沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩631 沖縄を生きるということ、とは 12

2017年10月24日 20時49分20秒 | 政治論

 「チャタレー夫人の恋人」の冒頭、「現代は本質的に悲劇の時代である」、とD・H・ロレンスがいうとき、人は単純に同時代に起こった様々な悲劇的事件のことを思い浮かべることだろう。1914年第一次大戦、1917年ロシア革命と100年持たずソ連解体、次いで第二次大戦とホロコースト、東西冷戦、テロ戦争、飢餓、難民、差別されたマイノリテイ、など、これを数え上げればきりがない程に現代は悲劇的様相を帯びた諸断面を垣間見せてきた。その中でも現代に特徴的な悲劇と言うのはどこに見られるか。我々は残虐な殺戮を殊更思い浮かべるがそれは人類史上ほぼ絶え間なくあった事象であり、取り分けて現代的なものとも言えないようだ。つまり、ロレンスのいう現代の悲劇とは、それらとは別のところにあると考えざるを得ない、どこか、もっと現代人の心の奥深いところ、我々が拠って立っている何か信仰のようなものさえ脅かす、不気味な外来者の浸潤。

 キルケゴール(1813~1855)は死に至る病として「絶望」を取り上げた。しかし彼は「関係自体に関係する関係主体」を神との関係と見做したので、その説は一種の教化が目されている。取り出された「単独者」が対峙するべき「神」はキリスト教の神である。ニーチェは、キルケゴールの「絶望」を絶望すること、「神は死んだ」という絶望に人間の復活を宣言した。かくして人間の中の人間、「超人」が誕生する。絶望にさえ絶望するとき、そのことにも絶望する時、人は永遠的な生成の連動の中での運動主体として活路を見出すという。俗っぽく言えば「絶望している暇はない」となる。相対性理論から不確定性原理へ、不確実性から混迷を取り除くなら固定化された「人間」でなく、創造し生成する常に新たな細胞体としての自然存在が人間の顔をし始める。デカルトが、思考する自身は疑えないとして唯一の確実性を措定したのは哲学的には基本中の基本であり、パスカルが自然存在としての不確実性において、人間における現代的悲劇的本質を予言したことで、その後人類は哲学的にはそこから一歩もすすんではいないと思われる。ニーチェは創造的行為としての「芸術」を究極の人間的行為としたらしいが、果たして現代はその行為を真の自由のもとに許容しているか、あるいは十把一絡げの低質な俗流芸術さえ幅を利かせていないか、恐らくは「社会的視点」を有しないそれらは人間的には凡そ何者でもない。

 根本的な問いかけにはこちら側に根本的な一つの確信がなければならない。この意味でソクラテスは「無知の知」という、デルフィの託宣が齎した確信において思考する(対話する)基礎的な立ち位置を得た。「対話」はまさに知における社会的行為だ。彼が対話以外に一冊の著書も持たなかったのは、人間的行為の基本的な場が社会にあることを何よりも優先させたからであろう。この意味で彼はあらゆる人間的行為の価値を社会の中に求めたということにほかならず、政治や法、社会的機構、仕組みなどが齎す人間の営為、にのみ立脚しようとしていた。だが、歴史的な意味では(現代から省みるところの歴史と言う意味)未だ根本的な問いかけをクリアしてない。当然にソクラテスは、キリスト以前に知の基本を措定し得た一人の人類史上稀に見る天才であり、此処から全ては出発するのであって、現代が何者であるかは現代のわれわれが解き明かさなければならないことに変わりはない。

 ここに「忘れられた思想家」としての安藤昌益がいる。彼の農本主義は根本的である。彼は赤穂浪士討ち入り事件のあった年(1703年)にこの世に生を受けた。生まれは秋田の豪農とある。何故それは根本的か。

 「生かさず殺さず」で締め上げつつこれから多くを強奪、収奪していた農耕者以外の一切の身分的分類に掛る存在を「不耕貪食」の輩と切り捨て、農耕者こそ通常の意味の「人間」であるとした。ここまでは徳川封建社会の根本的否定であり、明治維新に連なる思想的系譜に先んじたものと見做すものであろうが、昌益の思想は時代を超えて直接現代の我々に問いかける内容をもつ(自然真営道、統道真伝を読まれたし)。

 さて、沖縄のことに立ち返ると、どうしても上っ調子のありきたりな問いかけは直ちに意味を成さなくなる。根本的問いかけの原点に必ず舞い戻る、戻らざるを得ない。これが沖縄の本質的悲劇の所在だ。この地方自治体は未だに一国の中の「普通の権利行使ができる」行政体となっていない。(つづく)

 


詩596 沖縄タイムス辺野古高江ツイート

2017年10月24日 19時05分44秒 | マスコミジャーナリズム
 

10月24日午後2時、キャンプ・シュワブ沿岸では、明日の辺野古海上大行動に参加する市民らがカヌーを漕ぐ練習をしています。明日は2列になってパレードをするそうです。

 

 

10月24日午後1時50分、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前に集まった市民約50人が「(衆院選で)沖縄の民意は示された。沖縄に基地はいらない」と声を上げました。この時間まで、資材の搬入はありません。


詩596 琉球新報辺野古高江ツイート2

2017年10月24日 19時01分09秒 | マスコミジャーナリズム
 

10月24日午後2時、辺野古沖でカヌー隊が2列になって進んでいます。あすの海上座り込みの練習です。本番は約100艇が参加する予定です。 

 
 
 

Q1議席でも落とせば県民の辺野古反対の意思は減るとの指摘もあったが? Q1選挙区の敗北で名護市長選の影響は? Q県民投票の必要性は? 翁長雄志沖縄県知事の回答は記事を追加した「会見全文」でご確認を。...


詩596 琉球新報辺野古高江ツイート1

2017年10月24日 18時58分46秒 | マスコミジャーナリズム

 

10月24日、グナァムィの見つめる先には、抗議の意思を示した葉っぱのアートがフェンスを彩ります。落ち葉などを拾っていた女性は「自然にも味方してほしいから」と話しました。   

 

 

Qヘリパッド撤去要求は6カ所ではないのか?Q自らの引き際をどう考えるか?Q 世界自然遺産論議で辺野古新基地反対は訴えるか?知事の回答は、新たに記事を追加した「会見全文」でご確認を。   

 

 

10月24日午前11時10分、タグボートでけん引した浮具を和船の作業員が設置しました。カヌー隊は「作業をやめろ」と訴えています。新たな台風発生で「またどうせすぐ撤去するのに」の声も。   

 

 

10月24日午前。今日のわんこ。 グナァムィは飼い主の成田正雄さん(64)と一緒にゲート前を散歩中です。   

 

 

おはようございます。10月24日午前10時50分、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部です。長島の南側では台風接近のため、一時撤去していた浮具が再び設置されています。海上は波が少し高いです。   


詩596 朝日新聞記事 Gカーティス氏「日本のチェックアンドバランス壊れた」

2017年10月24日 07時41分54秒 | マスコミジャーナリズム

Gカーティス氏「日本のチェックアンドバランス壊れた」

http://digital.asahi.com/articles/ASKBR4RLSKBRUTFK00Y.html?rm=447

安倍晋三首相が衆院を解散したのは、議員任期の4年間さらに首相を続けたいからだ

中道から右の自民党に対抗するなら、中道から左だ

枝野幸男代表は永田町での数あわせはしないと言う。草の根政治を語るのはいいが、政治で権力を求めずに何を実現するのか

今回の衆院選で自民党が勝ちはしたが、安倍首相が掲げる憲法改正は進まないだろう。