旅限無(りょげむ)

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誰か止めなきゃ、みのもんた!

2005-05-31 21:09:07 | マスメディア
■個人的に恨みが有るというわけではないのですが、メディアの大変革期に急成長したこの人物が気になって仕方がありません。余り上手な比喩ではないのですが、ちょっと昔に『積み木くずし』という箸にも棒にも掛からない馬鹿親子の半ドキュメント本が、理由も分からずに大流行して、テレビでドラマ化されたり映画化までされる騒動がありました。家庭を放り出して「役者馬鹿」の美名に隠れてクセの有る演技を売り物にしていた穂積某氏が、地獄図と化した自分の家庭を「赤裸々に」書き殴った文章を、多分、一流の編集者が丹念に手を入れて、有りもしない「家庭の復活劇」に仕立て上げたのでしょう。これを間に受けた人々が沢山いたのでしたなあ。

■黒澤明さんの『酔いどれ天使』という名作映画が引き起こした奇怪な現象を、監督自身が驚き呆れて見ていたという実話が有ります。主人公は貧民街で医療活動を続ける一人の医者で、彼が出会った救いようの無い人物の中に、エナメル靴に白いサマー・スーツを着た三船敏郎演じる馬鹿なヤクザ者が登場します。黒澤さんが狙ったのは、志村喬演じる無名の医師が放つブッキラボウなヒューマニズムだったのですが、映画が大ヒットすると、町中に馬鹿なヤクザを真似た兄ちゃんのコピーが大発生したのでした。

■『積み木くずし』という本も、親の自覚を呼び起こすどころか、テレビで再現された荒れ果てた家庭の風景と、そこで猛獣のように吼えては暴れる馬鹿娘の「ファッション」が大流行したのでした。奇妙な髪型に暴力的な化粧、一冊も教科書が入っていない学生鞄に、相手を区別しない「日本語」、そして親から毟(むし)り取った金で身を滅ぼしていく馬鹿娘を真似るタワケ者を大発生させました。「テレビで観た」というのが強力な免罪符になるのが、この国の大きな弱点で、今でもこの免罪符が親子代々、途切れる事無く伝えられているご家庭が沢山存在しているようでありますなあ。

■面白い演技をして楽しませてくれた穂積さんは、家庭よりもパチンコを愛するダメ親爺だったようですが、本の売れ行きに便乗して、「教育評論家」になってしまったのが大間違いで、話など聞かずに「話題の人の顔」を見たいだけの参加者を集めた講演会も大繁盛してしまい、大好きなパチンコの軍資金が溢れ返って、ますます現実の家庭の積み木は崩れるどころか、粉々になってしまいました。誰も、彼を止めてはくれなかったのです。それが世間と言うものだ、と割り切れば話は終わりですが、ブッコワレタ家庭の惨状をテレビ画面で学んだ人々が、現実の家庭を構築する努力を放棄した結果が、最近の奇怪な事件の続出に直結しているとしたら、過ぎ去った他人事だと放置してはおけなくなります。

■メディアを弄(もてあそ)ぶ者に対する警戒態勢が備わっていないのが、テレビ業界の弱点です。視聴率さえ取れれば、犯罪者であろうと、詐欺師であろうと、ご機嫌を取って使い切ってしまおうとする体質は恐るべきものがあります。作り手も受け手も、「所詮テレビではないか」と油断しているのですから、危険はますます増大します。テレビの人気者にさえなれば、現実社会の中でも万能の力を得たような錯覚に陥って人生を台無しにしてしまう人が後を絶ちません。萩本欽一さんが大活躍した『スター誕生!』という罪深い番組を怒ったことも有りましたが、芸能界を冷めた目で見詰める知恵を持っていた山口百恵さんという人材を発掘したという功績が有るので、やはり、自己責任の問題なのか、と見識を改めました。

■テレビにオモチャにされているのか、テレビをオモチャにしているのか区別が付かなくなるのは危険です。テレビ局と酒場を往復するような生活をしていれば、苦言も教訓も聞く必要は無くなります。2005年3月24日の朝日新聞に、決定的な記事を見つけてからは、テレビ蘭を注意して見るようになりました。


ラジオと私 <2> 音だけの世界 僕の原点
文化放送に入社して3年目、いきなり深夜放送「セイ・ヤング」を担当させられたんです。本名の御法川法男(にのりかわ・のりお)では分かりにくいから、「みのもんた」と野末陳平さんが名付けてくれた。……トークはめちゃくちゃ。ディクスジョッキーの訓練なんて受けてないし、音楽のことも分からない。お粗末なおしゃべりでしたよ。内容が無くて心配だから早口になっちゃう。


■当時を知っている方ならば、「本当にそうだった」と頷(うなづ)くはずです。妙にギーギー声の、一人でハシャイデいるだけで、聞いている方が居たたまれなくなるような放送だったと記憶しています。でも、こんなに的確な「自己批判」……懐かしいですか?……めいた台詞が吐けるというのは、余程の自信が手に入ったのでしょうか?「セイ・ヤング」時代を知っている者にとって、特に成長や上達は見当たらないのですがねえ。ところが、御本人には悟るところがあったらしいのです!それは「面白くなければテレビじゃない」フジ・テレビがヤケクソで作った『プロ野球、珍プレー好プレー』のアテレコ体験ではなくて、昼のワイド・ショーで「君のは無駄話だ。これはトーク・ショーなんだぞ。ゲストを4人も入れているんだ。ゲストに話をさえろ」と言われた時だったそうです。

■それで開発されたという今のスタイルは、単なるスタジオの「内輪話」でしかないような気がするんですが、当の番組をきちんと観た経験が無いので、もっと奥深い味わい方が有るのかも知れませんが、たまにチラリと覗く程度の視聴者としては、オバチャン(お嬢さんと言わねばなりません)達をスタジオに並べて、実物の有名人を見せて、少しだけテレビ画面に入れるというだけの仕掛けと、きわどい覗き趣味を利用して「人生相談」という名目で、電話という覆面性を利用した同情の名を借りた「アノ人よりはアタシは幸せ」感覚の満足を狙った企画と、どうでも良いような「食ったら健康」話を混ぜて、夕食の買い物を助けるだけの番組だったようにしか見えなかったのですがねえ。

■ここからが本題です。このオバチャンの喰いすぎた昼飯の腹ごなし用のワイド・ショーで悟ったみのもんたさんは、放送文化の頂点にまで舞い上がってしまいます。


しゃべりって、究極的にはイメージの広がる音が出るか、出ないか。言葉が巧みなのも大事かもしれないけれど、やっぱり音だと思う。技術じゃない。気持ちをそのまま音の波長に乗せられるか。
たとえば、徳川夢声さんの間と緩急。「そのとき」と言ってその後、放送事故と思われるギリギリまで沈黙して、「武蔵は」と続ける。先輩に言われて、ストプウォッチで間を計ったら6秒もあった。それをテレビでやったのは僕なんですよ。00年に始まった「クイズ$ミリオネア」。簡単よ。「ファイナル・アンサー?」と僕が尋ねるでしょ。そして、解答者が悩んだ末に「ファイナルアンサー!」と答える。僕はじーっとギリギリまで黙ってから、正解かどうかを告げる。その沈黙の時間に、解答者の色んな思いが画面を通じて伝わるんだよね。


■出来の悪いオカルト話です。こんなヨタ話を、「ご尤もです」と畏(かしこ)まって聞いている悪いヤツがいるのでしょうなあ。徳川夢声さんの『宮本武蔵』の朗読は、50年も経ってからCD化されるような日本の放送文化の至宝ですぞ!それが、どうしてあの不愉快な「ファイナルアンサー」なのでしょう?クイズというので、一度は観た覚えがありますが、今も続いているのは、ちょうど脂ぎった顔がアップになってからCMになるモッタイブッタ時間に、トイレに立ったり小さな用事を済ませているだけのことでしょう。あのクイズ番組で知識や教養を高めようなどと思っている者は皆無でしょうから、「色んな思い」ではなくて、大金欲しさに恥を晒しに出て来る馬鹿者をアザ笑うためだけに愛好者達は見ているに決っているじゃないですか。

■この不景気に、テレビ業界を弄んで、大金を稼ぎ捲くっている間に、自分ではどうにもならない所まで舞い上がってしまったようで、ご本人の墜落も心配ですが、暇つぶしの説教番組と健康情報番組で時間と知能を奪われる多くの人々の事も少し心配です。テレビという化け物の残酷さが、これから嫌というほど堪能できるでしょうから、みのもんたさんの行く末に注目しておくべきでしょうなあ。御本人は、朝から晩まで、放送時間いっぱい、自分が出ているテレビを夢想しているそうですから、誰か付き合ってあげて下さい。今のうちは「金持ち喧嘩せず」が効いていますが、増長慢からの墜落は悲惨なものになるでしょう。こんなことを考えている自分自身が、下らない暇つぶしをしているようにも思えますが、全国的な放送文化という物は、最も影響力を持っているので、徒(あだ)や疎(おろそ)かには出来ないのですよ。
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