先月岡山城で、徳川家康の自筆の書状を見た。かなりの達筆で、これじゃお手紙も書きたくなるなぁ~と思った。家康は「お手紙将軍」と呼ばれていたほど、筆まめだったらしい。
そしてまたまた図書館をぶらぶらしていたら、安西篤子著の『家康の母』と目があった。いつも読む本は図書館ぶらぶらで、目に付いたものを読んでいるので今回もこんな感じ。これは史実をベースにしたフィクションだけれど、家康が幼児のころ人質に出された先から、母親と手紙のやり取りをしていたことが書かれていた。ホントかどうかは分からないけど、でもなんだか「お手紙将軍」のルーツがここにあるように思えてならない。それにしても徳川幕府があんなに続いたのに、家康の生母についてはあまり知られていないよね。見ると小石川の伝通院にお墓があると言う。しかも同じところに豊臣秀頼に嫁いだ千姫や家光の正室の孝子が眠っていると言う。
一度、家から東京ドームまで歩いてみたいと思っていたから、東京ドームの近くにある伝通院まで歩いてみた。40,50分かかったかなぁ~。地図上ではすごく近くに見えるんだけどなぁ~(笑)。でも歩けない距離ではないよね。なかなかいい散歩になりました。
さて、伝通院。お墓も非公開ではなく、一応お寺の方へ声を掛けて入るようにと書いてあったので、見学させて欲しい旨伝えて入る。確かに徳川家に関わった女性の古いお墓が何基もあったけど、普通のお墓も沢山ある。びっくりしたのは墓地のすぐ脇には普通にマンションが建ち、お墓を見下ろせるようになっている。やんごとなき方々のお墓と間近で暮らすなんて、畏れ多い気もするが…。
お線香を上げることもなく、ただ手を合わせて来ただけだけど、失礼のないように気は遣った。一般のお墓参りに見えてる方もいらっしゃったのでね。
テレビの電波がスカイツリーに移行して、残念ながら我が家でチバテレビもテレビ埼玉も電波が入らなくなった…。今『戦国鍋TV』はやっていないみたいだけど、気軽に見られなくなったのは残念。歴史オンチの私でも、お蔭様で随分歴女っぽくなったのよ。あくまで「ぽくなった」だけで、歴女ではありませんが…。
そしてまたまた図書館をぶらぶらしていたら、安西篤子著の『家康の母』と目があった。いつも読む本は図書館ぶらぶらで、目に付いたものを読んでいるので今回もこんな感じ。これは史実をベースにしたフィクションだけれど、家康が幼児のころ人質に出された先から、母親と手紙のやり取りをしていたことが書かれていた。ホントかどうかは分からないけど、でもなんだか「お手紙将軍」のルーツがここにあるように思えてならない。それにしても徳川幕府があんなに続いたのに、家康の生母についてはあまり知られていないよね。見ると小石川の伝通院にお墓があると言う。しかも同じところに豊臣秀頼に嫁いだ千姫や家光の正室の孝子が眠っていると言う。
一度、家から東京ドームまで歩いてみたいと思っていたから、東京ドームの近くにある伝通院まで歩いてみた。40,50分かかったかなぁ~。地図上ではすごく近くに見えるんだけどなぁ~(笑)。でも歩けない距離ではないよね。なかなかいい散歩になりました。
さて、伝通院。お墓も非公開ではなく、一応お寺の方へ声を掛けて入るようにと書いてあったので、見学させて欲しい旨伝えて入る。確かに徳川家に関わった女性の古いお墓が何基もあったけど、普通のお墓も沢山ある。びっくりしたのは墓地のすぐ脇には普通にマンションが建ち、お墓を見下ろせるようになっている。やんごとなき方々のお墓と間近で暮らすなんて、畏れ多い気もするが…。
お線香を上げることもなく、ただ手を合わせて来ただけだけど、失礼のないように気は遣った。一般のお墓参りに見えてる方もいらっしゃったのでね。
テレビの電波がスカイツリーに移行して、残念ながら我が家でチバテレビもテレビ埼玉も電波が入らなくなった…。今『戦国鍋TV』はやっていないみたいだけど、気軽に見られなくなったのは残念。歴史オンチの私でも、お蔭様で随分歴女っぽくなったのよ。あくまで「ぽくなった」だけで、歴女ではありませんが…。
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