米軍、着陸帯中止を検討 四軍調整官、副知事と会談 高江ヘリ炎上
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-603483.html
県が高江周辺の住宅地に近い「N4」と「H」地区の計3ヘリパッドの使用中止や、水源地であるダム上空の飛行中止を求めたことには、ニコルソン氏は「地域住民の不安を和らげる方向で、できる限りほかの着陸帯を使用できないか検討すると約束する」と語った
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県が高江周辺の住宅地に近い「N4」と「H」地区の計3ヘリパッドの使用中止や、水源地であるダム上空の飛行中止を求めたことには、ニコルソン氏は「地域住民の不安を和らげる方向で、できる限りほかの着陸帯を使用できないか検討すると約束する」と語った
相変わらずこの国は、民の思惑に背く政治家官僚たちの手で彼等のほぼ私利私欲の国策に前のめる在り様で経過している。歴史書には、明治維新は、民度の欠けた「跛行的改革」と書いてある。つまり近代化と銘打ったこの国の一大歴史的転換は、結果的には「敗戦」に象徴される欠陥住宅だったといっているようなものだ。伊藤博文が官僚教育養成機関(旧帝国大学等)を通じて全国の俊秀を中央に選抜集結させ、国家組織としての官僚体制を国造りの中心に据えて、富国強兵、殖産興業の実を挙げんと織りなした大日本帝国は、砕いて言えば、頭でっかちの秀才的発育不全の思考回路で突き進む、危険な国家運営のもとに昭和の大団円に真っ逆さまに墜落していったのだった。
この歴史検証結果の重要性は、今を生きるためにこそ歴史に学ぶ、という当然の行為を、全ての事柄に於いて正当になさしめる意味で考えられる。今や安倍晋三一派に代表される「愚民政治」(愚民化政治ではなく政治家自身が愚民化している政治)に極まったこの国の劣悪な政治環境は、この国の選挙制度、少数排除の独裁的多数決原理、島国根性、事大主義、縁故主義(世襲政治)など、前時代的在り様で国家ぐるみ国民あげて、構造的に劣化した(三権はなし崩しに分立をやめた)国家運営のもと、堕落した既得権・利権政治の理念なき横行を許し、民意を反映しない最低のブルジョア国政に狂いまくっている。何故この国はここまで落ちたか?理由は明らかだ。政治責任を全うする(最終的な結果責任を負うということ、従ってこの国の人はあらゆる局面で全て、先の大戦の結果責任を負い続ける、ドイツのように)政治家の不在は勿論の事、国が敗戦という無様な失態を演じたというのに、またぞろその同じ失策体制に逆戻りしようという狂った熱病(既に衆議院選挙結果にみるような異常なパンデミックを惹き起こしている)に冒された輩が、どういうわけか水を得た河童宛ら乱舞しているという、まさに歴史修正、歴史否定の暴力が吹き荒れているからだ。
歴史修正、歴史否定の暴力は沖縄戦を体験したこの地にあからさまに襲いかかってきている。それが醜悪な様態で顕在化したのが高江辺野古の強行工事だ。沖縄戦という、戦争、軍隊、軍事行動、軍事的拡大行為の非本土的体験を血涙と共に味あわされた当地に何故この国とアメリカはわざわざこのような、明らかに人道的に転倒した国策を遂行しようとするのか。これに対して何故他の国民は怒ったり抗議しようとしないのか。それは、まさに歴史に学ぼうとしない、むしろ歴史を修正し、否定さえしようとする安倍晋三一派が、数字のマジックでいかにも国民の支持を得ているかのように、まさに沖縄戦の戦禍という歴史的事実をを否定する質でこの地に対しているからだ。国民はこの国の蛮行を見て見ぬふりをしている。それは先の大戦を食い止め得なかった国民性とどこかで繋がっている。
しかしながら沖縄は、まさに腹六分目で「オール沖縄」的に反軍、反戦、反軍拡、を県民意思として絶えず示している。出鱈目国政選挙ながら沖縄の絶対的支持は、必ず反安倍、反基地代議員を選んでいる。ガチャガチャ辺野古で蠢いている不逞の輩がいくら県民を「チルダイ」させようと躍起になっても、時空に漲る県民のマブイがいつもこの地を覆いつくしているのだ。退散すべきはあいつらだ。(つづく)