」
   「見た目は六歳、中身は十七歳や」
   「名探偵コナンか、お前は」
 
 番所を出ると、新三郎が呆れていた。
   「五十両ふいにしたのは良いが、大人をからかうのは良くないですぜ」
   「そやかて、子供をからかったら、虐めや言われます」


 ここは大津の宿場町である。
   「三太、この調子で旅続けたら、江戸まで五十三日かかりますぜ」
   「ええやん、大人になるまで、まだ遠いのやから…」
   「関係ないです、亥之吉さん待っていますぜ」
   「構へん、どうせ去年から待ってくれているのやから」


 暫く行くと、農家の入り口で娘が泣いていた。
   「お姉ちゃん、どうしたのや?」
   「へえ、お父っつあんが病気になったときに、金貸しから二両借りたのが、利子が利子を生み、一年で二十両になったのです、その肩代わりに、明日、女衒(ぜげん)が来て、わたいは遊女に売られるのです」
   「へー、遊女ですか」
   「あんた、遊女、分かっています?」
   「だいたいは分かっとります」
   「遊女に売られたら、もうここへは戻られません、それで悲しくて泣いておりました」
   「お姉ちゃん、可哀想やな、まだ子供やのに」
 三太よりも一つ二つ年上のようである。
   「貧乏人は、辛いことばっかりや」
 三太は、思いついた。
   「よし、わいが代わりに売られたろ」
   「男は遊女に売れません」
   「ほんなら、わいの頭をオカッパにしてえな、ほんで着物と帯も貸してか」

 そんなのは、直ぐにばれて、あんたは殺されるかも知れないと娘の父親は言ったが、三太は平気であった。
   「その金貸しと、女衒をわいが懲らしめてやります」

 翌日三太は、髪の毛を垂らして切り揃えてもらい、娘の着物を着ると、なかなか可愛い娘になった。
   「どうや、これなら男やとバレへんやろ」

 女衒がやってきた。金貸しから預かってきた証文と交換に、三太が渡された。
   「ほお、なかなか可愛い娘やないか、よく磨いて化粧したら、売り物になりそうや」
   「わたいみたいな子供でもか?」三太、娘になり切っている。
   「子供が好きなお大尽もいましてな、あんたやったら、すぐに指名がかかりまっせ」
   「そうですか、どんなことされるのやろか、何か恐い」
   「すぐに慣れます、心配せんでもええ」
 三太は、女衒に手を引かれ、草津の遊郭に向った。

   「ねえ、女衒のおじちゃん」
   「これ、そんな呼び方しなさんな、人が振り返っていますがな」
   「ほんなら、おじちゃん、わたい遊女になるよりも、おじちゃんのお嫁になりたい」
   「そんな訳にいかへん、お前を遊女屋に五十両で売って、金貸しに二十両渡さなあかん」
   「ええやん、このまま二人で江戸へでもトンズラしましょうよ」
   「お前、小さいのに恐いこと言うやないか」
   「そやかて、おじちゃんのこと好きになってしもたんや」
 女衒は今まで女に恨まれても好かれることはなかった。この女衒、ちょっと気持ちが揺らいできた。
   「わたいが江戸で遊女になって、おじさんのこと養っていきます」
   「そうか、女衒やめて、ヒモになるのやな」
   「ヒモて、なんです?」
   「女に働かせて、遊んで暮らす男や」
   「ひやー、格好ええ」
   「どこがやねん」

 結局、三太と女衒は、江戸落ちの楽しい旅に出た。ところが、ちょっと立ち寄った神社の祭りで、逸れてしまった。
   「あいつ、逃げたのかな?」
 女衒がそう気付いた時は、三太は大津の娘の家に戻っていた。女衒は遊女屋の信用は失くすし、娘は居なくなるし、もう戻ることは出来ない。
   「このまま江戸へ落ちるしかないか」
 女衒は、その日限りで大津から姿をくらました。

 三太は娘の家に帰ってきた。着物をとっかえると、直ぐに娘と二人で大津の代官所に駆け込んだ。
   「わいは大坂の三太といいます」
 代官は、名前を知っていた。
   「あの、賞金を要らないと言った子供だな」   
   「へえ、あの三太です」
   「あの五十両が、欲しくなったのか?」
   「いいえ、違います、この娘さんを、お代官さまに助けて戴きたいのです」
 女衒から受け取った借用証文を代官に見せた。
   「一年前に借りた二両が、利息で膨れ上がり、二十両になったと金貸しが言うのです」
 幕府が定めた金利は、二両の年利なら、四朱と二百文である。十八両とは、法外も法外。その内、既に支払われた利息が三両にも達していた。
   「なる程、利息が月一両二分になっておるのう」
   「二十両も返すことはないですよね」
   「いいや、むしろ過払い金があるので、十二朱ほど金貸しから戻して貰わねばならない」

 代官の命で、娘の親は金貸しから三分(十二朱)を戻して貰い、娘を売る必要もなくなった。金貸しは財産を没収されて、四国へ処払いになった。
   「三太さん、どうか今夜、私の家に泊まっておくれやす」
   「うん、分かった、ご馳走食べたら、お姉ちゃんと一緒に風呂に入ろな」
   「うちの風呂、一人ずつしか入れない小さな五右衛門風呂でおます」
   「ああ、そうか、ほんなら、一緒の布団で寝よか、わい、お母ちゃん思い出すねん」
   「ああ、それやったら、うちのお母さんと寝たらどうです、その方がお母ちゃんに近いで」
   「まだ時間早いから、せめて草津まで歩くわ」
 三太、別れを告げて、大津から草津まで三里、ぶつぶつ文句を言いながら歩いた。


 暫く歩くと、二十四・五の女が、腹を押さえてしゃがみ込んでいた。
   「おばちゃん、どうかしたのか?」
   「へえ、持病の癪で難儀…、なんや子供かいな、シーシー、あっちへ行き」   
   「何やこのおばはん、わいを野良犬みたいに追いやがって」

 新三郎が三太に教えた。
   「あれは、巾着切りですぜ、看病させておいて、隙を見て巾着の紐を切って掏り盗るのです」
   「悪いヤッやなあ」
   「ほら、見なさい、後から来た若い侍に目を付けましたぜ」
   「わっ、ほんまや、すけべの侍が引っ掛かっとる」
 侍は親切に女の背中を両手の親指で押してやっている。
   「あっ、楽になったらしい」
 侍は、女に「立てますか」と、聞いている。女は立ち上がろうとして、よろけて侍の懐に手を入れた。次の瞬間、女が侍の財布を指に挟んで抜き取った。…が、その手を侍が掴んだ。あっと言うまに、女は縛られ、三太が見ている方へ来た。
   「これは、三太さん、拙者は代官所で逢った代官の家来です」
 江戸であれば、与力であろうか、代官の家来は掏摸の囮捜査をしていたらしい。
   「三太さんは、掏られませんでしたか?」
   「はい、大丈夫です」
 
 女掏摸は、代官の家来に連れられて去っていった。
   「新さん、あの掏摸のおばさん、どうなるのですか?」
   「腕に刺青を入れられて、寄せ場で仕事をさせられるのでしょうね」
   「どうして刺青なんかされるのやろ」
   「そうですね、罪を償って娑婆にでてきても、刺青者は仕事がもらえない」
   「だから、また悪いことをしてしまうのですね」
   「そうかも知れない、三太は、掏摸のおばさんのことが気になるのですか?」
   「うん、おっ母ちゃんみたいに思えるのです」
 ませたことを言うようでも、独り旅に出ると、やはり母が恋しいのであろう。新三郎は、三太を抱き締めてやりたい気持ちになった。

  第四回 三太、母恋し(終) -次回に続く- (原稿用紙14枚)

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