雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のミリ・フィクション「謙太の神様」

2014-06-17 | ミリ・フィクション
 一人っ子の謙太は5才のお婆ちゃんっ子。 二階のお婆ちゃんの部屋に入り浸っては、本を読んで貰ったり、字を教えて貰ったり、時には、お婆ちゃんが祀る神棚に「なむあみだぶつ」と手を合わせたりしている。 謙太も大きくなったから、神様に手を合わせて「南無阿弥陀仏」とは言わないんだよと教えようと、お婆ちゃんは常々思っている。

 謙太のママは、お婆ちゃんの体を気遣って「一階の部屋に移って下さいな」と言うのだが、「神棚を一階には移せない」神様の上を人が歩くなんて、なんて罰当たりなと、頑として受け入れない。
 トイレは二階にもあるから良いものの、食事の度に一階のダイニングに下りてくるのは大変でしょう、そうかと言って二階に食事を運び、独りで食事をするのは寂しいでしょうに。 とママが説得しても、「まだまだ大丈夫だよ」と、お婆ちゃんは笑っている。 

   「神棚のことだけど、以前にお婆ちゃんが言っていたわね」
 ママは、お婆ちゃんに話しかける。
   「なあに?」
   「高層住宅で、上階に人がすんでいる場合、神棚の上の天井に…」
   「雲の絵か、写真を貼ればいいってことかい?」
   「そうなんでしょ」
   「あれは、仕方がない時だよ。うちには二階があるのだから」
 謙太は二人の会話を、目を輝かせて聞いていた。 
   「雲の絵、ボクが描く」
 謙太が言えば、お婆ちゃんも耳を傾ける。
   「そうかい、そうかい、じゃあ描いておくれ」
   「なによ、謙太の言うことだったらすぐに聞くのだから」
 謙太は、クレヨンで画用紙いっぱいに青空と雲の絵を描いた。真ん中に白い蝶が飛んでいる。
   「謙太は絵が上手だねえ、おや、蝶々も描いたのかい」
 お婆ちゃんは、目を細めて謙太の頭を撫でた。  
   「うん、蝶々はボクの神様だよ」

 翌年、謙太は小学校へ入学した。 お婆ちゃんに買って貰った大きなランドセルを背負い、元気に学校へ通うようになってまだ三月も経たないある日、学校から電話がかかってきた。 
 運動場で遊んでいた謙太が、突然意識を無くして病院へ運ばれたのだった。ママとお婆ちゃんが病院へ駈けつけたときには、すでに謙太は心肺停止状態で、懸命の救命処置をとられていた。
 やがてパパが駆けつけた頃には、三人は処置室に呼び込まれ臨終を告げられた。何かの原因で気を失い、倒れたときに遊具の支柱か何かに頭をぶつけ、脳内出血が起きた疑いがあると医師は言っていた。

 三人の嘆き悲しみは頂点に達し、殊にお婆ちゃんは葬儀を終え、四十九日が過ぎ、一周忌が過ぎても立ち直れず、みるみる元気を失くしていった。
 お婆ちゃんは、「私が代わってやりたかった」というのが口癖になり、神も仏もあるものかと、神仏を恨んでさえいるようである。それでも謙太の神様と位牌には、花を供えることを欠かさなかった。
 ある年の春、仏壇と謙太の神様に菜の花をいっぱい供えて、
  「ほら、謙太見ておくれ、蝶々の好きな菜の花だよ」
 と窓を開け放ったとき、一匹のモンシロ蝶が部屋に入ってきた。お婆ちゃんが仏壇の前に正座すると、蝶は膝に留まり、肩に留まり、なんだか甘えているようにも見える。
 そこへ、ママがお茶を持って入ってきた。
   「シーッ、静かに、今、謙太が蝶々になって帰ってきているよ」
 まさか、そのような事は有りえないと分かっているが、お婆ちゃんの気持ちを大切にしてあげようと、ママはお婆ちゃんの話に乗っかってやった。
   「まあ、謙太が…」
   「今まで、婆ちゃんにとまって遊んでいたが、今はそれ、菜の花に…」
   「ほんと、お食事中なのね」
 蝶々は、菜の花に飽きると、開けっぴろげの窓から外へ出ていった。 

 それからも、一年に一度だけ、菜の花が咲くころに帰ってきては、ひとしきり遊んでお婆ちゃんが供えた菜の花にとまり、出て行くのであった。 

 その頃には、お婆ちゃんの神様や仏様への恨み言はすっかり無くなり、元気を取り戻していた。
  「今年も、もうすぐ菜の花の咲く季節だわねえ」
 まだ立春の日が過ぎて間もないというのに、逸る気持ちを抑えきれないお婆ちゃんだった。だが、風邪をひき、それが元で肺炎になり、お婆ちゃんは急遽入院してしまった。

 入院して一月も経ったであろうか、その日も洗濯した寝間着を届けに来た嫁に、お婆ちゃんは願い事をした。
   「今日は、謙太が帰ってくるような予感がする、すぐに花屋で菜の花を買って帰っておくれ」
 嫁は言われた通りに家へ戻り、神棚に菜の花を活け窓を開いて待った。お婆ちゃんの予感の通り、やがて今年も紋白蝶が飛び込んできた、
 蝶は、ママの膝には止まらずに、部屋の中をぐるぐる飛び回るばかりであった。
   「謙太お帰り、お婆ちゃんは病気になって、以前にも入院したことのある中央病院の個室に入っているのだよ」
 蝶は諦めたのか、菜の花にはとまらずに窓の外へ出て行った。

 お婆ちゃんは、病室の窓の外に、紋白蝶がひらひら飛んでいるのを見つけた。ナースコールをして、飛んできた看護師に窓を開けて欲しいと頼んだ。体に良くないからと拒む看護師に手を合わせて頼み込み、ほんの少しの間だけ開けて貰った。看護師が部屋から出るのを待って、蝶は病室に入ってきた。
   「謙太かい、よくここが分かったねぇ」
 蝶は胸の上で組んだお婆ちゃんの指にとまり、羽を閉じたまま微動もしなかった。


 ものの10分も、そうしていただろうか、看護師が窓を閉めにやって来た。
   「もう、閉めますね」
 その時、紋白蝶がひらひらと窓の外へ飛び出し、導かれるように紋黄蝶が後に続いた。
   「お婆ちゃん、お婆ちゃん」
 看護師は、医者を呼ぶために病室のナースコールボタンを押した。
   「はい、どうされました?」
 天井のスピーカーが答える。
   「ナースの平沢、お婆ちゃんが呼吸停止です、先生を呼んでちょうだい」
 落ち着き払った看護師の声が、妙に冷たく響いた。
 

  (修正)  (原稿用紙8枚)